2007/12/13

ビデオカメラとペンを手にした若きスルタンの末裔

 たまたま目を通した新聞の記事がずっと気になり、切り抜いてファイルにした後もそこに書かれている主人公のことが常に頭のどこかにあって、いつかは会ってみたいと思いつつも時が過ぎ、それが言ってみれば“潜伏期”となり、そして最終的にようやく当の本人との出会いがやってくる・・なんてことがたまにはある。グチェレス・マンガンサカン2世、通称テンとの出会いも、1年前の一つの新聞記事が発端だった。その記事の中で31歳の若きフィルムメーカーとして紹介されているテンは、ミンダナオ島でもイスラム教徒が最も多い地域、マギンダナオの出身でスルタンの末裔である。ミンダナオの人々、特に若手のアーティストや研究者との交流を目指す私としては、機会があればぜひとも彼と仕事がしたいと思っていたが、今回ようやくその好機が訪れた。アジア地域の次世代の若者たちによるセミナーが、国際交流基金の主催で日本で実施されることとなり、フィリピンから2名の代表を送ることとなった。私は迷わず1年前の新聞記事を引っ張り出し、テンを派遣することに決めた。(12月17日に早稲田大学小野記念講堂にて公開シンポジウムが実施される予定)

 彼はマギンダナオの著名なスルタンの家系。いわばフィリピンにおけるモスレムの保守本流、メインストリームにいる一人だ。そんな彼が一体映画で何を撮っているのか、どうして映画なのか、最初は単純な疑問だった。しかし調べていく内に、彼が背負ったものの重さや恐ろしさ、それがためのこれまでの数知れない葛藤、そして決意の真摯さに心を打たれないではいられなかった。この世界を覆う“民族紛争”や“宗教紛争“、その一翼を担うミンダナオの内戦。もし自分がその戦争の指導者の血を引いていたとしたら、この世界は一体どのように見えるだろうか。どう見ることが許されるのだろうか。

 テンの祖父、ダトゥー・ウトック・マタラムは著名なモスレム・リーダーで、1940年代後半と1960年代に、ミンダナオのコタバト州の州知事を務めた。1960年代後半になると、フィリピン全土で共産主義運動や学生運動が盛んになり、その影響を受けてモスレムによる民衆運動も盛り上がった。当然そうした民衆運動の中心にいたダトゥー・マタラムは、1968年に起きたモスレム虐殺事件を契機に、急速にフィリピン政府からのモスレム独立を求めるようになり、その同じ年に「ミンダナオ独立運動(MIM)」を創設した。つまり彼の祖父は、それ以来今日まで40年にわたって続いているミンダナオ・モスレム独立運動の基礎を作った人なのだ。

 新聞で紹介されていた彼のドキュメンタリー映画『House Under the Crescent Moon』(2001年)は、その祖父が建て、テンを含む多くの家族とともに暮らした、故郷の大きな赤い家の物語である。上述したMIMは、まさにこの家で産声をあげた。そしてその8年後の1976年にテンが生れたのもこの家だが、その時代はMIMの運動を受け継いだ「モロ民族解放戦線(MNLF)」と政府軍との戦闘が最も激しかった時代だ。その後ダトゥー・マタラムはテンが6歳のときに亡くなり、テン自身もその家を離れて都会で学校に通うことになった。そしてその赤い家はしばらく彼の記憶から失われた。マニラの大学で映画を学んだ彼は久しぶりに帰郷してその赤い家を訪れたが、そこで彼の見たものは、当時内戦が激化して多くの難民の避難所となり荒廃した家の姿だった。テンは我を忘れたようにその姿を記録し続けた。そうしてできた映画が『House Under the Crescent Moon』だ。このルーツ探しのドキュメンタリー映画は彼の記念すべき処女作となり、フィリピン文化センターからその年の優秀映画賞が与えられた。

 そんな彼の最新作が、ちょうど先ごろマニラで公開された。「コントラ・アゴス(反潮流):レジスタンス・フィルム・フェスティバル」という、かなりきわどい検閲すれすれの作品を集めた映画祭で、会場はいまやインディーズ・シネマのメッカとなったショッピングモールのロビンソン・ギャラリア(2007年12月5~11日)。作品のタイトルが『The Jihadist(聖戦主義者)』。『House・・』では彼の祖父がテーマだったが、今回は彼の叔父ハシム・サラマットが主人公だ。サラマットは、モスレム分離独立運動の中でもより“過激”だと言われている「モロ・イスラム解放戦線(MILF)」の創設者として有名だ。1960年代にカイロのアル・アズハル大学で学んだ知的エリートであったが、当時フィリピン大学で講師をしていた俊才のヌル・ミスアリとともに、1970年、モスレムの独立を目指して「モロ民族解放戦線(MNLF)」を結成した。その後、フィリピン政府との妥協を目指すMNFLとは袂を分かち、1977年にMILFを結成して政府との対決色を鮮明にした。MILFは彼の死後、「アブ・サヤフ」など原理主義的なグループとも接近するようになり現在に至っている。映画ではそんな叔父サラマットの足跡をたどり、彼の築いた村、そして今では内戦の傷跡が深く刻まれた村を訪れ、村人のインタビューを通して、イスラムの指導者としての純真な姿を描いてゆく。

 『House Under the Crescent Moon』と『The Jihadist』は、ともに彼の親族の足跡をたどるルーツ探しの物語だ。祖父も叔父も人々の記憶に残る、そして今後もこの国のモスレムの歴史に名を残す、独立運動のリーダーであり闘士であった。しかしテンが映画の中で描いているものはそうした独立の英雄の物語などではなく、内戦で荒廃した家や土地、そして戦争被害で心に傷を抱えた人々の心に写し出されるある種虚しさのようなものではないかと感じた。

 「コントラ・アゴス」ではテンの作品以外にも、彼がプロデュースして他のフィルムメーカーが撮影した現代のミンダナオをテーマにした短編作品が合計7本も公開された。その中でも『Walai』(アジャニ・アルンパック監督)という作品は、コタバト市の有力なスルタン一家の栄華と抗争、そして没落と苦悩を描いた秀作だ。世間の人々はミンダナオのことを宗教紛争や民族紛争のメッカと言っているが、こうした作品を見ると、実はその抗争の多くが地元の政治的または経済的な利害関係に由来した、極めて具体的な怨恨から生れているということがよくわかる。いずれにしてもテンの存在は、いまや多くのミンダナオの若手アーティストを動かす原動力になっているようだ。

 さらに彼はプロデューサーとして、もう一つ重要な仕事を最近やり遂げた。彼が編集者となって『Children of the Ever-Changing Moon: Essays by Young Moro Writers』(Anvil出版)というアンソロジーを出版したのだ。16人のミンダナオの若手ジャーナリスト、アーティストや教師らによるエッセイだが、これが現代のモスレム社会の様々な揺らぎを率直に表現していて大変興味深い。親の反対を押し切ってキリスト教徒と結婚をする話、イスラム風の名前に対する偏見と恥じらい、同じモスレムでも父方と母方が異なる民族的出自を持っているがために起こるアイデンティティ喪失の問題、イスラム教徒のゲイに向けられた偏見、超保守的な土地で育った女性モスレムの教師への険しい道のり、生れて初めて故郷のモスレムの土地タウィタウィを訪れた夢のようなひと時、マニラのイスラムコミュニティーの生活などなど、どの物語も今を生きる若いモスレムたちの本音がとてもよく伝わってくる。

 その中のエッセイの一つ、モスレムの女性としてはとても珍しいことだが、マニラを拠点とする大手新聞社でジャーナリズムのメインストリームで活躍するサミラ・アリ・グトックの作品から。マニラの大学で教育を終えて、モスレム独立運動に希望を抱いて帰郷した友人が経験した挫折感を次のように書いている。

「私の友人は生れ故郷のラナオの町に、モロ(イスラム教徒)として誇りをもって帰郷した。しかしその後私が彼女に会った時、彼女は大きなフラストレーションに直面していた。モロ民族のために、その闘いのためにと思っていた理想は、そこに住む人々の間に見つけることができなかった。そのかわり、彼らは保守的で、すぐ誰かに頼る弱い人間で、無関心で腐敗していた。」

 テンの祖父たちによって起こされたミンダナオのモスレム独立運動。40年を経た今日、その理想と希望はあまりにも多くの挫折と裏切りと腐敗と怨恨に侵されてしまったのだろう。しかしそんな理想にまとわりつく空虚さを一端受け入れた上で、そこから何かを始めようとしている若い人たちも確かに存在する。このアンソロジーからはそうした人々の息使いが十分に感じられる。そして10年前にはおそらくタブーだったことも、今、ようやくこうして30歳前後の若きモスレムたちによって発言され始めている。

 テンの子供のころの夢は医者になることだった。それが大学時代に出会った小津やフェリーニといった外国映画でその後の人生が変わったという。そして医学をあきらめた彼は映画を勉強してドキュメンタリーを撮り、こうしてミンダナオの若手アーティストのコミュニティーの中で重要な位置をしめるようになった。モスレムの伝統の核心を受け継ぐスルタンの末裔、そしてミンダナオ独立運動の戦闘家の家系。そんな彼には普通の者にはない威厳すら漂っているが、気になるのは話している間もほとんど笑わないことだ。

「人々の心の中にある不条理な怒りや恐れ、そして偏見を癒す苦くて甘い薬、私の映画や書き物がそうなることを願っている。そうなれば、かつて私が子供の頃に医者になりたいと思い描いたように、人々の心を癒すことができるだろう。」

 生まれながらにして数奇な宿命を背負い、暗い民族の記憶からおそらく逃れることのできない彼にとって、カメラとペンは彼なりの最後の抵抗の手段なのかもしれない。
(了)

2 comments:

nkaki said...

こんにちは。はじめて投稿させていただきます。フィリピンの文化についてわかりやすく解説されており、いつも興味深く拝見しています。

 私は鳥取県という田舎に暮らしておりますが、昨年、市民が出資して監督をはじめプロの映画スタッフと3名のプロ俳優、市民のボランティアによって映画を製作いたしました。おかげさまで十数回の上映会で現在8000名弱のお客様にごらんいただきました。

 偶然この映画を見た友人の妻(フィリピン人)がえらく感動しており、「フィリピン人にも見せてやりたい」と申しておりました。最初は笑い話で済ませていたのですが、ブログにフィリピンではインディーズ系の映画製作も盛んであると書かれておりましたのでお伺いします。

 今からエントリー可能なコンペティション、もしくは映画配給をご検討いただける配給会社などにお心当たりがございましたら教えていただけないでしょうか?

bensuki said...

コメントありがとうございました。鳥取の市民映画のことなら以前NHKの番組で拝見しました。現在フィリピンで国際的なコンペはありませんし、民間の配給会社も客の集まるホラーやアクションばかりなので絶望的です。でもフィリピン文化センター(シネマラヤというデジシネの祭典の主催者)の映画担当キュレーターが先日日本を訪問したばかりなので、関心を寄せてくれるかもしれません。コンタクト先をお教えしますので、まずは私のメルアドまで改めてご連絡ください。bsuzuki@jfmo.org.ph