フィリピンを代表する劇団タンハーラン・ピリピーノの新作が、それも同劇団にとって史上初となる日本の演出家による国際共同制作作品が、ここマニラで幕を開けた(国際交流基金、フィリピン文化センター、タンハーラン・ピリピーノ、シナーグ・アーツ財団、国家文化芸術委員会主催、10月20日~22日:シナーグ・アーツ・スタジオ、11月10日~26日:フィリピン文化センター)。“日本の演出家”といっても、実は在日韓国人のチョン・ウィシン(鄭 義信)氏。最近では「血と骨」(崔洋一監督)や「レディー・ジョーカー」(平山秀幸監督)などの映画脚本家として著名で、演劇でも劇団梁山泊の座付き作家として長年にわたって活躍してきた。マージナルな社会の底辺に生きる人々を、ユーモアとペーソスをもって描くのが彼の真骨頂。そんなチョンさんが今回初めて海外の劇団に作品を提供し、自ら演出した。タイトルは「バケレッタ」。“バケ”=お化けと、“レッタ”=オペレッタの合成語、つまりゴースト・オペラだ。
話の発端は以前にも紹介したことのある日本人照明家、松本氏のアイディア。ここフィリピンでも日本のホラー人気はすごいもので、日本の総理大臣の名前は知らなくても、“サダコ”(映画「リング」に出てくる亡霊)といえば誰でも知っていて、「呪怨」や、そのハリウッド・リメイク版の「Grudge」が大ヒット。マニラの映画館では今もちょうど「Grudge2」や、「着信あり」のフィリピン版リメイクである「TXT(テキスト)」(マイク・トゥビエラ監督)が上映中だ。そんな日本のホラー人気を背景に、芝居でもホラーものをやれば絶対に若者に受けるに違いない、そんな思いからこのプロジェクトは始まった。チョンさんを起用するアイディアも松本さんから。松本さんとチョンさんが、60年代以来日本の小劇場運動の先頭を走ってきた劇団黒テントの先輩と後輩だったこともあり、トントン拍子にことは進んだ。ぼくは演劇の専門ではないけど、この仕事をしていて多くの演劇人と付き合う機会があるが、黒テントから排出された人材は、演出家、役者から舞台技術者にいたるまで、いまも日本の演劇界を支えている。早くからアジア諸国の演劇人とも交流していて、ここフィリピンでも昨年国際交流基金賞を受賞したPETA(フィリピン教育演劇協会)とは70年代以来の友情関係がある。
チョンさんのことをここマニラで紹介する時に、いつもとまどうことがある。在日韓国人のことを英語で”Korean Japanese”(韓国系日本人)と訳す場合があるけれど、明らかに誤訳だろう。ぼくは”He is Korean in a sense of nationality or ethnicity, but he is more Japanese-like than Japanese.”と紹介していた。チョンさんもぼくたちには、“自分は韓国人だけれど、心は日本人だから(細かい部分の演出が気になる、とてもしつこい・・)”と話す。チョンさん自身は、そんなことどっちでもいいじゃないかと言っているけれど、ぼくとしては結構気になる点で、なかなかはしょる気持ちにはなれない。“単一民族神話”のくすぶる時代の雰囲気に育った自分が、こうして海外に出て、この国に打ち捨てられてきた日本人の“棄民”の歴史に触れるにつれ、“神話”とは異なるもっと生々しくも複雑な日本人の存在を意識するようになった。チョンさんは在日3世の韓国人だが、ぼくにはフィリピンにいる残留日本人やチョンさんと同世代の日系人の姿がだぶって見える。
チョンさんは冒頭に書いたように映画の脚本家として名が知られているが、今回もこの「バケレッタ」にあわせて彼の脚本による映画を上映した。「月はどっちに出ている」(1993年、崔洋一監督)、「マークスの山」(1995年、同監督)、「岸和田愚連隊」(1996年、井筒和幸監督)の3本だ(9月13日~10月15日、シャングリラ・プラザ・モール、フィリピン大学及びフィリピン文化センター)。なかでも「月は・・」は、在日韓国人のタクシードライバーとその仲間たちを描いた秀作だが、そこにルビー・モレノという、かつて日本で人気のあったフィリピン人女優が、カラオケ屋で働くエンターテイナー役で出演していて話題となった。
「月はどっちに出ている」
フィリピン人といえば、エンターテイナー(通称“ジャパゆき”)。現代の日本人が作り出したステレオタイプだ。実際問題、決していいイメージではないが、チョンさんのオリジナリティは、このジャパゆきさんを、逆境にめげない天衣無縫でピュアーなキャラクターとして優しく描き、人生の悲哀を描くこの物語のトーンを明るくしたことにある。80年代から急増したフィリピン人エンターテイナーは、言ってみればアングラ版日比交流の象徴だ。その多くは6ヶ月間の「興行ビザ」で、ピーク時には年間8万人(03年)のペースで日本へ渡った。70年代半ばに日本人のフィリピン買春ツアーが激しく非難されたため、それなら日本に送り込もうということで始まったといわれているが、より根源的には、両国の経済格差やフィリピンの出稼ぎ労働文化、そして日本の海外労働者の受入制度によって作られた“人流”の一つだと思う。確かに「興行ビザ」(演劇、演奏、スポ―ツ等の興行や芸能活動のためのビザ)を取って、実際にはカラオケパブでホステスをしているケースがほとんどだと思うが、それだけで彼女たちが、ましてはフィリピン人が侮蔑されるいわれはない。アメリカ議会から指摘されたような“人身取引”まがいの中間搾取の恩恵にあずかっているのは、多くが日本人仲介業者だったりするのだ。
フィリピン人の「興行ビザ」による入国者の数は、昨年の入管法改正で激減しており、現在では月に約500人のペースで、ピーク時の1割以下に激減している。それにかわって今熱い視線を受けているのが、看護師と介護士。先ごろ日本とフィリピン両国の政府によって経済連携協定(EPA)が締結され、とりあえず今後2年間でフィリピン人看護師と介護士が合計1,000名、日本へ送り出されることとなった。ちまたには日本での就業を夢見る介護士目当てに、ぞくぞくと新たな日本語コースが開講され、日本語ブームは加熱ぎみだ。これについてはまた別の機会でレポートする。いずれにしてもあと10年もすれば、フィリピン人のイメージは、新たな人流を支える制度の変化に伴って、“エンターテイナー”から“ケアギバー”に変貌している可能性はおおいにありうると思う。
「バケレッタ」の元となった脚本は関西弁で書かれものだが、その原作の舞台をフィリピンに置き換えて書き直し、まず英語に翻訳してからタガログ語へ。さらにオリジナルのセッティングである関西方言のニュアンスを出すために、舞台設定をセブとして、セブ地方の方言を取り入れて脚本は完成した。10年以上劇団を支えてきた演出家の死をめぐり、彼と二人の女優との三角関係や、団員同士の友情や軋轢が織り交ぜられストーリは展開し、最後は演出家の死を乗り越えて芝居を続けてゆく決意をする。ゴースト・オペラといっても実はほとんど怖くなく、笑いと涙のヒューマン・ドラマだ。出演しているフィリピン人役者の演技力の高さには演出家も舌を巻くほどで、彼ら、彼女たちの熱演で素敵な芝居に仕上がった。チョンさん自身、今年の3月にこの地を初めて訪れて下見をして以来、8月の再訪で役者のオーディションを行い、9月中旬から1ヶ月以上滞在して作品を作り上げた。11月には場所をCCPに移して上演するため再度訪問の予定で、1年の間にとうとう4回もマニラに来ることになった。
フィリピンを代表する劇団と共同制作することになった今回、はからずも劇団の内部に入り込んで内情を垣間見ることになり、この国の芸術活動が持つ困難さを改めて実感した。日本でも演劇の世界で生き抜くことは大変なこと。ある程度名の知れた劇団の主役級の俳優でも、本業の役者だけでは食べていけないため、アルバイトをするのは常識。ましてやこのフィリピンでどうやってサバイバルしているのかと思ったが、やはり状況は想像以上に厳しいものがある。今回の作品に出演している俳優のギャラは推定で3万5千円から6万円。手元にスケジュール表があるが、リハーサルは火曜日から日曜日までの毎日午後6時から10時、合計47日でのべ188時間。本番が16回で、拘束時間の推定はのべ80時間。試しに計算してみると、時給130円から230円。主役は全部に顔を出すわけではないが、まあせいぜい時給300円といったところか。この公演のスポンサーは我々国際交流基金なので、実際他人ごとではないのだけれど、舞台人の生活は全く大変だ。
フィリピンの文化活動を取り巻く環境は厳しいものがあるが、この国の文化支援の現状はどうなっているのだろうか。代表的なものは国家文化芸術委員会(National Commission of Culture and Arts)。大統領直属の機関で、ジャンルや地域別に22の小委員会からなるこの国の文化活動の拠点だ。配下にはCCPや国立博物館、国立図書館、国立アーカイブなどを擁し、有形・無形文化遺産の保存やナショナル・アーティストの懸賞制度、そして様々な文化事業にグラントを提供している(「バケレッタ」も20万円ほど獲得)。しかし年間予算は全部で約4億5千万円。日本の文化庁の予算がだいたい1,000億円だから、一国の中核的文化機関としてはあまりにも物足りない。その下部組織であるCCPも、無論財政的に非常に苦しい。いくつかのレジデンシャル・カンパニーの運営以外にも、民間の様々なグループに舞台、展覧会場などを提供しているが、常に赤字ベースだ。例えばタンハーランの場合、劇団員の安い月給と事務所スペースは提供されるが、プロダクションに割ける予算は微々たるもの。今回の「バケレッタ」にいたってはゼロで、チケットの売り上げが全て。なんとも綱渡りの経営だ。
公的機関による支援体制が非常に脆弱である中、稀に美術の世界では、一握りの富裕層による私的コレクションとそれを展示する美術館の活動が目立っている。スペイン系のアヤラ財閥と華人系のロペス財閥は、その勢力を競いあうようにともに美術館と財団の運営をしているほか、つい最近も新興財閥による美術館(ユチェンコ美術館)がオープンして話題になった。フィリピン美術はもともと西洋美術の主流と直結するアカデミズムの伝統が強く、この国のハイソサエティーともつながっていて、その庇護を受けやすい立場にあった。作品は投資の対象としてこの国の富裕層に定着していて、街中には商業画廊が数多くあり、民間企業がスポンサーとなっているアート・コンペティションも複数ある。
しかしパフォーミング・アーツはそれほど恵まれた環境にはなく、プロデューサーは時にまるで物乞いのように友人に支援を求め、極めてフィリピン的な“ウタン・ナ・ロオッブ(恩と義理)”に支えられて公演を打ち、結局赤字が出れば自分の私財を投入してその穴を埋める・・という前近代的なことを繰り返しているのだ。タンハーランにしても、そうした厳しい財政事情から、劇団の実質的な代表である芸術監督は、常に金策に頭をいためている。今の芸術監督であるハービー・コーも、昨年の就任以来常にそうやって走り続けてきた。そしてヒット作品を生み出してきたのだが、ついに疲れ果ててしまったのか、この10月末で劇団を退団し、アメリカへ移住する決意をした。
この移住問題、言い換えれば頭脳流出(ブレイン・ドレイン)問題は、この国のもう一つの深刻な社会問題だ。ハービーのケースのみならず、ぼくの身の周りでもここ数ヶ月で何人かのアーティストが米国、カナダ、オーストラリアなどへ移住してしまった。医師や看護師にいたってはもっと深刻だ。フィリピンでトップレベルの国立病院で医者をしていた人が、アメリカで看護師になり、10倍以上もかせいでいるのが現実。教師の流出もこの国の教育制度を根幹からゆるがしている。今年から基金マニラ事務所は、当地最大の銀行系財団(メトロバンク)が毎年実施している全国教員コンテストの審査にオブザーバーとして参加したが(優秀者の中から基金の「中高教員訪日研修」参加者を選抜する)、最終面接に残った候補者一人ひとりに向かって、審査委員長がまず開口一番、「この国に残って教師を続けてくれていてありがとう!」と言っていたのには驚いた。とにかく総人口の1割(労働人口の2割)にあたる800万人が海外で労働に従事し、海外フィリピン人からの仕送りがGNPの1割を占め、この国の経済を支えている。フィリピンはグローバライゼーションの“最先端”ともいえるし、“草刈場”ともいえるのだ。
こうして資金難と頭脳流出に日々直面しながらも、それでも演劇は生産され続けている。「バケレッタ」の出演者と話をしていても、ギャラのことは最初からあきらめてはいる。みなそれぞれの思いはあるものの、好きだから芝居を続けることに大差はない。これは日本の小劇場系の役者も一緒。その意味では日本の演劇界の明日だって、決して明るいものではない。「バケレッタ」のラストシーン。長年の劇団の支えであった演出家を失って一度はあきらめかけた芝居だったが、演出家の遺志に思いを馳せ、もう一度みんなの夢を取り戻す場面がある。ほろっとさせるクライマックスだけれど、これは演技なのか、それとも現実の一部なのか、タンハーラン劇団が、そして俳優たち一人ひとりの人生が重なって見えて、ちょっと嬉しくもあり複雑な気持ちになった。
(了)
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