2006/09/05

たった20人の観客にもめげない・・・フィンピン・コンテンポラリーダンス界のチャレンジャーたち

 よく“草創期”という言葉を聞くけれど、フィリピンのコンテンポラリーダンス界ではまさに今、新しい何かが生まれつつある。そんな草創期にあるコンテンポラリーダンスの祭典である「Wi_Fi/インデペンデント・コンテンポラリーダンス・フェスティバル」が、初めてこの国の“文化の殿堂”であるフィリピン文化センター(CCP)で、4日間にわたって開催された。(8月17~20日、主催:世界ダンス連盟マニラ支部、CCP、国家文化委員会、共催:国際交流基金マニラ事務所ほか)


フィリピン・コンテンポラリーダンスのメッカ、ダンスフォーラムスタジオ

 クラシックバレエのようにある決められた型を追求する表現に抗い、そのアンチテーゼとして生まれたコンテンポラリーダンス。現代生活を取り巻く複雑な人間感情を表現する舞踊の新しいスタイルとして、日本では多くのダンサー、振付家、そして観客が育ちつつあり、舞踏という日本の特異な表現形式の存在もあいまって、海外でも評価の高いグループが数多く存在する。しかしここフィリピンではまだまだ始まったばかり。今回の「Wi_Fi」に先立ち、今年の4月に「コンテンポラリーダンス・マップ」というイベントが開催されたが(4月29日~5月12日)、そこにエントリーしたマニラ首都圏で活動するグループは全部で6つ。おそらくそれに2~3のグループを加えればこの国のコンテンポラリーダンスの“業界図”は完成する。

 「マップ」は今年で2年目。参加しているのは、マイラ・ベルトラン・ダンス・フォーラム、グリーン・パパイヤ・アート・プロジェクト、カメレオン・ダンス・シアター、エアーダンス、ダンシング・ウーンデッド・コンテンポラリーダンス・コンミューン、フィリピン大学(UP)ダンスカンパニー。最後の大学ベースのグループを除いて、いずれもインデペンデントな個人やグループによるカンパニーだ。合計6公演のうち5公演を観たが、クラシックバレエのテクニックを背景にした“正統派”コンテンポラリーダンスから、ドイツのタンツシアターの流れに影響を受けた表現主義的なもの、さらには日本の舞踏の影響や、この国で独特なゲイカルチャーを強烈に感じさせる作品から、演劇的で“踊らない”ダンス作品まで、実に多様な作品が上演された。ぼくはそうした作品を観ながら、コンテンポラリーダンスの日比交流の様々な可能性について思いを廻らし、一人胸を躍らせていた。

 今年は国際交流基金の主催事業または助成事業として、コンテンポラリーダンス分野の日比交流プロジェクトを集中的に企画している。まずは日本からカンパニーを招聘してマニラで公演を行い、同時に日本人批評家が日本のコンテンポラリーダンスのレクチャーをする。その後今度はフィリピン人振付家を日本に招待して日本のダンス事情を視察して、マニラで開催される重要な公演をサポートする。そして最後に、フィリピン人の若手振付家が日本、さらには国際的舞台でデビューすることをサポートする。ちょっと一気に欲張りだけれど、夢の中の話ではない。でも、なんでそもそもコンテンポラリーダンスなのか。

 新しいアートの草創期というものは、いつの時代でも抵抗が多く、続けていくためには相当な心理的・経済的な苦労を強いられるのが普通だ。今回「マップ」で実際に観た5公演は、観客数にすればどれも20人から30人ほど。お世辞にも多くの人たちから支持されているとは言いがたい。日本でこのジャンルで人気のある、たとえば山海塾や、勅使河原三郎、HRカオスなどが公演すれば、1000人規模の劇場を満員にするのは比較的容易だけれど、ここでは見果てぬ夢の世界。20人とはあまりに寂しい現実が目の前にある。だがしかし、20人だからといって簡単に片付けてはいけない。たかが20人、でも本当にその表現が尖っているとしたら、20人の理解者がいれば十分。同じようなことは歴史が何度も証明している。新しいアートが作られる現場は実はとっても重要なところなのだ。頑なに反コマーシャリズムを追求し、マージナルな場所から発信されるアートほど、メインストリームに挑む大きな力を生み出す源泉になりえるのだと思う。

 そして何よりもダンサーたちの真摯さには頭が下がる。一昨年、CCPの専属バレエ団であるフィリピン・バレエ・シアターの中核的ダンサーの10余人が、香港のディズニーランドに高給で引き抜かれたという話だってある。ある程度踊れるってことは、常にそうした“危険”が潜んでいるということでもある。けれども敢えてコマーシャリズムに抗い、なんとか自分の表現世界を創り出そうと真剣に取り組んでいて、時に悲壮感さえ漂う。何でも吸収してやろうというある種貪欲さがいいところで、こんな人たちと付き合っているときこそ、つくづく文化交流をしていてやりがいを感じるのだ。


    コンドルズの公演に集まった観衆(CCPロビー風景)

 大音量のロック音楽をバックに踊る10人の中年男性ダンサーと若い人たちの歓声。舞台の袖には特設の大型スピーカーが設置されている。CCPの大ホールでこれほど騒々しくも迫力のある公演は稀にしかないそうだ。そもそもCCPではロックコンサートはやらないし、ここは“格調高い”芸術の殿堂なのだ。今回招聘したコンドルズは、日本のコンテンポラリーダンス界の中でも異色の存在。ダンスの中にコントを取り入れて若者の人気を獲得。いまでは10代の女性を中心にファンクラブまである稀有なダンスカンパニーだ。そんなコンドルズがマニラにやって来た。(6月23日、国際交流基金・CCP主催、マニラ国際演劇フェスティバル参加招聘公演)

 この国ではおそらく誰一人としてコンドルズを知っている人はいなかっただろう。まさか1800人収容の大劇場が満席になるとは思いもしなかったが、蓋を開けてみれば事前の反響はすごいもので、いくら無料公演とはいえチケットは事前予約で早々と無くなり、当日はキャンセル待ちの若者で劇場はあふれ、1階ロビーから階段を上り2階ロビーまで連なる長蛇の列となった。

 約1時間半の公演は、いつもの通り学生服スタイルのメンバーによる躍動感あるダンスを中心に、コントと映像作品を織り交ぜて終始会場を興奮に包み、あっという間に疾走するように終わった。特にコントのコーナーでは、フィリピンの人気キャラクターやタガログ語などを取り入れてアピール。そうした観客とのインタラクションを重視するコンドルズの作風は、この国の多くの人たちに好意的に受けとめられたと思う。何故コンドルズを呼んだかといえば、ややもするとシリアスになりすぎるマニラのコンテンポラリーダンス界に、多少おバカさんだけど、ダンスはもっと楽しくていい、シリアスな表現だってマンネリ化すればただ退屈なだけ、批判の対象にもなりえる、ということを伝えたかったこともある。その意味で今回の公演は十分にメッセージを伝えることができたと思う。

 本番前の2日間にわたって行われたワークショップやディスカッションも、双方のアーティストにとってとてもいい経験になった。特に「Wi_Fi」や「マップ」で中心的役割を担うマイラ・ベルトランという女性振付家・ダンサーが運営するダンス・フォーラムというスタジオで行われたディスカッションは、この国のダンス界が抱える問題とそれへのチャレンジ、それにまつわる苦難と自負など、とても率直で生々しい話になった。マイラは現在46歳。クラシックバレエの王道を進み、国立バレエ・フィリピンのプリンシパルダンサーとして活躍したが、1991年に退団して伝統的な表現と“決別”。10年前から自宅を改造したスタジオをベースに自分のグループをなんとか維持し、自らも踊り続けるのみならず、多くのイベントも仕掛ける誰もが認めるこの世界の最大の功労者だ。こんもりとした椰子のおい茂る広い庭の一画、半野外に作られたスタジオに敷かれた黒いリノリウムの床には、そんなマイラと彼女の仲間たちの思いや迷い、そして日々のレッスンの汗が染み付いている。コンドルズの振付家である近藤良平氏や、レクチャーのために来ていた石井達郎氏(朝日新聞などでの論評で著名な舞踊評論家、慶応大学教授)もきっと何か感じるものがあったに違いない。

 そんなコンドルズ公演が終わって1ヶ月が経過した7月下旬、今度は逆にそのマイラが日本を訪問した。国際交流基金の短期招聘プログラムで11日間の滞在。彼女にとっては今回が初の訪日である。11日間の日程で、トヨタ・コレオグラフィー・アワードなどのコンテンポラリーダンスの公演はもとより、歌舞伎、能、劇団四季や宝塚の公演など、今の日本の舞台芸術を概観できる盛りだくさんの内容だった。

 でも実は彼女に一番見せたかったのは、黒田育世という女性振付家の「SHOKU」という作品だった(8月11日、横浜赤レンガ倉庫)。女性だけのBATIKというグループを率いてヨーロッパでも公演を行い高い評価を得ている。女性ダンサーが髪をふりみだし、肉体を酷使して激しく踊る力強い作品で、ストイックでいてエキセントリック、男性的に破壊的だけれど同時に女性的なリリシズムが交錯するような、一度観たら忘れられない作品だ。マニラに来てここのダンスを観て、ぼくの頭にまず思い浮かんだのが実はこの作品だった。「SHOKU」には、今のフィリピンのコンテンポラリーダンスの状況が重なって見える。現代文化のフロントランナーたちは、意識するしないにかかわらず、きっとどこかでつながっているのだろう。マイラも何かを感じるに違いない。そんな確信があったのだが、帰国後の彼女のレポートを読んで、やはりその確信は的外れでなかったことがわかった。

 「・・・(「SHOKU」を見て)私は言葉を失った。私もダンサーなので、彼女たちが直面しなくてはならない様々な困難がよくわかる。毎日かかさず体をウォーミングアップしなくてはいけないし、体は傷つきやすいし、だいちいつも疑問だらけだろう。けれども彼女たちはそれを続ける、疑いも無く、一瞬一瞬全身全霊で。私が思うに、それこそが日本人の特徴なのではないだろうか。私自身、またフィリピン人ダンサー、いや西洋のどんなダンサーだってあれほどの作品を踊りきることは想像できない。・・(中略)・・そこには何か(日本の進んだアートや文化で解釈できるもの)を超えるものがあると感じる。超越した何かとつながろうとする試み、それはこの作品を創りあげるための犠牲、その犠牲に対して“イエス”と認める気持ち。そうした“イエス”と言える心が、日本人の信念、日本の文化の核心ではないだろうか。」(マイラのレポートより)

 彼女はさらに自らの立場、フィリピンのコンテンポラリーダンスの置かれた状況に思いを馳せる。

 「・・・しばしば私は“一本気すぎる”とか“役にたたない情熱”とか言われて批判されることがある。しかし今回の作品のように私と同様に、いや私以上にそう思われるようなダンサーを見るにつけ、インスピレーションと確信はますます大きくなるばかりである。確かに彼女たちの作品は日本でよく受け入れられているし、その価値もあると思う。またそれが彼女たちにとって発奮材料にもなるのだろう。ひるがえって私たちフィリピンのダンサーが払っている犠牲だって、なかなか立派なものだと思う。自分たちの作品を創り続け、そしてなんとか今まで生き残っているのだから・・・」(同レポートより)



 マイラ・ベルトランがフィリピンのコンテンポラリーダンスの草創期を支えてきた第一の功労者だとすれば、ドナ・ミランダは、これからを担ってゆく新しい世代のリーダーだ。そもそもぼくがここでコンテンポラリーダンスに出会ったのは、ASEF(アジア欧州基金)主催の「ダンスフォーラム」というプロジェクトで、彼女が日本に招聘されたのがきっかけ。ちなみにアジア、ヨーロッパから20名を超えるダンサーが参加した同プロジェクトの公演は、国際交流基金フォーラムで行われている(2005年9月13日)。気がついてみたらASEFはいまやアジアとヨーロッパの芸術交流におけるキープレーヤーの一つだ。

 ドナは現在伸び盛りの27歳。「マップ」の主要メンバーであるグリーン・パパイヤ・アート・スペースのダンサー・振付家として昨今の活躍は目覚しい。彼女は国立芸術高校とバレエ・フィリピンでダンスの英才教育を受け、その後フィリピン大学に進むと同時にマイラ・ベルトランに師事し、数々の大舞台でも活躍してきた若きエースだ。とても小さくて華奢な体つきだけれども、一端踊りだすとその存在感は圧倒的で、確かな技術とそれを超えるセンスが光る。確実にこの国のコンテンポラリーダンスの地平を切り開いてゆく存在だと思う。彼女の現在の目標は、来年の1月に日本で開催される「横浜ソロ×デュオ 」。このコンペの優勝者はパリでの6ヶ月間の研修と、パリ日本文化会館での公演が約束される。若手振付家にとって世界への登竜門だ。フィリピンから日本を通り、そして世界へ・・それは想像しただけで目の前がぱっと開けるような素敵なことに違いない。既に予選のためにビデオを送っていて結果待ち。彼女のために、そしてこの国のコンテンポラリーダンスの明日のためにも、ドナが日本の舞台に立てることを祈っている。



 新しい何かが創られようとするとき、そんな貴重な瞬間に立ち会っているのだという実感を得られることが、国際文化交流という仕事をしている醍醐味の一つだと思う。そして新しい文化創造の現場で、多少なりとも何らかの貢献ができることは、とても誇らしいことだ。それが特に尖った世界の、時に暗闇の中で悪戦苦闘をしているチャレンジャーに出会ったとき、だからこそ誰かのサポートが最も必要とされていると感じられるとき、ぼくたちがここにいる本当の理由がわかるのだ。

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