
それにしてもこのマグサイサイ賞は、独自の評価基準と進取の精神に富んでいて爽快だ。正直な話、華々しいジャーナリズムや芸術の分野で数多い大衆受けしそうな候補者を退け、出版という地味な分野、それも人権問題というこれまた硬派な分野で着実な実績を上げてきた明石書店の石井氏が評価されるというのは驚きであった。これまでの日本人受賞者の中でも、黒澤明や緒方貞子氏など華麗な経歴の持ち主もいるが、むしろ真骨頂は、無農薬の自然農法をアジアで広めた福岡正信氏や、先ごろの不幸な事件でマスコミに登場していたが、アフガニスタンで医療支援を続けるペシャワール会の中村哲氏など、地味ながらアジアで着実な活動をしている人々を発掘して懸賞することだと思う。その意味でこの石井氏への授賞は、マグサイサイ賞の原点ともいうべきか。晴れの授賞式が8月31日にフィリピン文化センターの大ホールで開催されたが、授賞理由として、特に日本の被差別部落の人権運動(同和問題)に奔走したことが披露されたが、会場の拍手はひときわ大きかったように思え、同じ日本人として私もちょっと誇らしい気持ちだった。と同時に、これまで明石書店のそうした活動に無知であった自分の不勉強を恥じもした。
このマグサイサイ賞、元大統領のマグサイサイ氏の急死を受けて、50年前にロックフェラー兄弟財団からの資金援助を受けて始まった。最大のスポンサーが米国の財団であるため、アメリカ流デモクラシーの普及という考えがその底流にはあるのは当然。もともと19世紀末から米国の植民地としてデモクラシーが移植され、実際1960年代まではアジアにおけるその先頭ランナーでもあったので、この賞をフィリピンという国に設けることにはそれなりのリアリティーがあったのだろう。しかしこの50年、特に民主化運動が最高潮に達した1986年の「黄色い革命」後の20年間で、この国のデモクラシーを取り巻く状況は一変したのだと思う。

そして肝心のデモクラシーにしても、今のフィリピンはリセッション(後退)の時代と言われている。理由はやまほどある。2004年に行われてアロヨ政権を信認した大統領選挙にまつわる選挙違反への疑いが、そもそもこの国の政権の正当性に対して圧倒的な不信感を植え付けた。さらには中国企業との超大型契約にまつわる汚職問題。そして最も深刻なのが”Extrajudicial Killing(超法規的殺人)”という恐ろしい言葉で言われている一連の事件。多くのジャーナリストや反政府活動家が暗殺されたり、拉致・誘拐されているが、新聞紙上などでもたびたび公然と国軍の関与が指摘されている。立場の異なるグループによって犠牲者の数に違いがあるが、例えば人権委員会の報告では、2001年に現政権が成立して以来、2007年5月までに403人が犠牲となった。またカトリック評議会のカウントでは、778人が犠牲となり186人が行方不明となっている。こんな状況なのにもかかわらず、現在の政権が維持されていることは、日本人の私からすれば率直に言って驚きではあるが、フィリピンならさもありなんとも思う。
そういった具合で状況としては暗いことが多いのだけれど、全く絶望的でもない。
国際交流基金では「アジア・リーダーシップ・フェロー・プログラム(ALFP)」といって、毎年アジア地域から選りすぐった知識人を数ヶ月間日本に招待して、グループでいわば合宿をして議論を重ねるという試みを行っているが、今年フィリピンから選ばれたのが、この国の民主化運動のトップランナーとも言えるホセ・ルイス・マーティン・ガスコン氏、通称チトだ。訪日の数日前、一緒に食事をして話を聞く機会があった。

チトとの話は広範囲に及んだ。特にいまどきの若者の政治への無関心ぶりについてはかなり絶望していたが、「黄色い革命」を担った“エドサ1世代”はまだまだ健在。「今マニラの街角でラリーを引っ張る人たちの平均年齢は相当高いね」と言って笑う。次の照準はいよいよ2010年の大統領選挙だそうである。60年安保が過ぎ去り、高度経済成長真っ只中の63年に生まれた私としては、なんとも眩しく見える一瞬だ。
ところで、そんな大物“活動家”がなんでこのデモクラシー・リセッションの時代に日本に滞在する必要があるのか?率直な疑問として、ある意味”亡命”のようなものかと彼に問うたところ、「そうとも言える。ちょっと頭を冷やして次の大統領選挙に備えて力を蓄えるさ」とさらっと言う。おそらく「ハイアット10」の事件の際に反アロヨ運動の熱気が最高潮に達し、色々と圧力などがあったことは想像に難くない。それで本人の言のように冷却期間が必要だったのだろうとも思う。いずれにしても今彼はアジアにおける人権とデモクラシーの明日のために鋭気を養うとともに、仲間と知恵をしぼっている最中だ。なお彼を含むALFPのメンバーによる公開セミナーが、10月31日に東京の国際文化会館で予定されているので、関心のある人はご参加ください。http://www.jpf.go.jp/j/intel/exchange/organize/alfp/index.html
そもそも大学時代に民主化運動の道に進んだのは何故?との問いに対して、「あの頃はマルコス政権の最悪の時期。他に一体どんな選択があったの?」と答える。そのいかにも柔らかな笑顔と口ぶりからは、彼の歩んできたおそらく困難に満ちた人生は容易に想像できない。使命感と覚悟を背負った同世代人。こういう人がいるからこそなんともやりきれないことの多いこの国でも、暗闇に多少の光明が見える時があるのだ。