2008/01/30

フィリピンでオペラ?たかがオペラ、されどオペラ

 世界第二位の経済力を誇り、日々世界中から輸入される舞台芸術に触れることのできる日本ですら、いまだに上流階級の道楽とも揶揄されることのあるオペラ。そんな先進国のステイタスシンボルともいえるオペラだが、なんと貧困と社会不安にあえぐこのフィリピンにもちゃんと存在する。1月の2度の週末を使って、この国のオペラ関係者やオペラファンの夢を担う公演がフィリピン文化センター(CCP)で行われた。演目はヨハン・シュトラウスの代表的なオペレッタである『こうもり』。たまたま客員で訪れていた韓国人指揮者以外は、ソリストなど出演者、演奏家、スタッフ全員がフィリピン人である。CCP主催で行われるオペラ公演、つまりちゃんと舞台装置があって歌手が衣装を着けて演じるもの、としてはほぼ1年ぶりになる。CCP以外にまずオペラ公演を行えるところはないので、ここでの公演がこの国のオペラ公演の全てである。私が知っている限りでは、“公演”とまではいかなくても、コンサート形式や、衣装を着て多少の演出付きで上演するオムニバス形式の演奏会は年に数回ある。1年に1作品とはいっても、この国を取り巻く様々な厳しい環境の中で、こうやってフルのオペラ公演を打つということは相当な覚悟が必要なはず。このフィリピンで、オペラにこだわる理由は一体何なのだろうか。ちょっと調べてみると、この国のオペラには、“存在する”以上の物語があるのがわかってきた。

 グランドオペラは、演劇、音楽、そして美術が一体となった文字通りの総合芸術だ。私もかつて日本のオペラ『夕鶴』(団伊玖磨作曲)の海外公演を制作したことがあるが、おそらくオペラの醍醐味は、一つの作品を構成するたくさんの要素が、長い準備の過程を経て最終的に重なり合い、共鳴する瞬間にあるのだと思う。本番公演に向けて芝居と歌、オーケストラ演奏、合唱、舞台装置や照明、衣装の製作などがそれぞれ別個に進められるが、それら全てが一つに集まり、いよいよ全貌がわかるのが公演本番の直前だ。つまりそれまでは誰も実際にどんな作品になるか確証がなく、各々のイマジネーションの中での作業が続く。だからこそ、最後に完成したものを目の前にした時は、何とも表現できないくらい感動することがあるのだろう。そんな創造過程のダイナミズムが観客にも伝わって、世界中の多くの人を魅了しているのだと思う。

 だけど実際問題、それだけ様々なジャンルで多くの人間が働くため、多額の資金を必要とするのは事実だ。『夕鶴』の時には中央アジアのウズベキスタンとカザフスタンで公演を行ったが、日本から演出家、指揮者、ソリスト6名はじめ総勢約30数名の公演団が12日間ほどツアーし、現地の交響楽団や合唱団と共演した。合計4回の公演で観客数は全部で約3500名。それでかかった経費は7000万円だった。ウズベキスタンなどは当時の閣僚全員や大統領一家が観たし、おそらく歴史に残る名演だったと自負はあるが、経費のことを考えるとそう何度もできることではないだろう。先進国なのにオペラハウスの一つもないと時にばかにされていた日本だが、1997年になってようやく国立のオペラハウス(新国立劇場)が完成した。年間予算は劇場の運営費・人件費など込みで80億円、うち純粋な公演にかかる経費が30億円。この予算でオペラ、バレエ、現代演劇の公演が行われていて、平成19年度のオペラの場合は10作品で44回の公演が行われている。欧米先進国に比較して貧弱な予算とはいうが、無論、フィリピンから見れば天文学的予算が使われている。

 パフォーミングアーツの素養に恵まれ、19世紀末より米国の植民地であったフィリピンは、アジアでも最も欧米に近いモダンな文化を謳歌していただけに、近隣の国に比べてもオペラの歴史は長く、これまでに多くの歌手が世界の舞台で活躍してきたのには驚かされる。1900年代から1930年代にかけてオペラはマニラでも人気の娯楽で、1931年にオープンしたメトロポリタン劇場などが本拠地となった。ちなみに今もこの劇場は当時のまま残されており、マニラ市の肝いりで修復計画が着手されたが、未だ廃墟のようだ。

             メトロポリタン劇場

 1920年代にはフィリピン人のソリストが海外のメジャーなオペラで活躍するようになる。特にパイオニアとして歴史に名を残しているのはジョビータ・フエンテスというソプラノ歌手だが(1976年に人間国宝に認定)、1925年にイタリアのピアチェンツァ歌劇場で『マダムバタフライ』の蝶々さん役でデビューし成功を収めた。なんでも小柄な美女だったようで、西欧人からはエキゾチックな蝶々さん役として適役に思われたようだ。同時代、後に日本のオペラの黎明期を築いた藤原歌劇団の創設者である藤原義江は、日本を代表するテノールとして1920年にミラノに渡り武者修行を開始し、1931年にはパリのオペラ・コミック座で『ラ・ボエーム』の詩人の役で舞台に立っている。同じ“極東“の小国から海を渡り、オペラの本場で果敢に挑戦する二人。もしかしたらどこかの劇場で出会っていたかもしれないなどと、ちょっと楽しい想像も可能だ。

              ジョビータの伝記

 その後フィリピンのオペラは戦争中を除いて1970年代までは盛んだったようで、1980年代から斜陽が始まったと言われている。しかし現在でも海外で活躍している歌手は多く、と言うより、優秀な歌手ほど海外でしか活路を見出せないという悲しい現実はあるが、例えばオトニエル・ゴンザガというテノールは、1980年代にフランクフルト・オペラのソリストとして活躍し、その後は三大テノールのプラシド・ドミンゴのサブを務めるほどの実力者で、『オセロ』のタイトルロールがあたり役である。

フィリピン唯一のクラシック音楽専門誌の表紙を飾るゴンザガ

 周りの東南アジア諸国を見回すと、オペラカンパニーが存在する国などは、かつてはこのフィリピン以外にはなかった。だが昨今はそんな東南アジアのオペラシーンもかなり様変わりしつつあり、1990年にシンガポール・リリック・オペラ、2001年にはバンコック・オペラ、そして2003年にはリリック・オペラ・マレーシアが相次いで旗揚げしている。こうした国では経済成長に支えられて中産階級の層が厚くなり、立派な劇場やコンサートホールが新しくできた。特にシンガポールでは、2002年にエスプラナードという複合文化施設が総工費約450億円をかけて完成し、2000人収容の劇場と1500人収容のコンサートホールがオープン。国際スタンダードを備えた劇場として、海外の一流のアーティストを招聘できる体制が整った。最近ではフィリピンのオペラ歌手もよくシンガポールに“出稼ぎ”に行くことが目立つようになっている。自分たちの国の舞台環境から見れば羨ましい限りのぴかぴかのコンサートホールに立って、かつては東南アジア唯一のオペラ先進国であった過去の栄華に思いを馳せながら、一体彼女たちはどんな思いで歌っているのだろうか。オペラがあるということは、取りも直さず経済的な成功を収めたゆとりの証。社交界の花形としてのレゾンデートル。経済的にだいぶ遅れを取ってしまったフィリピンに帰れば厳しい状況が待っている。

 とはいえ、まだまだあきらめてしまったわけではない。サント・トーマス大学というアジア最古の大学内に設けられたコンセルバトワールは、昔も今もオペラ歌手を目指す若きアーティストの登竜門だ。現在は11名の声楽の教授陣のほか、ピアノから楽理、ジャズまで総勢120名を超える講師スタッフを擁する、間違いなく東南アジア最大の音楽教育機関である。また今回の『こうもり』でも演奏を務めたサント・トーマス大学交響楽団は、1927年に設立された由緒あるオーケストラで、国立フィリピン交響楽団に楽団員を提供する育成部門を担っていて、いわば半国立の大学交響楽団だ。なおこの国でオペラを学ぶには、サント・トーマス大学の他に国立フィリピン大学の音楽学部、そして民間で頑張っているのがフィリピン・オペラ・カンパニーで、随時ボイストレーニングのコースがある。

             サント・トーマス大学

 さて肝心の『こうもり』のできだが、正直に言えば素人の私でさえちょっと聞いていてつらくなるような部分もあった。『こうもり』はウィーン国立歌劇場が毎年必ず大晦日に豪華キャストで上演するという演目。19世紀後半のオーストリアの社交界を舞台にした上流階級夫婦の浮気話を核に、騙しあいの可笑しさに満ちたドタバタ、ハチャメチャな喜劇で、お祭り好きでちょっと浮気性のフィリピン人にはぴったりの演目だ。まあ喜劇だからウェトなところはないけれど、ソプラノ、テノールともにもう一つぐっとくるところが無かったし、このオペラの粋ともいえる優雅なウィンナワルツを演奏するにはオーケストラが完全に力不足ではあった。

 それにしてもオペラに対する情熱を失わず、希望を持ち続ける人々がいるのには感心する。国からの資金援助がほとんどない中で、公演のために駆け回ってスポンサーを集め、なんとかオペラを絶やさない努力を続ける姿には頭が下がる。1960年代まではアジアの優等生で1970年代以降は凋落の一途、とは経済の世界でよく言われることだが、この国のオペラがたどった歴史も経済的停滞と平仄をあわせるかのようであった。けれども現在、国民の3割が貧困であると自己認識している格差社会を抱えるフィリピンだけれど、その一方でこうした夢を持ち続ける人たちもいる。文化を扱う仕事をしていると時に確信に近く思うことがある。文化や芸術も、澄んだ空気や清潔な水など衣食住と同じように、我々が生きていく上で最低限必要なベーシック・ヒューマン・ニーズなのだと。ましてやそれが人々の誇りに触れるものであればなおさら、それを捨て去ることはできない。逆説的なようであるけれど、その意味で時に蕩尽を象徴するオペラこそが、自分たちの誇りを支えるベーシック・ヒューマン・ニーズだと考えている人々もいるのだ。

 多くの人々が待ち望むように、我々の魂を揺すぶるような真にダイナミックなオペラの復活を願っている。いつの日かCCPの大ホールで、フルスケールの『トゥーランドッド』が上演される時がやって来るのだろうか。『マダムバアフライ』のタイトルロールを、満場の喝采を浴びて歌い、演じる素晴らしいソプラノ歌手が再び誕生することがあるのだろうか。私がマニラを去った後にもしそんな時がやって来たら、またこのマニラを訪れて、その祝福の舞台をぜひ見届けたいと思っている。
(了)

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