ジャパニーズ・フィリピーノ・チルドレン、通称“JFC”といわれる日比混血児。“混血児”というと最近では差別用語らしい。誰だって多かれ少なかれ“血”は混じっているのに、そこで“日比”を強調することで偏見や差別が生まれるのだ・・という主張だ。ちなみに“ハーフ”という言い方も古いようで、“ダブル”という言葉が使われ始めている。“血”という物理的な交じりに焦点を当てるのではなく、文化的なアイデンティティに着目すれば、二つの文化を背負った“ダブル”になるという意味だ。
さてそのJFC(これだってなんだかフライドチキンのようでとても気になるのだけれど、まあそれはさておく)だが、特に1980年代から急増したフィリピン人エンターテイナー(女性)と、日本人男性との間に生まれた子供が多く、現在、約10万人以上いると見られている。多くはフィリピン国籍を持ち、フィリピンに住んでいるが、日本国籍を持っている子供たちもいる。そんな7才~18才のJFC、8人からなるテアトロ・アケボノの日本ツアー直前公演が、マニラで行われた(5月10日、セント・スコラスティカ・カレッジ)。
この劇団を主宰しているのは、マニラを拠点に活動するDAWN(Development Action for Women Network)というNGOで、日本へ渡ったエンターテイナー(通称ジャパゆきさん)の、帰国後の心のケアや、自立支援を推進している。厳しい労働、性的虐待、結婚や恋愛の失敗、そしてフィリピンへ帰国後の周囲からの差別や生活苦などで、精神的バランスを崩す女性が多く、このDAWNは、そうした心に傷を抱えた元ジャパゆきさんの駆け込み寺となっている。そして、カウンセリングや研修にやって来る母親とともに多くのJFCがこの事務所を訪れるが、いつしかそうした子供たちに対しても、日本語を教えるなど、支援活動を行うようになった。このテアトロ・アケボノもそうしたJFC支援活動の一環で、日本公演ツアーはこれで10回目になる。
DAWNと僕たちとの関係は、昨年11月、このブログでも紹介したことのある、アルマ・キントという女性アーティストによるワークショップを、国際交流基金マニラ事務所の助成事業として実施したことにさかのぼる。参加したのは元ジャパゆきさんのお母さんとJFCの子供たち。将来の夢をドローウィングやパッチワークで作品に仕上げ、アートを通して心のヒーリングをしようというものだった。そして、今度はそのワークショップに参加した子供たちを中心に8人のメンバーが劇団を作り、日本へ公演旅行に行く計画だ。そのための準備ワークショップも、マニラ事務所が協力して実施した。
この劇団のメンバーの中に、マサユキ(13才)とチエコ(10才)という二人の兄妹がいる。両親が同じ兄妹でも、兄は日本人、妹はフィリピン人だ。マサユキは3才まで日本にいたが、その後両親は離婚して母親はフィリピンに帰国。帰国の際に母のお腹の中にいたチエコは、父親から認知を受けることもなくフィリピンで生まれ、その後、父親とは音信普通となった。日本の民法では、母親が外国人で、日本人の父親と結婚していない場合、日本国籍を取得できるのは、父親による出生前の認知が前提。JFCが抱える多くのケースでは、父親が行方不明、もしくは認知がなされず、結果的に母親のフィリピン国籍となるケースが多い。でも日本国籍が取得できたとしても、無論それだけで幸せになれるとは限らない。マサユキの場合、周りのいじめや、母親が家にいつかなかったこともあり、やがて不登校となってしまった。DAWNに通うようになり、同じ境遇にいる友達と出会うまでは、希望を失っていたそうだ。今では、母親とともに事務所の近くに移り住んで、学校にも通っている。昨年のアート・ワークショップにも参加していたが、ドローウィングがとても繊細で色使いもうまく、きらりとした才能を感じさせる子だ。
実はこのJFC問題、このところようやく社会的にクローズアップされるようになってきている。セブ島にある日本人会では、JFCのための日本語クラスを運営したり、日本国籍を持つJFCの日本渡航と仕事の斡旋なども始めている。日本国籍を持つJFCは、フィリピンでは、法律的にはいわば不法滞在者(ビザなしで長期滞在している)で、日本へ出国するためには多額の罰金を支払う必要がある。が、そんな大金、普通は持っていない。セブ日本人会では、そうした不遇な日本国籍のJFCを助けるべく、アロヨ大統領と出入国管理局に嘆願状を出し、日本出国にあたっての罰金の免除を訴えていたが、このたびその嘆願が認められるという朗報もあった。
2004年の統計によれば、日本の婚姻の年間総計が72万組で、国際結婚が約4万組。その内、夫が日本人で、妻がフィリピン人のケースが8,400件。ちなみに逆はたったの120組で、やっぱりフィリピン人男性は日本人女性にあまり人気があるとはいえない。いずれにしても、フィリピンは、日本人の国際結婚の相手としては中国に次いで堂々の2位だ。子供(JFC)の数も、数千人から1万人のオーダーで毎年増え続けており、現在は、冒頭に書いた通り10万人を超すと言われている。しかし、その多くは貧しい階層の出身で、社会的弱者、周囲の偏見にも囲まれて悲惨な状況にある。
世の中の人々の間では、所詮ジャパゆきさんと無責任な日本人父親の身勝手から生まれた悲劇、プライベートな問題にまで一々同情はできないという意見もあるが、子供たちに罪はないことは確か。ある時期大量のジャパゆきさんを生み出したのは、そもそも日本とフィリピンの社会が持つ宿痾という側面もあるし、JFC問題に対応できない両国の現行法の不備も指摘されている。たとえば、この国で暮らす日本国籍を持ったJFCに、日本国憲法で保証されている、いまや話題の“生存権”-すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する-が与えられているのだろうか、と疑問に思えることも多い。そんなJFCをめぐる様々な問題に対処すべく、先月、DAWNと同じビルの中に、Center for Japanese-Filipino Children’s Assistanceという新たなNGOが立ち上がり、まずはJFCの実態調査をということで、初の全国調査が始まった。「10万人のJFC」とはいうものの、その数字はまったくの推測。人数はもとより、国籍、生活状況など、データの蓄積はゼロ。一体どれくらいの日本国籍を持ったJFCがいるのかもわかっていない。
さてテアトロ・アケボノの今回のツアーには、もう一つ重要な仕掛けがある。この8人のJFCの日本公演、そして父親の国への旅を、もう一人のJFCであり、現在フィリピンで最も注目されている若手脚本家が同行取材して、新作映画を製作するという構想だ。脚本家の名前は山本みちこ。氏名は日本名だが、フィリピン国籍。日本語は全くわからない。父親が日本人だが、一度も会ったこともなければ、本人にとっても初めての訪日になる。国際交流基金では、毎年その国の重要な文化人を短期間招待するプログラムがあるが、今年はこの山本さんを選んだ。実はこの山本さん、このブログでも以前紹介したことがある。2005年7月の原稿で、彼女にとって脚本2作目となったデジタル映画「マキシモ・オリベロスの青春」(2005年製作)のことを書いたが、その後のこの作品の“快進撃”はすごかった。国際映画祭での受賞だけでも、モントリオール世界映画祭でGolden Zenith for Best First Fiction Feature Film(2005年)、ロッテルダム国際映画祭批評家賞(2006年)、ベルリン国際映画祭・テディアワード(ゲイ、レスビアン部門)作品賞(同年)。そして世界中のインディー映画人憧れの的、サンダンス映画祭(同年)にも公式招待され、さらに結局エントリーは実現しなかったが、前回の米国アカデミー賞外国映画部門にフィリピン代表として推薦を受けた。そんな彼女の次回作、映画関係者のみならず、多くのフィリピン人が注目している新作、それがJFCの物語なのだ。山本さん本人はとても恥ずかしがりやで、なかなか自分について多くを語ろうとしない中、JFCについてのストーリーを夢見る彼女の目はきらきら輝いていた。
「マキシモ・オリベロスの青春」の主人公マキシモ君
今回の日本ツアーは、埼玉、川崎、新潟、大阪、福岡などを巡演し、各地の学校や教会などで公演を行う予定だ(5月18日~6月5日)。ミュージカル仕立ての芝居で、マサユキやチエコの両親たちのストーリーを、メンバーみんなで作り上げた。劇中、彼らの心中を正直に吐露するショッキングな場面もある。そしてツアー中、もう一つの目的、父親探しと対面が待っている。
「ぼくはお父さんが大嫌い。でも、思い出さずにはいられないのは何故だろう。ぼくが今、どんな気持ちでいるか、お父さんが知る日は来るのだろうか。ぼくがどれだけ傷ついているか、お父さんにわかってほしい。ぼくの心の傷や悲しみを、すべて吐き出してしまえたらいいのに。いつか、どうにかして、お父さんへの憎しみはなくなるだろう。お父さんを許す?今はまだ・・」(テアトロ・アケボノ公演「贈りもの」より)
今回日本へ行ける子供たちの背後には、多くの声なき子供たちが待機していることを、忘れることはできない。そうした子供たちに対する自立支援、法律援護についても、今後ますます課題が多くなることだろう。片親が日本人であるならば、いつでも誰でも日本の国籍取得を選択する自由を持つ、そんな単純なことが早く実現されることを願っている。日本に対する神話的幻想は、まだまだこの国では、まして最低限の生活を余儀なくされている人々からすれば、色褪せることはない。けれども、だからといって、あたりまえのことだけど、日本国籍が幸福を保証するとは限らない。日本か、フィリピンか、どちらの国籍を選択するにせよ、一つだけ確かなことは、彼ら、彼女らが、近い将来、日本とフィリピンの二つの国をつなぐ大切な財産になるであろうことだ。その意味で、テアトロ・アケボノや、山本さんがやり遂げようとしていることを応援し、そして多くのジャパニーズ・フィリピーノ・チルドレンが、彼らに続いて少しでもその夢に近づけるように、わたしたちは見守ってゆく必要があるのだと思う。
(了)
この劇団のメンバーの中に、マサユキ(13才)とチエコ(10才)という二人の兄妹がいる。両親が同じ兄妹でも、兄は日本人、妹はフィリピン人だ。マサユキは3才まで日本にいたが、その後両親は離婚して母親はフィリピンに帰国。帰国の際に母のお腹の中にいたチエコは、父親から認知を受けることもなくフィリピンで生まれ、その後、父親とは音信普通となった。日本の民法では、母親が外国人で、日本人の父親と結婚していない場合、日本国籍を取得できるのは、父親による出生前の認知が前提。JFCが抱える多くのケースでは、父親が行方不明、もしくは認知がなされず、結果的に母親のフィリピン国籍となるケースが多い。でも日本国籍が取得できたとしても、無論それだけで幸せになれるとは限らない。マサユキの場合、周りのいじめや、母親が家にいつかなかったこともあり、やがて不登校となってしまった。DAWNに通うようになり、同じ境遇にいる友達と出会うまでは、希望を失っていたそうだ。今では、母親とともに事務所の近くに移り住んで、学校にも通っている。昨年のアート・ワークショップにも参加していたが、ドローウィングがとても繊細で色使いもうまく、きらりとした才能を感じさせる子だ。
実はこのJFC問題、このところようやく社会的にクローズアップされるようになってきている。セブ島にある日本人会では、JFCのための日本語クラスを運営したり、日本国籍を持つJFCの日本渡航と仕事の斡旋なども始めている。日本国籍を持つJFCは、フィリピンでは、法律的にはいわば不法滞在者(ビザなしで長期滞在している)で、日本へ出国するためには多額の罰金を支払う必要がある。が、そんな大金、普通は持っていない。セブ日本人会では、そうした不遇な日本国籍のJFCを助けるべく、アロヨ大統領と出入国管理局に嘆願状を出し、日本出国にあたっての罰金の免除を訴えていたが、このたびその嘆願が認められるという朗報もあった。
2004年の統計によれば、日本の婚姻の年間総計が72万組で、国際結婚が約4万組。その内、夫が日本人で、妻がフィリピン人のケースが8,400件。ちなみに逆はたったの120組で、やっぱりフィリピン人男性は日本人女性にあまり人気があるとはいえない。いずれにしても、フィリピンは、日本人の国際結婚の相手としては中国に次いで堂々の2位だ。子供(JFC)の数も、数千人から1万人のオーダーで毎年増え続けており、現在は、冒頭に書いた通り10万人を超すと言われている。しかし、その多くは貧しい階層の出身で、社会的弱者、周囲の偏見にも囲まれて悲惨な状況にある。
世の中の人々の間では、所詮ジャパゆきさんと無責任な日本人父親の身勝手から生まれた悲劇、プライベートな問題にまで一々同情はできないという意見もあるが、子供たちに罪はないことは確か。ある時期大量のジャパゆきさんを生み出したのは、そもそも日本とフィリピンの社会が持つ宿痾という側面もあるし、JFC問題に対応できない両国の現行法の不備も指摘されている。たとえば、この国で暮らす日本国籍を持ったJFCに、日本国憲法で保証されている、いまや話題の“生存権”-すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する-が与えられているのだろうか、と疑問に思えることも多い。そんなJFCをめぐる様々な問題に対処すべく、先月、DAWNと同じビルの中に、Center for Japanese-Filipino Children’s Assistanceという新たなNGOが立ち上がり、まずはJFCの実態調査をということで、初の全国調査が始まった。「10万人のJFC」とはいうものの、その数字はまったくの推測。人数はもとより、国籍、生活状況など、データの蓄積はゼロ。一体どれくらいの日本国籍を持ったJFCがいるのかもわかっていない。
さてテアトロ・アケボノの今回のツアーには、もう一つ重要な仕掛けがある。この8人のJFCの日本公演、そして父親の国への旅を、もう一人のJFCであり、現在フィリピンで最も注目されている若手脚本家が同行取材して、新作映画を製作するという構想だ。脚本家の名前は山本みちこ。氏名は日本名だが、フィリピン国籍。日本語は全くわからない。父親が日本人だが、一度も会ったこともなければ、本人にとっても初めての訪日になる。国際交流基金では、毎年その国の重要な文化人を短期間招待するプログラムがあるが、今年はこの山本さんを選んだ。実はこの山本さん、このブログでも以前紹介したことがある。2005年7月の原稿で、彼女にとって脚本2作目となったデジタル映画「マキシモ・オリベロスの青春」(2005年製作)のことを書いたが、その後のこの作品の“快進撃”はすごかった。国際映画祭での受賞だけでも、モントリオール世界映画祭でGolden Zenith for Best First Fiction Feature Film(2005年)、ロッテルダム国際映画祭批評家賞(2006年)、ベルリン国際映画祭・テディアワード(ゲイ、レスビアン部門)作品賞(同年)。そして世界中のインディー映画人憧れの的、サンダンス映画祭(同年)にも公式招待され、さらに結局エントリーは実現しなかったが、前回の米国アカデミー賞外国映画部門にフィリピン代表として推薦を受けた。そんな彼女の次回作、映画関係者のみならず、多くのフィリピン人が注目している新作、それがJFCの物語なのだ。山本さん本人はとても恥ずかしがりやで、なかなか自分について多くを語ろうとしない中、JFCについてのストーリーを夢見る彼女の目はきらきら輝いていた。
「マキシモ・オリベロスの青春」の主人公マキシモ君
今回の日本ツアーは、埼玉、川崎、新潟、大阪、福岡などを巡演し、各地の学校や教会などで公演を行う予定だ(5月18日~6月5日)。ミュージカル仕立ての芝居で、マサユキやチエコの両親たちのストーリーを、メンバーみんなで作り上げた。劇中、彼らの心中を正直に吐露するショッキングな場面もある。そしてツアー中、もう一つの目的、父親探しと対面が待っている。
「ぼくはお父さんが大嫌い。でも、思い出さずにはいられないのは何故だろう。ぼくが今、どんな気持ちでいるか、お父さんが知る日は来るのだろうか。ぼくがどれだけ傷ついているか、お父さんにわかってほしい。ぼくの心の傷や悲しみを、すべて吐き出してしまえたらいいのに。いつか、どうにかして、お父さんへの憎しみはなくなるだろう。お父さんを許す?今はまだ・・」(テアトロ・アケボノ公演「贈りもの」より)
今回日本へ行ける子供たちの背後には、多くの声なき子供たちが待機していることを、忘れることはできない。そうした子供たちに対する自立支援、法律援護についても、今後ますます課題が多くなることだろう。片親が日本人であるならば、いつでも誰でも日本の国籍取得を選択する自由を持つ、そんな単純なことが早く実現されることを願っている。日本に対する神話的幻想は、まだまだこの国では、まして最低限の生活を余儀なくされている人々からすれば、色褪せることはない。けれども、だからといって、あたりまえのことだけど、日本国籍が幸福を保証するとは限らない。日本か、フィリピンか、どちらの国籍を選択するにせよ、一つだけ確かなことは、彼ら、彼女らが、近い将来、日本とフィリピンの二つの国をつなぐ大切な財産になるであろうことだ。その意味で、テアトロ・アケボノや、山本さんがやり遂げようとしていることを応援し、そして多くのジャパニーズ・フィリピーノ・チルドレンが、彼らに続いて少しでもその夢に近づけるように、わたしたちは見守ってゆく必要があるのだと思う。
(了)
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