2010/08/10

日本語の窓を通して世界を理解

 現在当文化センターでは、フィリピン教育省からの要請の下、マニラ首都圏にある高校の社会や英語の先生たちを集めて、「日本語教師養成講座」を開講中である。4月12日から5月21日の月曜から金曜の28日間、朝9時半から午後3時までびっちりの集中特訓コースだ。15校、30人の先生が学んでいて、6月から新学期の始まる高校で、この講座で学んだ授業をほぼそっくりそのまま、今度は自分たちの学生を相手に教える計画である。

 ある日の授業では、フィリピン人がよく使う「パセンシャ」という表現について学んだ。元の意味は「我慢」だが、状況に応じて「謝罪」や「感謝」の意味になる。そんなタガログ語の用法について1時間、その間ほとんど日本語は出てこないし、教えない。どんな言語でも使う時の状況が重要だということを気づかせるためだ。次の授業になってようやく日本語の「すみません」を勉強する。「すみません」も状況に応じて謝罪、感謝や呼びかけ表現になる。

 またある日の授業では、誕生日を祝う方法は国や民族によって様々であること、でも祝うという気持ちは共通していることを紹介した。日本語や日本の文化を学ぶと同時に、他の国や自国の文化についても考える。日本語を学ぶことそれ自体が目的ではなく、日本語を一つの窓として、異なる文化を理解する力をつけること。それがこの授業の目指している理想である。異なる文化を受けとめ対応する能力を、専門的には「文化リテラシー」と呼んでいるが、そんなユニークな”語学教育”が注目されている。

 国際交流基金が2006年に行った「海外日本語教育機関調査」では、全世界298万人の日本語学習者の内、約57%が初中等教育段階の子供たちで、世界的傾向として学習者の若年化がかなり進んでいることが判明した。例えば隣国のインドネシアでは、日本語は既に高校の選択科目として導入されており、全国で24万人以上の高校生が学んでいて、その後も増え続けている。
 
 しかし比の高校では実験が始まったばかり。昨年の6月に教育省がガイドラインを発表して、日本語とともにスペイン語、フランス語のパイロット授業が正式に認知され、マニラ首都圏の11校で日本語授業がスタートした。従ってまだ高校には日本語を専門に教える先生はいない。

 また導入といっても選択科目であるため、実際の学習時間は週に2時間程度で、年間60時間が標準である。これだけでは無論流暢な日本語を話せるようになるわけではない。ただその限られた時間の中で、「ことば」の力だけでなく、「文化リテラシー」の発想に立って、これからのグローバル社会で活躍できる人材を育てることは可能であり、それが今求められている。そうした学生の中から、将来的に日本語能力を伸ばす者が出てくることも期待している。

 こうした現状を受けて当センターでは、昨年より日本人専門家2名とフィリピン人講師5名による「教材制作チーム」を結成し、オーストラリアや日本で研修するなどして、新たな教材作りを進めてきた。冒頭の講座はこれまでの活動の成果を試すものだ。参加者の一人、トーレス高校のエドワード・タン教諭は、「子供たちに文化的に寛容であることの大切さを教えることができる。自分なりにアレンジして教えてゆきたい」と抱負を語る。

  新たに完成した独自教材『enTree 1 Halina! Be a NIHONGOJIN!』(通称「enTree」)

 フィリピンはもともと国内に多くの”異文化”を抱えた多民族国家である。民族言語学的に110のグループに分かれており、主要な言語だけでも13ある。375年間にわたる植民地支配によって外来文化が混合し、さらに米国支配の影響で現在も英語が公用語。幸か不幸かその英語力が影響し、世界中に出稼ぎ労働にでかけ、現代の”ディアスポラ(離散)”の民とも呼ばれる。異文化理解は、フィリピン人のアイデンティティそのものに関わる本質的な課題である。その意味で、高校で「文化リテラシー」を養うことは比国の教育界全体にとっても大きな意味があるだろう。日本語がその一つの窓となるように、さらに新たな人材や教材の開発を進めてゆきたい。



「まにら新聞」5月17日

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