2005/08/09

ごちゃまぜフィリピン演劇から、いまのこの国の状況が見えてくる

フィリピンは知る人ぞ知る、パフォーミング・アーツの宝庫だ。

この国に来て早々、独立記念日を祝う前夜祭のイベント(6月11日)を観て、まずは圧倒された。会場となったのは“芸術の殿堂”と言われているフィリピン文化センター。イベントが始まる前から劇場の入り口は100人を超す民族舞踊やブラスバンドの混成部隊でお祭り騒ぎ。その熱気はそのまま会場に持ち込まれ、この国を代表するシンフォニー・オーケストラ、バレエ団、伝統舞踊団、世界的にも評価の高い合唱団、そして現代演劇にミュージカル。スタイルも伝統から現代ものまで幅広く、構成はフィリピンの歴史をなぞるかたちになっている。全てが渾然一体となってテンポよく進行し、クライマックスは「ミス・サイゴン」で見事にミュージカル・スターとして成功(89/90年度ローレンス・オリヴィエ賞最優秀女優賞受賞)したレア・サロンガの独唱。そして出演者、観衆が一体になっての国歌斉唱。なんとも熱気に包まれたハロハロ(タガログ語で「ごちゃまぜ」)な国家イベントだった。しかし、そのハロハロさに、この国のパフォーミング・アーツの将来を左右する鍵があると思った。

そんな宝庫の中で、最近面白いと思った二つの演劇についてレポートする。

まずはコミュニティー演劇。フィリピン経済の大動脈マカティ市から車で1時間半。マニラ首都圏の北にブラカンという州があり、そこの州都マロロス市の劇団を訪問した。当日は1日3公演のうち最も早い午前の部。朝から250名収容の小さなスタジオ形式の劇場は、400人を超える子供たち(小学校の高学年が中心)でむせ返るほどの熱気に包まれていた。演目はシリアスな家族崩壊の物語と、フィリピンの様々な代表的キャラクター(米国留学帰り、ヒップホップ少年、スターバックスのウェイトレス、山岳民族、イスラム教徒、そしてゲイ少年)をカルカチュア化したコメディー作品の二本立て。食い入るように見つめる子供たちの目と目。役者の一言一言に一喜一憂し、最後は怒涛のような歓声と拍手。休憩をはさんで2時間の公演は、異様なまでに濃密な雰囲気の中あっという間に過ぎ去った。一体、この熱は何だろう?みんな、何を演劇に期待しているのだろう?

劇場関係者の話によると、子供たちからもしっかりと入場料を取るという。金額にして70ペソ(150円)。映画館でハリウッド映画を見るより若干安い程度だが、子供にしてみれば決して安い金額ではない。しかも近隣の町々からやってくるそうだ。今回の公演では1日3回入れ替えて、合計6日間、18回の公演。毎回大入り満員だという。劇団名はBARASOAIN KALINANGAN FOUNDATION(バラソアイン文化財団、BKF)といい、今年が設立30周年。当初は様々な困難があったが、現在ではコミュニティー劇団としての実績が買われて、州政府から年間20万ペソ(40万円)の補助金と州の文化センター内の劇場(スタジオ)を無料提供されている。40万円の年間補助のおかげで10名近いフルタイムのスタッフを抱えることができる。

この劇団が普通の劇団と異なるのは、そのアウトリーチ・プログラムのユニークさにある。今回見た芝居もワークショップ(WS)の成果発表だった。誰もが100ペソ(200円)程度払えば参加できるWSだが、4ヶ月にわたる訓練の最後にはこうして本公演で結果を出すことが求められる。こうしたWSもこれで25回目になるという。WS参加者に貴賎はない。年齢も小学生から老人まで。学生から社会人まで幅広く、職業も教師、公務員、農民、トライシクル(三輪オートバイ・タクシー)の運転手もいるそうだ。昨年はフィリピン文化センターよりアートアワード(演劇部門)を受賞しており、来年には創立30周年を記念してブラカン州内の地域劇団を集めた演劇フェスティバルを計画中だ。同劇団ほど成功はしていないが、フィリピン国内各地には様々な地域劇団があるそうだ。かつて私がインドネシアに駐在していた時代、地方都市の演劇状況を調べた際にあまりの劇団の多さに絶句したことがある。日本の某著名演出家も同じように驚いていた。経済的には必ずしも恵まれていなくても、演劇はどこにでも存在していた。多くは“アマチュア”劇団だが、プロフェッショナルであるかどうかは次の問題。何より重要なことは、その演劇が生きているかどうか、ということだと思う。

演劇が生きていると実感するのは、こうした演劇の成り立ち方そのものに感銘を受ける時ばかりではない。演劇の中から心ゆさぶるメッセージが発せられ、私たちがいま現に生きている時間と、歴史という大きな時間の流れの間に何かが切り結ばれる時、やはり同じように生きていると感じる場合がある。デュラアンUP(フィリピン大学劇団)によるミュージカル公演「ST. LOUIS LOVES DEM FILIPINOS」(邦訳「セントルイスは民主主義者フィリピン人がお好き」、2005年7月13日~31日、フィリピン大学ウィルフリード・ゲレロ劇場)を観た時にも、生きた演劇というものに出会えたと実感した。なぜそう感じたのか?それは、この演劇がいまのフィリピンの多くの人々の迷いや苦悩、そして誇りや希望を代弁していると思えたからだ。言い換えれば、それがフィリピン人のナショナリズムの琴線に触れる演劇だったからだと思う。

ミュージカルはフィリピンではお家芸のようなもの。俳優の実力ははっきり言って日本以上。冒頭に書いたようにレア・サロンガのようなブロードウェイ・スターも存在する。ちなみに彼女はそのほかにもディズニー・アニメ「アラジン」の主題歌なども歌っていて、我々日本人もどこかでその声を耳にしているはずだ。また、かつて日本でも国際交流基金の主催で、フィリピンの代表的ミュージカル作品「エル・フィリ(原題:エル・フィリブリテリスモ)」が上演されて好評を博した(1995年)。英語が公用語の国だけあって、ブロードウェイやウェストエンドのミュージカルが原語そのままで上演できるため、フィリピン人スタッフ・キャストで頻繁に上演されている。先日も「美女と野獣」(2005年6月、メラルコ劇場、主演:KCコンセプシオン/カレル・マルケス)を観たが、歌のうまさについては舌を巻くほどだった。そんなミュージカル先進国だけあって、オリジナル・ミュージカル作品は数知れない。米国のミュージカル文化が移植されるはるか前、記録に残っている限りでは1629年にスペインの音楽劇ザルズエラが当地に伝えられ、いまでもフィリピン化した“サルスエラ”として上演され続けている。

 さてデュラアンUPの作品も、そうした正統派ミュージカルの系譜に属し、美しく耳に馴染み易いミュージカル・ナンバーには心底感心させられたが、なお尽きない興味を覚えたのがそのテーマにある。1904年、米国のセントルイスで歴史的なルイジアナ買収100周年を祝って万国博覧会が開かれた。1272エーカーという万博史上最大級の敷地に、1576の建物群と21キロの鉄道、のべ1969万人が訪れた(日本も参加)。フィリピンは当時米国の属領として20ヘクタールの土地が割り当てられ、100以上の建物(ニッパ椰子の家からゴシック様式の教会まで)が建てられたのだが、そこに“陳列”するためフィリピンより1200人の先住民が米国に派遣された。このことは当時よりフィリピン人民族主義者から激烈な批判を受け、つい最近まで歴史的汚辱として記録・記憶されてきた事件だ。しかしフロイ・キントスの脚本は、そうしたステレオタイプ化した視点を避け、当時バゴボ族の首領として海を渡った実在の人物ダトー・ブーラン(主演:ミゲル・カストロ)に焦点を当て、米国での成功にかける野望、最愛の妻との別れと新たな恋、夢と現実とのギャップ、凋落、そして祖国への変わらぬ思いと誇りを描き、幾多の言説にまみれた歴史的事件に新たな解釈を提示した(演出:アレキサンダー・コルテス、作曲:アントニオ・アフリカ)。300人程度の小さな劇場ではあったが、超満員に膨れ上がった観客が全員、長い長いスタンディング・オベーションを送り続けるなか、どうしてこれほどまでにみんなが熱狂的になるのだろうか、私はその理由を考えていた。

フィリピンは15年前、歴史の岐路に立たされた。それまでこの国を守っていたのは米軍だったが、91年にクラーク空軍基地を、そして92年にはスービック海軍基地を相次いで米国より奪還した。無論反対派も多くいたが、思い切った政策転換が行われたのだ。それ以来、米国崇拝一辺倒といわれた文化的嗜好にも変化が現れ、自国の固有文化に対する感心も高まった。しかし一方で、米国は依然として多くのフィリピン人移民を受け入れる“希望の土地”であることに変わりはない。いまアメリカを見つめる眼は、憎むべきかつての宗主国か、はたまた憧れの移住の地か、という単純な二律背反的なものだけではなく、もっと多様で複雑である。

この国を代表する歴史家のアンベス・オカンポ(国家文化委員会議長)は言う。「400年に及ぶスペイン支配の“桎梏”、米国による“植民地支配”、日本軍による“残虐行為”。歴史上の数々の事実と虚構。われわれはもう一度クールな眼で、歴史を見つめ直す必要がある・・長い間わたしたちの思考を縛り付けていた“植民地言説”から逃れる努力が、いま始まったばかりである。」私はその日、まさにそのアンベス氏らとともに「ST. LOUIS・・」を観ていた。そして、なんとも表現できない高揚感を共有した。おそらく観客は、「ST. LOUIS・・」という作品を通して、一国の歴史(的言説)を書き換え、あるべき国の姿を求めてゆこうという努力の先にあるものを夢想していたに違いない。それはおそらくナショナリズムの領域だったような気もする。もちろんその意味では私は部外者。でも幸運な目撃者だ。しかしその夜、最も幸運だったのは、そうした高揚感に支えられた演劇そのものだったのかもしれない。
(了)

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