現在フィリピンで最も注目されている映画祭、「第6回シネマラヤ」が開催中である(7月18日までフィリピン文化センター)。凋落著しい35ミリ映画に替わって、今この国の映画界、そして映画製作を目指す若者達が熱い期待をよせるデジタルシネマ(Dシネ)。シネマラヤは、2005年に産声を上げた国内最大のDシネの祭典だ。この映画祭を中心に優れたDシネがいくつも生み出されており、それが海外に紹介され始めている。“シネマラヤ現象”とでも言おうか。
毎年開催されるごとに規模を増し、今年は10日間で長編、短編合わせて一挙に137作品が上映されている。現在のフィリピンを生のまま切り取ったリアリティーと、若者の等身大の姿が映し出されていて、観ていてとてもすがすがしい。9本の長編がコンペに参加しているが、先ごろ行われた選挙の話や、海外出稼ぎ労働者や中国移民の物語の他に、なんと言っても特筆すべきは、ミンダナオものが3本も出品されていることだ。ちなみに多くの映画が英語字幕付きなので、外国人でも楽しめる。
フィリピン映画が黄金時代を築いたのは過去のこと。しかしここ数年は、”インデペンデント”といわれる大手製作会社に属さない個人によるDシネが盛んになり、コンパクトなデジタル・ビデオカメラの技術的進歩で、多額の予算がなくても撮りたい映画が撮れるようになって息を吹き返した。確実に”ニューウェーブ”が到来している。
そんな状況を反映して、ここ数年ヨーロッパにおける比映画に対する評価は高まる一方だ。以前このコーナーでも紹介したブリリャンテ・メンドーサ監督は、『キナタイ(屠殺)』で2009年カンヌ映画祭の監督賞を受賞。またイタリアのベネチア国際映画祭では、新人監督発掘が目的の「オリゾンテ部門」で、一昨年と昨年の2年続けてフィリピン人が最優秀賞を受賞した。ラヴ・ディアスの『メランコリア』とペペ・ディオクノの『エンクエントロ(衝突)』という作品だ。ちなみに後者は、前ダバオ市長が結成した”ダバオ・デス・スクアッド”という自警団によるマフィアの粛清殺害がモチーフの社会派人権映画である。
こうして海外で評価の高まる比のDシネだが、日本での評判はまだまだ。国際交流基金では、かつて日本で比映画を積極的に紹介していた。「フィリピン映画祭」(1991年)や「リノ・ブロッカ映画祭」(1997年)など。リノ・ブロッカ(1991年没)は、20年間に67本もの作品を生み出して黄金期を支え、その後の映画人たちに多大な影響を与えた不世出の監督である。
基金主催「フィリピン映画祭」(1991年)
異なる文化間の相互理解を目指す文化交流にとって、日本における外国文化紹介は、海外における日本文化紹介と平行して、車の両輪のごとくに重要な仕事である。一方的に日本文化を魅せつけているだけでは、相手国側から本当の信頼は得られない。映画の分野では、1982年にアジア映画紹介のさきがけとなった南アジア映画祭を開催。その後も東南アジアや中央アジア、2000年以降は中近東やアラブ諸国等の映画を発掘しては紹介してきた。
残念ながら昨今では、外国映画の上映機会が増えたという理由で、国際交流基金が独自に上映する機会がほぼなくなってしまった。そのため商業上映に乗りにくい東南アジア映画は、まとまって紹介される機会が失われた。現在では、日本で行われる様々な映画祭への出品上映が中心。歴史が古いものでアジア・フォーカス福岡映画祭や山形国際ドキュメンタリー映画祭。比較的新しいものでは東京フィルメックスなど。その他マイナーな映画祭を含めて、年間数本が数回上映される程度であろう。
そうした状況の中、新しい動きもある。今年のシネマラヤのコンペ部門の審査員に、東京国際映画祭‘アジアの風’部門ディレクターの石坂健治氏が招待された。同氏は国際交流基金で上述の映画紹介事業を長年にわり手がけてきたアジア映画研究者である。昨年は同映画祭のコンペ部門に初めて比映画がノミネートされたが、彼がその作品を招へいした。今回審査員として参加することで、今後ますます東京国際映画祭とシネマラヤの連携が強まることが期待される。新たな段階を迎えているフィリピン映画。その豊かな才能の宝庫と若者たちの映画によせる熱い思いを、少しでも日本の同世代の人々に伝えていって欲しいと願っている。
石坂氏とともに
「まにら新聞」7月12日
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