2009/06/17

再び、世界に発信し始めた新しいフィリピン映画

 同じような記事を『まにら新聞』に書きましたが、ちょっと内容を変えて。

 今年で第六十二回を迎えたカンヌ国際映画祭。日本人ではただ一人、かつて大島渚のみ受賞したことのある栄誉ある監督賞を、なんとフィリピン人が受賞するというビッグなニュースが届いた。ブリリャンテ・メンドーサ(四十九才)監督で、作品名は『キナタイ(屠殺)』。請負殺人をテーマに、娼婦による遺体切断といった猟奇的なシーンが話題となったサイコスリラー風の作品だ。あまりの残酷なシーンに審査員の評価も賛否両論まっぷたつに分かれたが、類まれな独創性が認められての受賞となった。

 彼の自宅兼スタジオは、マンダルーヨン市の何の変哲もない住宅街の一画にある。事務所には、この四年間に獲得した国内外の数々の映画賞のプラークが飾られていた。

 メンドーサの監督デビューは4年前。『マサヒスタ』というゲイ専門のマッサージパーラーを舞台にしたきわどいデジタル作品で、制作費はたったの二百万円だった。サント・トーマス大学の美術学科を卒業して広告業界で地歩を築いた彼は、当初、映画制作はその一作のみの予定だった。しかし同作品がいくつかの海外の映画祭で評価され、その後の彼の人生は大きく変わった。二作目は『マノロ』。アエタというネグリート系の先住民族の子供が文字を覚えて大人に教える教師になるという物語。『フォスターチャイルド』は数々の国際映画祭で受賞。地方の場末の成人映画館の日常をリアルに描いた『セルビス』は、昨年のカンヌ監督週間で上映されている。今回の『キナタイ』を含みこれまで八本を制作。カンヌの監督賞で、ルネ・クレマンやマーティン・スコセッシ、ウォン・カーウァイなど世界的名監督と並び称されることになった。

 今回の出来事は彼の個人的名誉を超えて、フィリピン映画の新しい波の到来を世界に告げる象徴的な事件である。

 以前このブログでも紹介したとおり、フィリピンはかつてインドに次ぐアジア第二の映画大国だった。アメリカ植民地時代からハリウッド流スタジオ・システムを導入して、六○年代から七○年代にかけて、長編劇場用映画だけで年間二百本を超える“黄金時代”を築いた。国民も大の映画好きで、アクション・スターのエストラーダは、庶民から絶大な支持を受けて大統領にまで上り詰めた。

 特に七○年代には歴史に残る多くの秀作が生み出された。マルコス政権の戒厳令下には、過酷な時代に挑戦するように社会的テーマを取り上げた芸術性の高い作品が作られた。中でもリノ・ブロッカ監督は今もこの国の若い映画人に多大な影響を与え続けている。母親の内縁の夫にレイプされるスラムの娘の復讐を描いた『インシャン』は、一九七六年カンヌの監督週間で上映された。今から三十三年前のことである。

 国際交流基金でも二十年ほど前からフィリピン映画祭(一九九一年)やリノ・ブロッカ監督特集(一九九七年)などを通じて、優れたフィリピン映画を日本で紹介してきた。しかし九十年代末以降は全体として低調な時代が続いたため、日本で得られる情報は非常に限定的になった。多くの日本人はフィリピン映画のことを全く知らないであろう。

 フィリピン映画アカデミーの発表によれば、三十五ミリ映画の年間製作本数は、九六年~九九年の平均が百六十四本で、二○○六年が四十九本と、この十年で急激に落ち込んだ。公開される作品は、有名歌手の知名度に頼ったラブロマンスや、中途半端なホラー映画が多い。基本的に悲惨な状況の中で、なぜメンドーサのような監督が出現したのだろうか。

 これもここでたびたび紹介しているとおり、ここ数年フィリピンの映画界は、”インデペンデント”といわれる大手製作会社に属さない個人によるデジタル映画が盛んだ。コンパクトなデジタル・ビデオ・カメラの技術的進歩で、多額の予算がなくても撮りたい映画が撮れるようになった。二○○五年には、関係者の熱い期待を担って政府系のイベントである「シネマラヤ・フィリピン・インデペンデント・フィルム・フェスティバル」が産声を上げた。毎年参加作品が増え、昨年は一挙に百六十五本の国産デジタル映画が上映され、今年も七月十七日~二十六日に開催される予定(会場はフィリピン文化センター)。

 インデペンデント映画のテーマとなる物語は、犯罪、暴力、貧困、売春、ゲイとシリアスなものが多い。いずれもフィリピン社会の底辺ではありふれた素材でしかないが、そこには描くに足る生命力に満ちた生活が確かにある。多くのことを語ってくれる物語の宝庫だ。

 昨年、メンドーサが福岡アジア映画祭に招待されて日本を訪れた際、日本人の観客は彼の作品にとても好意的だったようだ。

「ぼくの映画は貧困や犯罪など、物語自体がネガティブだったり、全く救いのないように見える。でもそんな救いのない物語の中でも、そこで暮らす登場人物には生きようという意思が感じられる。自殺の多い社会に暮らす日本人から見ると、とても新鮮なんじゃないかな。」

 メンドーサのカンヌ受賞に至る道のりは、フィリピンのインデペンデント映画の興隆と重なる。彼が撮影を始めた四年前は、まさに「シネマラヤ」が産声を上げた年。以来、フィリピン映画界の新たな大きな波の先頭ランナーとして突っ走り、おそらく幸運にも恵まれて時代の寵児に躍り出たのだろう。彼の背後には、デジタルシネマで息を吹き返した多くの若きフィルムメーカーが夢や野望を抱いて、虎視眈々と控えている。

 既に昨年からフランス人のプロデューサーと契約し、今回のカンヌ受賞で海外での配給は飛躍的に拡大しそうだ。今後の課題は、海外よりもむしろ国内の観客を育てることだと彼は言う。「シネマラヤ」の十日間はCCPを埋め尽くす根狂的な観衆も、熱が冷めてしまえばインデペンデント映画には冷淡だ。現在もロビンソン・ギャレリアというショッピングモールにあるシネ・コンプレックス内の一館では、常にインデペンデント映画を上映しているが、ほとんど毎回観客はいない。私の経験では平均十人程度。いくら芸術的な作品を作って海外の映画祭に招待されても、その映画は自分たちの国で一体どれだけの人の目に触れるのだろうか。海外でレッドカーペットの上を歩くことが映画制作の目的、ではもちろんないだろう。

 『キナタイ』はかなり激しい残酷なシーンを含むため、検閲の厳しいこの国では多くの大事なシーンがカットされてしまうのは必定。そのため、彼は最初から劇場公開をあきらめている。公開は検閲の入らないUPや学校のみ。なるべく多くの若者に見せ、フィリピン映画の将来を担う観客を育てたいと抱負を語っていた。(おそらくフィリピン初公開は7月末、UPかCCPであろう。)

 今再び大きな波が訪れているフィリピン映画は、確かに世界に向かって発信を始めている。しかし、今度はここフィリピンで、ハリウッド制のアクション映画やホラー映画に映画館を占拠されないためにも、メンドーサたちの今後の健闘に期待したい。

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