2008/08/12

平和を愛する山の民を描いた秀作映画 ~第4回シネマラヤ~

 このブログでもたびたび紹介してきたインデペンデント系のアート界の動き。今年もまたCCPを会場に6月から7月にかけて、ダンス、演劇、映画と熱いイベントが続いた。

 今回で4回目を迎えたデジタルシネマ国内最大の祭典シネマラヤ。年々回を重ねるごとに増殖するこの映画の祭典は、今年もその期待にたがわず大いに盛りあがった(7月11日~20日)。新作はコンペ部門(長短10本ずつ)とエキシビション部門。それにこれまでのシネマラヤ出品作や国内の他のDシネのコンペ出品作などをあわせ、なんと一挙に165本のDシネがたった9日間に怒涛のように上映された。コンペ出品作の内、長編9本と短編10本を見たが、最も印象に残った作品について報告する。

 長編コンペに出品された『BRUTS』(タラ・アイレンベルガー監督)という作品。ルソン島の南に位置するミンドロ島を舞台にしたマンギャン族という少数民族の子供のカップルの物語だ。マンギャン族はいまでもミンドロ島の山中で伝統的な暮らしをしており、独自の文字や“アンバハン”と呼ばれる美しい韻をふむ詩、それにユニークな幾何学的文様をあしらった織物や工芸品があり、独特の伝統文化を持った民族である。マンギャン族の生活の様子は、オランダ人の神父で1960年代始めよりこの島の南部山中に住み着いたアントゥーン・ポストマ氏のいくつかの本で知ることができる。例えば『Mindoro Mangyan Mission』(Arnoldus Press、1983年)という写真集からは1980年代の彼らの生活が生き生きと伝わってくる。


 物語はそのマンギャン族の女の子の家族をおそった悲劇から始まる。伝統的焼畑で生計を維持していたところに都会から来た移住者に土地を奪われて家を焼かれ、父親は失意のうちにマラリヤで命を落とす。この物語の主人公である女の子の兄は、違法伐採による木材を筏で川下の町まで運ぶ運び人(BRUTS(ブルートゥス)と呼ばれる)となったが行方不明。その兄を求めて、同じくBRUTSとなり幼なじみの男の子との二人連れの川旅が始まる。二人は旅の途中でお尋ね者の共産ゲリラのリーダーや、彼を追って密林を捜索する政府軍兵士などと出会うことになる。やがて両者の戦いに巻き込まれるが、最終的には共産ゲリラが捕まって二人は政府軍兵士に保護される。女の子がそのゲリラに心を惹かれたことで男の子の間に微妙な隙間が生じたが、様々な冒険の果てに故郷の家にたどりついた二人は、再び仲直りする・・というストーリー。この作品で審査員賞、助演男優賞、音楽賞、撮影賞を受賞した。


 マンギャン族の伝統文化の問題と環境破壊が縦軸のテーマだが、そこにこの国がいまだ苦しみ続けている共産ゲリラと政府軍との争いが横軸で挿入されている。なかなか重厚な社会的テーマをいくつも織り込んで物語の破綻もなく、それでいてみずみずしく描かれているのは、幼いカップルが筏で川を下るに従って物語が展開するという冒険譚のような虚構の世界だからか。でも私が特に感心したのは、共産ゲリラとそれに対峙する政府軍の描き方だ。マルコス独裁時代の1969年に結成されて以来、いまだに農村を拠点に政府軍と戦いを続けている新人民軍のゲリラ指導者が、この映画ではなんと心優しく描かれていることか。さらに奇異なことに、政府軍の兵士もまた、その司令官に人情味ある風貌と演技で人気の俳優ロニー・ラザロを起用するなど人間味あふれる描き方をしている。40年近く続く共産ゲリラと政府軍とのある種“倦んだ”戦いを、理想的すぎるきらいはあるとしても、こうやってあえて柔らかな視点で描く20代の若者がいることに、私はまず新鮮な驚きを覚えた。

 この映画全体を包み込むなんともいえない優しさというものの不思議さが心の中に残っていた私は、それから数日後にある本を発見し、何かその秘密の一つがわかったような気がした。7月23日から26日の4日間にわたってフィリピン研究国際会議が行われ、250名を超える研究者が合計71のパネルでペーパー発表が行われた。日本人研究者も名前が登録されているだけで29人もの研究者が参加している。この会議の内容を書き始めるとまたそれだけで長くなってしまうが、こうした会議での楽しみの一つが会場で行われるフィリピン関係本の即売会だ。今回はマンギャン族のことが気になっていたので探してみたが、『Mangyan Survival Strategies』(Jurg Helbling/Volker Schult 著、New Day Publishers、2004年)という本に巡り会った。

 この本の作者によれば、ミンドロ島のマンギャン族は北部コルディレラの山地民族やミンダナオのモスレムなどと異なり、フィリピンで最も平和を愛する、言い方をかえれば臆病な民族であるという。フィリピンで7番目に大きな島には2500メートル級の山が迫っていて急峻な渓谷で分断されており、今でも島内をくまなくつなぐ道路は無く人の往来が困難な場所だ。そんな土地でも先住民たちはスペイン植民地時代からキリスト教化を迫られ、20世紀になってからはアメリカからの独立戦争や日本軍占領時代を通して攻撃は繰り返され、さらにそれと平行してルソン島やビサヤ地方からの移民がやって来て、1960年代以降になるとそれが大量になり、法律に無知なマンギャン族は土地を奪われていった。しかし彼らはそのたびに紛争を避け、ある者はより生活環境の厳しい山に逃れた。そして結果的に山に入った人々の間に伝統的価値観や文化を保った生活が残されたという。争いを避け、臆病と言われても、それが結果として種族と文化を存続させる究極の知恵であったということにはおそらく大きな意味があるのだろう。

 『BRUTS』の女性監督は2004年にマンギャン族のドキュメンタリーフィルムを手がけた後、移民から土地を奪われ森林伐採で森が失われる現状に対して、何とかしなくてはいけないと今回の映画制作を思い立ったという。平和を愛するマンギャンの人々の世界を描く現代の御伽噺の中に、たとえ空想的と言われても心優しき共産ゲリラや人情味あふれる政府軍兵士を登場させたこともまた、争いは無意味だという彼女なりのメッセージなのだと思う。内戦状態が続いて40年。それはちょうど彼女の世代の人生とも重なる厭戦には十分な時間だ。全ての希望が打ち砕かれてもなお、新たな空想や理想を抱くのは若者の特権だろう。


 ところでマニラの映画人によって地方の少数民族やその独自の文化・風土が描かれるというケースは、これまでのシネマラヤでいえばライステラスで有名なイフガオ族の村バタッドを舞台とした『BATAD:SA PAANG PALAY(バタッド:稲穂の足)』(2006年)や、ルソン島からさらに北の離島バタネスを描いた『KADIN(山羊)』(2007年)などがあるが、この『BRUTS』もそうした系譜上の作品であるといえる。また別の長編コンペ作品の中で心に残った『NAMETS(美味い)』(ジェイ・アベーリョ監督)という作品は、中部ネグロス島のバコロドという町を舞台に地元の食材と味を生かしたレストラン作りに挑戦するというフィリピン版『美味しんぼう』物語だが、地方ネタを軽く娯楽作品風に仕上げるというのはこれまでにない新しい傾向だと思った。

 こうした地方色という意味で、今回のコンペで長編作品以上に話題になったのが、短編部門出品の『ANGAN-ANGAN(希望)』という作品。スールー諸島のバシラン島を舞台にしたヤカン族の9歳の女の子の嫁入り物語で、ドキュメンタリー風のみずみずしい映像が印象的だ。昨年のシネマラヤでマニラの若手監督がミンダナオをテーマにした作品を出品して(『ガボン(雲)』)、それについてこのブログでも、いつかミンダナオの若者が自分たちのストーリーを映画にする日がやってくることを願っていると書いたが、早くもそれが実現したかたちだ。プロデューサーはこのブログでも紹介したことのあるテン・マンガンサカンで、監督はザンボアンガ出身のシェロン・ダヨック。二人ともミンダナオ島が本拠地の若きフィルムメーカーである。

 さて映画祭の受賞レース、作品賞はオカマのテレビ・プロデューサーを描いた『JAY』(フランシス・パション監督)が受賞した(この作品のみ見逃してしまった!)。監督賞は、死を宣告された女性が死ぬ前に100のやりたい事を次々とかなえてゆく『100』のクリス・マルティネスで、暗いテーマをユーモアとペーソスあふれる映像美で描いた。その『100』はオーディエンス賞、主演女優賞、助演女優賞、脚本賞も受賞した。そのほか父親から虐待を受けて言葉を失った男の子と恋人を亡くして失意の底にあるバイオリニストが、バイオリンを通して触れ合い自分を取り戻してゆくという『BOSES』(エレン・オンケコ・マルフィル監督)も賞を逸したが印象に残った。

 また第二次大戦中、ダバオで実際にあった家族の物語をもとに作られた『コンチェルト』(ポール・モラレス監督)という作品は、これまでさんざん映画でステレオタイプ化されてきた日本軍と全く異なる姿を提示した点で特筆に値する。監督の祖父母の実話にもとづいているのだが、日本軍のダバオ侵攻に伴って森の中に疎開したフィリピン人家族が音楽を愛する日本人将校たちと交友を暖め、日本側の戦況の悪化に伴って同部隊が明日駐屯地を移動するという最後の晩に、その家族が彼らのために森の中でピアノの演奏会を開き、コンチェルト(協奏曲)を奏でるという美しいストーリーだ。戦争被害の甚大なフィリピンでこのように日本軍人を賛美するともとらえられかねない映画を作ることなど、おそらくちょっと前までは想像もつかないことであっただろう。物語の構成が多少物足りないことや演技面での不足を補って余りあるほど、この監督の勇気には敬意を表したいと思う。

            びっしりのラインナップ!

 誕生から4年目にして数多くの若者の参加をえて、いまやミンダナオからも作品が生まれ、シネマラヤはますます増殖しているようだ。それは既に“シネマラヤ現象”といってもいいかもしれない。そこで提示される世界やフィーリングは、いまのフィリピンの若者の等身大の姿を明確に映し出していて観ていてとてもすがすがしい。昨年は120本、そして今年は165本だったので、このペースでゆけば来年は200本を超えてしまうか、とも思えてくる。尽きせぬ物語と若き才能との新しい出会い。今から来年のシネマラヤが楽しみだ。

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