2009/09/15

文化と政治(1)

 いま文化と政治の問題がこの国で話題になっている。文化はどこまで政治から中立でいられるか?政治はどこまで文化に介入できるのか?それぞれの国で政治と文化の土壌の違いで差異があるにしても、ひるがえって自分たちの問題を考えるためにも興味深いテーマだ。

 9月8日はフィリピンのアーティストにとって記憶すべき日である。40年前の同じ日、フィリピン文化センター(CCP)がオープンした。先週の月曜日、40周年を祝ってガラコンサートが行われた。そして同じ週の11日、今度はCCPの創設者であり、フィリピン史上最大の芸術のパトロンと呼ばれるイメルダ・マルコスを称えるためのガラが行われた。題して「Seven Arts, one Imelda」。

 Seven ArtsとはCCPが扱う7つのアートジャンル、音楽、演劇、舞踊、美術、映画、文学、メディアアートを指し、それら全てのアートがイメルダの恩恵にあるという意味だ。以前このブログでも触れたとおり確かにCCPほどの国立文化施設は東南アジアには稀有だ。財政的な問題はひとまずおいておけば、理念的な面も含めてこれほど包括的な国立文化施設は日本にも見当たらないだろう。

 私も4年前にこの国に赴任して以来、事務所と自宅を除いて最も足しげく通った場所であり、基金の主催事業でも、これまでに大劇場3回(和太鼓倭、コンドルズ、オペラ・コンサート)、中劇場1回(Jクラシック)、そして小劇場3回(室伏鴻、チョン・ウィシン演出『バケラッタ』、踊りに行くぜ!)と数多くお世話になった。全て会場費はほぼ無料で、有形無形の様々な便宜をはかってくれて、基金の舞台関係事業はCCPなしには考えられない。

 歴史に“もし”はありえないが、この国にもしCCPが存在しなかったら、アートの“業界図“はざぞかし寒々としていたのではと想像するが、それだけその存在感は突出している。どうしようもない問題を抱えるフィリピンであるが、多くのアーティストの活動を支え、つまり人々の夢や誇りを支え、日々物語りを生産し続けている。

 しかしそのCCPの礎を築いたのが、史上最悪と言われる汚職と圧制にまみれたマルコス政権の第一夫人であれば話は複雑である。イメルダを称賛する今回のガラについても、Alliance of Concerned Teachersという戦闘的な教員団体が、マルコス時代に迫害を受けた多くの人々の気持ちを代弁し、同イベントに否を唱え、ガラ公演当日も会場前でデモを行った。

 当日は新たに館長代理に就いたラウル・ズニーコ氏が、開会のあいさつの中で「政治と文化を切り離し」と、ちょっと苦しげな(と見える)スピーチをしていた。ガラ後半のイメルダの生涯をテーマにした音楽劇の最後には本人がステージに上ったが、スタンディング・オベーションで迎えたのは約8割くらいであろうか、やや複雑な表情でかたくなに座ったままの人々もかなりいたのは象徴的だった。

 私はといえば、CCPの成立がある強大な権力を持った政治家の決断の結果だったとしても(CCPの土地は第二次大戦後海軍の所有となったが、イメルダ夫人の肝入りでマルコス政権の最初期に海軍から召し上げたという経緯がある)、やはりそれは人々の汗水たらして得た労働の対価からくる税金で作られたものであり、ましてはその時代が信じられない汚職と政治的迫害の時代のただ中にあったとすれば、そこに称賛などありえるのだろうか、と率直に疑問に思うのだ。たとえ部外者としてもスタンディング・オベーションなどする気にはなれなかった。

 しかしもし人間の性悪説を認めるとして、政治というものが必要悪であらゆる利権や物欲の調整機能であるとした場合、いかにひどい統治者であったとしても、あとから振り返れば後世に残ることもしていると、功罪論として語られるようになるのだろうか。

 イベントのパンフレットの冒頭にジェレミー・バーンズ(マラカニアン宮殿ギャラリー館長)のエッセイが掲載されている。

「もしイメルダ夫人のCCPという目標に向かった尽力がなければ、40年を経た今日、私たちの時代に、いまあるものと等しいものが存在していただろうか?・・・CCPはある意味遺産であり立証であると言えるだろう。たとえそれがひどく破壊的な政治的ビジョンの遺産だとしても、それにもかかわらずフィリピン人精神を絶賛し、芸術的才能と文化的表現を生み出してきた。・・・」

 「破壊的な政治的ビジョンの遺産」なんて、なんとも悲しい表現であるが、そんな遺産を称賛しなくてはならないほど、いまの政治的状況や文化と政治との関係が破壊的であるとも解釈できるし、この国の民主主義は未成熟だと言うこともできるだろう。

No comments: