2005/10/11

ミンダナオの豊かな文化とテロリズム

 「アルンアルン・ダンス・サークル」は、マニラ首都圏郊外の閑静な住宅街で舞踊スクールを運営している。日曜日の午後になると、そのスクールには小さな子供から壮年女性、そして聴覚障害を抱えた女性まで20名近くの生徒が集まってくる。中には男の子や青年もいる。ここで教えているのはミンダナオ島の南西に連なるスールー諸島に伝わるパンガライという伝統舞踊。講師はリガヤ・フェルナンド・アミルバンサさん。還暦を過ぎてもなお気品の漂う女性だ。腰をかがめたままで独特の摺り足で移動する。手は複雑に波打って、その指先は極限のように反って、激しく揺れる。バックに流れている音楽は、クリンタンガンという簡素な真鍮製打楽器の音だ。私もトライしてみたが、決して激しい動きではないが、重心を常に低く保ち、それでいて全身各所にバランスよく力を入れなくてはならず、見た目以上にとてもハードな踊りだ。

 リガヤさんの経歴はとてもユニークである。生まれはマニラ。父親はマニラ首都圏のマリキナ市長という“良家”の娘で、いわば生粋の“低地キリスト教徒”。母語はタガログ語だ。大学時代にスールー海の盟主であるタウィタウィのスルタンの弟と知り合い、恋に落ちて結婚。その後1969年にパンガライの踊りに出会ったことで、その後の彼女の人生を決定的にした。スールーに住んでパンガライの研究を進める一方、スルタン家の一員として地元の伝統文化の保存と振興に取り組んだ。83年には長年の研究成果をまとめて「パンガライ」(アラヤミュージアム出版)を出版して、同年のナショナル・ブック・アワードを受賞している。夫の死後、99年にマニラに移住し、アルンアルン・ダンス・サークルを設立して現在に至っている。

 スールー諸島といえば、外国人の私などにはまず、イスラム過激派アブサヤフ(アラビア語で「父なる剣士」)の本拠地という危険なイメージが強い。アルカイーダから資金協力や軍事援助を受けていると言われていて、2000年頃より外国人を集団誘拐するようになり、昨今はフィリピン各地でのテロの主犯グループとされ、国際的にも注目されている。さらにアブサヤフ以外にも、スールー諸島を含むミンダナオには、モロ・イスラム解放戦線や、フィリピン共産党新人民軍(NPA)など、国際社会、特に米国が“テロリスト”と名指しして神経を尖らせているグループの拠点がある。最新の情報では、先日のバリでの自爆テロをはじめ、インドネシアで再三にわたってテロを起こしているジェマア・イスラミア(JI)の幹部も潜伏中と言われている。この地域は、一部の例外を除いていまや外務省の海外渡航情報でも「渡航の延期ないしは渡航の是非を検討する」必要がある地域であり、実際の距離よりもはるか遠くに感じる場所だ。

 しかしミンダナオは、1521年にマゼランがフィリピンを“発見”するはるか前から、香料の中継貿易などで繁栄を謳歌し、イスラム教徒による王国が存在していた先進地域だ。その後のスペイン統治333年の間、一度も征服されたことはなかったが、スペイン人から「モロ」(8世紀北西アフリカからイベリア半島に侵入したイスラム教徒に対する蔑称)と呼ばれ、カトリック教徒との分断統治が行われた。それを継いだ米国統治、さらには第二次大戦後のフィリピン政府も、積極的にキリスト教徒のミンダナオ移住政策を進めた結果、「キリスト教徒による政治的支配の押し付け」、「父祖伝来の土地の収奪」というイスラム教徒側の不満は高まり、紛争が絶えなかった。そして今世紀、テロが世の中を覆う時代となり、イスラム過激派に拠点を提供する“危険な”地域として世間の注目を集めるようになり、文明の衝突論にもあおられて、“ミンダナオ・イシュー”はイスラム教VSキリスト教問題としてクローズアップされるようになった。

 けれどもミンダナオは、無論テロリストの巣窟ではないし、イスラム教VSキリスト教の問題だけが重要なのではない。ぼく自身、マニラに着任してまず巡り会ったミンダナオの文化は、イスラム教やキリスト教伝来より以前の、“ルマド”と呼ばれる先住民族の文化の流れをくむエスニック音楽だった。

 マニラに来て4ヶ月間、色々なライブに行ったが、これまでに何度も足を運んだのがケソン・シティーにあるCONSPIRACYというライブハウス。“共同謀議”という、なんとも素敵なネーミング。50人も入ればいっぱいになってしまうお店は、いわばこのあたりのインテリのサロン。近くに国立フィリピン大学があり、毎週月曜日は“文学作家の夜”なる定例集会もある。オーナーは国際交流基金がかつて招聘し、いままで何度か日本でライブをしたこともあるジョイ・アヤラというミュージシャン。もう50に近いが風貌はフィリピンのボブ・ディランといったところ。エスニックな音楽をベースに、アメリカン・フォークロックから強い影響を受けて、この国の“民族音楽派”をリードしてきた。いまでもバゴーン・ルマド(「新しいネイティブ」の意味)というグループを率いる。そんな彼はミンダナオ南部の都市ダバオの出身だ。ミンダナオの土地にはノン・ムスリム、ノン・クリスチャンの先住民族が存在する。マノボ、バゴボ、ブキドノン族など17の民族に分れ、少し古いが1990年のセンサーでは、ミンダナオ全土の人口1400万人のうち、約70万人。彼らは自らを総称して“ルマド”と呼んでいる。その多くが今は山岳部に追いやられ、経済発展から取り残された暮らしをしている。

 さらに、今ぼくが最も敬愛するミュージシャンの一人である、シンシア・アレクサンドラは彼の妹だ。シンシアは、いまや実力、人気ともにお兄さんをしのぐ勢い。マニラにやって来て早々、フランス政府主催の文化イベントである「フェテ・ドゥ・ラ・ミュージック」(6月18日、会場:ポディウム他)を見る機会があった。3ヶ所の野外会場に5つのライブハウスで、夜を徹して総勢150組のグループが出演する一大音楽イベントだ。シンシアは、そのイベントのメイン会場のプライムタイムに出演していた。2000人は超すであろう若者の熱狂で、息苦しくも熱い暑いライブだった。彼女は、決して大衆的な人気があるというわけではないが、この国の文化エリート層に確かに支持されている。エスニック音楽をベースに、米国風のスピリットを兼ね備えた特色あるオリジナル曲、挑発的で鋭角的なルックスにハスキーで印象的なボイス、そして天才的ともいえる演奏テクニック。アジアでは稀有な女性ミュージシャンだと思う。

 ついでに“ルマド”関係で紹介すれば、日本でも何度か公演し、国際交流基金も支援しているアジア・ファンタジー・オーケストラ(AFO)のソロ・シンガーであり、魅惑的としかいいようのない不思議な歌声で知られるグレース・ノノも、“ルマド”(マノボ族)の一員である。また、この10月に東京で開催されるアジア・ミーツ・アジアという小劇場フェスティバル(10月17日~23日、会場:麻布die pratze他)で公演するIPAG (Integrated Performing Arts Guild) は、ミンダナオ北部のイリガン市を拠点にしている劇団(1978年設立、冒頭で紹介したリガヤはその創設者の一人)。“ルマド”、“モロ”、“キリスト教”というミンダナオの三大文化から様々な要素を取り入れた舞踊や演劇作品を創作している。東京公演の作品は、カンボジアの影絵劇団とのコラボレーションだという。この“ルマド”をめぐる問題はいずれまとめてレポートする。

 ミンダナオは、テロリストの巣窟として危険視されるところなどではなく、本来は文化的に非常に奥深いところ、観光資源も豊富な豊かな土地なのだ。

 いまやスールー諸島で、伝統的舞踊を正統に承継しているのはリガヤのグループのみといわれる。彼女がいなかったら、もしかしたらパンガライは既にこの世から失われていたかもしれない。そんな踊りを観ながら、私はインドネシアの仮面舞踊の復興に携わった時のことを思い出した。ジャワ島北岸のインドラマユという町に住んでいた、ラシナというおばあさんただ一人の記憶の中だけに残された仮面舞踊。娘の世代になって経済的理由から踊るのをあきらめたが、一人の民族音楽者の尽力で30年の時を経て再び踊ることを決意した。国際交流基金の支援もあって楽団を復興し、日本公演も行い、その後は世界各国から招聘されるようになった。その踊りは今しっかりと孫娘に受け継がれている。そのプロジェクトには米国人のドキュメンタリー作家も加わった。その映画のタイトルが、“Library on Fire”。もし図書館が火事になったら、私たちはどうするだろうか?図書館には人類の英知がつまっている。でも、ある選ばれた人間の記憶や体にも、図書館と同じ類の知恵がつまっている。それがこの世から永遠に失われてしまうとしたら・・私たちは、手をこまねいて見ていられるだろうか?

 リガヤさんと、リガヤを支えるNGOを組織するテレサさんとの話は尽きなかった。彼女たちの夢は、いまやリガヤにとって第一の故郷となったタウィタウィにあるモスクに、スールーの誇る文化を、パンガライの踊りを後世に伝える博物館を作ること。そして、かの地の子供たちにその踊りを伝えてゆくということだ。私が、“いずれ安全になったらタウィタウィを訪れたい”と言うと、“今でも私が一緒なら絶対に安全。100%誘拐はない”と言って屈託なく笑った。さすがにスルタン家の一員、確かにそうだろう。

 ミンダナオを考えることは、この国の将来を考えることだと思う。もちろんミンダナオが対テロリストの主戦場となったら、フィリピンはおろか、東南アジア一帯が不安定になるのは間違いない。その意味で我々日本人も無縁ではない。パンガライの踊りを後世に残すということは、火の付きかけた大切な図書館を守るという意味でとても重要なことだ。けれども、文化の保存という問題にはさらに重要なことがある。保存する行為は確かに重要だけれど、それ以上に大事なのはリスペクトする気持ちだ、とつくづく思う。マニラでは時々“モロ”にまつわる差別問題とか、それ以上の無視や無知といったものに出会うことがある。その時、何故に、あの豊かなミンダナオの文化と恐ろしいテロリズムが共存しているのか・・しなくてはならなかったのか・・という問いに対する答えが隠されているような気もする。いずれにしてもそれは、私がフィリピンにいる限り、ずっと考えてゆかなくてはいけないテーマだと思っている。

2005.10.11
(了)

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