2009/06/19

バタネス、ああバタネス

 とうとう行ってきました。南の国の北の最果て。想像以上に素晴らしいところだったので、ここで一気呵成に紹介します。ただし3泊4日の駆け足観光ですので、もちろん初心者向きです。

 そもそも私がバタネスと最初に出会ったのは映画の中。2007年はちょっとした”バタネス・ブーム”で、バタネスを舞台にした映画が立て続けに二本公開された。

 一本目はデジタル映画の『カディン(山羊)』。このブログでも紹介したが、国内最大のデジタル・シネマ・フェスティバルであるシネマラヤのコンペティション部門に出品された。監督はアドルフォ・アリックス・ジュニア。山羊の世話をして家族を助けていた兄弟だが、ある日その山羊が行方不明になり、島中を探し回る・・という話。全編に挿入される美しい島の風景と昔ながらの人々の暮らしが印象に残る秀作だった。




 そして二本目は大手GMA映画が製作し劇場公開された、その名も『バタネス』。台湾の人気グループF4のケン・チューが主演して話題となったのでご覧になった方も多いかもしれない。監督はこれもアドルフォ・アリックス・ジュニア。台湾から漂着した謎のわけあり男(ケン・チュー)と、地元の美しい女性(イサ・カルザド)とのラブストーリー。たわいもないストーリーだけど、やはり島の美しさが際立った作品だった。




 美しい映画を観て、いつかは行きたいと思っていたが、そんなバタネスへのさらなる思いを募らせたのが『バタン漂流記、神力丸巴丹漂流記を追って』という本だ。著者は岡山県立博物館学芸課長(2001年当時)の臼井洋輔氏。文政三年(1830年)8月に備前を出航した後に遭難して二ヶ月余り漂流し、奇跡的にもバタネスに漂着した乗組員の内の14人が、その二年後に日本に無事帰国。藩による取調べの記録が『巴丹漂流記』として岡山の池田藩の末裔のもとなどに残されていて、当時のバタン島の詳細を今に伝えている。この本は、著書がその『巴丹漂流記』に触発されて現代のバタネスを訪れ、そこに記された風土、文物、人々と今の様子を比較し、さらには同じフィリピン国内で太古の文化を今に伝えるミンドロ島のハヌノオ・マンギャン族の文化などとも比較し、黒潮文化の中での日本とのつながりを俯瞰するという、とても知的興奮にあふれた本だ。おそらく既に絶版だろうけど、図書館かどこかで手に入れて読めばバタネスへの理解はより深まるだろう。

 さらに直前予習のために役に立ったのが州政府のホームページ。以下のことは全部そのホームページから抜粋。http://www.purocastillejos.com/

 バタネスの”歴史”の始まりは、17世紀後半に英国人が漂着した記録から。スペイン統治時代になっても、正式にスペイン領に編入されたのはようやく1783年のこと。レガスピによってマニラが占領された二百年以上後のことだ。スペインとの独立戦争の際には、1898年にイバナという町に独立派カティプナンのメンバーがやって来て、スペイン人司祭を捕らえたという記録がある。こんな小さな離れ小島にもカティプナンはやって来たのは驚きだ。いかに当時の独立戦争が国内で広範に展開していたかがわかる。そして1941年12月8日、つまり真珠湾攻撃の日に日本軍はこのバタン島に上陸している。そのイバナ町では16人の住民がゲリラの容疑で処刑されたとある。

 ここまで予習していざバタネスのバタン島へ。バタネス州はフィリピン最北の州でルソン島の北端からは280キロほど。ちなみに台湾までは200キロもなく、むしろ近い。飛行機で1時間半ほどで、私の場合はSEAIRで飛んだ。32人乗りのドイツのドルニエ社製のプロペラ機。料金は日によって異なるが普通の日で片道6,000~7,000ペソから。ただし気候条件や乗客の集まり具合などでよく欠航するので、ぎりぎりの予定での渡航はお薦めしない。飛行場はバタン島最高峰のイラヤ山の山腹を削った滑走路でスロープになっている。おそらく平地の少ないバタン島では2000メートル級の長い滑走路を作るための土地はないのだろう。従って大きなジェット機は乗り入れ不可能。

 上空から眺めたバタン島。南シナ海と太平洋双方から荒波を受け、島全体に断崖絶壁が多く、波濤のくだける白が美しい。4月から6月は東からの季節風が吹くそうで、西側の南シナ海に面したバスコなどは比較的波が穏やかな季節である。

 バタネス州の州都、バスコBascoの町。バスコはバタネスがスペインに領有された後の初代知事の名前にちなんだもの。バタン島はバスコを含めて6つの町からなる。

 北には標高1517メートルの休火山、イラヤIraya山がそびえる。島の最北に位置して急勾配で海に面する威容は、かつて黒潮を航海する人々の目印となっていたことだろう。

 宿泊したシーサイドロッジの海側からの眺め。大きくて清潔な部屋で食事もおいしかった。町にはレストランがないのでほぼ毎食ここで食べた。他にも宿泊施設はあるが、町の中心街まで近く買い物などにも便利。インターネットを通して予約して素泊まりで1,000ペソ。直接支払いの場合は800ペソだった。ここはお薦め。バスコ近郊にあるバタネス・リゾートは綺麗なコテージが売りだが、町の中心部から遠くて自由な散策には不向き。ただ現地で仕入れた情報で、アーティストのパシータ・アバドが経営するフンダシオン・パシータは素晴らしいとの噂。収益の一部はバタネスの伝統文化保存にも利用されているようで、最低1泊5,000ペソの価値があるかもしれない。 http://www.fundacionpacita.ph/programs.php

 朝食で食べた飛魚の干物のから揚げ。飛魚は黒潮海域の名物で特に4月から6月が漁期。たくさん獲ってまとめて干物にする。とても肉厚で独特な味だ。











 干物状態(サブタン島のチャブヤンで)

 バスコにはとにかく国や州など官公庁が多い。写真は州庁舎。周辺には公共事業道路省、農業省、環境省や地方裁判所などなど。さらにバタネス国立大学に、なんと国立サイエンス・ハイスクールまである。人口は約6000人というが、ここで働く多くの人はおそらく公務員だろう。フィリピンには81もの州があってなんて多いのだろうと思っていたが、おそらく僻地にあっては、州都があるとないとでは大違い。なるほど地方振興、雇用対策の面ではおおいに意味がある。

 夕方になると州庁舎前のグラウンドは役所や学校の部活動で賑わい、公園は人々の憩いの場となる。僻地かと思ったが、若者は結構あか抜けていた。

 バスコの海岸は、日没近くになると家族連れで海水浴を楽しむ人々で賑わっていた。ここには無論ストリートチルドレンはいないし、土地の老人が言っていたが、泥棒もいないそうだ。街はきれいでプラスチックゴミもほとんど落ちていない。こちらから意識的に目を合わせれば、多くの人が挨拶をしてくれる。そんな場所だ。

 バスコのシンボルの灯台。ロッジから徒歩で20分ほど。米国時代には無線の中継地だった場所。












 サント・ドミンゴSanto Domingo教会。18世紀後半、初めてバタネスに教会が建てられた土地。バタネ町はどの町でも教会が中心。こんな僻地にも威容を誇る教会が存在している。

 空から見たマハタオMahataoの町(バスコの隣町)の様子。真中が教会。教会がいかに町作りの中心となっているかよくわかる。

 バヤンVayan。ロッジから車で10分。なお島内の幹線道路にはジープニーが走っているが、初めての際は車を貸しきって回るのがベスト。1時間250ペソ。5~6時間もあれば島を一周できる。慣れればジープニーが便利。緑の絨毯となった丘が幾重も連なり、その先に真っ青な海。牛や山羊が放牧されている。水平線上にうっすら浮かぶのはバタネス州最大の島、イトバヤットItbayat島。その先に無人のヤミ島。そしてフォルモサ、台湾。南シナ海と太平洋が交わる大海の壮大な眺めが堪能できる。実に地球は丸い。

 ボールダー・ビーチ。ロッジから車で10数分。悠久の歴史、荒れる波濤にまるまると削られたゴロタ石が無数にころがる。

 漁師の出航。この小さなバンカボート、釣り糸と針だけで、人の背丈ほどのカジキマグロも獲れるという。もっとも多くの場合たいした収獲はないのだろう。博打のようなものだ。

 バランガイ・トゥコンTukonの高台。現在ラジオ・ステーションを建設中。ここは360度の視界が息を飲む。中央がイリヤ山で右が太平洋、左は南シナ海。

 高台から降りる途中の教会。ゴロタ石の美しいファサード。








 バスコから南へ向かう道は海に迫った断崖絶壁の中腹を削って作られた道。車道の下には壮大な景色が続く。











 途中には洒落た展望台View Deckがある。

 イバナIvana町、バランガイ・サン・ホセSan Joseにあるバハイ・ニ・ダカイVahay ni Dakay(ダカイの家)と呼ばれる伝統的ストーン・ハウス。石は珊瑚の死骸からできたライムストーン。18世紀建造、最も古い家屋の一つ。現在でも使われている。

 ボート作りの現場。全長2.5メートルほどの小型バンカ。3枚の長い板を接合している。木材は沖縄などでもよくあり黄色の染料にもなるフクギ。木材の曲線の掘り出しは太古からの伝統を受け継ぐ職人の勘。大航海時代、フィリピンはガレオン船の建造地かつ輸出基地として、海洋貿易の発展に大いに寄与したという。もっと古くは日本の船作りにも影響を与えたと推測されている。一ヶ月の作業で600米ドルで売るそうだ。

 ウユガンUyugan町のバランガイ・イトブッドItbud。バタン島で最も伝統的ストーン・ハウスの残る美しい町並み。家屋の半数近くが石作りの壁とコゴン草の屋根。今は美しい姿だが、意識的に保存していかなければいずれ失われてしまうだろう。土地の人の話では、ストーン・ハウスの修復の際には州政府の補助金が出るそうである。

 三日目は隣りのサブタンSabtang島へボートトリップ。6時半にロッジからジープニーに乗り、イバナ町のサン・ビセンテSan Vicente港まで。約30分で25ペソ。そこから写真のバンカ(20人乗り)で45分かけてサブタン島へ。50ペソ。サブタン島は人口1800人。

 港は日本の政府開発援助(ODA)で整備されていた。またこの港の近くの小学校もODA(おそらく草の根援助)だった。ちなみにバスコの小学校でもODAマークを発見。バタネスではODAが大活躍だ。

 港に着いたらまず近くのヘリテージ事務局で登録(100ペソ)。そこで出会った公認ガイドのボーイ・アラバードBoy Alabadoさんは、とても親切でしっかりとガイドしてくれた。ガイド付きバイクで3時間600ペソ。ガイドブックにはサブタン島には宿泊施設が無いとあるが、少人数ならこのヘリテージに宿泊可能。絶景の海辺でキャンプもできるそうだ。サブタン島を訪れる際は彼に連絡すると良い。Tel:0919-866-6497

 港のカンティーンで昼食。ある方のブログの薦めに従いココナッツクラブ(椰子蟹)を食べる。身がしまっていて、味噌もいっぱいで美味。一匹250ペソ。

 臼井氏の本で紹介されている日本では”修羅”と呼ばれた車輪の無い運搬道具。本当にまだ使われていた。地面との摩擦の少ない車輪の発明は、人類にとって革命的なできごとだったのだろうと納得。

 バランガイ・サビドゥッグSAVIDUGにあった原型をとどめるイバタン族の伝統的ストーンハウス。原型は屋根が低い位置まで降りていて、入り口の間口は7~80センチ程度。台風の激しい風に耐えるため。

 緑の絨毯のような丘陵と紺碧の海。そして映画『カディン』にも登場した山羊。ここは映画のロケ地になった。

 バランガイ・チャバヤンChavayanの美しい町並み。『カディン』の主人公の兄弟が住んでいる家がある。

 イバタンの伝統家屋の本当のオリジナルはライムストーンを使わずに、コゴン草と椰子の葉などでできていた。ストーンハウスの技術はここを支配したスペイン人が持ち込んだもの。





 土地の名物である女性用のヘッドギアー、ヴァクルVakulを編む。素材はアバカの繊維。











 バージンアイランド









 帰りのバンカでカツオが釣れた。たった一本の糸と針で。小ぶりだけどれっきとした黒潮海流のカツオが、たったの100ペソ。早速買って帰り、ロッジで刺身にしてもらった。当然美味。ちなみにロッジには日本の醤油とわさびまであった。









 南シナ海に沈む夕日

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