2009/02/17

海から来た民族の記憶

 祖先の記憶を今の時代に残し、いかに次の世代に伝えてゆくか。”紛争地域”と言われているミンダナオで、そんな課題に挑戦している若者がいる。以前このブログでも紹介した“テン”ことマンガンサカン2世(2007年12月号参照)。モスレム独立運動の中心にして、イスラム原理主義の保守本流にもつながるマギンダナオ王家の血をひく彼が、その原理主義の偏狭に抗い、失われつつある伝統文化を守ろうとしている。

 ミンダナオは文化的に豊かで奥の深い島だ。フィリピンにキリスト教が入って来る前からイスラム教徒によるスルタンが統治する王国が形成されており、さらにその前はアニミズムの世界が覆っていた。しかしイスラム分離独立派と政府軍による紛争、さらにはアブサヤフなどのテロリストグループによる誘拐事件などが頻発し、治安の安定しない危険な地域とレッテルを貼られてしまった。治安の不安定化や開発の遅れは社会の荒廃を招き、フィリピンの支配的階層である低地キリスト教徒からは文化的にも後進地域と差別されるようになった。本来は豊かであるはずなのだが、特にイスラム教が支配的な村々ではイスラム原理主義の徹底した影響などで、伝統的な価値観がゆらいで文化体系が失われつつある。

 テンが今取り組んでいるのは、イスラム以前からマギンダナオ族に伝わる伝統的儀式である“イパット”の記録ドキュメンタリー映画だ。“イパット”は5年に1度行われる家族の祖先との交霊の儀式。王家の儀式では1週間から2週間続くこともある。シャーマンによって執り行われ、音楽やダンス、詠唱を伴う。音楽はクリンタンと呼ばれる銅製の打楽器を使用し、憑依に至る激しい踊りが特徴。基本的にはマギンダナオの同族以外には公開しない秘儀であるため、これまで外部の人間による記録や研究が行わることはなかった。

 それに加えて1960年代よりイスラム原理主義が浸透するに伴って、イスラムの教義とあいいれない伝統的信仰や儀式はタブーとして封印された。敢えて儀式を行う者に対しては、イスラム分離主義者やその武装勢力、特にIMLFの司令官などが攻撃を加えるまでエスカレートするようになった。攻撃を恐れる一般住民は儀式を行うことを避け、どうしても行う場合には外に音が漏れないように隠密裏に行うなど危険が伴うようになり、やがて儀式そのものから人心が離れていったという。今その儀式を行える数人のシャーマンは皆高齢で、後継者はほんの数名のみ。ここで記録をしておかなければ、マギナンダナオ族の文化的アイデンティティを支える“イパット”という儀式は永遠に失われてしまうかもしれない。すなわちそれは先祖より代々伝えられてきた大切な記憶を失うということだ。

 テンからこの記録事業について支援の要請がきたのが昨年の6月。幸いにして国際交流基金がその要請を受け入れることになった。そしていよいよドキュメンテーションが、2月13日から15日の3日間、ミンダナオ中西部の中心都市コタバトから東に車で約1時間のピキット町の郊外で行われた。ピキットは彼の叔父であるハシム・サラマットが、モロ・イスラム解放戦線(MILF)を旗揚げした縁の地でもある。どうしてもその現場を見なくてはならないと思い、私は思い切ってピキットを訪れた。

 実はこの撮影、予定ではもっと早く実施されるはずだった。しかし昨年の8月、長年続いたフィリピン政府とイスラム分離派勢力による和解交渉が成立寸前に決裂し、ミンダナオの状況は一気に混迷を深めて内戦状態に逆戻りとなり、一時は50万人もの国内避難民が発生。国軍とMILFとの交戦が激しくなって、とても記録どころではなくなってしまった。その当時はこのピキットでも戦闘が行われていたそうだ。ピキットはそれ以前にも断続的に戦闘が発生している土地だ。現在ではなんとか収まっていて、ようやく撮影を敢行できる状況になった。とはいへ、幹線道路からはずれればいつ何が起こってもおかしくない状況には変わらりはない。今でもミンダナオ中西部を中心に170ヶ所の難民キャンプがあり、31万人以上の人々が非常時の生活を強いられているが、彼らも恐怖心から自分たちの村に帰れない状態なのだ。

 イパットが行われた場所は、ピキットの幹線道路から広大なリガワサン湿地帯を30分ほど奥に入ったパイドゥー・プランギ村。現地は事前の予想とは違って、随分とのどかでのんびりしたものだった。人々の表情も明るい。この村はテンの祖先の出身地で、ここなら安全と考えて決定したという。彼の親戚もたくさんいて、一族としては26年ぶりのイパットだそうだ。70歳代のチーフ・シャーマンに、数少ない若い継承者であるアブラヒム(31歳)とファイサル(33歳)が儀式の中心。その日は3日間続いた儀式の最後のクライマックスになる場面が行われた。貴重な記録なので、この機会に主な場面を順を追って写真で紹介する。

 7つの天をあしらった7層のお供え段













 精霊へのお供え物の白米、赤米と卵








 芭蕉の幹で作られた人形の根元に付けられた男根。後で悪霊が宿る












 海からやって来た祖先の記憶を呼び覚まさすために塩と水で塩水を作る












 クリンタンの演奏が始まり、徐々に儀式の雰囲気が高まる







 キンマが用意され、シャーマンが噛む








 シャーマンが米を撒いて場とテンを清める












 若いシャーマンが刀を清め、口付けして呪文を唱える







 シャーマンの祈りが始まる









 老女の歌に続いてシャーマンが謳い、踊りだす







 黄色と赤の布で示された橋をまたいで悪霊と闘う








 一般の参加者が塩水をかけあう








 悪霊の宿った芭蕉人形に槍を刺して退治する












 船の形をしたご神体に先祖の精霊が降りて来た。参加者全員で揺りかごのように揺らして精霊を送り出す。そうすれば病も一緒に消える




 シャーマンがテンに呪文を語りかける













 若いシャーマンが倒れて(実際に記憶を失う場合も多いという)、儀式は終わる












 現在イパットを完全なかたちで執り行えるシャーマンは10人にも満たないという。コタバトから同行したマギンダナオ人の友人は30歳を過ぎているが、イパットを体験するのは今回が初めてだった。儀式の中で謡われる歌は、マギンダナオの古語のため意味がわからないそうだ。31歳の若さでイパットに参加しているアブラヒムは、小学校2年の時に霊的体験をして以来シャーマンを志すようになった。病気治癒などのために時々呼ばれはするが、ほとんどの若者はイパットに関心を示さないと嘆く。もう一人の若きシャーマンのファイサルが、儀式の中で塩水を作る場面で話してくれた。

「我々の祖先は海からやって来た。今はその海から遠く離れてしまったけれど、こうして海の水を作って、はるかな昔を思い出すんだ。」

 今はリガワサン湿地の奥深くに暮らすマギンダナオの人々の祖先は、かつて海の向こうからやって来た。こうして呼び覚まされた彼らの祖先のスピリットも、船に乗って旅をする。記憶というものは、単に過去にさかのぼるということではなく、現在の私たち自身の姿、そして将来への期待も映し出すものだろう。今に生きる我々自身が思い出そうとする限り、記憶はその中身を変容させながらもいつまでも生き続ける。マギンダナオの人々が必要とする限り、集団の記憶はこうして次の世代に引き継がれて旅をし続けるのだろうと思った。

 このイパットを収録したドキュメンタリー映像は、3月26日にマニラで行われる国際会議(国際フォークロア学会(IOFA)主催、国際交流基金助成)にて発表が予定されている。ご関心のある方はご連絡ください。

3 comments:

Odies said...

はじめまして いつも素晴らしい情報ありがとうございます。私も多少フィリピンのアートにかかわっているものですが、何分日本在住ですのでおもしろいものを見つけ出せません。これからもよろしくお願いします。
まずはお礼まで・・

合田學 (上坂眞信)  said...
This comment has been removed by the author.
合田學 (上坂眞信)  said...

こんにちは。
コンスタンチーノの著作を読み、アメリカの占領政策に関心を抱き、群島の土を踏みました。爾来、十六年の歳月が流れました。
コンスタンチーノも逝き、群島への関心も失せてしまった私ですが、今朝、友人が貴ブログを紹介してくれました。
亦、違った群島の姿を垣間見ることが出来、欣快至極に存じます。
合掌。