2月24日金曜の昼、フィリピン全土に衝撃が走った。アロヨ大統領がクーデター計画を未然に察知して国軍の幹部を逮捕し、“国家非常事態宣言”を発出した。というか、出してしまったのだ。自宅にいた私は、事務所の同僚からの第一報を受け、すぐにテレビのニュースをチェック。街頭を埋め尽くしたデモ隊と当局とがにらみあう様子が生々しく伝えられていた。
フィリピンでは2月22~25日は「エドサ革命記念日」といって、マルコス政権を倒した“ピープルズ・パワー”を讃える日。それも今年は20周年という特別な年だ。威圧する戦車を目の前に、民衆の先頭に立って国軍と対峙したシスターが、こともあろうに兵士に向かって一輪の花を手向けたシーンは、今も人々の記憶に残っていることだろう。そんな現代の無血革命を再びと、その日は多くの民衆がエドサ通りの革命記念碑を中心に集まって、大統領退陣を要求していた。そんな矢先に“宣言”が出たことで、デモ隊の群集に油が注がれて事態は緊迫度を増していた。
一報を受けてまず考えたことは、これで明日(2月25日)のポップスコンサートを中止にしなくてはいけなくなるのではないかということ。日本からコア・オブ・ソウル(COS)というグループが来比していて、フィリピンの人気ミュージシャン、HALE、キッチー・ナダル、バービー・アルマルビスの3組とライブをする予定だった。コンサートの予定会場は、これが運悪く革命記念碑から10キロ程度しか離れていないエドサ通り沿いにあるショッピングモールの野外会場。“非常事態宣言”で集会が禁止となり、いまや反政府勢力のメッカとなっている拠点から至近距離の野外で、しかも夜の公演。フィリピンの人気歌手が出演とあって、かなりの数の観衆が予想される。誰だって躊躇して当然。絶体絶命だった。
しかし結果的にはコンサートを決行したうえに、神様の仕業かどうかわからないが、これ以上人が集まったら会場はパンクぎりぎりという2000人ほどの観衆を集めて大成功。路上に座り込む人たちや何重もの人垣で、実際何人来てくれたのかカウント不可能だった。こちらではほとんど知名度ゼロと思っていたCOSの曲を知っている人たちもいて、J-POPファン=日本アニメファンの底深さを垣間見た。フィリピン人出演者も今が旬のアーティスト揃いで、ミュージシャンと観客との一体感にあふれた素晴らしいライブとなった。3時間に及ばんとする公演の最後の曲、COSの「パープルスカイ」を聴きながら、私はおおよそ1年前のソウルの夜のことを思い出していた。
国際交流基金の主催事業としてはおそらく初めてとなる海外でのオールナイトイベント。日本から10組のDJやバンドなど総勢80名のメンバーが、ソウルのホンデという音楽の街でライブを行った。しかしそのライブを実現するまでに、多くの関係者が苦悩した。公演の準備をしていた3月中旬、島根県議会の「竹島の日」条例制定を機に“竹島問題”が勃発。韓国メディアは反日一色になり、韓国側メインスポンサーが急遽降板したり、共催者の韓国クラブ文化協会にはいやがらせの電話が相次いだ。
ほとんど中止にしようと考えていた私を思いとどまらせてくれたのが、そのクラブ文化協会の代表であるチェ・ジョンファン氏の一言。“竹島問題は国家間の政治問題。政治と音楽は別。ホンデという街を誰もが音楽を楽しめる街にしたい。いまこのプロジェクトを中止にしたらホンデに未来はない。私はこの街の若者を信じている。”彼は50歳を越えたばかりの活動家で、かつてはバリバリの反日だった。私はこの一言でコンサートの実施を決心した。そして代表の言葉通り、韓国と日本の若者はその日、思いっきり音楽に酔いしれた。嫌がらせやトラブルは一切無かった。多くの人々でごった返すホンデの路上に出現した巨大テントの中で、ソウル・フラワー・ユニオンという日本のロックバンドが歌った「アリラン」を、私はいつまでも忘れないだろう。
それから約1年が経過して、今度はフィリピンで同じようなぎりぎりの選択を迫られることになった。ただし今回の場合はチェ氏のように全幅の信頼を置ける人はいない。最後は自分で決めなくてはいけない。私はソウルの夜のことを思い出した。あの「アリラン」や、音楽に酔いしれて入り乱れる日韓の若者たち、そして多くの人々との出会いを思い出していた。中止にすることは簡単。でもぎりぎりまで待つ・・。
フィリピンでは現在、反政府運動に最早かつてのような広汎な市民の支持はない。国軍や政界に隠然たる力を持っているラモス元大統領が暴力革命を支持しないと明言したことで、政治色のないポップスコンサートが混乱を招くことはありえないと判断し、最終的に実施を決断した。本番開演5時間前のこと。でも最終的に私を思いとどまらせたのは、コンサートを待ち望む多くの人たちの見えない力だったのかもしれない。
予想通りライブはまったく平穏に、多くの観衆の黄色い声援に包まれた。そんなライブ会場で驚いたのは、観客の中に“コスプレ”のコスチュームでやって来た学生が何人かいたことだ。“非常事態宣言”と“コスプレ”との間には計り知れない距離が横たわっているように思えた。どう考えても理解できないミスマッチに私の頭は若干混乱した。
20年前の同じ日、政権に最後までしがみついたマルコスを引きずり降ろして世界中から喝采を浴びたフィリピンの“ピープルズ・パワー”(エドサ革命=エドサ1)。その後2001年には、汚職疑惑にまみれたエストラーダ政権を崩壊に導いた(エドサ2)。しかし今回、“エドサ3”はなかなか成就しない。というより、一向に改善しない社会格差、政権が代わってもなくならない汚職や社会不正、そんな国家の深刻な課題を放棄して政争に明け暮れる政治家や軍人たち、多くの良識ある若者の間には、確実に政治への無関心が広がりつつあるのだろう。“ピープルズ・パワー”が死んでしまったか否か、私にはまだ判断はできないが、このコンサートを通じて見えてきたものは、大多数の無関心層と先鋭化した少数の反政府勢力という、この国の二極分化の姿だ。こんな時にコスプレしている場合なの?・・と思う一方で、黄色いスーツを颯爽と着て反大統領デモの先頭に立つコーリー(アキノ元大統領)を眺めながら、千載一隅のチャンスであった農地改革に失敗して社会格差是正の機会を失い、この国の民主主義に喪失感という深い傷を負わせてしまった責任は一体誰にあるのだろうか、とも思うのだ。
エドサ革命の際に高らかに歌われて“第二の国歌”とも言われた「バヤンコ(我が祖国)」。今でも反大統領デモや集会で歌われている。私もかつては覚えていたけれど、今はほとんど歌えない。自分がまだ学生の頃、テレビにかじりついて感動的に見守っていたエドサ革命。ちょうど20年が経過して、自分はそのエドサで、「非常事態宣言」を無視して若者たちのきらきらした目に囲まれて、「バヤンコ」ではなく、COSの「パープルスカイ」を歌っている。アイロニカルだけれども、これが今のフィリピンの現実だ。
その夜のコンサートに集まった彼ら、彼女たちの明日が明るいなどと決して思わないが、「非常事態宣言」を無視して、思いっきりおしゃれをしてコンサート会場にやって来るその心意気に、この国を別の方向に導くかもしれない新しい世代が生まれつつあることを実感した。
2006.2.28
(了)
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