フィリピンは演劇の盛んな国である。歴史的にも16世紀末から演劇の伝統があり、特にキリスト教の布教を目的とした芝居を通じて普及してきた。大航海時代には貿易の中継地だったことから国際色も豊かで、ある書物によれば、1630年には当時のマニラで日本人のキリスト教殉教者に対する祝福をテーマにした芝居が上演された記録が残っているという。その頃マニラは既にアジアにおける演劇の国際共同制作の拠点だったようだ。今ではプロからアマチュアまで全国津々浦々に様々な劇団があり、地域コミュニティーに密着した活動をしている。ミュージカルに至っては、レア・サロンガというアメリカのブロードウェイで主役をはる世界的スターを輩出したほどレベルが高い。
演劇を通じた国際交流について、一般的にはせりふが中心の芝居は、音楽やダンスと異なり言葉が障壁となって国際交流が難しい分野である。しかし優れた演劇は同時代に生きる私たちが共感できるものが多く、普遍的なメッセージを備えているので、言葉の壁さえなければ国境を越えて共有可能なものである。国際交流基金としても、歌舞伎など古典芸能の海外での紹介と平行して、現代演劇による国際交流を様々なかたちで推進してきた。
数は少ないが、海外、特にアジアで積極的に活動を展開してきた日本の劇団も存在する。60年代後半に生まれたアングラ演劇を代表する黒テントは、やはり60年代にタガログ語演劇による民衆の啓蒙を目指して結成されたフィリピン教育演劇協会(通称ペタ)と交流することで、その後の日比演劇交流の土台を作った。30年以上前に黒テントの創立メンバーがマニラで体験した演劇ワークショップの手法は、いまも若いメンバーに引き継がれている。
さらに次の世代では、83年に旗揚げした劇団燐光群が、アジア諸国の演劇人と交流を続けている。劇作家兼演出家の坂手洋二は、フィリピン人俳優をたびたび日本に招待して起用してきた。天皇制や戦争といった社会的テーマを扱う硬派な劇団だが、アジアの隣人との共同制作は、既に到来している多文化社会に視点を据えた活動であるといえる。そして冒頭で紹介した「エバーさん」の演出を手がける吉田はその燐光群の元演出家で、日比演劇交流の本流から生まれた人材である。
国際共同制作は、既に完成された作品を単に海外で上演するものとは異なり、制作のプロセスで多くの翻訳や対話を積み重ね、理解と信頼を求めてゆく手間のかかる作業である。異文化を尊重する寛容さが無ければ、その作業はむなしいものとなる。その分野で、実は日本はアジア諸国の中でかなりの実績を積み重ねてきている。日本社会の内向き傾向が強いと言われる昨今だけに、こうした国際共同制作の試みは、日本の外に向けて放たれた窓として、これからもぜひとも支援してゆきたい。
「まにら新聞」6月14日
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