しばらくブログのほうはさぼっておりましたが、その間「まにら新聞」に投稿した記事を、写真を付けて再掲しておきます。
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多島海文化の豊かなフィリピン地方都市の中でも、東ネグロス州のドゥマゲッティは、ビサヤやミンダナオをつなぐ海上交通の要所にある美しい町だ。ここには古くからテラコッタ(土を用いた素焼きの焼きもの)の伝統があり、今でも素朴な土器が作られている。また米国人によるアジア最古の大学であるシリマン大学(1901年創立)をはじめ、多くの学校が集まる学園都市でもある。そんな海とテラコッタと教育の町の大学で、今日本人陶芸家が比人の指導にあたっている。
丸山陶心さん(63才)は萩焼きの陶芸家。3年に1度、美濃で開催される“陶磁器のオリンピック”である国際陶磁器展に2回入選するなど実績がある。2002年にマニラの国立博物館で個展を行ったが、この国の魅力に惹かれてその後も自費で訪れては各地で陶芸を指導してきた。国際交流基金でも、2007年にドゥマゲッティで開催されたテラコッタの祭典でワークショップを実施。それが彼とドゥマゲッティとの関係の始まりとなった。
ドゥマゲティでのワークショップ
東南アジアには、古来より中国人が持ち込んだ焼きものの文化が各地に残っている。インドネシアのカリマンタン島のシンカワン村には、古くからの製法を伝える長さ30メートルを超える窯がいまだ健在である。しかしフィリピンには窯を使った焼きものの伝統は残っていない。戦国時代に秀吉に見出され、日本で珍重された”ルソン壺”は、中国産だと言われている。
しかしテラコッタは、野焼きで簡単に作れることから、このドゥマゲッティの地で代々継承されてきた。近郊の遺跡から出土した装飾土器や生活器具からは、鉄器時代(紀元前2世紀~紀元9世紀)には既にテラコッタが重要な技術だったことがうかがえる。今でも市内ダロ地区には多くの工房があり、素焼きの壺や植木鉢などが売られている。またこの伝統を現代に生かそうとテラコッタを作品に取り入れた美術作家も多く、キティ・タニグチ氏などは市内にギャラリーを構え、国内外でも活躍している。
ダロ地区の焼き物ショップ
キティ氏の作品
一方でテラコッタには限界もある。簡単で安上がりなために生き残ったローテク文化ではあるが、その容易さがかえって技術発展の障壁にもなる。釉薬を使ったり、焼成温度の高いガス窯を使用したりして、より優れた製品として現代のマーケットのニーズに合うよう革新が期待されてはいるが、なかなか担い手が育たない。生産性が低くて粗悪であっても、ローコストでとりあえず売り物となることで生活を維持するには十分なため、それ以上のことは求めないからだ。
科学技術省の要請で今年の4月まで国際協力機構(JICA)の海外青年協力隊が何代かに渡って派遣されていたが、技術移転には困難が伴ったようで、現在は派遣されていない。ただ彼らの尽力もあって、陶芸を芸術教育の中に取り入れようとガス窯を導入する大学が現れた。ファウンデーション大学といい、その大学が陶心さんを受け入れて、この7月から新たに芸術専攻の学生に陶芸を教え始めた。
伝統工芸はもともと無名の工芸家が代々技術を受け継いできたもので、人々の集合体の記憶やアイデンティティーを宿したものである。現代の工芸は、その上にアーティスト一人一人の個性が加わってさらに息づいている。国際交流基金では「文化協力」と称して、開発途上国の文化発展のための様々な支援をしているが、伝統工芸も重要な分野である。例えば陶芸では近年、政情不安で存亡の危機にあったアフガニスタンのイスタリフ焼きの維持・発展に協力するため、アフガン人の陶工と日本の陶芸家との交流を進めている。
今回、陶心さんの活動を少しだけサポートすることになったが、日本人陶芸家の比での現地指導に対する支援は初めて。学生は4学年合計で25名、週に4時間の授業を2クラス受け持つ。3つのろくろを交代で使い、土のこね方から基礎を学ぶ。いずれは大学自慢のガス窯を使って、作品を完成させるのが目標だ。学生の一人アルマ・アルコランさん(20才)は、「陶芸は初めての経験だがとても楽しい。将来はプロのアーティストになって、陶芸も続けていきたい」と抱負を語る。萩で培った自らの経験と知識、そして陶芸家としての誇りを伝えてゆきたい。陶心さんのチャレンジは始まったばかりである。
「まにら新聞」8月9日
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