バギオは比島戦が終結した場所であり、9月3日はその象徴。戦争の悲惨な事実は事実として記憶し、しかし”降伏の日”として怨恨を子孫に伝えるのではなく、平和への願いに変えてゆきたいという趣旨に賛同し、私たち基金もこの演劇祭を支援した(市民青少年交流助成プログラム)。
100万人以上と言われる比民間人の犠牲者を出した戦争の記憶は、60年以上経過してもこの国の人々の間で様々に語り継がれている。そうした記憶やその癒しにまつわる事柄は、心の中にある日本への眼差しそのものであり、まさに文化交流の領分と言える。
そんな戦争の記憶に、はっきりと変容のきざしが現れている。
イエズス会が経営するフィリピンきってのエリート校であるアテネオ・デ・マニラ大学には、東南アジアで最も歴史の古い日本研究コースがある。1967年に日本研究講座が開講して42年。太平洋戦争の惨禍で多大な犠牲を強いられたフィリピンの日本研究だけあって、ほぼ毎年開かれる日本研究セミナーなどでは、これまで戦争の問題がたびたび取り上げられてきた。昨年度も基金の支援でセミナーが開催されたが(2月6日)、そのテーマは「戦争の記憶、モニュメントとメディア、アジアにおける紛争の表象と歴史の創造」。フィリピンと日本で語り継がれ、表象され続ける太平洋戦争の記憶とその変容について、モニュメント、映画やマスメディアでの描かれ方などを通じて様々な分析が紹介された。
記憶する、もしくは思い出すという行為は、単に過去にさかのぼるだけではなく、生きている今を反映し、将来に対する期待をも含む行為だ。その意味で印象に残ったコメントはオーストラリアのアイリーン・トゥーヘイ氏の発表で、メモリー・オブ・ワーからメモリー・オブ・ピースへシフトしていることについて述べていた。戦争という忌まわしい事実をしっかりと受け止め、次世代に向けて平和のメッセージを伝えてゆこうというバギオの例にもあてはまる。
アテネオでセミナーが行われていたまさに同じ日(2009年2月6日)、なんとも象徴的なことであるが、ミンダナオのカガヤン・デ・オロ市にあるキャピトル大学でも、たまたま同じように戦争の記憶に関連するセミナーが行われていて、これも基金が支援した。こちらのほうは私自身は出席できなかったが、戦前ミンダナオに移住した日本人とその土地の先住民であるバゴボ族の女性との結婚、そして彼らの子孫である日系人をテーマにしたセミナーでる。”残虐非道な日本人”の子孫、縁戚者として、彼らもまた戦後長い間、戦争の記憶に苦悩してきた人々である。
しかし今回の企画がユニークなのは、フィリピン人自身が、そうした日本人の移民史と現在の日系人の姿をベースに歴史小説を創作して、戦争の悲惨な記憶によって塗り固められてきたミンダナオの日系人の歴史に新たな光を当てようとしていることだ。
「第二次世界大戦は多くのフィリピン人の心の中に日本人についての恐ろしくネガティブなイメージを植えつけた。しかし日本や日本人にまつわる経験や記憶が、戦争とともに始まらない場所もある。そうしたフィリピンの歴史の中の特別な過去といったものは、一体どのように再構築してゆけばいいのだろうか?」(『Imaging Japan A Tale From Tagabawa Bagobo Nikkeijin』、マリテス・カンセール、リリアン・デラペーニャ共著)
変容する戦争の記憶は、映画の世界にも現れている。以前このブログでも紹介したデジタル・シネマの『コンチェルト』。昨年のシネマラヤに出品されて話題を呼んだが、その後一般の劇場などでも公開された。映画自体の評価は分かれるところだが、日比文化交流史の中では非常に重要な作品だと思う。以前紹介した時の記事。

映画の中で日本軍や日本人がどのように描かれてきたかといえば、それは無論、全くひどいものだった。フィリピン人もしくはアメリカ人による映画で比島戦に関する作品は大きく3つのタイプに分かれると思う。戦史に基づいて描かれたオーソドックスな”正統派”戦争映画。次に戦争にまつわるサイドストーリーを描いた作品。そしてもう一つはドキュメンタリー。
戦争映画の中で私が見た象徴的な作品は、米国映画の『The Great Raid(大退却)』(2005年、ジョン・ダール監督)。1945年の戦争末期、米軍がカバナトゥアンにあった日本軍捕虜収容所から500人の米国人とフィリピン人捕虜を救出して退却し、史上最大の救出作戦を成功させたという史実に基づいた物語で、無論日本軍人を生身の人間として描く要素は皆無。
第二のカテゴリーは、例えば『Yamashita, The Tiger's Treasure』(2001年、チト・ロニョ監督)。フィリピンには,中国戦線からばく大な財宝を持って南下してきた山下将軍(第14方面軍司令官)が,敗戦間際に北ルソンの山中にそれを隠したという有名な”伝説”があり、いまでも大真面目に発掘を続けている人たちがいるが、この映画はその財宝を埋めるまでの話(過去)と現代の財宝探しがクロスして進行する。そこでは日本兵がフィリピン人捕虜を虐待して財宝を隠す場面が描かれている。

第三のカテゴリーであるドキュメンタリーでは、1945年2月の”マニラの虐殺”を描いた『Manila 1945: The Forgotten Atrocities(忘れられた残虐)』(2007年)が有名俳優のセザール・モンタナが出演していて話題となり、大学などでも上映された。

こうした戦争の記憶の変容は、おそらく我々の一人一人の心の中で、実は日々起こっていることなのかもしれない。
今年7月の日比友好月間に基金の主催で実施したJクラシック公演に、比人ギタリストのブッチ・ロハス氏をゲストに迎えた。彼の提案でこの国で親しまれているタガログ語の子守唄「サ・ウゴイ・ナン・ドゥヤン」を演奏することになったが、その曲を癌と闘う姉のために演奏したいと提案された。日比友好のために実施する公演なので、あまりに個人的な思いと違和感があったが、やがて彼の家族が抱える戦争にまつわる記憶を知るに至り、考えが変わった。
ロハス家は有名な芸術エリート一家だが、彼の母方の祖母が戦時中日本軍に処刑された。そのショックで母親は戦後長く日本製品をボイコットしていたという。そんな歴史を背負う彼は、その子守唄を家族の癒しのために演奏したいと思っていたのだと打ち明けられた。コンサートではそのことを観衆に伝えず、日本人演奏家には公演終了後に話せばよいと考え、彼の提案通りとした。結果的に大成功で、私の前で聴いていたロハス家の人々も目を潤ませていた。コンサートの最後の曲が映画『おくりびと』のテーマだったのは偶然だが、戦争の記憶を抱えた一人の比人演奏家とその家族にとって、その日の演奏によってその記憶は変容し、確かな癒しとなったのではないかと今でも思っている。
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