<?xml version='1.0' encoding='UTF-8'?><?xml-stylesheet href="http://www.blogger.com/styles/atom.css" type="text/css"?><feed xmlns='http://www.w3.org/2005/Atom' xmlns:openSearch='http://a9.com/-/spec/opensearchrss/1.0/' xmlns:georss='http://www.georss.org/georss' xmlns:gd='http://schemas.google.com/g/2005' xmlns:thr='http://purl.org/syndication/thread/1.0'><id>tag:blogger.com,1999:blog-27072425</id><updated>2011-10-18T03:00:16.927+08:00</updated><title type='text'>マニラ短信</title><subtitle type='html'></subtitle><link rel='http://schemas.google.com/g/2005#feed' type='application/atom+xml' href='http://bensuki.blogspot.com/feeds/posts/default'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default?max-results=100'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://bensuki.blogspot.com/'/><link rel='hub' href='http://pubsubhubbub.appspot.com/'/><author><name>bensuki</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01735024261670566866</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><generator version='7.00' uri='http://www.blogger.com'>Blogger</generator><openSearch:totalResults>63</openSearch:totalResults><openSearch:startIndex>1</openSearch:startIndex><openSearch:itemsPerPage>100</openSearch:itemsPerPage><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-27072425.post-62885929443503413</id><published>2010-08-10T15:49:00.007+08:00</published><updated>2010-08-11T12:38:11.913+08:00</updated><title type='text'>根付くか日本陶芸の技と心</title><content type='html'>　しばらくブログのほうはさぼっておりましたが、その間「まにら新聞」に投稿した記事を、写真を付けて再掲しておきます。&lt;br /&gt;*****&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/TGEEzuN7CdI/AAAAAAAAAyU/xE1DAPkMHeQ/s1600/%E3%83%89%E3%83%9E1.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 240px; height: 320px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/TGEEzuN7CdI/AAAAAAAAAyU/xE1DAPkMHeQ/s320/%E3%83%89%E3%83%9E1.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5503685506249722322" /&gt;&lt;/a&gt;　多島海文化の豊かなフィリピン地方都市の中でも、東ネグロス州のドゥマゲッティは、ビサヤやミンダナオをつなぐ海上交通の要所にある美しい町だ。ここには古くからテラコッタ（土を用いた素焼きの焼きもの）の伝統があり、今でも素朴な土器が作られている。また米国人によるアジア最古の大学であるシリマン大学（1901年創立）をはじめ、多くの学校が集まる学園都市でもある。そんな海とテラコッタと教育の町の大学で、今日本人陶芸家が比人の指導にあたっている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　丸山陶心さん（63才）は萩焼きの陶芸家。３年に１度、美濃で開催される“陶磁器のオリンピック”である国際陶磁器展に２回入選するなど実績がある。2002年にマニラの国立博物館で個展を行ったが、この国の魅力に惹かれてその後も自費で訪れては各地で陶芸を指導してきた。国際交流基金でも、2007年にドゥマゲッティで開催されたテラコッタの祭典でワークショップを実施。それが彼とドゥマゲッティとの関係の始まりとなった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/TGEGpB7oNaI/AAAAAAAAAy8/2auBLBchCCM/s1600/%E3%83%89%E3%83%9E%EF%BC%B7%EF%BC%B3.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 240px; height: 320px;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/TGEGpB7oNaI/AAAAAAAAAy8/2auBLBchCCM/s320/%E3%83%89%E3%83%9E%EF%BC%B7%EF%BC%B3.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5503687521586394530" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　　　　　　　ドゥマゲティでのワークショップ&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　東南アジアには、古来より中国人が持ち込んだ焼きものの文化が各地に残っている。インドネシアのカリマンタン島のシンカワン村には、古くからの製法を伝える長さ30メートルを超える窯がいまだ健在である。しかしフィリピンには窯を使った焼きものの伝統は残っていない。戦国時代に秀吉に見出され、日本で珍重された”ルソン壺”は、中国産だと言われている。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　しかしテラコッタは、野焼きで簡単に作れることから、このドゥマゲッティの地で代々継承されてきた。近郊の遺跡から出土した装飾土器や生活器具からは、鉄器時代（紀元前2世紀～紀元9世紀）には既にテラコッタが重要な技術だったことがうかがえる。今でも市内ダロ地区には多くの工房があり、素焼きの壺や植木鉢などが売られている。またこの伝統を現代に生かそうとテラコッタを作品に取り入れた美術作家も多く、キティ・タニグチ氏などは市内にギャラリーを構え、国内外でも活躍している。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/TGEFZCEwfII/AAAAAAAAAyc/FSZc6citYao/s1600/%E3%83%86%E3%83%A9.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/TGEFZCEwfII/AAAAAAAAAyc/FSZc6citYao/s320/%E3%83%86%E3%83%A9.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5503686147235150978" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　　　　　　ダロ地区の焼き物ショップ&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/TGEFhZ0yE0I/AAAAAAAAAyk/cCrPkcQzcTs/s1600/%E3%82%AD%E3%83%86%E3%82%A3.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/TGEFhZ0yE0I/AAAAAAAAAyk/cCrPkcQzcTs/s320/%E3%82%AD%E3%83%86%E3%82%A3.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5503686291049550658" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　キティ氏の作品&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　一方でテラコッタには限界もある。簡単で安上がりなために生き残ったローテク文化ではあるが、その容易さがかえって技術発展の障壁にもなる。釉薬を使ったり、焼成温度の高いガス窯を使用したりして、より優れた製品として現代のマーケットのニーズに合うよう革新が期待されてはいるが、なかなか担い手が育たない。生産性が低くて粗悪であっても、ローコストでとりあえず売り物となることで生活を維持するには十分なため、それ以上のことは求めないからだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　科学技術省の要請で今年の４月まで国際協力機構（ＪＩＣＡ）の海外青年協力隊が何代かに渡って派遣されていたが、技術移転には困難が伴ったようで、現在は派遣されていない。ただ彼らの尽力もあって、陶芸を芸術教育の中に取り入れようとガス窯を導入する大学が現れた。ファウンデーション大学といい、その大学が陶心さんを受け入れて、この7月から新たに芸術専攻の学生に陶芸を教え始めた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　伝統工芸はもともと無名の工芸家が代々技術を受け継いできたもので、人々の集合体の記憶やアイデンティティーを宿したものである。現代の工芸は、その上にアーティスト一人一人の個性が加わってさらに息づいている。国際交流基金では「文化協力」と称して、開発途上国の文化発展のための様々な支援をしているが、伝統工芸も重要な分野である。例えば陶芸では近年、政情不安で存亡の危機にあったアフガニスタンのイスタリフ焼きの維持・発展に協力するため、アフガン人の陶工と日本の陶芸家との交流を進めている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今回、陶心さんの活動を少しだけサポートすることになったが、日本人陶芸家の比での現地指導に対する支援は初めて。学生は4学年合計で25名、週に４時間の授業を２クラス受け持つ。3つのろくろを交代で使い、土のこね方から基礎を学ぶ。いずれは大学自慢のガス窯を使って、作品を完成させるのが目標だ。学生の一人アルマ・アルコランさん（20才）は、「陶芸は初めての経験だがとても楽しい。将来はプロのアーティストになって、陶芸も続けていきたい」と抱負を語る。萩で培った自らの経験と知識、そして陶芸家としての誇りを伝えてゆきたい。陶心さんのチャレンジは始まったばかりである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/TGEGR-ifZsI/AAAAAAAAAy0/qqB2tCbuRcY/s1600/%E4%B8%B8%E5%B1%B1.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/TGEGR-ifZsI/AAAAAAAAAy0/qqB2tCbuRcY/s320/%E4%B8%B8%E5%B1%B1.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5503687125538662082" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「まにら新聞」8月9日&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/27072425-62885929443503413?l=bensuki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://bensuki.blogspot.com/feeds/62885929443503413/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=27072425&amp;postID=62885929443503413' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/62885929443503413'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/62885929443503413'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://bensuki.blogspot.com/2010/08/blog-post_3469.html' title='根付くか日本陶芸の技と心'/><author><name>bensuki</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01735024261670566866</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/TGEEzuN7CdI/AAAAAAAAAyU/xE1DAPkMHeQ/s72-c/%E3%83%89%E3%83%9E1.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-27072425.post-1163810197003965198</id><published>2010-08-10T15:42:00.005+08:00</published><updated>2010-08-10T15:47:45.904+08:00</updated><title type='text'>フィリピン映画の熱い思いを日本へ</title><content type='html'>&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/TGEDNEZre9I/AAAAAAAAAx8/Fpvm2Pe13xU/s1600/%E3%82%B7%E3%83%8D.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/TGEDNEZre9I/AAAAAAAAAx8/Fpvm2Pe13xU/s320/%E3%82%B7%E3%83%8D.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5503683742678088658" /&gt;&lt;/a&gt;　現在フィリピンで最も注目されている映画祭、「第６回シネマラヤ」が開催中である（７月１８日までフィリピン文化センター）。凋落著しい35ミリ映画に替わって、今この国の映画界、そして映画製作を目指す若者達が熱い期待をよせるデジタルシネマ（Ｄシネ）。シネマラヤは、2005年に産声を上げた国内最大のＤシネの祭典だ。この映画祭を中心に優れたＤシネがいくつも生み出されており、それが海外に紹介され始めている。“シネマラヤ現象”とでも言おうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　毎年開催されるごとに規模を増し、今年は10日間で長編、短編合わせて一挙に137作品が上映されている。現在のフィリピンを生のまま切り取ったリアリティーと、若者の等身大の姿が映し出されていて、観ていてとてもすがすがしい。９本の長編がコンペに参加しているが、先ごろ行われた選挙の話や、海外出稼ぎ労働者や中国移民の物語の他に、なんと言っても特筆すべきは、ミンダナオものが３本も出品されていることだ。ちなみに多くの映画が英語字幕付きなので、外国人でも楽しめる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　フィリピン映画が黄金時代を築いたのは過去のこと。しかしここ数年は、”インデペンデント”といわれる大手製作会社に属さない個人によるＤシネが盛んになり、コンパクトなデジタル・ビデオカメラの技術的進歩で、多額の予算がなくても撮りたい映画が撮れるようになって息を吹き返した。確実に”ニューウェーブ”が到来している。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そんな状況を反映して、ここ数年ヨーロッパにおける比映画に対する評価は高まる一方だ。以前このコーナーでも紹介したブリリャンテ・メンドーサ監督は、『キナタイ（屠殺）』で2009年カンヌ映画祭の監督賞を受賞。またイタリアのベネチア国際映画祭では、新人監督発掘が目的の「オリゾンテ部門」で、一昨年と昨年の２年続けてフィリピン人が最優秀賞を受賞した。ラヴ・ディアスの『メランコリア』とペペ・ディオクノの『エンクエントロ（衝突）』という作品だ。ちなみに後者は、前ダバオ市長が結成した”ダバオ・デス・スクアッド”という自警団によるマフィアの粛清殺害がモチーフの社会派人権映画である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　こうして海外で評価の高まる比のＤシネだが、日本での評判はまだまだ。国際交流基金では、かつて日本で比映画を積極的に紹介していた。「フィリピン映画祭」（1991年）や「リノ・ブロッカ映画祭」（1997年）など。リノ・ブロッカ（1991年没）は、20年間に67本もの作品を生み出して黄金期を支え、その後の映画人たちに多大な影響を与えた不世出の監督である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/TGEDd3MoukI/AAAAAAAAAyE/uJfIAoLQkV0/s1600/Southeas+Asian+Cinema.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 230px; height: 320px;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/TGEDd3MoukI/AAAAAAAAAyE/uJfIAoLQkV0/s320/Southeas+Asian+Cinema.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5503684031191497282" /&gt;&lt;/a&gt;　　 　　　　　　　　 　基金主催「フィリピン映画祭」（1991年）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　異なる文化間の相互理解を目指す文化交流にとって、日本における外国文化紹介は、海外における日本文化紹介と平行して、車の両輪のごとくに重要な仕事である。一方的に日本文化を魅せつけているだけでは、相手国側から本当の信頼は得られない。映画の分野では、1982年にアジア映画紹介のさきがけとなった南アジア映画祭を開催。その後も東南アジアや中央アジア、2000年以降は中近東やアラブ諸国等の映画を発掘しては紹介してきた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　残念ながら昨今では、外国映画の上映機会が増えたという理由で、国際交流基金が独自に上映する機会がほぼなくなってしまった。そのため商業上映に乗りにくい東南アジア映画は、まとまって紹介される機会が失われた。現在では、日本で行われる様々な映画祭への出品上映が中心。歴史が古いものでアジア・フォーカス福岡映画祭や山形国際ドキュメンタリー映画祭。比較的新しいものでは東京フィルメックスなど。その他マイナーな映画祭を含めて、年間数本が数回上映される程度であろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そうした状況の中、新しい動きもある。今年のシネマラヤのコンペ部門の審査員に、東京国際映画祭‘アジアの風’部門ディレクターの石坂健治氏が招待された。同氏は国際交流基金で上述の映画紹介事業を長年にわり手がけてきたアジア映画研究者である。昨年は同映画祭のコンペ部門に初めて比映画がノミネートされたが、彼がその作品を招へいした。今回審査員として参加することで、今後ますます東京国際映画祭とシネマラヤの連携が強まることが期待される。新たな段階を迎えているフィリピン映画。その豊かな才能の宝庫と若者たちの映画によせる熱い思いを、少しでも日本の同世代の人々に伝えていって欲しいと願っている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/TGEDvJVGKaI/AAAAAAAAAyM/loW2d8L9LXI/s1600/%E7%9F%B3%E5%9D%82%E3%81%95%E3%82%93.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/TGEDvJVGKaI/AAAAAAAAAyM/loW2d8L9LXI/s320/%E7%9F%B3%E5%9D%82%E3%81%95%E3%82%93.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5503684328116595106" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　　　　　　　石坂氏とともに&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「まにら新聞」7月12日&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/27072425-1163810197003965198?l=bensuki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://bensuki.blogspot.com/feeds/1163810197003965198/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=27072425&amp;postID=1163810197003965198' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/1163810197003965198'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/1163810197003965198'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://bensuki.blogspot.com/2010/08/blog-post_36.html' title='フィリピン映画の熱い思いを日本へ'/><author><name>bensuki</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01735024261670566866</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/TGEDNEZre9I/AAAAAAAAAx8/Fpvm2Pe13xU/s72-c/%E3%82%B7%E3%83%8D.JPG' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-27072425.post-7476690583316059704</id><published>2010-08-10T15:27:00.007+08:00</published><updated>2010-08-10T15:40:42.491+08:00</updated><title type='text'>演劇を通した日比交流</title><content type='html'>&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/TGEBI9eeC2I/AAAAAAAAAxk/Qxbh4QZEc2E1600/%E3%82%A8%E3%83%90%E3%83%BC%E3%81%95%E3%82%93.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/TGEBI9eeC2I/AAAAAAAAAxk/Qxbh4QZEc2E/s320/%E3%82%A8%E3%83%90%E3%83%BC%E3%81%95%E3%82%93.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5503681473076398946" /&gt;&lt;/a&gt;　毎年７月の恒例行事となった日比友好月間。今年も日本映画祭（7月1日より）や、日本を代表する和太鼓グループである倭の公演（7月8～10日）、そしてＪポップ・アニメ・シンギングコンテスト（7月24日）など盛りだくさんだが、日比の共同制作事業として重要なイベントがある。日本人作家による新作戯曲を、日本人演出家とフィリピン人の役者で上演するという演劇プロジェクトだ。今、本番に向けて舞台稽古が行われている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/TGEBbApT8hI/AAAAAAAAAxs/OQTlwrX7EWM/s1600/%EF%BD%96.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 240px; height: 320px;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/TGEBbApT8hI/AAAAAAAAAxs/OQTlwrX7EWM/s320/%EF%BD%96.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5503681783164826130" /&gt;&lt;/a&gt;　脚本は直木賞作家の内田春菊、演出は元劇団燐光群の吉田智久で、作品名は「エバーさんに続け！」。“エバーさん”とは、ラリン・エバー・ガメッドさんがモデルで、日比経済連携協定によって日本に渡り、昨年見事に国家試験に合格したフィリピン人看護師のこと。この作品はエバーさんと同じ試験を目指す３人の看護師と、彼女たちを支える日本人医師らをめぐるコメディーで、日本でのフィリピン人看護師の奮闘を描いたドラマである。今回で６年目を迎える「ヴァージン・ラブフェスト」という比の演劇フェスティバルで上演される。フィリピン人脚本家の集まりであるライターズ・ブロックの主催で、未発表戯曲の初めての舞台化を競うものだ。6月22日から7月4日にかけて、「エバーさん」（初演は6月26日、午後3時と8時）を含めて全17作品が、フィリピン文化センター小劇場で一挙に上演される。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　フィリピンは演劇の盛んな国である。歴史的にも16世紀末から演劇の伝統があり、特にキリスト教の布教を目的とした芝居を通じて普及してきた。大航海時代には貿易の中継地だったことから国際色も豊かで、ある書物によれば、1630年には当時のマニラで日本人のキリスト教殉教者に対する祝福をテーマにした芝居が上演された記録が残っているという。その頃マニラは既にアジアにおける演劇の国際共同制作の拠点だったようだ。今ではプロからアマチュアまで全国津々浦々に様々な劇団があり、地域コミュニティーに密着した活動をしている。ミュージカルに至っては、レア・サロンガというアメリカのブロードウェイで主役をはる世界的スターを輩出したほどレベルが高い。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　演劇を通じた国際交流について、一般的にはせりふが中心の芝居は、音楽やダンスと異なり言葉が障壁となって国際交流が難しい分野である。しかし優れた演劇は同時代に生きる私たちが共感できるものが多く、普遍的なメッセージを備えているので、言葉の壁さえなければ国境を越えて共有可能なものである。国際交流基金としても、歌舞伎など古典芸能の海外での紹介と平行して、現代演劇による国際交流を様々なかたちで推進してきた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　数は少ないが、海外、特にアジアで積極的に活動を展開してきた日本の劇団も存在する。60年代後半に生まれたアングラ演劇を代表する黒テントは、やはり60年代にタガログ語演劇による民衆の啓蒙を目指して結成されたフィリピン教育演劇協会（通称ペタ）と交流することで、その後の日比演劇交流の土台を作った。30年以上前に黒テントの創立メンバーがマニラで体験した演劇ワークショップの手法は、いまも若いメンバーに引き継がれている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　さらに次の世代では、83年に旗揚げした劇団燐光群が、アジア諸国の演劇人と交流を続けている。劇作家兼演出家の坂手洋二は、フィリピン人俳優をたびたび日本に招待して起用してきた。天皇制や戦争といった社会的テーマを扱う硬派な劇団だが、アジアの隣人との共同制作は、既に到来している多文化社会に視点を据えた活動であるといえる。そして冒頭で紹介した「エバーさん」の演出を手がける吉田はその燐光群の元演出家で、日比演劇交流の本流から生まれた人材である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　国際共同制作は、既に完成された作品を単に海外で上演するものとは異なり、制作のプロセスで多くの翻訳や対話を積み重ね、理解と信頼を求めてゆく手間のかかる作業である。異文化を尊重する寛容さが無ければ、その作業はむなしいものとなる。その分野で、実は日本はアジア諸国の中でかなりの実績を積み重ねてきている。日本社会の内向き傾向が強いと言われる昨今だけに、こうした国際共同制作の試みは、日本の外に向けて放たれた窓として、これからもぜひとも支援してゆきたい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/TGEB1NlnzYI/AAAAAAAAAx0/UYAf4LtIh7k/s1600/%E3%82%A8%E3%83%90%E3%83%BC%E3%81%95%E3%82%932.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/TGEB1NlnzYI/AAAAAAAAAx0/UYAf4LtIh7k/s320/%E3%82%A8%E3%83%90%E3%83%BC%E3%81%95%E3%82%932.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5503682233315609986" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「まにら新聞」6月14日&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/27072425-7476690583316059704?l=bensuki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://bensuki.blogspot.com/feeds/7476690583316059704/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=27072425&amp;postID=7476690583316059704' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/7476690583316059704'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/7476690583316059704'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://bensuki.blogspot.com/2010/08/blog-post_10.html' title='演劇を通した日比交流'/><author><name>bensuki</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01735024261670566866</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/TGEBI9eeC2I/AAAAAAAAAxk/Qxbh4QZEc2E/s72-c/%E3%82%A8%E3%83%90%E3%83%BC%E3%81%95%E3%82%93.JPG' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-27072425.post-2263820849507599450</id><published>2010-08-10T13:49:00.008+08:00</published><updated>2010-08-10T16:02:57.860+08:00</updated><title type='text'>日本語の窓を通して世界を理解</title><content type='html'>&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/TGDpLkS1VuI/AAAAAAAAAxM/_pJXHfecUGI/s1600/CJH+011.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/TGDpLkS1VuI/AAAAAAAAAxM/_pJXHfecUGI/s320/CJH+011.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5503655129577248482" /&gt;&lt;/a&gt;　現在当文化センターでは、フィリピン教育省からの要請の下、マニラ首都圏にある高校の社会や英語の先生たちを集めて、「日本語教師養成講座」を開講中である。４月１２日から５月２１日の月曜から金曜の２８日間、朝９時半から午後３時までびっちりの集中特訓コースだ。１５校、３０人の先生が学んでいて、６月から新学期の始まる高校で、この講座で学んだ授業をほぼそっくりそのまま、今度は自分たちの学生を相手に教える計画である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ある日の授業では、フィリピン人がよく使う「パセンシャ」という表現について学んだ。元の意味は「我慢」だが、状況に応じて「謝罪」や「感謝」の意味になる。そんなタガログ語の用法について１時間、その間ほとんど日本語は出てこないし、教えない。どんな言語でも使う時の状況が重要だということを気づかせるためだ。次の授業になってようやく日本語の「すみません」を勉強する。「すみません」も状況に応じて謝罪、感謝や呼びかけ表現になる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　またある日の授業では、誕生日を祝う方法は国や民族によって様々であること、でも祝うという気持ちは共通していることを紹介した。日本語や日本の文化を学ぶと同時に、他の国や自国の文化についても考える。日本語を学ぶことそれ自体が目的ではなく、日本語を一つの窓として、異なる文化を理解する力をつけること。それがこの授業の目指している理想である。異なる文化を受けとめ対応する能力を、専門的には「文化リテラシー」と呼んでいるが、そんなユニークな”語学教育”が注目されている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　国際交流基金が２００６年に行った「海外日本語教育機関調査」では、全世界２９８万人の日本語学習者の内、約５７％が初中等教育段階の子供たちで、世界的傾向として学習者の若年化がかなり進んでいることが判明した。例えば隣国のインドネシアでは、日本語は既に高校の選択科目として導入されており、全国で２４万人以上の高校生が学んでいて、その後も増え続けている。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　しかし比の高校では実験が始まったばかり。昨年の６月に教育省がガイドラインを発表して、日本語とともにスペイン語、フランス語のパイロット授業が正式に認知され、マニラ首都圏の１１校で日本語授業がスタートした。従ってまだ高校には日本語を専門に教える先生はいない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　また導入といっても選択科目であるため、実際の学習時間は週に２時間程度で、年間６０時間が標準である。これだけでは無論流暢な日本語を話せるようになるわけではない。ただその限られた時間の中で、「ことば」の力だけでなく、「文化リテラシー」の発想に立って、これからのグローバル社会で活躍できる人材を育てることは可能であり、それが今求められている。そうした学生の中から、将来的に日本語能力を伸ばす者が出てくることも期待している。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　こうした現状を受けて当センターでは、昨年より日本人専門家２名とフィリピン人講師５名による「教材制作チーム」を結成し、オーストラリアや日本で研修するなどして、新たな教材作りを進めてきた。冒頭の講座はこれまでの活動の成果を試すものだ。参加者の一人、トーレス高校のエドワード・タン教諭は、「子供たちに文化的に寛容であることの大切さを教えることができる。自分なりにアレンジして教えてゆきたい」と抱負を語る。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/TGD9lDZHK9I/AAAAAAAAAxU/GFmTpNzGyFI/s1600/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 240px; height: 320px;" src="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/TGD9lDZHK9I/AAAAAAAAAxU/GFmTpNzGyFI/s320/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5503677557654367186" /&gt;&lt;/a&gt;　　新たに完成した独自教材『enTree 1 Halina! Be a NIHONGOJIN!』（通称「enTree」）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　フィリピンはもともと国内に多くの”異文化”を抱えた多民族国家である。民族言語学的に１１０のグループに分かれており、主要な言語だけでも１３ある。３７５年間にわたる植民地支配によって外来文化が混合し、さらに米国支配の影響で現在も英語が公用語。幸か不幸かその英語力が影響し、世界中に出稼ぎ労働にでかけ、現代の”ディアスポラ（離散）”の民とも呼ばれる。異文化理解は、フィリピン人のアイデンティティそのものに関わる本質的な課題である。その意味で、高校で「文化リテラシー」を養うことは比国の教育界全体にとっても大きな意味があるだろう。日本語がその一つの窓となるように、さらに新たな人材や教材の開発を進めてゆきたい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/TGD-CW7h1AI/AAAAAAAAAxc/6ZyrgzSGrsY/s1600/cjh.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/TGD-CW7h1AI/AAAAAAAAAxc/6ZyrgzSGrsY/s320/cjh.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5503678061115200514" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「まにら新聞」5月17日&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/27072425-2263820849507599450?l=bensuki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://bensuki.blogspot.com/feeds/2263820849507599450/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=27072425&amp;postID=2263820849507599450' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/2263820849507599450'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/2263820849507599450'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://bensuki.blogspot.com/2010/08/blog-post.html' title='日本語の窓を通して世界を理解'/><author><name>bensuki</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01735024261670566866</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/TGDpLkS1VuI/AAAAAAAAAxM/_pJXHfecUGI/s72-c/CJH+011.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-27072425.post-5608845298021968311</id><published>2010-03-19T16:18:00.011+08:00</published><updated>2010-03-19T16:42:17.709+08:00</updated><title type='text'>バスーラ（ごみ）に託すメッセージ</title><content type='html'>&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S6M0hfg-9rI/AAAAAAAAAwk/rKCuT6_EzH0/s1600-h/o0781070610208654189.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 290px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S6M0hfg-9rI/AAAAAAAAAwk/rKCuT6_EzH0/s320/o0781070610208654189.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5450257724048602802" /&gt;&lt;/a&gt;　先頃マニラ日本文化センターでは、「ビデオ・アクト！日本のドキュメンタリー映画の現在！！」と銘打って、『バスーラ』（四ノ宮浩監督）、『フツーの仕事がしたい』（土屋トカチ）、『遭難フリーター』（岩淵弘樹）、『破片のきらめき』（高橋愼二）、『めぐる』（石井かほり）の５本を上映した（３月６～７日、シャングリラ・プラザ・モール、１７～１８日、フィリピン大学フィルムインスティテュート）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　もともとフィリピンのスモーキーマウンテンを描いた『バスーラ』を中心に組み立てたプログラムだが、派遣労働者やフリーター、精神障害とアートなどをテーマとした作品、それに加えてフリーターとは対極にある職人の世界など、現代日本を見つめるにふさわしい多彩なラインナップになったと思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　どの映画も面白かったが、その中で特に今回のメインにしたのが『バスーラ』。１９８８年から２０年間にわたってトンドのスモーキーマウンテンを描いてきた日本人監督四ノ宮浩氏の、総仕上げにあたる作品だ。日本では既に公開されて話題となっている映画だが、フィリピンを描いていても肝心のフィリピンでは未公開だった。臭いものには蓋をしたがるフィリピン人や、娯楽作品嗜好の強い大半のフィリピン人にとっては、あまり見たくないような内容だろうが、そこをあえて上映したいと思った。またマニラに住んでいる日本人にもアピールするのではとも思った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　四ノ宮監督はこれまでに『忘れられた子供たち　スカベンジャー』（1995年）と『神の子たち』（2001年）の２作品を制作しており、今回の作品は第一作目で主要登場人物として描かれたクリスティーナとその家族を中心に、スモーキーマウンテンと人々の昔と今を描いている。第一作撮影当時、クリスティーナは１６才、今では３６才で５人の母親。上映会の当日には彼女と子供たちが駆けつけてくれた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　９０年代頭書、まさに“スモーキーマウンテン”という子供の歌手グループが売れて紅白まで出場して話題となったが、かつてのゴミ捨て場は９４年に閉鎖となり、そこで暮らしていたスクオォッターの家族は、今は政府から無償で貸与されたアパートに移住している。古い“山”は閉鎖となったが、甚大なゴミが無くなるわけでもなく、現在はその旧スモーキーマウンテンのすぐ近くに、“アロマごみ捨て場”として新たなスモーキーマウンテンが生まれ、ゴミが集めれば人も集まり、新たにニ千世帯、１万人以上が劣悪な環境で暮らすようになっている。“アロマ”とはいかにも取ってつけたような表現で、現実の悪臭のイメージの対極にある言葉だ。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S6M1DB51ryI/AAAAAAAAAws/QIFz18zqztg/s1600-h/P3100155.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S6M1DB51ryI/AAAAAAAAAws/QIFz18zqztg/s320/P3100155.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5450258300215340834" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;　『バスーラ』を完成させ、“フィリピンにひと区切りをつける”ために、監督はそのアロマごみ捨て場に、「バスーラ・ハウス」なる施設の建設運動を始めた。日本から多くの学生もスタディーツアーで訪れ、現地でボランティア作業にあたっている。今後はそこを拠点に、子供のためのクリニックにして、日本の学生が宿泊できる施設にするという計画だ。映画上映の後、私は早速その「バスーラ・ハウス」を見に、アロマごみ捨て場を訪問した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　トンドのスモーキマウンテンは初めてだったが、別の地域にある、これまた巨大なゴミ捨て場とそこに自然発生的に生まれた町であるパヤタスには二度ほど行ったので、その劣悪さは想像できたが、やはりすごいものだった。ちなみにそのパヤタスで活動する、やはり日本人が作ったＮＧＯであるＳＯＬＴ（ソルト）では、お母さんたちに手に職を付けてもらおうとタオルの制作・販売を行っていて、これがなかなか評判となり売り上げも順調なのだが、この３月には当基金の助成でそのお母さんたちを日本に招待し、自分たちの商品のマーケティング調査を行い、オルターナティブ・トレードを推進しているＮＧＯなどと交流する予定だ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ビジネス街のマカティ地区からアロマごみ捨て場に行くと、まさに“天国と地獄”。汚臭と汚泥にまみれたゴミに囲まれて生きている人々の生活は言語に絶する壮絶ぶりだ。途中西欧人グループとすれ違ったが、みんな頭に風船飾りかなんか着けて（たぶん何かのお礼にそこの子供たちにもらったのだろうが）、場違いなほどに快活な雰囲気だった。そういう私自身も、ぼろをまとった裸足の子供たちには、ほぼ無理やりな笑顔で接したりして、悲惨な状況を目前にして、自己防衛なのかなんなのか、妙に快活にふるまってしまうのは何故なのだろうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S6M1SGt13YI/AAAAAAAAAw0/f2Nq06v_Xf8/s1600-h/P3100143.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S6M1SGt13YI/AAAAAAAAAw0/f2Nq06v_Xf8/s320/P3100143.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5450258559205236098" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;　四ノ宮監督は何故この映画を作り、ＮＧＯを立ち上げて「バスーラ・ハウス」を建設しているのだろうか？それは何故この私が『バスーラ』の上映を国際交流基金の仕事として（つまり日本人の税金を使って）行い、そして私自身がこの「バスーラ・ハウス」にまで来ているのか、という疑問にも重なる。こうした“社会派”映画を上映すること自体が、普通の娯楽映画の上映とは違った意味を持つはずだ。ここはただ“やりっぱなし”にしないため、少しでもこの“何故”という疑問について書いておきたい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　シャングリラでの映画上映後に監督は、３００名を超える観衆の前で、こう切り出した。「２０年経ってもフィリピンは全く変わってないんですよね・・。」そして、私にはこっそりとこうも言った。「この先もフィリピン政府には全く期待できないよな。」まったく同感である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　その一方で、彼のホームページにはこのようなことが宣言されている。&lt;br /&gt;『僕は絶対に「日本の若者が世界を変える」礎としての「BASURA HOUSE」を完成させ、ひとりでも多くのゴミ捨て場の子供たちの命と希望を守ります。』&lt;br /&gt;『愛を込めて「共に分かち合う」こと、また「互いに仕え合う」ことをめざします。』&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S6M1lKsFV2I/AAAAAAAAAw8/Ula_ZHhHU8A/s1600-h/P3100139.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S6M1lKsFV2I/AAAAAAAAAw8/Ula_ZHhHU8A/s320/P3100139.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5450258886689118050" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;　　　　　　　バスーラ・ハウスとボランティアの学生たち、左は四ノ宮監督&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　はて、私が直接監督の肉声として聞いた諦念と、この力強い“希望に満ちた”メッセージとの間にあるギャップは一体何なのだろうか。そして、２０年間の長きにわたって、このフィリピンに対して同じ希望を、そして絶望を持ち続けてきたということは、いったいどういうことなのだろうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　私のかつての同僚で、敬愛する映画研究家の石坂健治氏の著作である『ドキュメンタリーの海へ　記録映画作家・土本典昭との対話』（現代書館）の中で、土本氏のコメントとしてこんな下りがある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;『私がドキュメンタリー映画を作るときも、いつもそこには考えることの快楽があった。最近、「水俣映画をなぜこのように長い間作られたのですか」と聞かれた。私は「水俣病が私を考え続けさせたからです」と答えた。これは私の正直な気持ちだ。』&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　土本氏は水俣病を告発する作品を作り続け、それが大きな運動体の中心となり、現に水俣病は大きな社会的関心を集め、住民を動かし、行政を動かし、今、５０年以上の時を経て、ようやく最終的な“解決”に向かおうとしている（昨今の報道では、未認定患者への和解金支払いについて裁判所の勧告が出た）。そんな土本氏と四ノ宮氏とを比較することはできないが、ここフィリピンの絶対的貧困にも、出会った（出会ってしまった）者に、何かを考えさせる強烈な磁場があることは確かなことだと思う。とりあえず考えてみるか、思考を止めるかは、無論、個人の選択だけど。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そしてドキュメンタリーを作り、人に見せるという行為は、それを誰かに押し付けるとかいうものではなく、たった一人でも二人でもいいから、何かを感じ取って欲しいということだろう。かつて記録映画が、熱い政治の季節の中で、社会変革を唱えるメッセージを揺籃するメディアとして存在していた時代が過去のものとなり、運動の主体となるべき確かなバックボーンを具えた思想が失われた現代では、ばらばらに拡散しているかに見える様々な価値観の中で、とにかく何かに拘泥し、思考をやめないために続けること、それが重要なのではないかと思う。考えたからといって何かが変わるかっていうと、そんなことはない。考えることでとりあえず納得してしまうというのも、偽善者すれすれの態度だ。でも、ゼロと、ゼロではないとは確かに違うのだと思う。ここフィリピンは、圧倒的な、ときに信じがたい事実の前に、気持ちがすくみ、思考不能の海に沈んでしまう可能性が常につきまとう場所である。それでもなんとか自分の目でみて一度は考えてみること、この『バスーラ』という映画は、そんなことを教えてくれる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S6M1_-TvJBI/AAAAAAAAAxE/LB_xb2Q6IKA/s1600-h/P3100145.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S6M1_-TvJBI/AAAAAAAAAxE/LB_xb2Q6IKA/s320/P3100145.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5450259347222242322" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/27072425-5608845298021968311?l=bensuki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://bensuki.blogspot.com/feeds/5608845298021968311/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=27072425&amp;postID=5608845298021968311' title='1 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/5608845298021968311'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/5608845298021968311'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://bensuki.blogspot.com/2010/03/blog-post_19.html' title='バスーラ（ごみ）に託すメッセージ'/><author><name>bensuki</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01735024261670566866</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S6M0hfg-9rI/AAAAAAAAAwk/rKCuT6_EzH0/s72-c/o0781070610208654189.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>1</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-27072425.post-6127225697964559968</id><published>2010-03-09T16:03:00.014+08:00</published><updated>2010-03-09T22:41:47.211+08:00</updated><title type='text'>自然災害を語り継ぐ試み</title><content type='html'>&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S5YBkEh41dI/AAAAAAAAAvU/oerHYvxvTco/s1600-h/DSCN0570.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S5YBkEh41dI/AAAAAAAAAvU/oerHYvxvTco/s320/DSCN0570.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5446542518553990610" /&gt;&lt;/a&gt;　現在フィリピンでは、エルニーニョが原因とされる旱魃による被害が深刻である。昨年は逆に台風「オンドイ」、「ペペン」の水害がひどかった。四方を海に囲まれて、モンスーンも台風もやって来る火山列島の国は、大規模自然災害のデパートのようだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　世界に目を向けると、つい最近ではチリ大地震やハイチ大地震（死者２３万人以上）、まだ記憶に残る０８年の四川大地震（同５万人以上）や、０４年のインド洋大津波（同２４万人）など、世界中で大規模災害による犠牲者の数は年々増え続けている。古来より自然災害の経験を神話や物語で言い伝えてきた例は枚挙にいとまないが、教訓を後世に語り継ぎ、被害を最小限に抑える努力がますます重要になっている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　先ごろ（2月１５～１６日）「東南アジアと日本における災害の危険回避」と題した国際セミナーが国立フィリピン大学で開催され、当基金が支援した。自然災害にまつわる様々な事柄を文化人類学、歴史学、地理学、教育学などの面から取り上げた。インド洋津波で最も多くの犠牲者を出したアチェから参加した研究者は、妻や子供を含む家族全員を失ったが、今ではその悲劇を乗り越えて、津波への対処方法を後世に伝える立派な語り部となっている。アチェは、私もかつて津波の５年前、インドネシア在勤時代に現地の国立公文書館を訪ねたことがある。昨年には津波博物館が開館している。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S5YClgHHSiI/AAAAAAAAAvc/vJ6i52D6evs/s1600-h/aceh_ap226b.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 226px; height: 170px;" src="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S5YClgHHSiI/AAAAAAAAAvc/vJ6i52D6evs/s320/aceh_ap226b.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5446543642649381410" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　アチェの津波博物館&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　世界では今、災害を後世に語り継いでいこうという試みが盛んになりつつある。このセミナーには、兵庫県教育委員会や淡路高校の先生も参加したが、阪神淡路大地震の罹災者たちがそうした運動の中心にいる。今月の２０日より世界各国から約２０名の専門家を招き、神戸で「世界災害語り継ぎフォーラム2010」が開催される予定だ。（国際交流基金日米センター助成、問い合わせは同フォーラム事務局：078-842-2311）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ひるがえってフィリピンでは、忘れっぽい国民性か、過ぎ去ったことにくよくよしない天性の明るさからか、はたまた歴史感覚の欠如か、災害を語り継いでゆくことがまだ一般的でないようだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　フィリピン大学でのセミナーの翌日、ピナツボ山とアエタの村を訪問した。９１年に起きたピナツボ火山の大噴火で、大量の火山灰や火山泥流が周辺地域を埋め尽くして多くの避難民を出した。中でも深刻な影響を受けたのが、そこに古くから住んでいたアエタ族の人々だった。噴火から１８年が経ち、今現場はどうなっているのかを視察するのが目的だった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　アエタ族は約２万年前にマレー半島経由で比にやって来たネグリート系の先住民で、現在人口は約３万人。狩猟・採集と焼畑が生活の基礎で、褐色の肌と縮れっ毛が特色。避難生活を余儀なくされていた人々も、徐々に以前の村に戻るようになったが、豊かな森林は灰に埋もれてしまい、かつての暮らしは蘇らない。外見や教育の遅れからひどい差別を受けていて、町での生活も容易ではない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ピナツボ山の噴火は、２０世紀最大の噴火とも言われるほど激烈なものであったが、幸いに予測が的中して住民の避難が進んだため、噴火による直接の犠牲者の数は３００名程度と少なかった。アエタ族のリーダー、ローマン・キング氏の話では、森の中の鳥や蛇が大量に移動するなど様々な前兆があった。山の洞窟に逃げ込んだ人々は、ラハール（火山泥流）に飲み込まれて命を落としたという。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S5YDLEdtGgI/AAAAAAAAAvk/1CDLtLXTknc/s1600-h/DSCN0598.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S5YDLEdtGgI/AAAAAAAAAvk/1CDLtLXTknc/s320/DSCN0598.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5446544288062970370" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ローマン・キング氏&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　大爆発で吹き飛んだ山頂跡には直径２．５キロの巨大なカルデラ湖が生まれ、今は美しい公園が整備されていて、週末はかなりの観光客が訪れるようだ。我々はその地域を管轄する空軍の案内で軍用トラックに乗り、ラハール（火山泥流）で埋もれた以前は川であった地帯を１時間にわたってしたたかにゆられ、山頂付近の休憩所に到着。そこから山頂の公園までは、ハイキングで２０分。一般の旅行者もかなりいて、４輪駆動のジープで訪れていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S5YDl7qxbgI/AAAAAAAAAvs/SMYkJVcdU_U/s1600-h/DSCN0548.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S5YDl7qxbgI/AAAAAAAAAvs/SMYkJVcdU_U/s320/DSCN0548.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5446544749558328834" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ラハールの上を疾走&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S5YETSD7iCI/AAAAAAAAAv8/ociCufx8wjc/s1600-h/DSCN0589.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S5YETSD7iCI/AAAAAAAAAv8/ociCufx8wjc/s320/DSCN0589.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5446545528663541794" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;　　　　　　　　　　　　　四駆のジープで観光客もやって来る&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S5YExO5Iw6I/AAAAAAAAAwE/F31tWycmCW0/s1600-h/DSCN0602.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S5YExO5Iw6I/AAAAAAAAAwE/F31tWycmCW0/s320/DSCN0602.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5446546043209040802" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;　　　　　　　　　　    ラハールの上に作られたアエタの人々の家&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　山頂のカルデラ湖は、エメラルドグリーンの神秘的な水をたたえていた。しかし気になったのは、噴火に関する資料館どころか、一切何の説明もなかったことだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S5YFuFlcR9I/AAAAAAAAAwc/xlKFL3XeALk/s1600-h/DSCN0582.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S5YFuFlcR9I/AAAAAAAAAwc/xlKFL3XeALk/s320/DSCN0582.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5446547088682534866" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;　　今回の国際セミナーを主催したフィリピン大学国際研究センターでは、新しい取り組みとして今年度から「災害の文化」と題する講座を開講している。現在１５名の学生が学んでいるが、専攻は心理学、経済学、工学など様々だ。同センター代表のシンシア・ザヤス教授は、将来的には小学校から大学の授業で災害について学べる環境を整えたいと抱負を語る。この国でも今後防災意識が高まり、貴重な体験を次世代に伝えてゆく動きがもっと広がることを期待したい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ほぼ同じ内容の記事を「まにら新聞」にも掲載しました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S5YFXBaYToI/AAAAAAAAAwU/so6ZjeVY248/s1600-h/DSCN0600.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S5YFXBaYToI/AAAAAAAAAwU/so6ZjeVY248/s320/DSCN0600.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5446546692425404034" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;（了）&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/27072425-6127225697964559968?l=bensuki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://bensuki.blogspot.com/feeds/6127225697964559968/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=27072425&amp;postID=6127225697964559968' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/6127225697964559968'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/6127225697964559968'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://bensuki.blogspot.com/2010/03/blog-post.html' title='自然災害を語り継ぐ試み'/><author><name>bensuki</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01735024261670566866</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S5YBkEh41dI/AAAAAAAAAvU/oerHYvxvTco/s72-c/DSCN0570.JPG' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-27072425.post-3047447496807875070</id><published>2010-02-15T18:51:00.012+08:00</published><updated>2010-02-15T19:17:42.374+08:00</updated><title type='text'>平和を愛する人々の静かな戦い</title><content type='html'>&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S3kpI9LVREI/AAAAAAAAAuU/siOcG-bYzr4/s1600-h/DSCN0441.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S3kpI9LVREI/AAAAAAAAAuU/siOcG-bYzr4/s320/DSCN0441.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5438423258864370754" /&gt;&lt;/a&gt;　ここフィリピンで暮らし、仕事をしていると、絶望的な貧富の格差や腐敗しきった政治など、とてもやるせないことも多いのだけれども、時々きらりと光る人に出会い、まだまだフィリピンは捨てたものではないなあ、とうなったりすることもままある。今回の出会いはマンギャン族の若きリーダー。四月に予定している訪日研修（テーマは文化の多様性）の候補者選びのためミンドロ島を訪れた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　フィリピンは民族言語学的には110のグループに分かれていると言われているが、中でもこのマンギャン族は以前からとても気になっていた存在だ。”イゴロット”と総称されるコルディレラ地方の山の民や、”モロ”と呼ばれるミンダナオのイスラム教徒たちは、いずれも差別を受け、教育の格差に苦しみ、経済的にも決して恵まれてはいないけれども、血気盛んな民族気質のゆえ、多くの人々の声を糾合し、自らのアイデンティティを声高に主張し、中央政府などに対して異議を申し立ててきた。しかしマンギャン族は、平和を愛するがゆえに闘うことを避け、または自らの利益のみを追求することがその美学に反するがゆえに、弱い立場でいることに甘んじ、結果として自分たちの土地を追われ、人里離れた電気も通じない土地でひっそりと暮らしているという。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　『Mangyan Survival Strategies（マンギャン族の生き残り戦略）』（Helbling, Jurg/Schult, Volker著, New Day Publishers, 2004）によれば、マンギャン族はフィリピンで最も平和を愛する、言い方をかえれば臆病な民族であるという。フィリピンで七番目に大きな島には、二千五百メートル級の山が迫っていて急峻な渓谷で分断されており、今でも島内をくまなくつなぐ道路は無く人の往来が困難な場所だ。そんな土地でも先住民たちはスペイン植民地時代からキリスト教化を迫られ、二十世紀になってからはアメリカからの独立戦争や日本軍占領時代を通して攻撃は繰り返され、さらにそれと平行してルソン島やビサヤ地方からの移民がやって来て、六十年代以降になるとそれが大量になり、法律に無知なマンギャン族は土地を奪われていった。しかし彼らはそのたびに紛争を避け、ある者はより生活環境の厳しい山に逃れた。そして結果的に山に入った人々の間に伝統的価値観や文化を保った生活が残されたという。争いを避け、臆病と言われても、それが結果として種族と文化を存続させる究極の知恵であったということにはおそらく大きな意味があるのだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　世界中から消滅しつつある豊かな文化に、私たちが本当に思いをはせるためには、マイノリティの中でもさらにマージナルな場所に追いやられている人々のことについて考える必要があるのではないか、そんな思いからこのマンギャンを取り上げてみたいと思った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S3kpsFiQImI/AAAAAAAAAuk/pZgqT1bvD20/s1600-h/%E6%9C%AC.JPG"&gt;&lt;img style="float:right; margin:0 0 10px 10px;cursor:pointer; cursor:hand;width: 240px; height: 320px;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S3kpsFiQImI/AAAAAAAAAuk/pZgqT1bvD20/s320/%E6%9C%AC.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5438423862403408482" /&gt;&lt;/a&gt;　ミンドロ島の先住民族であるマンギャンは、大きく七つの部族に分かれる。中でもハヌノオ・マンギャンは比較的よく知られていて、日本語の本では『ハヌノオ・マンヤン族』（宮本勝著、第一書房）がある。またインド起源の独特の文字と、アンバハンと呼ばれる美しい韻をふむ七音節の詩が有名だ。オランダ人のアントゥーン・ポストマ神父がそのハヌノオの村に４０年にわたって住み続けていて、その間に収集した詩は『Mangyan Treasures』（Mangyan Heritage Center、2005年）などとして出版されている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今回会うことになったのは、ミンドロ島の北部に住んでいるイラヤという部族のレオンシオ・バナアグ氏、通称オッチョ。イラヤは３０のコミュニティーに三千人が暮らしている。上記の宮本氏の著書では、1970年のデータとして推定人口六千人と書かれているので、この四十年で半減したことなる。彼の住む村はミンドロ島の北の玄関、プエルト・ガレラから徒歩で１時間（ただし普通の人の足だと２～３時間）。マニラからプエルト・ガレラまでバスとボートで４時間くらいだから、私でも６～７時間で到着する。そんな場所に電気も通じない、素足で暮らしている人々の村がある。近いとみるか、遠いとみるか。かつてジャカルタで勤務していた時代、ジャカルタから車で４時間の距離にあるバドゥイという先住民族の村を訪問したことがある。彼らはマンギャンよりさらに保守的で、かたくなに文明を拒否して暮らしていて、一切の工業製品の使用を禁止している人々だが、文明からの隔絶は、物理的な距離感からくるものではなく意思の問題であると思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　さてそのオッチョは、１２人兄弟の下から三番目で３２歳。農耕を生業とするマンギャンにとって、子供の数は多いほどよい。村のマンギャン・コミュニティーの小学校を出た後、ビクトリアという町で農業大学を卒業し、１年間イスラエルに留学もしたことのあるインテリ。その間マンギャンのためにソーシャルワーカーとして働き、現在ではマニラに拠点のある国家文化芸術委員会から、マンギャン族のリーダーに指名されている。リゾートとして有名なホワイト・ビーチに近いイラヤのコミュニティーを訪問した時も、長老や村人から色々な相談を受けていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　彼のこれまでの業績のハイライトはなんと言っても2004年に「先祖伝来の土地証明書」（Certificate Ancestral Domain Title）を獲得したことだ。五千七百ヘクタールに及ぶ広大なその山林は、ホワイト・ビーチの背後にどんと鎮座している。その権利は全てイラヤの人々にゆだねられた。ちなみに山手線内の土地面積は六千三百ヘクタール。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S3kqSYG0PFI/AAAAAAAAAu0/eXEmqSH0kpg/s1600-h/DSCN0466.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S3kqSYG0PFI/AAAAAAAAAu0/eXEmqSH0kpg/s320/DSCN0466.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5438424520223636562" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　フィリピンでは「先住民族権法」（Indigenous Peoples Right Act）が1997年に施行され、先住民族国家委員会（National Commission on Indigenous Peoples）という政府機関も設立された。この法律自体は本当によくできていて、先祖伝来の土地に関する権利や、文化や言語、慣習法を保護する権利など、先住民の権利保護を包括的に保障している。例えば先祖伝来の土地をどう定義するのかといった問題については、原則として先住民自らの申告制をとっていて、その根拠は慣習とか言い伝え（を書き記したもの）や、物理的な標しである境界石や古い村とかからどれか一つ、という規程になっている。実際にイラヤの土地の境界と認定された境界石も見せてもらった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S3krRWk2c9I/AAAAAAAAAu8/fnziA4KkO5A/s1600-h/DSCN0454.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S3krRWk2c9I/AAAAAAAAAu8/fnziA4KkO5A/s320/DSCN0454.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5438425602144498642" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ところでこの「先住民族権法」はおそらく世界的にも進んでいるほうで、例えば国連でさえ「世界先住民族の権利に関する宣言」が国連総会で採択されたのが、ようやく２００７年になってからだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　日本にいたっては先住民族は公式にはいないことになっているようで、アイヌを先住民族として認めるのか、認めないのか、中途半端な状況にある。１８９９年から１９９７年まで施行されていた 「北海道旧土人保護法」はアイヌの保護を名目に共有地を奪ったものであったようだし、悪名高い同法に代わって制定された「アイヌ文化振興法」は、アイヌを先住民族とは認めずに、先祖伝来の土地の権利については沈黙したままである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そんなことを考えた場合、この五千七百ヘクタールの土地の持つ意味はまた違ったものになるだろう。ちなみにマンギャン全体では彼の業績が第一号となり、他にも２つの地域で証明書が発行されたようだ。オッチョはそうした土地問題以外にも、ユネスコが支援している伝統文化保存運動（School of Living Tradition）で１２歳から２５歳の若者を対象に音楽や詩、伝統工芸を教える活動をしたり、マンギャンの祭りをオーガナイズしている。様々な活動をしてはいるが、オッチョの現在の最大の関心事で、手が付けられないでいることは、消滅の危機にあるイラヤ語の問題。いまのところ小学校でも教えておらず、イラヤ語を話せる人の数は減る一方だ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　素晴らしい法律に守られ、広大な土地を与えられているといっても、現実はかなり悲惨である。今回訪問したカリパナンという村は、イラヤのもとの居住地を離れて、低地人との混血が進む中で新しくできた村だが、主な収入源は伝統的なラタン（籐）のバスケットと出稼ぎで、極めて不安定。私もいくつか購入したが、完成まで５日間くらいかかるものが５００ペソ程度。１日、１００ペソ（約２００円）の勘定で、それも運良く売れた場合である。粗末な掘っ立て小屋の不衛生な環境に暮らしている。マニラのアヤラ財団の支援でできた学校だけが妙に立派だが、生活は一見して苦しそうだった。出稼ぎと言ってもいい職にはめったにありつけず、マンギャン独特の風貌と貧しい身なりから、タガログやビサヤの移民からは疎まれ、あからさまな差別を受け続けている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S3kr3sMsdAI/AAAAAAAAAvM/tNqBv7ft_Xs/s1600-h/DSCN0446.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S3kr3sMsdAI/AAAAAAAAAvM/tNqBv7ft_Xs/s320/DSCN0446.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5438426260783789058" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S3krmuWQCPI/AAAAAAAAAvE/xokigL6oxhw/s1600-h/DSCN0464.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S3krmuWQCPI/AAAAAAAAAvE/xokigL6oxhw/s320/DSCN0464.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5438425969302964466" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　彼のように教育を受けていながら電気のない村にとどまるのは、一体どういった動機なのか尋ねたら、「町で暮らしても常に自分の生まれ故郷のコミュニティーのことが心配だ。結婚して子供でもできれば自分の家族のほうが大切になってしまうので、いまは結婚もしたくない」と語り、私をホワイト・ビーチのホテルまで見送った後、山の中へ帰っていった。夜になれば、ランプの光の中でまだ見ぬ日本のことをあれこれと思い巡らしているだろう。そんな若者も育むことのできるフィリピンの夜の闇は、私など想像もできないほど、とても深いのだと思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S3kqAT2q0CI/AAAAAAAAAus/-NElPOALOc4/s1600-h/DSCN0447.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 240px; height: 320px;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S3kqAT2q0CI/AAAAAAAAAus/-NElPOALOc4/s320/DSCN0447.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5438424209844523042" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/27072425-3047447496807875070?l=bensuki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://bensuki.blogspot.com/feeds/3047447496807875070/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=27072425&amp;postID=3047447496807875070' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/3047447496807875070'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/3047447496807875070'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://bensuki.blogspot.com/2010/02/110-mangyan-survival-strategieshelbling.html' title='平和を愛する人々の静かな戦い'/><author><name>bensuki</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01735024261670566866</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S3kpI9LVREI/AAAAAAAAAuU/siOcG-bYzr4/s72-c/DSCN0441.JPG' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-27072425.post-4986254662104294388</id><published>2010-02-09T12:29:00.004+08:00</published><updated>2010-02-09T12:32:02.470+08:00</updated><title type='text'>平和構築をモスレム女性たちの手で</title><content type='html'>&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S3Dk2mkOECI/AAAAAAAAAuE/KeaeL3bGoRs/s1600-h/DSCN0372.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S3Dk2mkOECI/AAAAAAAAAuE/KeaeL3bGoRs/s320/DSCN0372.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5436096376952721442" /&gt;&lt;/a&gt;　紛争が泥沼化しているミンダナオのモスレム自治区を中心に、全国各地から１５０名を超えるモスレム女性リーダーたちが集まり、平和構築に向かって行動することを高らかに宣言した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「平和の灯火、女性たちの誓い」と題された国際会議が、１月２４日から２日間ダバオで開催された。主催はマグバサキタ財団とイスラム民主主義フィリピン・カウンシル（PCID）。前者は、比史上でただ一人モスレム女性で上院議員となったサンタニーナ・ラスル氏が代表で、モスレム社会の識字教育の推進に尽力してきた。PCIDの創立者は娘のアミナ・ラスル氏で、イスラム社会で重要な役割を担うウラマー（男性知識人）の全国的組織を作り、イスラム教徒の声を糾合してきた。今回の会議では女性知識人（アラビア語で「アリーマ」）の組織化を目指し、海外からゲストを招いて初の全国大会となった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　日本政府はミンダナオの復興と開発のために、日本・バンサモロ共同イニシアティブ（通称J-BIRD）などを通じて、教育、衛生、労働などのインフラ整備を重点的に支援しているが、私たち国際交流基金は、こうした文化交流や知的交流を通じた平和構築の活動を支援してゆきたいと考えている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ミンダナオの状況が一昨年の８月から悪化して以来、一時は５０万人もの国内避難民が発生した。比政府と分離独立派の和平交渉はようやく再開されたが、今でもミンダナオ中西部を中心に難民キャンプがあり、恐怖心から自分たちの村に帰れない多くの女性や子供たちがいる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　昨年１１月にはマギンダナオ州で、今年５月に予定されている統一選挙のからみで対立する候補者による５７人もの虐殺事件が起きた。犠牲者には多くの無抵抗な女性やジャーナリストが含まれていて、この不名誉な事件は一気に世界中に知れ渡った。現職の同州知事をはじめ、軍・警察や私兵を含む６００人以上の男たちが書類送検されている。今回の会議には、逮捕された州知事の代行を務めるモスレム女性のナリマン・アンボルット氏も参加して、マギンダナオの復興を説いていたが、その弁舌には覇気はなく、彼女や同州の人々がこの事件のトラウマから快復するには相当な時間がかかるだるだろうと思われた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　一昨年私が初めてマグバサキタ財団の事務所を訪れ、サンタニーナ元上院議員から話を聞いた時、「女性こそが平和への触媒たらんと立ち上がるべき時だ。家族の要である母親として、地域コミュニティーの中心として。大きな紛争の種は、多くの場合はコミュニティーという身近な世界で起きる争いや憎しみあいがほとんどだ。そこではモスレム女性としての知恵と慈愛が試される。男性に支配された暴力に彩られた歴史を今こそ変えなくてはならない。ミンダナオの平和構築を私たち女性の手で実現してゆきたい」と熱く語っていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　無論ミンダナオ紛争の根底には貧困、そしてキリスト教徒の支配する他の地域との格差という大きな社会問題が横たわる。教育の格差も深刻だ。２００３年の統計によれば、モスレム自治区の識字率は比国内で最低の７０％。他のミンダナオ地域の８７％からもさらに離されている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今回の会議には、ジェンダー問題で国政をリードするピア・カエタノ上院議員や、女性政党ガブリエラの党首で下院議員（政党リスト制）のリザ・マサらも参加して、女性の社会進出について熱弁をふるった。ジェンダー問題の大物を二人も呼んでくるとは、さすがに政治力がある。海外からの参加者の中では、特に四千万人のモスレム会員を抱えるインドネシアの巨大組織、ナフダトール・ウラマーの女性支部代表も参加し、先行するモスレム女性組織の奮闘史を紹介した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今後はこのネットワークを通して、自分たちの地元で識字教育の改善や人材育成に取り組み、全国レベルで彼女たちの声をまとめて中央の政界や国際社会に訴えてゆく計画だ。今回の会議を企画したアミナ氏の夢はつきない。モスレム女性の声を届ける雑誌や、ゆくゆくはモスレム女性政党も作りたいと抱負を語る。産声をあげたばかりのモスレム女性たちの力で、ミンダナオの平和構築に新たな灯火がともされることを心から願っている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S3DlBz2VhSI/AAAAAAAAAuM/-8WPS7bi6uw/s1600-h/MVI_D1C1_0485.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S3DlBz2VhSI/AAAAAAAAAuM/-8WPS7bi6uw/s320/MVI_D1C1_0485.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5436096569496929570" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ほぼ同じ内容の記事を『まにら新聞』にも掲載しました。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/27072425-4986254662104294388?l=bensuki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://bensuki.blogspot.com/feeds/4986254662104294388/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=27072425&amp;postID=4986254662104294388' title='1 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/4986254662104294388'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/4986254662104294388'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://bensuki.blogspot.com/2010/02/blog-post_1261.html' title='平和構築をモスレム女性たちの手で'/><author><name>bensuki</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01735024261670566866</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S3Dk2mkOECI/AAAAAAAAAuE/KeaeL3bGoRs/s72-c/DSCN0372.JPG' height='72' width='72'/><thr:total>1</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-27072425.post-7259178476418690671</id><published>2010-02-01T14:11:00.008+08:00</published><updated>2010-02-04T17:45:04.103+08:00</updated><title type='text'>カタリスト（触媒）としての文化交流</title><content type='html'>&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S2ZwvVP3nmI/AAAAAAAAAs0/D2mKECVx_B0/s1600-h/%E5%B1%B1.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S2ZwvVP3nmI/AAAAAAAAAs0/D2mKECVx_B0/s320/%E5%B1%B1.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5433153958928948834" /&gt;&lt;/a&gt;　海外にいると、時に外国人だからこそできることがある。旧習やしがらみで縛られた地元の人々には思いもよらないこと。そんな大胆なことが、ある意味”よそ者”であるがゆえに実現できる。バギオに本拠を置くコルディレラ・グリーン・ネットワーク（CGN)が行っている「コリディレラ・ユース・エコ・サミット」という活動を見ていてその思いを強くした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S2Zw6KyEbuI/AAAAAAAAAs8/7Op6tBCu5Rc/s1600-h/DSCN0333.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S2Zw6KyEbuI/AAAAAAAAAs8/7Op6tBCu5Rc/s320/DSCN0333.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5433154145098165986" /&gt;&lt;/a&gt;　バギオからジープニーで北の山中をさらに４時間のところにレパントという鉱山の村がある。山中の村、といより立派な町と言ったほうがいいかもしれない。町全体がLepanto Consolidated Mining Companyの所有する私有地で、従業員は現在千七百名。家族を含めれば約七千名が住んでいて、学校、病院、スーパーなどもある。そんな山中奥深くに、かつて映画館として使われていたというかなり立派な劇場もあり、そこが今回の舞台となった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　エコ・サミットは今回で３回目。コルディレラ地方の子供たちの環境問題への関心を高め、理解を深めるのが目的。同地方を構成する六つの全ての州（アブラ、アパヤオ、ベンゲット、イフガオ、カリンガ、マウンテン・プロビンス）から代表の高校を選んで、環境をテーマにした演劇作品を創作。自分たちのローカル言語で制作して、一ヶ所に集まって発表するというもの。レパントからもこの鉱山内にあるレパント国立高校の学生たちが参加した。日本人演出家でこのブログでも何度か紹介したことのある吉田智久氏の演出。同氏が作品作りのために各州の代表校で実施したワークショップの記録、コルディレラ山中行脚のレアーな記録はCGNのブログで読める（http://ameblo.jp/cordillera/）。また吉田氏以外にも日本人ミュージシャンや舞踊家が参加してこのイベントに国際交流の花を添えた。私たちも国際交流の活動に対して初回から支援してきた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S2Zx0hXVW0I/AAAAAAAAAtU/wRNpP720img/s1600-h/%E8%8A%9D%E5%B1%85.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S2Zx0hXVW0I/AAAAAAAAAtU/wRNpP720img/s320/%E8%8A%9D%E5%B1%85.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5433155147592457026" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　このイベントの仕掛け人はCGN代表の反町眞理子さん。鉱山というと、環境破壊の象徴と見られる存在。しかしそんな象徴の懐で、まさに環境問題をテーマにしたイベントを実施するという大胆さ。最初はホストとしての受け入れにあまり積極的ではなかったようだが、それは反町氏の持ち前のバイタリティーと、CGNスタッフの一人がこの町の出身だったことが幸いして、実現にこぎつけた。開会日にはLepanto Consolidated Mining Companyからも代表が挨拶に現れたし、当日の鉱山の見学ツアーでは、環境に配慮した同社のポリシーを私たち外国人やサミットに参加している高校生に説明していた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　しかし他のNGO関係者からあとで聞いたところによれば、鉱山開発によって付近の地盤が弱くなって崩落や沈下の問題に悩まされていることもあるようで、やはり環境に対してイノセントではいられない。だからこそ、今回の企画の大胆さがわかる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　コルディレラ地方は”イゴロット”と呼ばれる山地民族の故郷だ。かつてはヨーロッパからやって来た宣教師などから“首狩族”と言われ、その勇猛さから恐れられた人々だが、別の視点から見れば、スペイン植民地軍に対して頑強に抵抗して十九世紀後半まで独立を貫いた誇り高き民族である。コルディレラ地方は古くから豊かな金の産地として知られ、十六世紀以来その金の魅力に惹きつけられた西洋の探検家や宣教師、そして植民地政府軍とイゴロットとの争いが絶えなかった。その抵抗と帰順の歴史は、『The Discovery of the Igorots（イゴロットの発見）』という本に詳細に描かれている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ここで鉱山が本格的に開発されたのはアメリカ時代の1930年代になってから。大恐慌時代の1933年に、ルーズベルトが行った政策によって金の価格が急激に高騰した結果、鉱山の大規模開発に拍車をかけたのだ。そしてこのレパントもその時代、1936年に開発された。金の他に銅も産出するが、今でも１日あたり1,500トンもの土を掘り出していて、（金の平均産出量は１トン当たり3グラム）。既に70年以上も堀り続けていることになるが、まだ新しい鉱脈もみつかっているという。開発当初はアメリカ資本だったが、今では完全にフィリピン資本の株式会社である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　日本のフィリピン占領時代には、ここは三井マンカヤン鉱山と言われていて、日本人技術者によって操業されていた縁もある。新聞記事が当時の様子を生き生きと伝えているので、長くなるが引用する。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;『大阪朝日新聞』 1942.3.27(昭和17)&lt;br /&gt; &lt;br /&gt;「比島～装甲車に軽機を据え山から金塊を運ぶ、配当十割の黄金狂時代 金と銅」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【バギオにて 扇谷特派員二十六日発】皇軍の占領以来すでに三ヶ月フィリッピン諸島の中心地ルソン島はバタアンの一角を残しほぼ全島にわたって治安が確立され力強い建設の歩みを踏み出しているが各産業部門に魁けて中でも資源開発は急速調に進められ世界的に有名なバギオ金山ならびに品位の優秀な点では東洋一と称されるマンカヤン銅山がこのほどわが軍により確保された、同時に内地からは早くも三井マンカヤン銅山調査隊団長山下諭吉氏が乗込み警備隊に守られつつ鶴嘴を揮っているなど占領即建設の面目を遺憾なく発揮、フィリッピン資源の扉は今新東亜建設の脚光を浴びて開かれようとしている、記者は一日バギオを訪れ占領下のバギオ金山ならびにマンカヤン銅山の状況を視察、鉱山確保にいたるまでの道路隊や警備隊の苦心あるいはバギオ在留邦人挺身協力の模様を知ることができた、以下はその報告書である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;一、バギオの金山は七つある、海抜六千尺、松の緑に囲まれた山岳都市バギオ市外南方四十キロにわたる山々に一本の金脈が走っている、通称キーンストン金脈とよばれ幅平均十米、長さ七十六キロにわたる金脈である、この金脈を中心に点在するパラドック・ベンゲット・コンソリテーデッド・イトコン・アンタモック・ゴールドフィールド、ビッグウェッジ・バギオ・ゴールド・デモンストレーションなどの金山がこれで開戦前の産金額は七つの金山で全比島の約七割、ここに働く従業員は家族を合せると二万人といわれる尨大なものでこの金山はさる一月はじめバギオ市の皇軍占領と同時に無血占領された、しかもこの占領に当っては勝手知った在留邦人がわづか一名ないし二名で乗込みアッという間に占領したといわれしたがって鉱山附属の重油こそ焼かれたがその他の施設はそっくりそのまま確保されている、愉快なことは各会社とも日米開戦をみこし万一の場合アメリカ本国と交通遮断されることを予想し旧臘鉱山資材のストックを運び終えたばかりで夥しい鉄管やパイプがそのまま残されてあり今後の資源開発に恰好の資材を提供していることである、現在はこの金山を南北両地区にわけバギオ金山生活二十余年という吉本、稲吉の両技師によって管理されているが金景気の時代には各会社とも配当十割、月二回山からマニラ金塊を運ぶときには装甲自動車に軽機を据え強盗の襲撃に備えるという物々しさだったという&lt;br /&gt; &lt;br /&gt;二、フィリッピンの宝庫マンカヤン銅山はバギオ市の北方約百六キロにある、最高七千尺、最低三千尺の峰つづきの山々を縫う辺り日本アルプスの燕の縦走路を思わす山道は去る二月バギオを追われた敵によって滅茶苦茶に破壊された、車を駆ってみると脚下はそそり立つような断崖絶壁に深い霧が漂い谷底は見えず見下すと目がくらくらする、ただ酷暑のフィリッピンにここだけは別世界、内地の十月位の温度でどこやらで啼く鶯の声に一しきり故国への感慨を催される、道は屈折が多くて一キロに四、五ヶ所もあり、カーブをきり損ねると千仭の谷底で思わずひやひやする、徐行して進む、ドドドドと山崩れの音がする地質の弱いこの山は山頂からたえず土砂と岩石がころげ落ちてくるのだという、道端に「上前通」という碑がたっている、去る三月六日ここで戦死した上前忠通訳(岡山県)に捧げた道路碑であった、記者は今さらのごとく深山に僅か〇名で日夜敗残の敵と戦い道路修理工事をつづけた藤田隊の地味な努力に思わず頭が下った、同隊岡本俊二中尉(滋賀県庁土木課勤務)はその苦心を左のごとく語る &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「敵は火薬を約二万箱も使用しこの山道を約四十ヶ所にわたって削り取った、山の傾斜が約八十度、一本のロープに生命を託してまず足場を作り杭をうち込み橋桁をわたす、橋といっても粗末なものでやっと道と道をつないだのです、敗残の敵は約二百、地の利を知る彼らは我々の手薄に乗じて襲撃する、遂に戦死一、重傷者〇名を出した、殊に朝晩はよく霜が降り内地の十一月ごろの気候、夏服の兵隊さんの大半は下痢するという始末だったが我々はその度にその道は東亜の資源に通ずる道だといい合った、この我々の気持を籠めて各橋には報国、皇国、強国開国、愛国、経国、護国と名づけて進み最後の橋に我々がたえず頭に描いている靖国橋という名前をつけた、この橋を完成した日待望のマンカヤン銅山を目のあたりに見たときは思わず涙が出た」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S2evgaZz22I/AAAAAAAAAts/BtkaamGHsKY/s1600-h/DSCN0327.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S2evgaZz22I/AAAAAAAAAts/BtkaamGHsKY/s320/DSCN0327.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5433504446824045410" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　　　　　フィリピン・ハイウェイの最高地点を通過&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S2evFmfvjmI/AAAAAAAAAtk/jUD_Wm9_l9w/s1600-h/DSCN0328.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S2evFmfvjmI/AAAAAAAAAtk/jUD_Wm9_l9w/s320/DSCN0328.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5433503986213686882" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　　　　　　現在のレパント鉱山への入り口&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S2aUIwaHd8I/AAAAAAAAAtc/jK09wQbJTH8/s1600-h/DSCN0334.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S2aUIwaHd8I/AAAAAAAAAtc/jK09wQbJTH8/s320/DSCN0334.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5433192878623389634" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　　　　　　1954年に掘削された坑道への入り口&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今回の企画がユニークなのは、環境破壊の懐で環境問題を考えるイベントをやるということの他にもう一つある。それは、コルディレラの人々の”イゴロット”としてのアイデンティティに関わる問題だ。古来コルディレラの人々は部族ごとに激しく対立していて、部族間の抗争”トライバルウォー”が絶えなかった。現代になってもさすがに”首狩”の習俗は破棄されたが、まだまだ部族間の争いは多い。昨年、やはり同じイベントでカリンガ州のルブアガンという山の中の町を訪問したが、ライフル銃を持つ男たちに警護された副町長に挨拶した時にはさずがに緊張した。参加する子供たちの親の中には、あんな恐ろしい場所に自分の子供を行かせることができないとむずかった者もいたと仄聞した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そんなアイデンティティの錯綜したコルディレラで、6つ全ての州から子供たちを集めて、しかも芝居ではそれぞれ異なるローカルな言葉を使って演じて英語で字幕が付けられる。あくまでも自分たちの足元のアイデンティティを確認しつつ、”イゴロット”としての一体感も醸成しようという野心的な意図がある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　Gerard Fininというハワイ大学の研究者が書いた「The Making of Igorot: Contours of Cordillera Consciousness（イゴロットの創造：コルディレラ意識の輪郭）」（2005年、アテネオ・デ・マニラ大学出版）という本がある。もともと部族に分かれて抗争に明け暮れていたコルディレラの人々が、歴史的にどのような経緯で”イゴロット”としての一体感やアイデンティティを持つまでに至ったのかを描いているが、その中で、アメリカ時代の鉱山の果たした役割を強調している。大量の労働者を必要とする大規模鉱山が、史上初のイゴロット・コミュニティーを生み出し、それがその後のイゴロットとしてのまとまりの原点となっていったという。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S2ZxpNr5OeI/AAAAAAAAAtM/YsONd_hWP64/s1600-h/DSCN0345.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S2ZxpNr5OeI/AAAAAAAAAtM/YsONd_hWP64/s320/DSCN0345.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5433154953331423714" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　その意味で今回のエコ・サミットは、結果的にはイゴロット・アイデンティティーにとって歴史的に縁のある地で、現代のイゴロットの若者たちがそのアイデンティティーを確認するという、まさに象徴的なイベントとなった。“よそ者”だからこそできるカタリストとしての役割。それは文化交流という仕事の持つ一つの醍醐味でもある。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/27072425-7259178476418690671?l=bensuki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://bensuki.blogspot.com/feeds/7259178476418690671/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=27072425&amp;postID=7259178476418690671' title='1 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/7259178476418690671'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/7259178476418690671'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://bensuki.blogspot.com/2010/02/blog-post.html' title='カタリスト（触媒）としての文化交流'/><author><name>bensuki</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01735024261670566866</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S2ZwvVP3nmI/AAAAAAAAAs0/D2mKECVx_B0/s72-c/%E5%B1%B1.JPG' height='72' width='72'/><thr:total>1</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-27072425.post-4108943271992826547</id><published>2009-11-09T12:23:00.000+08:00</published><updated>2010-02-09T12:28:28.081+08:00</updated><title type='text'>日本を目指す比のファッションデザイナーたち</title><content type='html'>&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S3DjqkPR_SI/AAAAAAAAAt0/WEegcPc38Js/s1600-h/Veejay%E4%BD%9C%E5%93%81%E3%80%80%5B2%5D.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 240px; height: 320px;" src="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S3DjqkPR_SI/AAAAAAAAAt0/WEegcPc38Js/s320/Veejay%E4%BD%9C%E5%93%81%E3%80%80%5B2%5D.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5436095070657969442" /&gt;&lt;/a&gt;　今フィリピンのファッションデザイナーたちが日本に熱い視線を注いでいる。一方、日本のファッション業界でもこの国の若い才能を”発見”しつつある。先ごろ東京で開催された「第４７回全国ファッションデザインコンテスト」（財団法人ドレスメーカー服飾教育振興会、学校法人杉野学園主催）で、比人デザイナーのヴィージェー・フロレスカ氏が、準グランプリに相当する「繊研新聞社賞」を受賞した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　１９６３年以来続いている伝統のあるコンテストとして日本ではデザイナーの登竜門で、審査員にも森英恵など著名人が多い。応募者も多く、今回も日本を中心に中国、ロシア、インド、シンガポールなど世界中から２５３４点の応募があった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そんな激戦のコンテストに、比からヴィージェーを含む３８人もの若者が挑戦し、デザイン画審査の結果３人（全体で７０人）が最終選考会に進んで東京に乗り込んだ。「ピノイ・ロボット」とタイトルされた彼の作品は、ロボットのようなシルエットだが、ピーニャなど比の伝統的素材を使用し、比独自の刺繍を一面に施した。日比文化のブレンドをコンセプトに、強く主張しながらも、細部にこだわった繊細さが評価されたという。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　日本のポップカルチャー人気を受けてコスプレが世界中を席捲。比においても例外ではなく、コスプレ大会ではアニメから飛び出したようなロリータファッションが人気だ。渋谷や原宿を発信地とするストリート系ファッションもメディアでたびたび紹介されていて、この国の若者文化にも大きな影響を与えている。しかしハイセンスなアート系ファッションとなると、比人デザイナーの目はまだまだパリやニューヨークに注がれていて、日本の影響は限定的。日比の交流は驚くほど少なく、日本で紹介される比人デザイナーなどこれまでほとんどいなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　３年前、国際交流基金では比を含むアジア5カ国から将来期待されるファッションデザイナーを日本へ招待し、ハイライトとして「アジア５」と題したファッションショーを、若手デザイナー養成でリードする杉野学園ドレスメーカー学院と共催した。比からは当時フィリピンファッション協会を率いていたジョジー・リョーレン氏を派遣。彼の業界での影響力に期待しての選抜だったが、それが的中。その後若手デザイナーが続々とその杉野学園が主催する冒頭のコンテストに挑戦するようになった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　一昨年まず最初に挑戦したのはジェローム・ロリーコ氏（２５才）。当センターも制作費を支援したが、見事に審査員賞を受賞。東南アジアから初参加で初受賞だった。日本のアニメに強く影響を受けたというジェロームの作品は、近未来的なメカニックな要素が基調だが、どこか熱帯的でおおらかな生命力を感じさせる作品だった。受賞後の彼の活躍は目覚しく、比国内のメジャーなファッションショーでも確実に彼自身のブランド名を浸透させつつある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そして今回のヴィージェーの受賞で、比人デザイナーは２戦２勝。本紙でも紹介したことがあるが、コンテンポラリーダンスの世界でも、比人ダンサーが日本の新人登竜門のコンテストに参戦し始めて２戦２勝の負けなし。創造性が試される最先端の現代文化の分野では、フィリピン人アーティストは日本人と十分互角に戦えるという一つの証だろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S3DjyU4_fDI/AAAAAAAAAt8/ixoDh6mP0Hk/s1600-h/Veejay%E4%BD%9C%E5%93%81%5B2%5D.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S3DjyU4_fDI/AAAAAAAAAt8/ixoDh6mP0Hk/s320/Veejay%E4%BD%9C%E5%93%81%5B2%5D.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5436095203976903730" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ヴィージェーは３年前にデ・ラ・サール大学のファッション学科を卒業したばかりの２４才。比のファッション業界はいま急成長していて、経済的バックグランドのない若手たちにもチャンスがあるという。比国内に現在コンテストがないため、そんな若手デザイナーにとって、日本のそれは大きな目標の一つになりつつある。初めての日本滞在で渋谷、新宿、銀座、池袋などを訪れ、それぞれの街の持つ雰囲気とファッションの魅力を堪能した。これからはもっと若い世代のアーティストの卵たちの交流が必要だと、期待に胸をふくらませていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この記事は『まにら新聞』にも掲載しました。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/27072425-4108943271992826547?l=bensuki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://bensuki.blogspot.com/feeds/4108943271992826547/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=27072425&amp;postID=4108943271992826547' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/4108943271992826547'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/4108943271992826547'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://bensuki.blogspot.com/2010/02/blog-post_09.html' title='日本を目指す比のファッションデザイナーたち'/><author><name>bensuki</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01735024261670566866</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/S3DjqkPR_SI/AAAAAAAAAt0/WEegcPc38Js/s72-c/Veejay%E4%BD%9C%E5%93%81%E3%80%80%5B2%5D.JPG' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-27072425.post-5838559238255710866</id><published>2009-10-02T15:54:00.005+08:00</published><updated>2009-10-02T16:09:30.545+08:00</updated><title type='text'>メディアと政治</title><content type='html'>&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SsWyAsigAcI/AAAAAAAAAsk/wTnpD3_Lv5c/s1600-h/noynoy2.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SsWyAsigAcI/AAAAAAAAAsk/wTnpD3_Lv5c/s320/noynoy2.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5387908254244274626" /&gt;&lt;/a&gt;　いまフィリピンで最も時の人といえばベニグノ・アキノ三世、通称“ノイノイ”。マルコス時代に暗殺された元上院議員ベニグノ・アキノ・ジュニアと元大統領コーリー・アキノとの間に生まれた長男にして、現在、次期大統領候補の最右翼の上院議員である。そのノイノイに直接触れる機会があったので、ここで報告をしておく。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　調査報道（Investigative Journalism）という言葉がある。日々のニュースを追うだけでなく、腰を据えて政治の腐敗や世の中の不正を調査し、メディアを通じて暴いてゆこうという報道姿勢で、ここフィリピンにはその調査報道の世界で実績をあげているNGOがある。フィリピン調査情報センター（Philippine Center for Investigative Journalism、ＰＣＩＪ）といって、エストラーダ元大統領の賭博疑惑を調査し報道して、大統領弾劾そして第二エドサ革命による追い落としの端緒をつけた。今年20周年を向かえ「平和、人権、グッド・ガバナンス：東アジアの民主主義の岐路」という国際セミナーを企画し、それを基金が助成した。その初日にノイノイがやって来て、この国のデモクラシーについて語った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　いまフィリピンは熱い政治の季節を迎えようとしている。来年５月の国政選挙は特に新しい大統領を選出するとあって、現在候補者絞りの最終段階に来ている。が、ここ1ヶ月で大統領レースに大きな波があり、アキノ元大統領の長男であるノイノイ・アキノ氏が現政権批判で先頭に立つ老舗政党である自由党の候補者として名乗りをあげ、突如として最右翼に躍り出た。母親のコーリーが長い闘病の末に8月1日に亡くなったが、その後数日はコーリーの死をいたむ多くの国民が街頭に、そして棺の置かれた教会などに大量に繰り出した。さしずめ1986年のピープルズ革命の再来のようだった。その余勢をかって反体制派、改革派の大勢は長男のノイノイ上院議員に白羽の矢を当てて、そのまま彼が自由党の大統領候補に指名されたのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SsWy5kqbdXI/AAAAAAAAAss/VC0F5U77m1U/s1600-h/P8050031.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SsWy5kqbdXI/AAAAAAAAAss/VC0F5U77m1U/s320/P8050031.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5387909231382590834" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　コーリーの棺を安置したマニラ大聖堂&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　基金は無論政治的に中立な組織。さまざまな国際会議やセミナーに資金援助をしているが、助成金のガイドラインには政治的目的の事業には助成しないと、はっきりと断り書きがある。今回もノイノイが参加とあって、主催者のＰＣＩＪには党派的な集会にはならないようにと注文をつけた中での登場となった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ただ今回あらためてわかったのは、メディアと政治家との深い結びつき。ＰＣＩＪとほぼ一心同体とも言えるフィリピン大手メディアのＡＢＳ-ＣＢＮ、そして日刊紙『Inquirer』は反政府報道の急先鋒で、自らアキノ政権の立役者、代々のアキノ家シンパと名乗ってはばからない。つまり現実的にはメディアに政治的な中立は難しいということだ。とはいえ今回はインドネシアやタイからもジャーナリストや国会議員（人権活動家）の参加があり、それぞれの国の民主化の過程や人権、ジャーナリズムの問題についての議論があったため、アキノ家に直結するピープルズ革命とその後の問題（現在の大統領選挙について）も、複眼的に見ることができたのでとても興味深いセミナーであった。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　ノイノイに関する個人的な評価は控えるとして、想像以上に多弁な人だった。そしてオーラが無いぶん、非常に自然体で親しみ易い人柄だと感じた。過去２回の大統領選挙では、元俳優が貧しい民衆を代弁するような形だったが、今回、最強と目される対抗馬はギルバート・テオドロ現国防長官で、ハーバード・ロー・スクール出身で若くして司法試験にトップ合格した超エリート、しかもノイノイのまたいとこにあたる。同じコファンコ家という地主階級の出身だ。支配階級と大多数の貧しい民衆という深刻な亀裂を抱えるフィリピンだけれど、同族ファミリー出身者同士が一騎打ちとなる気配の今度の大統領選挙では、根本的な対立点は一体何なのだろうか。社会の亀裂をあいまいなままにして、どちらが政権に就こうとも極端な貧富の格差が温存される気配のある将来に、本当の希望はあるのだろうかと思ったりする。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/27072425-5838559238255710866?l=bensuki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://bensuki.blogspot.com/feeds/5838559238255710866/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=27072425&amp;postID=5838559238255710866' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/5838559238255710866'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/5838559238255710866'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://bensuki.blogspot.com/2009/10/blog-post.html' title='メディアと政治'/><author><name>bensuki</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01735024261670566866</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SsWyAsigAcI/AAAAAAAAAsk/wTnpD3_Lv5c/s72-c/noynoy2.JPG' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-27072425.post-5767638276853336675</id><published>2009-09-23T13:10:00.009+08:00</published><updated>2009-09-23T14:49:53.371+08:00</updated><title type='text'>フィリピン映画の勢いは止まらない、東京国際映画祭に一挙３本エントリー！</title><content type='html'>&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Srm1UtDsWpI/AAAAAAAAAr8/r0-WeoqzV4A/s1600-h/%E7%84%A1%E9%A1%8C.bmp"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 218px; height: 320px;" src="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Srm1UtDsWpI/AAAAAAAAAr8/r0-WeoqzV4A/s320/%E7%84%A1%E9%A1%8C.bmp" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5384534196795234962" /&gt;&lt;/a&gt;　以前このブログで紹介した私の一押しシネマラヤ参加作品「Engkwentro」（ペペ・ジョクノ監督）が、先ごろ開催されたベネチア国際映画祭でオリゾンテ部門のグランプリを受賞した。若手作家の実験的作品に贈られるこの賞の賞金はなんと10万ドル。監督の叔母であるマリス・ジョクノ・フィリピン大学教授から聞いた話では、撮影では野外にわざわざ巨大なスラムのセットを組んだそうで、そのために膨大な借金が残ったが、これで全て返済しておつりが残ったとか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　オリゾンテに参加した最近の日本映画といえば青山真治監督の「サッドバケイション」（2007年）などがあるが、フィリピン映画としては昨年も同部門にラブ・ディアス監督の「メランコリア」が参加してグランプリを獲得している。ちなみにこの「メランコリア」は、大胆にも8時間に及ぶ超長編で、恥ずかしながら長すぎて私は一部しか見てないが、3人の若者の内省の物語。全編白黒、ゆっくりと静かに、詩的な映像が延々と続く。ペペの作品は１時間で快走するドキュメンタリータッチの作品だから、フィリピンフィルムメーカーの様々な実験的試みが、このベネチアでは評価されているようだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そしていよいよそのラブ・ディアスを含む3人のフィリピン人監督の作品が、今年の東京国際映画祭（10月17日～25日、六本木ヒルズなど）にエントリーされた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　同映画祭の「アジアの風」部門のプログラミング・ディレクターの石坂健治氏のマニラ来訪についてもこのブログで触れた通り。そしてその時の興奮混じりのお約束通り、今回一挙に3人のノミネートとなった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SrnCZctgtaI/AAAAAAAAAsc/kHEJ86rprWc/s1600-h/himpapawidposterofficial_small.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 234px; height: 320px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SrnCZctgtaI/AAAAAAAAAsc/kHEJ86rprWc/s320/himpapawidposterofficial_small.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5384548571957736866" /&gt;&lt;/a&gt;　まずはコンペティション部門で、81カ国743作品の中から厳選された16本の内の一作に、レイモンド・レッド監督の最新作未公開作品「マニラ・スカイ」が選ばれた。彼は1980年代前半、フィリピン大学学生の頃から実験映画で国際的に評価された早熟の人。特にアメリカとの独立戦争を闘ったマカリオ・サカイを描いた「サカイ」（1993年）が有名で、米国シンパの多いこの国では数少ない米国帝国主義批判の歴史映画を世に送り出した（ＤＶＤでも発売されています）。また短編の「Anino（影）」（2000年）はカンヌ映画祭で短編部門のパルム・ドールを受賞している。そんなフィリピンの伝説的映画監督の待ちに待った最新作が、東京でワールドプレミアの上映となる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SrnBkTVZS1I/AAAAAAAAAsU/vHB4gfplrbA/s1600-h/COLORUM.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 240px; height: 320px;" src="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SrnBkTVZS1I/AAAAAAAAAsU/vHB4gfplrbA/s320/COLORUM.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5384547658907601746" /&gt;&lt;/a&gt;　次に「アジアの風」部門で、今年のシネマラヤで評価が高く、審査員特別賞と主演男優賞を獲得した「Colorum」（ジョビン・バレステロス監督）がノミネートされた。原題はタガログ語のスラングで、車の交通違反（路肩走行、逆走、一方通行違反）などに使う言葉だが、「白タク」という邦題で上演される。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　さらに上述したフィリピン実験映画界の現在のトップランナーであるラブ・ディアスや河瀬直美など3人の監督によるオムニバス映画「デジタル三人三色2009：ある訪問」（2009年、全州国際映画祭が毎年製作しているアジア3監督によるオムニバス・シリーズの最新版）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　カンヌ（監督賞受賞）、ベネチア、東京以外にも、モントリオールに釜山に・・・、いまフィリピン映画は世界中から引っ張りだこだ。勢いの止まらないフィリピン映画の現在。東京国際映画祭をぜひお見逃しなく。日本にいる人がああ羨ましい。詳しくは同映画祭ＷＥＢサイトで。http://www.tiff-jp.net/ja/&lt;br /&gt;　&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/27072425-5767638276853336675?l=bensuki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://bensuki.blogspot.com/feeds/5767638276853336675/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=27072425&amp;postID=5767638276853336675' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/5767638276853336675'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/5767638276853336675'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://bensuki.blogspot.com/2009/09/blog-post_23.html' title='フィリピン映画の勢いは止まらない、東京国際映画祭に一挙３本エントリー！'/><author><name>bensuki</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01735024261670566866</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Srm1UtDsWpI/AAAAAAAAAr8/r0-WeoqzV4A/s72-c/%E7%84%A1%E9%A1%8C.bmp' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-27072425.post-8795477728423608703</id><published>2009-09-22T09:48:00.007+08:00</published><updated>2009-09-22T09:59:02.497+08:00</updated><title type='text'>変容する戦争の記憶：メモリー・オブ・ワーからメモリー・オブ・ピースへ</title><content type='html'>&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SrguAfhEDGI/AAAAAAAAArM/bBOebRfs8nE/s1600-h/%E3%83%90%E3%82%AE%E3%82%AA%E6%BC%94%E5%8A%87.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SrguAfhEDGI/AAAAAAAAArM/bBOebRfs8nE/s320/%E3%83%90%E3%82%AE%E3%82%AA%E6%BC%94%E5%8A%87.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5384103940516482146" /&gt;&lt;/a&gt;　去る９月３日にバギオで「国際平和演劇祭」が開催された。バギオと日本の市民が中心となり、日本人コミュニティの繁栄とその後の太平洋戦争での惨禍、人々の再会と平和の祈りをテーマとした演劇作品を作り、昨年まで「山下降伏記念日」と呼ばれていた９月３日に上演し、その日を「平和の日」に改めようという企画だった。日本からは演出家（元劇団燐光群の吉田智久氏）、役者、ダンサーなどが参加し、ベンゲット大学の学生を中心としたフィリピン人と共演した。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　バギオは比島戦が終結した場所であり、９月３日はその象徴。戦争の悲惨な事実は事実として記憶し、しかし”降伏の日”として怨恨を子孫に伝えるのではなく、平和への願いに変えてゆきたいという趣旨に賛同し、私たち基金もこの演劇祭を支援した（市民青少年交流助成プログラム）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　１００万人以上と言われる比民間人の犠牲者を出した戦争の記憶は、６０年以上経過してもこの国の人々の間で様々に語り継がれている。そうした記憶やその癒しにまつわる事柄は、心の中にある日本への眼差しそのものであり、まさに文化交流の領分と言える。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そんな戦争の記憶に、はっきりと変容のきざしが現れている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　イエズス会が経営するフィリピンきってのエリート校であるアテネオ・デ・マニラ大学には、東南アジアで最も歴史の古い日本研究コースがある。1967年に日本研究講座が開講して４２年。太平洋戦争の惨禍で多大な犠牲を強いられたフィリピンの日本研究だけあって、ほぼ毎年開かれる日本研究セミナーなどでは、これまで戦争の問題がたびたび取り上げられてきた。昨年度も基金の支援でセミナーが開催されたが（２月６日）、そのテーマは「戦争の記憶、モニュメントとメディア、アジアにおける紛争の表象と歴史の創造」。フィリピンと日本で語り継がれ、表象され続ける太平洋戦争の記憶とその変容について、モニュメント、映画やマスメディアでの描かれ方などを通じて様々な分析が紹介された。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　記憶する、もしくは思い出すという行為は、単に過去にさかのぼるだけではなく、生きている今を反映し、将来に対する期待をも含む行為だ。その意味で印象に残ったコメントはオーストラリアのアイリーン・トゥーヘイ氏の発表で、メモリー・オブ・ワーからメモリー・オブ・ピースへシフトしていることについて述べていた。戦争という忌まわしい事実をしっかりと受け止め、次世代に向けて平和のメッセージを伝えてゆこうというバギオの例にもあてはまる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　アテネオでセミナーが行われていたまさに同じ日（２００９年２月６日）、なんとも象徴的なことであるが、ミンダナオのカガヤン・デ・オロ市にあるキャピトル大学でも、たまたま同じように戦争の記憶に関連するセミナーが行われていて、これも基金が支援した。こちらのほうは私自身は出席できなかったが、戦前ミンダナオに移住した日本人とその土地の先住民であるバゴボ族の女性との結婚、そして彼らの子孫である日系人をテーマにしたセミナーでる。”残虐非道な日本人”の子孫、縁戚者として、彼らもまた戦後長い間、戦争の記憶に苦悩してきた人々である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　しかし今回の企画がユニークなのは、フィリピン人自身が、そうした日本人の移民史と現在の日系人の姿をベースに歴史小説を創作して、戦争の悲惨な記憶によって塗り固められてきたミンダナオの日系人の歴史に新たな光を当てようとしていることだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「第二次世界大戦は多くのフィリピン人の心の中に日本人についての恐ろしくネガティブなイメージを植えつけた。しかし日本や日本人にまつわる経験や記憶が、戦争とともに始まらない場所もある。そうしたフィリピンの歴史の中の特別な過去といったものは、一体どのように再構築してゆけばいいのだろうか？」（『Imaging Japan A Tale From Tagabawa Bagobo Nikkeijin』、マリテス・カンセール、リリアン・デラペーニャ共著）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　変容する戦争の記憶は、映画の世界にも現れている。以前このブログでも紹介したデジタル・シネマの『コンチェルト』。昨年のシネマラヤに出品されて話題を呼んだが、その後一般の劇場などでも公開された。映画自体の評価は分かれるところだが、日比文化交流史の中では非常に重要な作品だと思う。以前紹介した時の記事。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SrgtyEkSP-I/AAAAAAAAArE/5FFddQV4DvM/s1600-h/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%88.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 180px; height: 240px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SrgtyEkSP-I/AAAAAAAAArE/5FFddQV4DvM/s320/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%88.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5384103692764069858" /&gt;&lt;/a&gt;　第二次大戦中、ダバオで実際にあった家族の物語をもとに作られた『コンチェルト』（ポール・モラレス監督）という作品は、これまでさんざん映画でステレオタイプ化されてきた日本軍と全く異なる姿を提示した点で特筆に値する。監督の曽祖父の家族の実話にもとづいているのだが、日本軍のダバオ侵攻に伴って森の中に疎開した際に音楽を愛する日本人将校たちと交友を暖め、日本側の戦況の悪化に伴って同部隊が明日駐屯地を移動するという最後の晩に、その家族が彼らのために森の中でピアノの演奏会を開き、コンチェルト（協奏曲）を奏でるという美しいストーリーだ。戦争被害の甚大なフィリピンでこのように日本軍人を賛美するともとらえられかねない映画を作ることなど、おそらくちょっと前までは想像もつかないことであっただろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SrguZ2DcvlI/AAAAAAAAArc/5AWtHLcv1x8/s1600-h/P9210004.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 240px; height: 320px;" src="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SrguZ2DcvlI/AAAAAAAAArc/5AWtHLcv1x8/s320/P9210004.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5384104376063016530" /&gt;&lt;/a&gt;　この映画はポール（監督）の母親が書いた『Diary of the War: WWⅡMamories of LT.COL.Anastacio Campo』（2006年、アテネオ・デ・マニラ大学出版）という本が下敷きになっている。そしてその本は、ポール自身の曾祖父で戦時中ユサッフェ・ゲリラであったアナスタシオ・カンポ中尉の戦時中の手記（日本軍に発見されないように秘密の場所に保管されていたものが、カンポ家で2000年に発見された）に基づいて書かれたものだ。この映画のもととなった日本軍人との交流については、家族と疎開した日々やゲリラとしての活動、そして日本の憲兵隊から受けた拷問などが克明に描かれている全体のたった１ページほどに書かれているにすぎない。しかしカンポ中尉のひ孫にあたるポールの手によって、たった１ページのエピソードの記憶が、長編映画の中で美しい記憶に変容したとも言える。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　映画の中で日本軍や日本人がどのように描かれてきたかといえば、それは無論、全くひどいものだった。フィリピン人もしくはアメリカ人による映画で比島戦に関する作品は大きく３つのタイプに分かれると思う。戦史に基づいて描かれたオーソドックスな”正統派”戦争映画。次に戦争にまつわるサイドストーリーを描いた作品。そしてもう一つはドキュメンタリー。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　戦争映画の中で私が見た象徴的な作品は、米国映画の『The Great Raid（大退却）』（2005年、ジョン・ダール監督）。1945年の戦争末期、米軍がカバナトゥアンにあった日本軍捕虜収容所から５００人の米国人とフィリピン人捕虜を救出して退却し、史上最大の救出作戦を成功させたという史実に基づいた物語で、無論日本軍人を生身の人間として描く要素は皆無。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　第二のカテゴリーは、例えば『Yamashita, The Tiger's Treasure』（2001年、チト・ロニョ監督）。フィリピンには,中国戦線からばく大な財宝を持って南下してきた山下将軍（第１４方面軍司令官）が,敗戦間際に北ルソンの山中にそれを隠したという有名な”伝説”があり、いまでも大真面目に発掘を続けている人たちがいるが、この映画はその財宝を埋めるまでの話（過去）と現代の財宝探しがクロスして進行する。そこでは日本兵がフィリピン人捕虜を虐待して財宝を隠す場面が描かれている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SrgujP9lBhI/AAAAAAAAArk/i-4XFMqjVOc/s1600-h/aishiteimasu.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 277px; height: 320px;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SrgujP9lBhI/AAAAAAAAArk/i-4XFMqjVOc/s320/aishiteimasu.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5384104537636537874" /&gt;&lt;/a&gt;　そしてある意味”キワモノ”で『愛シテ、イマス。１９４１』（2004年、ジョエル・ラマンガン監督）。日本人将校がフィリピン人と恋に落ちるが、実は彼女はオカマで将校も同性愛者だったという極めてフィリピンぽい話。この作品については、タイ映画で日本人将校コボリとタイ人女性とのラブストーリーとしてタイ人なら誰でも知っている『クーカム（邦題メナムの残照）』のパロディーとも言えるが、話の基本は日本軍と戦ったフィリピン人ゲリラの追想と彼らを称えるお話。”醜い日本人”の基調は全く変わらない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　第三のカテゴリーであるドキュメンタリーでは、1945年2月の”マニラの虐殺”を描いた『Manila 1945: The Forgotten Atrocities（忘れられた残虐）』（2007年）が有名俳優のセザール・モンタナが出演していて話題となり、大学などでも上映された。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SrguHCEySeI/AAAAAAAAArU/wPfdDXSbb8Q/s1600-h/iliw1.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 238px; height: 320px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SrguHCEySeI/AAAAAAAAArU/wPfdDXSbb8Q/s320/iliw1.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5384104052872333794" /&gt;&lt;/a&gt;　そうした映画の中で繰り返し醜く表象されてきた日本人が、ここ数年『コンチェルト』のように時にポシティブに語られる作品も現れてきている。『コンチェルト』以外にも『イリウ（郷愁）』（2009年、ボナ・ファハルド監督）という作品が既に完成して公開が待たれているが、これは世界遺産で有名なビガンの街並みが、実はフィリピン人女性と恋におちた日本人将校の英断で破壊から免れて残ったというストーリー。ウソかマコトか、これも実話に基づいた作品とされている。さらに、実は私のもとに２～３年前から似たような物語の映画化の相談がいつくか寄せられている。北ルソンの山中でフィリピン人を救った日本の”シンドラー”とか、戦前からフィリピン社会に貢献してきた大沢清氏の話とか、いずれも戦時中の日本人による”美談”の映画化である。こうした動きは、戦後６０年間以上封印されてきた物語にようやく日の目を当てることができるようになったということを意味する。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　こうした戦争の記憶の変容は、おそらく我々の一人一人の心の中で、実は日々起こっていることなのかもしれない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今年７月の日比友好月間に基金の主催で実施したＪクラシック公演に、比人ギタリストのブッチ・ロハス氏をゲストに迎えた。彼の提案でこの国で親しまれているタガログ語の子守唄「サ・ウゴイ・ナン・ドゥヤン」を演奏することになったが、その曲を癌と闘う姉のために演奏したいと提案された。日比友好のために実施する公演なので、あまりに個人的な思いと違和感があったが、やがて彼の家族が抱える戦争にまつわる記憶を知るに至り、考えが変わった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ロハス家は有名な芸術エリート一家だが、彼の母方の祖母が戦時中日本軍に処刑された。そのショックで母親は戦後長く日本製品をボイコットしていたという。そんな歴史を背負う彼は、その子守唄を家族の癒しのために演奏したいと思っていたのだと打ち明けられた。コンサートではそのことを観衆に伝えず、日本人演奏家には公演終了後に話せばよいと考え、彼の提案通りとした。結果的に大成功で、私の前で聴いていたロハス家の人々も目を潤ませていた。コンサートの最後の曲が映画『おくりびと』のテーマだったのは偶然だが、戦争の記憶を抱えた一人の比人演奏家とその家族にとって、その日の演奏によってその記憶は変容し、確かな癒しとなったのではないかと今でも思っている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SrgvFxf8slI/AAAAAAAAAr0/E9D3fJfEYfM/s1600-h/P7150458.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SrgvFxf8slI/AAAAAAAAAr0/E9D3fJfEYfM/s320/P7150458.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5384105130754617938" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/27072425-8795477728423608703?l=bensuki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://bensuki.blogspot.com/feeds/8795477728423608703/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=27072425&amp;postID=8795477728423608703' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/8795477728423608703'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/8795477728423608703'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://bensuki.blogspot.com/2009/09/blog-post.html' title='変容する戦争の記憶：メモリー・オブ・ワーからメモリー・オブ・ピースへ'/><author><name>bensuki</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01735024261670566866</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SrguAfhEDGI/AAAAAAAAArM/bBOebRfs8nE/s72-c/%E3%83%90%E3%82%AE%E3%82%AA%E6%BC%94%E5%8A%87.JPG' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-27072425.post-3918347768783819692</id><published>2009-09-15T11:00:00.004+08:00</published><updated>2009-09-15T11:15:10.241+08:00</updated><title type='text'>文化と政治（1）</title><content type='html'>&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sq8DraB9_uI/AAAAAAAAAq0/FoV6RUTWsdI/s1600-h/P9110019.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sq8DraB9_uI/AAAAAAAAAq0/FoV6RUTWsdI/s320/P9110019.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5381524123987869410" /&gt;&lt;/a&gt;　いま文化と政治の問題がこの国で話題になっている。文化はどこまで政治から中立でいられるか？政治はどこまで文化に介入できるのか？それぞれの国で政治と文化の土壌の違いで差異があるにしても、ひるがえって自分たちの問題を考えるためにも興味深いテーマだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　９月8日はフィリピンのアーティストにとって記憶すべき日である。４０年前の同じ日、フィリピン文化センター（ＣＣＰ）がオープンした。先週の月曜日、４０周年を祝ってガラコンサートが行われた。そして同じ週の１１日、今度はＣＣＰの創設者であり、フィリピン史上最大の芸術のパトロンと呼ばれるイメルダ・マルコスを称えるためのガラが行われた。題して「Seven Arts, one Imelda」。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　Seven ArtsとはＣＣＰが扱う７つのアートジャンル、音楽、演劇、舞踊、美術、映画、文学、メディアアートを指し、それら全てのアートがイメルダの恩恵にあるという意味だ。以前このブログでも触れたとおり確かにＣＣＰほどの国立文化施設は東南アジアには稀有だ。財政的な問題はひとまずおいておけば、理念的な面も含めてこれほど包括的な国立文化施設は日本にも見当たらないだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　私も4年前にこの国に赴任して以来、事務所と自宅を除いて最も足しげく通った場所であり、基金の主催事業でも、これまでに大劇場３回（和太鼓倭、コンドルズ、オペラ・コンサート）、中劇場１回（Jクラシック）、そして小劇場３回（室伏鴻、チョン・ウィシン演出『バケラッタ』、踊りに行くぜ！）と数多くお世話になった。全て会場費はほぼ無料で、有形無形の様々な便宜をはかってくれて、基金の舞台関係事業はＣＣＰなしには考えられない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　歴史に“もし”はありえないが、この国にもしＣＣＰが存在しなかったら、アートの“業界図“はざぞかし寒々としていたのではと想像するが、それだけその存在感は突出している。どうしようもない問題を抱えるフィリピンであるが、多くのアーティストの活動を支え、つまり人々の夢や誇りを支え、日々物語りを生産し続けている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　しかしそのＣＣＰの礎を築いたのが、史上最悪と言われる汚職と圧制にまみれたマルコス政権の第一夫人であれば話は複雑である。イメルダを称賛する今回のガラについても、Alliance of Concerned Teachersという戦闘的な教員団体が、マルコス時代に迫害を受けた多くの人々の気持ちを代弁し、同イベントに否を唱え、ガラ公演当日も会場前でデモを行った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sq8D7KnEwQI/AAAAAAAAAq8/Lf7f6TWlLRI/s1600-h/P9110007.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sq8D7KnEwQI/AAAAAAAAAq8/Lf7f6TWlLRI/s320/P9110007.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5381524394726441218" /&gt;&lt;/a&gt;　当日は新たに館長代理に就いたラウル・ズニーコ氏が、開会のあいさつの中で「政治と文化を切り離し」と、ちょっと苦しげな（と見える）スピーチをしていた。ガラ後半のイメルダの生涯をテーマにした音楽劇の最後には本人がステージに上ったが、スタンディング・オベーションで迎えたのは約８割くらいであろうか、やや複雑な表情でかたくなに座ったままの人々もかなりいたのは象徴的だった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　私はといえば、ＣＣＰの成立がある強大な権力を持った政治家の決断の結果だったとしても（ＣＣＰの土地は第二次大戦後海軍の所有となったが、イメルダ夫人の肝入りでマルコス政権の最初期に海軍から召し上げたという経緯がある）、やはりそれは人々の汗水たらして得た労働の対価からくる税金で作られたものであり、ましてはその時代が信じられない汚職と政治的迫害の時代のただ中にあったとすれば、そこに称賛などありえるのだろうか、と率直に疑問に思うのだ。たとえ部外者としてもスタンディング・オベーションなどする気にはなれなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　しかしもし人間の性悪説を認めるとして、政治というものが必要悪であらゆる利権や物欲の調整機能であるとした場合、いかにひどい統治者であったとしても、あとから振り返れば後世に残ることもしていると、功罪論として語られるようになるのだろうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　イベントのパンフレットの冒頭にジェレミー・バーンズ（マラカニアン宮殿ギャラリー館長）のエッセイが掲載されている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「もしイメルダ夫人のＣＣＰという目標に向かった尽力がなければ、40年を経た今日、私たちの時代に、いまあるものと等しいものが存在していただろうか？・・・ＣＣＰはある意味遺産であり立証であると言えるだろう。たとえそれがひどく破壊的な政治的ビジョンの遺産だとしても、それにもかかわらずフィリピン人精神を絶賛し、芸術的才能と文化的表現を生み出してきた。・・・」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「破壊的な政治的ビジョンの遺産」なんて、なんとも悲しい表現であるが、そんな遺産を称賛しなくてはならないほど、いまの政治的状況や文化と政治との関係が破壊的であるとも解釈できるし、この国の民主主義は未成熟だと言うこともできるだろう。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/27072425-3918347768783819692?l=bensuki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://bensuki.blogspot.com/feeds/3918347768783819692/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=27072425&amp;postID=3918347768783819692' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/3918347768783819692'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/3918347768783819692'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://bensuki.blogspot.com/2009/09/1.html' title='文化と政治（1）'/><author><name>bensuki</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01735024261670566866</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sq8DraB9_uI/AAAAAAAAAq0/FoV6RUTWsdI/s72-c/P9110019.JPG' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-27072425.post-2347774589159187311</id><published>2009-07-29T17:22:00.009+08:00</published><updated>2009-07-29T17:54:26.188+08:00</updated><title type='text'>シネマラヤ５報告（その２）</title><content type='html'>　さて今回の長編コンペ作品については、受賞結果が示している通りかなり評価が割れたようだ。以下が主な賞と作品内容。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;○作品賞：最後の晩餐ナンバー３&lt;br /&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SnAVYPwnJ4I/AAAAAAAAAqU/Q3Q2N1p8QIQ/s1600-h/LAST+SUPPER.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 240px; height: 320px;" src="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SnAVYPwnJ4I/AAAAAAAAAqU/Q3Q2N1p8QIQ/s320/LAST+SUPPER.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5363810662489728898" /&gt;&lt;/a&gt;　実話に基づいたコメディー映画。テレビコマーシャルの撮影のために一般市民から「最後の晩餐」の壁掛けをいくつか借用したが、ナンバー３を紛失。その賠償をめぐって貸し手と借り手との間で繰り広げられるドタバタ喜劇。失くした主人公は美術担当のおかまちゃん、とコメディーの王道。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;○審査員特別賞：ColorumとPanggagahasa Kay Fe&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SnAWDcbPeqI/AAAAAAAAAqc/aqh3EhJ_skQ/s1600-h/COLORUM.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 240px; height: 320px;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SnAWDcbPeqI/AAAAAAAAAqc/aqh3EhJ_skQ/s320/COLORUM.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5363811404624132770" /&gt;&lt;/a&gt;　Colorumは、ひょんな人身事故がきっかけで一緒に旅をすることになった警察官とおじいちゃんのロードムービー。おじいちゃん役の役者はこれで主演男優賞も獲得。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　Panggagahasa Kay Fe（フェの恍惚）は、果物を差し出す精霊をモチーフにしたホラー。夫婦の不倫関係を軸に、妻のフェがいつしかその精霊に魂を奪われてしまう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;○女優賞：Sanglaan（質屋）のIna Feleo&lt;br /&gt;タイトル通り、マニラの下町トンドの質屋を舞台にした人間模様。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;○脚本賞：　Nerseri（苗床）&lt;br /&gt;精神分裂病の兄二人と姉一人を持つ男の子の物語。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;○デザイン賞：Mangatyanan&lt;br /&gt;近親相姦のつらい過去を抱える若き女性写真が、ルソン島北部の村で行われる儀式（Mangatyanan）の撮影旅行を通じて、過去を正視して乗り越えてゆこうというお話。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;○オリジナル作曲賞とオーディエンスチョイス：Dinig Sana Kita&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SnAWhIA0wBI/AAAAAAAAAqk/nsNxCBZrIYE/s1600-h/DING+SANA+.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 240px; height: 320px;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SnAWhIA0wBI/AAAAAAAAAqk/nsNxCBZrIYE/s320/DING+SANA+.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5363811914540695570" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　親に反抗するロック好きの女の子が、バギオに研修に送られ、そこで聴覚障害者と出会い、立ち直ってゆくという話。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　前回紹介した「Engkwentro」以外には、“すごい！“と思う作品は無かったが（ちなみに「Engkwentro」は主要な賞を逃したが）、どれも粒ぞろいで秀作だ。個人的には質屋を舞台にした「Sanglaan」が、米国への移住問題、遠洋航海のフィリピン人船員の雇用や臓器売買など、フィリピンならではのストーリーが満載で、かつほのぼのとした路線で好感が持てた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今回のシネマラヤで重要なことは、以前はほとんど海外の映画関係者から無視されていたのが（フランスは毎年カンヌのディレクターが見に来ていたが）、このブログでも紹介したメンドーサ監督のカンヌ受賞で、海外映画祭のディレクターなど関係者がたくさん訪れたということだろう。“メンドーサ効果”が早くも現れた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そして日本からはいよいよ東京国際映画祭「アジアの風」プログラミング・ディレクターの石坂健治氏がやって来た。旧知の間柄ゆえざっくばらんに色々意見交換したが、お世辞ではなく、今のフィリピンのＤシネの盛り上がりにはいたく感激したようで、10月に予定される本選へはフィリピンから１本、２本エントリーされてもおかしくない、と期待を持たせるご発言があった（ご本人承諾の上、証拠写真入りで公開しちゃいます）。乞うご期待です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SnAW7MEPZLI/AAAAAAAAAqs/uEdXqxFv4Ds/s1600-h/%E7%9F%B3%E5%9D%82%EF%BC%91.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SnAW7MEPZLI/AAAAAAAAAqs/uEdXqxFv4Ds/s320/%E7%9F%B3%E5%9D%82%EF%BC%91.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5363812362305365170" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/27072425-2347774589159187311?l=bensuki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://bensuki.blogspot.com/feeds/2347774589159187311/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=27072425&amp;postID=2347774589159187311' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/2347774589159187311'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/2347774589159187311'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://bensuki.blogspot.com/2009/07/blog-post.html' title='シネマラヤ５報告（その２）'/><author><name>bensuki</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01735024261670566866</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SnAVYPwnJ4I/AAAAAAAAAqU/Q3Q2N1p8QIQ/s72-c/LAST+SUPPER.JPG' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-27072425.post-1853185281000662239</id><published>2009-07-28T15:49:00.003+08:00</published><updated>2009-07-28T15:54:29.308+08:00</updated><title type='text'>シネマラヤ5報告（その１）</title><content type='html'>&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sm6t7fbWi4I/AAAAAAAAAqE/Dzly-blcvNE/s1600-h/P7280001.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 240px; height: 320px;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sm6t7fbWi4I/AAAAAAAAAqE/Dzly-blcvNE/s320/P7280001.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5363415443804949378" /&gt;&lt;/a&gt;　今年も盛り上がりました、第5回シネマラヤ。例年通り長編、短編10本ずつのコンペ作品以外にも、これまでのシネマラヤ入選作品、特別出品作品から、学生による短編上映やリノ・ブロッカ回顧上映など、期待を裏切らない全165本。全部国産の映画が、7月17日から26日の10日間に怒涛のように上映され、熱狂的な観衆が押しかけた。特にコンペ作品の上映会場では、映画の中のシーンに一喜一憂し、上映終了後は拍手が起こり観客は一体感に包まれた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今年も10本の長編コンペ作品の内の9本を見たので、それについて報告する。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　劇場長編映画としての作品評価は別として、最も心に残ったのが「Engkwentro」という作品。ミンダナオ島のダバオという町を舞台にした実話に基づいたドキュメンタリータッチの作品だ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ダバオはミンダナオで最大の都市だが、政府軍とイスラム分離独立派の内戦状態の続くミンダナオ島では比較的安全な都市。外務省の海外安全情報でも、危険度の最も低い「十分注意」のランク。しかしその治安は、皮肉にも知る人ぞ知る、ダバオ市長が結成した私兵による公然の秘密たる暴力によって成り立っている。ドゥテルテ市長はDavao Death Squad（DDS）という自警団を持っていて、“テレビ番組で「処刑団」（自警団）による犯罪容疑者の殺人を認めると共に「犯罪者を恐怖で震え上がらせている」と自慢した”というから驚きだ。最早公然の“秘密”でもないのか。ダバオではマフィアや不良の多くが何者かによって粛清殺害される事件が頻発していて、1998年以来800人を超える犠牲者がいて、このＤＤＳの仕業といわれている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「Engkwentro」は、まさにその“粛清”をテーマにした話。ダバオ海辺の貧しいスラムに暮らす兄弟の物語で、マニラへの出稼ぎのために金策に走る兄と、マフィアに巻き込まれる弟の話を核に、最後はバイクに乗った不審者に突然銃撃されて終わる。スラムでのシーン撮影には、超長回しのドキュメンタリー風タッチが臨場感を盛り上げるが、そのシーンの背後に流れるドゥテルテ市長と思われる政治家の演説のナレーションが重要。“この町の平和を守るのは自分だ”と張り上げる声は、いやおうなく不気味に響く。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　さてこんなに恐ろしい映画だが、驚くべきはペペ・ジョクノという監督。若干21才のフィリピン大学映画専攻の学部学生なのだ。いくらなんでも800人以上の犠牲者を出している噂の「処刑団」を率いるやくざまがいの市長に対して、現役大学生がまともに喧嘩を売るなんて、勇気があるどころの話しではない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sm6uKsU-oAI/AAAAAAAAAqM/UM-Cx0mITe0/s1600-h/P7280010.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 240px; height: 320px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sm6uKsU-oAI/AAAAAAAAAqM/UM-Cx0mITe0/s320/P7280010.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5363415704965914626" /&gt;&lt;/a&gt;　しかし彼はその血筋から、普通の若者とは異なる宿命を背負っているところが、またフィリピン。ペペは、ジョクノ家という著名な政治一家の一員。特に祖父は著名な法律家で人権活動家の故ホセ・ジョクノ。司法長官や上院議員を務め、戒厳令時代には反マルコスでも中心的役割を果たし、暗殺されたベニグノ・アキノ・ジュニアやサロンガ元上院議長などと並び称された。エドサ革命後は人権委員会の議長となった、まさにフィリピン人権史のヒーローのような存在なのだ。ついでに彼のおばさんは、フィリピン大学歴史学部の教授でこれまた人権史で著名なマリア・セレナ・ジョクノというスーパー・ウーマンである。いくら血筋とはいえ、若干21歳にして早々と人権活動家の宣言をしているようで、なんともまぶしいやら、いずれにしても（2006年には同じシネマラヤの短編で入選しているが）大型新人の登場ということだろう。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/27072425-1853185281000662239?l=bensuki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://bensuki.blogspot.com/feeds/1853185281000662239/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=27072425&amp;postID=1853185281000662239' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/1853185281000662239'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/1853185281000662239'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://bensuki.blogspot.com/2009/07/5.html' title='シネマラヤ5報告（その１）'/><author><name>bensuki</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01735024261670566866</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sm6t7fbWi4I/AAAAAAAAAqE/Dzly-blcvNE/s72-c/P7280001.JPG' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-27072425.post-8637455093294402971</id><published>2009-06-26T10:50:00.011+08:00</published><updated>2009-06-30T17:46:06.180+08:00</updated><title type='text'>第４回Wifiコンテンポラリーダンス・フェスが開幕</title><content type='html'>&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SkQ69nJQ3hI/AAAAAAAAApk/b2vsQrlzQe4/s1600-h/wifi4.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SkQ69nJQ3hI/AAAAAAAAApk/b2vsQrlzQe4/s320/wifi4.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5351467087377260050" /&gt;&lt;/a&gt;　今年も開幕しました。コンテンポラリーダンスの祭典。今年が４回目で、年をおうごとに増殖している。ＣＣＰを会場に8日間で12の公演、8回のワークショップ。ダンス映画の上映と写真展にセミナー。そして13組の新進振付家が競うコンペティションなど盛りだくさん。何日か通えば、この国のダンス界を俯瞰できるようになること請け合い。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　一昨年に続いて今回も審査員をすることになったコンペでは、新しい才能の発見にいまから期待感でわくわくしている。このコンペの優勝者や準優勝者の中から、毎年横浜で行われる横浜ダンスコレクションＲ、ソロ・デュオ・コンペティションに推薦してきたが、ご報告したとおり前回はローサムという男性振付家がなんとグランプリに輝いてしまった。今年もローサムに続けと、皆気合が入っている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SkQ-SFGmGuI/AAAAAAAAAp8/Cdzk0p4BMSk/s1600-h/debutante2.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 277px; height: 320px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SkQ-SFGmGuI/AAAAAAAAAp8/Cdzk0p4BMSk/s320/debutante2.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5351470737551399650" /&gt;&lt;/a&gt;　それから昨年に続いて日本人振付家・ダンサーも招待した。森下真樹さんという目下売り出し中のアーティストで、著名な振付家・伊藤キムの下でダンスを学び、発条ト（バネト）というダンス・ユニットで活躍。元気な踊りが信条のようで、マニラのダンス界にどんな旋風を巻き起こすか楽しみだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　主な日程は以下のとおりなので、ぜひ会場まで足を運んでください。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　6/26（金）午後8時～　大学のダンスカンパニーとしては最もレベルの高いＵＰダンスカンパニーの公演。&lt;br /&gt;　6/28（日）午後6時～　民間ダンスカンパニーとして最もレベルの高い、イケメン集団のエアー・ダンスによる公演。横浜グランプリのローサムなどが出演。&lt;br /&gt;　7/2（木）午後8時～　森下真樹のソロ、ローサムとのデュオ。&lt;br /&gt;　7/4（土）午後3時～/6時～　新進振付家コンペティション&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/27072425-8637455093294402971?l=bensuki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://bensuki.blogspot.com/feeds/8637455093294402971/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=27072425&amp;postID=8637455093294402971' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/8637455093294402971'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/8637455093294402971'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://bensuki.blogspot.com/2009/06/wifi.html' title='第４回Wifiコンテンポラリーダンス・フェスが開幕'/><author><name>bensuki</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01735024261670566866</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SkQ69nJQ3hI/AAAAAAAAApk/b2vsQrlzQe4/s72-c/wifi4.JPG' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-27072425.post-3161729436070966552</id><published>2009-06-19T10:00:00.050+08:00</published><updated>2009-06-19T11:42:50.131+08:00</updated><title type='text'>バタネス、ああバタネス</title><content type='html'>&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjrx_MNpzyI/AAAAAAAAAkE/ptl6KdYHNW0/s1600-h/IMG_1933.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjrx_MNpzyI/AAAAAAAAAkE/ptl6KdYHNW0/s320/IMG_1933.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5348853575368429346" /&gt;&lt;/a&gt;　とうとう行ってきました。南の国の北の最果て。想像以上に素晴らしいところだったので、ここで一気呵成に紹介します。ただし３泊４日の駆け足観光ですので、もちろん初心者向きです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そもそも私がバタネスと最初に出会ったのは映画の中。2007年はちょっとした”バタネス・ブーム”で、バタネスを舞台にした映画が立て続けに二本公開された。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjryV8GlmCI/AAAAAAAAAkM/kMk11eBMFWA/s1600-h/IMG_1746.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 214px; height: 320px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjryV8GlmCI/AAAAAAAAAkM/kMk11eBMFWA/s320/IMG_1746.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5348853966180816930" /&gt;&lt;/a&gt;　一本目はデジタル映画の『カディン（山羊）』。このブログでも紹介したが、国内最大のデジタル・シネマ・フェスティバルであるシネマラヤのコンペティション部門に出品された。監督はアドルフォ・アリックス・ジュニア。山羊の世話をして家族を助けていた兄弟だが、ある日その山羊が行方不明になり、島中を探し回る・・という話。全編に挿入される美しい島の風景と昔ながらの人々の暮らしが印象に残る秀作だった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjryo-oET3I/AAAAAAAAAkU/ncJBkQ7vHBY/s1600-h/IMG_1562.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 214px; height: 320px;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjryo-oET3I/AAAAAAAAAkU/ncJBkQ7vHBY/s320/IMG_1562.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5348854293275627378" /&gt;&lt;/a&gt;　そして二本目は大手ＧＭＡ映画が製作し劇場公開された、その名も『バタネス』。台湾の人気グループＦ４のケン・チューが主演して話題となったのでご覧になった方も多いかもしれない。監督はこれもアドルフォ・アリックス・ジュニア。台湾から漂着した謎のわけあり男（ケン・チュー）と、地元の美しい女性（イサ・カルザド）とのラブストーリー。たわいもないストーリーだけど、やはり島の美しさが際立った作品だった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjry-_iLnpI/AAAAAAAAAkc/1if0dth8uww/s1600-h/IMG_1748.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 214px; height: 320px;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjry-_iLnpI/AAAAAAAAAkc/1if0dth8uww/s320/IMG_1748.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5348854671476498066" /&gt;&lt;/a&gt;　美しい映画を観て、いつかは行きたいと思っていたが、そんなバタネスへのさらなる思いを募らせたのが『バタン漂流記、神力丸巴丹漂流記を追って』という本だ。著者は岡山県立博物館学芸課長（2001年当時）の臼井洋輔氏。文政三年（1830年）8月に備前を出航した後に遭難して二ヶ月余り漂流し、奇跡的にもバタネスに漂着した乗組員の内の14人が、その二年後に日本に無事帰国。藩による取調べの記録が『巴丹漂流記』として岡山の池田藩の末裔のもとなどに残されていて、当時のバタン島の詳細を今に伝えている。この本は、著書がその『巴丹漂流記』に触発されて現代のバタネスを訪れ、そこに記された風土、文物、人々と今の様子を比較し、さらには同じフィリピン国内で太古の文化を今に伝えるミンドロ島のハヌノオ・マンギャン族の文化などとも比較し、黒潮文化の中での日本とのつながりを俯瞰するという、とても知的興奮にあふれた本だ。おそらく既に絶版だろうけど、図書館かどこかで手に入れて読めばバタネスへの理解はより深まるだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　さらに直前予習のために役に立ったのが州政府のホームページ。以下のことは全部そのホームページから抜粋。http://www.purocastillejos.com/&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　バタネスの”歴史”の始まりは、17世紀後半に英国人が漂着した記録から。スペイン統治時代になっても、正式にスペイン領に編入されたのはようやく1783年のこと。レガスピによってマニラが占領された二百年以上後のことだ。スペインとの独立戦争の際には、1898年にイバナという町に独立派カティプナンのメンバーがやって来て、スペイン人司祭を捕らえたという記録がある。こんな小さな離れ小島にもカティプナンはやって来たのは驚きだ。いかに当時の独立戦争が国内で広範に展開していたかがわかる。そして1941年12月8日、つまり真珠湾攻撃の日に日本軍はこのバタン島に上陸している。そのイバナ町では16人の住民がゲリラの容疑で処刑されたとある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjrzWxqyVmI/AAAAAAAAAkk/GT8bVGrvSjk/s1600-h/IMG_1518.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjrzWxqyVmI/AAAAAAAAAkk/GT8bVGrvSjk/s320/IMG_1518.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5348855080071353954" /&gt;&lt;/a&gt;　ここまで予習していざバタネスのバタン島へ。バタネス州はフィリピン最北の州でルソン島の北端からは280キロほど。ちなみに台湾までは200キロもなく、むしろ近い。飛行機で１時間半ほどで、私の場合はＳＥＡＩＲで飛んだ。32人乗りのドイツのドルニエ社製のプロペラ機。料金は日によって異なるが普通の日で片道6,000～7,000ペソから。ただし気候条件や乗客の集まり具合などでよく欠航するので、ぎりぎりの予定での渡航はお薦めしない。飛行場はバタン島最高峰のイラヤ山の山腹を削った滑走路でスロープになっている。おそらく平地の少ないバタン島では2000メートル級の長い滑走路を作るための土地はないのだろう。従って大きなジェット機は乗り入れ不可能。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjrzqIZR5wI/AAAAAAAAAks/wiS5pEX6lyc/s1600-h/IMG_1513.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjrzqIZR5wI/AAAAAAAAAks/wiS5pEX6lyc/s320/IMG_1513.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5348855412589455106" /&gt;&lt;/a&gt;　上空から眺めたバタン島。南シナ海と太平洋双方から荒波を受け、島全体に断崖絶壁が多く、波濤のくだける白が美しい。4月から6月は東からの季節風が吹くそうで、西側の南シナ海に面したバスコなどは比較的波が穏やかな季節である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjrz9V7ZYrI/AAAAAAAAAk0/vnDd20UFciQ/s1600-h/IMG_1546.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjrz9V7ZYrI/AAAAAAAAAk0/vnDd20UFciQ/s320/IMG_1546.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5348855742639727282" /&gt;&lt;/a&gt;　バタネス州の州都、バスコBascoの町。バスコはバタネスがスペインに領有された後の初代知事の名前にちなんだもの。バタン島はバスコを含めて6つの町からなる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjr0SiX8dSI/AAAAAAAAAk8/LvkBy29B7q4/s1600-h/IMG_1593.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjr0SiX8dSI/AAAAAAAAAk8/LvkBy29B7q4/s320/IMG_1593.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5348856106757944610" /&gt;&lt;/a&gt;　北には標高1517メートルの休火山、イラヤIraya山がそびえる。島の最北に位置して急勾配で海に面する威容は、かつて黒潮を航海する人々の目印となっていたことだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjr0sl7puAI/AAAAAAAAAlE/yNHkCGfF0E4/s1600-h/IMG_1551.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjr0sl7puAI/AAAAAAAAAlE/yNHkCGfF0E4/s320/IMG_1551.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5348856554389616642" /&gt;&lt;/a&gt;　宿泊したシーサイドロッジの海側からの眺め。大きくて清潔な部屋で食事もおいしかった。町にはレストランがないのでほぼ毎食ここで食べた。他にも宿泊施設はあるが、町の中心街まで近く買い物などにも便利。インターネットを通して予約して素泊まりで1,000ペソ。直接支払いの場合は800ペソだった。ここはお薦め。バスコ近郊にあるバタネス・リゾートは綺麗なコテージが売りだが、町の中心部から遠くて自由な散策には不向き。ただ現地で仕入れた情報で、アーティストのパシータ・アバドが経営するフンダシオン・パシータは素晴らしいとの噂。収益の一部はバタネスの伝統文化保存にも利用されているようで、最低１泊5,000ペソの価値があるかもしれない。　http://www.fundacionpacita.ph/programs.php&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjr1T4VNTSI/AAAAAAAAAlM/EMCVpBtK3-Q/s1600-h/IMG_1847.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 214px; height: 320px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjr1T4VNTSI/AAAAAAAAAlM/EMCVpBtK3-Q/s320/IMG_1847.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5348857229343542562" /&gt;&lt;/a&gt;　朝食で食べた飛魚の干物のから揚げ。飛魚は黒潮海域の名物で特に4月から6月が漁期。たくさん獲ってまとめて干物にする。とても肉厚で独特な味だ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjr1pup4uCI/AAAAAAAAAlU/DdUv57zUSzo/s1600-h/IMG_1981.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjr1pup4uCI/AAAAAAAAAlU/DdUv57zUSzo/s320/IMG_1981.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5348857604703041570" /&gt;&lt;/a&gt;　干物状態（サブタン島のチャブヤンで）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjr2DOG69hI/AAAAAAAAAlc/dUGYefGcIlg/s1600-h/IMG_1555.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjr2DOG69hI/AAAAAAAAAlc/dUGYefGcIlg/s320/IMG_1555.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5348858042643052050" /&gt;&lt;/a&gt;　バスコにはとにかく国や州など官公庁が多い。写真は州庁舎。周辺には公共事業道路省、農業省、環境省や地方裁判所などなど。さらにバタネス国立大学に、なんと国立サイエンス・ハイスクールまである。人口は約6000人というが、ここで働く多くの人はおそらく公務員だろう。フィリピンには81もの州があってなんて多いのだろうと思っていたが、おそらく僻地にあっては、州都があるとないとでは大違い。なるほど地方振興、雇用対策の面ではおおいに意味がある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjr21hU4scI/AAAAAAAAAlk/PBV7zYM331M/s1600-h/IMG_2015.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjr21hU4scI/AAAAAAAAAlk/PBV7zYM331M/s320/IMG_2015.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5348858906795356610" /&gt;&lt;/a&gt;　夕方になると州庁舎前のグラウンドは役所や学校の部活動で賑わい、公園は人々の憩いの場となる。僻地かと思ったが、若者は結構あか抜けていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjr3FRfWp2I/AAAAAAAAAls/xM74CDSs7ug/s1600-h/IMG_2083.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjr3FRfWp2I/AAAAAAAAAls/xM74CDSs7ug/s320/IMG_2083.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5348859177422202722" /&gt;&lt;/a&gt;　バスコの海岸は、日没近くになると家族連れで海水浴を楽しむ人々で賑わっていた。ここには無論ストリートチルドレンはいないし、土地の老人が言っていたが、泥棒もいないそうだ。街はきれいでプラスチックゴミもほとんど落ちていない。こちらから意識的に目を合わせれば、多くの人が挨拶をしてくれる。そんな場所だ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjr3dVTMViI/AAAAAAAAAl0/H64AIliF0wE/s1600-h/IMG_1545.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 214px; height: 320px;" src="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjr3dVTMViI/AAAAAAAAAl0/H64AIliF0wE/s320/IMG_1545.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5348859590761797154" /&gt;&lt;/a&gt;　バスコのシンボルの灯台。ロッジから徒歩で20分ほど。米国時代には無線の中継地だった場所。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjr31MuKFPI/AAAAAAAAAl8/biYDdGCKCME/s1600-h/IMG_1520.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjr31MuKFPI/AAAAAAAAAl8/biYDdGCKCME/s320/IMG_1520.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5348860000775836914" /&gt;&lt;/a&gt;　サント・ドミンゴSanto Domingo教会。18世紀後半、初めてバタネスに教会が建てられた土地。バタネ町はどの町でも教会が中心。こんな僻地にも威容を誇る教会が存在している。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjr4K1iTnvI/AAAAAAAAAmE/TOT_NhYq9bw/s1600-h/IMG_1515.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjr4K1iTnvI/AAAAAAAAAmE/TOT_NhYq9bw/s320/IMG_1515.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5348860372509236978" /&gt;&lt;/a&gt;　空から見たマハタオMahataoの町（バスコの隣町）の様子。真中が教会。教会がいかに町作りの中心となっているかよくわかる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjr4rchPbcI/AAAAAAAAAmM/mdf1DiSv2-A/s1600-h/IMG_1602.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjr4rchPbcI/AAAAAAAAAmM/mdf1DiSv2-A/s320/IMG_1602.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5348860932729564610" /&gt;&lt;/a&gt;　バヤンVayan。ロッジから車で10分。なお島内の幹線道路にはジープニーが走っているが、初めての際は車を貸しきって回るのがベスト。1時間250ペソ。5～6時間もあれば島を一周できる。慣れればジープニーが便利。緑の絨毯となった丘が幾重も連なり、その先に真っ青な海。牛や山羊が放牧されている。水平線上にうっすら浮かぶのはバタネス州最大の島、イトバヤットItbayat島。その先に無人のヤミ島。そしてフォルモサ、台湾。南シナ海と太平洋が交わる大海の壮大な眺めが堪能できる。実に地球は丸い。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjr5adK9ZfI/AAAAAAAAAmU/7zJx96KfzZA/s1600-h/IMG_1625.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjr5adK9ZfI/AAAAAAAAAmU/7zJx96KfzZA/s320/IMG_1625.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5348861740358395378" /&gt;&lt;/a&gt;　ボールダー・ビーチ。ロッジから車で10数分。悠久の歴史、荒れる波濤にまるまると削られたゴロタ石が無数にころがる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjr6ImoHGbI/AAAAAAAAAmc/deeg6WNqiJg/s1600-h/IMG_1632.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjr6ImoHGbI/AAAAAAAAAmc/deeg6WNqiJg/s320/IMG_1632.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5348862533170567602" /&gt;&lt;/a&gt;　漁師の出航。この小さなバンカボート、釣り糸と針だけで、人の背丈ほどのカジキマグロも獲れるという。もっとも多くの場合たいした収獲はないのだろう。博打のようなものだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjr7mEnG46I/AAAAAAAAAmk/SgGgGr0e3Vw/s1600-h/IMG_1639.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjr7mEnG46I/AAAAAAAAAmk/SgGgGr0e3Vw/s320/IMG_1639.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5348864138947257250" /&gt;&lt;/a&gt;　バランガイ・トゥコンTukonの高台。現在ラジオ・ステーションを建設中。ここは360度の視界が息を飲む。中央がイリヤ山で右が太平洋、左は南シナ海。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjr8R3O9qsI/AAAAAAAAAms/466P4sRKt6Y/s1600-h/IMG_1645.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjr8R3O9qsI/AAAAAAAAAms/466P4sRKt6Y/s320/IMG_1645.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5348864891270572738" /&gt;&lt;/a&gt;　高台から降りる途中の教会。ゴロタ石の美しいファサード。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjr9iHa-nAI/AAAAAAAAAm0/NHGwizARNMo/s1600-h/IMG_1659.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 214px; height: 320px;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjr9iHa-nAI/AAAAAAAAAm0/NHGwizARNMo/s320/IMG_1659.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5348866270005468162" /&gt;&lt;/a&gt;　バスコから南へ向かう道は海に迫った断崖絶壁の中腹を削って作られた道。車道の下には壮大な景色が続く。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjr928y-MoI/AAAAAAAAAm8/OUAjsqeMYqk/s1600-h/IMG_1657.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjr928y-MoI/AAAAAAAAAm8/OUAjsqeMYqk/s320/IMG_1657.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5348866627930567298" /&gt;&lt;/a&gt;　途中には洒落た展望台View Deckがある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjr-JHiSHBI/AAAAAAAAAnE/RghOsaVHik8/s1600-h/IMG_1670.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjr-JHiSHBI/AAAAAAAAAnE/RghOsaVHik8/s320/IMG_1670.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5348866940051004434" /&gt;&lt;/a&gt;　イバナIvana町、バランガイ・サン・ホセSan Joseにあるバハイ・ニ・ダカイVahay ni Dakay（ダカイの家）と呼ばれる伝統的ストーン・ハウス。石は珊瑚の死骸からできたライムストーン。18世紀建造、最も古い家屋の一つ。現在でも使われている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjr-4XK7cfI/AAAAAAAAAnM/6M6ZPFgeKcI/s1600-h/IMG_1675.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjr-4XK7cfI/AAAAAAAAAnM/6M6ZPFgeKcI/s320/IMG_1675.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5348867751701869042" /&gt;&lt;/a&gt;　ボート作りの現場。全長2.5メートルほどの小型バンカ。3枚の長い板を接合している。木材は沖縄などでもよくあり黄色の染料にもなるフクギ。木材の曲線の掘り出しは太古からの伝統を受け継ぐ職人の勘。大航海時代、フィリピンはガレオン船の建造地かつ輸出基地として、海洋貿易の発展に大いに寄与したという。もっと古くは日本の船作りにも影響を与えたと推測されている。一ヶ月の作業で600米ドルで売るそうだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjr_q-Y9a4I/AAAAAAAAAnU/ibnUY0vc7hE/s1600-h/IMG_1703.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjr_q-Y9a4I/AAAAAAAAAnU/ibnUY0vc7hE/s320/IMG_1703.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5348868621223160706" /&gt;&lt;/a&gt;　ウユガンUyugan町のバランガイ・イトブッドItbud。バタン島で最も伝統的ストーン・ハウスの残る美しい町並み。家屋の半数近くが石作りの壁とコゴン草の屋根。今は美しい姿だが、意識的に保存していかなければいずれ失われてしまうだろう。土地の人の話では、ストーン・ハウスの修復の際には州政府の補助金が出るそうである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjsArBbxmyI/AAAAAAAAAnc/Q2Cg4oSdNDg/s1600-h/IMG_1857.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjsArBbxmyI/AAAAAAAAAnc/Q2Cg4oSdNDg/s320/IMG_1857.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5348869721551903522" /&gt;&lt;/a&gt;　三日目は隣りのサブタンSabtang島へボートトリップ。6時半にロッジからジープニーに乗り、イバナ町のサン・ビセンテSan Vicente港まで。約30分で25ペソ。そこから写真のバンカ（20人乗り）で45分かけてサブタン島へ。50ペソ。サブタン島は人口1800人。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjsBgTtmjOI/AAAAAAAAAnk/DjR5R7wfU1M/s1600-h/IMG_1871.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjsBgTtmjOI/AAAAAAAAAnk/DjR5R7wfU1M/s320/IMG_1871.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5348870636991581410" /&gt;&lt;/a&gt;　港は日本の政府開発援助（ＯＤＡ）で整備されていた。またこの港の近くの小学校もＯＤＡ（おそらく草の根援助）だった。ちなみにバスコの小学校でもＯＤＡマークを発見。バタネスではＯＤＡが大活躍だ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjsCWh0lPqI/AAAAAAAAAns/KHtHTlvklt4/s1600-h/IMG_2003.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjsCWh0lPqI/AAAAAAAAAns/KHtHTlvklt4/s320/IMG_2003.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5348871568491888290" /&gt;&lt;/a&gt;　港に着いたらまず近くのヘリテージ事務局で登録（100ペソ）。そこで出会った公認ガイドのボーイ・アラバードBoy Alabadoさんは、とても親切でしっかりとガイドしてくれた。ガイド付きバイクで3時間600ペソ。ガイドブックにはサブタン島には宿泊施設が無いとあるが、少人数ならこのヘリテージに宿泊可能。絶景の海辺でキャンプもできるそうだ。サブタン島を訪れる際は彼に連絡すると良い。Tel:0919－866-6497&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjsCzSNpSDI/AAAAAAAAAn0/kCGoOnOJqYc/s1600-h/IMG_2001.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjsCzSNpSDI/AAAAAAAAAn0/kCGoOnOJqYc/s320/IMG_2001.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5348872062518249522" /&gt;&lt;/a&gt;　港のカンティーンで昼食。ある方のブログの薦めに従いココナッツクラブ（椰子蟹）を食べる。身がしまっていて、味噌もいっぱいで美味。一匹250ペソ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjsDP1t_IxI/AAAAAAAAAn8/XPk1JpL89oo/s1600-h/IMG_1884.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjsDP1t_IxI/AAAAAAAAAn8/XPk1JpL89oo/s320/IMG_1884.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5348872553085477650" /&gt;&lt;/a&gt;　臼井氏の本で紹介されている日本では”修羅”と呼ばれた車輪の無い運搬道具。本当にまだ使われていた。地面との摩擦の少ない車輪の発明は、人類にとって革命的なできごとだったのだろうと納得。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjsDtDOr7FI/AAAAAAAAAoE/2ONT56yw_Qg/s1600-h/IMG_1905.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjsDtDOr7FI/AAAAAAAAAoE/2ONT56yw_Qg/s320/IMG_1905.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5348873054928497746" /&gt;&lt;/a&gt;　バランガイ・サビドゥッグSAVIDUGにあった原型をとどめるイバタン族の伝統的ストーンハウス。原型は屋根が低い位置まで降りていて、入り口の間口は7～８0センチ程度。台風の激しい風に耐えるため。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjsEWsLJj7I/AAAAAAAAAoM/XA_lJRDnReI/s1600-h/IMG_1927.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjsEWsLJj7I/AAAAAAAAAoM/XA_lJRDnReI/s320/IMG_1927.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5348873770294153138" /&gt;&lt;/a&gt;　緑の絨毯のような丘陵と紺碧の海。そして映画『カディン』にも登場した山羊。ここは映画のロケ地になった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjsEugoaRbI/AAAAAAAAAoU/TzUhsQ2_YUY/s1600-h/IMG_1951.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjsEugoaRbI/AAAAAAAAAoU/TzUhsQ2_YUY/s320/IMG_1951.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5348874179512518066" /&gt;&lt;/a&gt;　バランガイ・チャバヤンChavayanの美しい町並み。『カディン』の主人公の兄弟が住んでいる家がある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjsFC-tfiXI/AAAAAAAAAoc/H6HCC2p2GSw/s1600-h/IMG_1969.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjsFC-tfiXI/AAAAAAAAAoc/H6HCC2p2GSw/s320/IMG_1969.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5348874531184281970" /&gt;&lt;/a&gt;　イバタンの伝統家屋の本当のオリジナルはライムストーンを使わずに、コゴン草と椰子の葉などでできていた。ストーンハウスの技術はここを支配したスペイン人が持ち込んだもの。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjsGeIoDpbI/AAAAAAAAAo0/TmoheBQTkFY/s1600-h/IMG_1957.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 214px; height: 320px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjsGeIoDpbI/AAAAAAAAAo0/TmoheBQTkFY/s320/IMG_1957.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5348876097213932978" /&gt;&lt;/a&gt;　土地の名物である女性用のヘッドギアー、ヴァクルVakulを編む。素材はアバカの繊維。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjsGzuEJM0I/AAAAAAAAAo8/DtKLzNLLy_o/s1600-h/IMG_1983.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjsGzuEJM0I/AAAAAAAAAo8/DtKLzNLLy_o/s320/IMG_1983.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5348876468041102146" /&gt;&lt;/a&gt;　バージンアイランド&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjsHLEA3CVI/AAAAAAAAApE/nJJE61FxYlk/s1600-h/IMG_2005.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 214px; height: 320px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjsHLEA3CVI/AAAAAAAAApE/nJJE61FxYlk/s320/IMG_2005.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5348876869069900114" /&gt;&lt;/a&gt;　帰りのバンカでカツオが釣れた。たった一本の糸と針で。小ぶりだけどれっきとした黒潮海流のカツオが、たったの100ペソ。早速買って帰り、ロッジで刺身にしてもらった。当然美味。ちなみにロッジには日本の醤油とわさびまであった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjsHcSxNf3I/AAAAAAAAApM/YX_znzEpXjU/s1600-h/IMG_2124.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjsHcSxNf3I/AAAAAAAAApM/YX_znzEpXjU/s320/IMG_2124.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5348877165088571250" /&gt;&lt;/a&gt;　南シナ海に沈む夕日&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/27072425-3161729436070966552?l=bensuki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://bensuki.blogspot.com/feeds/3161729436070966552/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=27072425&amp;postID=3161729436070966552' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/3161729436070966552'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/3161729436070966552'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://bensuki.blogspot.com/2009/06/blog-post_19.html' title='バタネス、ああバタネス'/><author><name>bensuki</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01735024261670566866</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/Sjrx_MNpzyI/AAAAAAAAAkE/ptl6KdYHNW0/s72-c/IMG_1933.JPG' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-27072425.post-5313020053359574761</id><published>2009-06-17T12:29:00.003+08:00</published><updated>2009-06-17T12:37:39.820+08:00</updated><title type='text'>再び、世界に発信し始めた新しいフィリピン映画</title><content type='html'>　同じような記事を『まにら新聞』に書きましたが、ちょっと内容を変えて。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjhxxITH65I/AAAAAAAAAj8/A1LjTRc7UHI/s1600-h/%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BC%E3%82%B5.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 214px; height: 320px;" src="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjhxxITH65I/AAAAAAAAAj8/A1LjTRc7UHI/s320/%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BC%E3%82%B5.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5348149646357687186" /&gt;&lt;/a&gt;　今年で第六十二回を迎えたカンヌ国際映画祭。日本人ではただ一人、かつて大島渚のみ受賞したことのある栄誉ある監督賞を、なんとフィリピン人が受賞するというビッグなニュースが届いた。ブリリャンテ・メンドーサ（四十九才）監督で、作品名は『キナタイ（屠殺）』。請負殺人をテーマに、娼婦による遺体切断といった猟奇的なシーンが話題となったサイコスリラー風の作品だ。あまりの残酷なシーンに審査員の評価も賛否両論まっぷたつに分かれたが、類まれな独創性が認められての受賞となった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　彼の自宅兼スタジオは、マンダルーヨン市の何の変哲もない住宅街の一画にある。事務所には、この四年間に獲得した国内外の数々の映画賞のプラークが飾られていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　メンドーサの監督デビューは４年前。『マサヒスタ』というゲイ専門のマッサージパーラーを舞台にしたきわどいデジタル作品で、制作費はたったの二百万円だった。サント・トーマス大学の美術学科を卒業して広告業界で地歩を築いた彼は、当初、映画制作はその一作のみの予定だった。しかし同作品がいくつかの海外の映画祭で評価され、その後の彼の人生は大きく変わった。二作目は『マノロ』。アエタというネグリート系の先住民族の子供が文字を覚えて大人に教える教師になるという物語。『フォスターチャイルド』は数々の国際映画祭で受賞。地方の場末の成人映画館の日常をリアルに描いた『セルビス』は、昨年のカンヌ監督週間で上映されている。今回の『キナタイ』を含みこれまで八本を制作。カンヌの監督賞で、ルネ・クレマンやマーティン・スコセッシ、ウォン・カーウァイなど世界的名監督と並び称されることになった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今回の出来事は彼の個人的名誉を超えて、フィリピン映画の新しい波の到来を世界に告げる象徴的な事件である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　以前このブログでも紹介したとおり、フィリピンはかつてインドに次ぐアジア第二の映画大国だった。アメリカ植民地時代からハリウッド流スタジオ・システムを導入して、六○年代から七○年代にかけて、長編劇場用映画だけで年間二百本を超える“黄金時代”を築いた。国民も大の映画好きで、アクション・スターのエストラーダは、庶民から絶大な支持を受けて大統領にまで上り詰めた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　特に七○年代には歴史に残る多くの秀作が生み出された。マルコス政権の戒厳令下には、過酷な時代に挑戦するように社会的テーマを取り上げた芸術性の高い作品が作られた。中でもリノ・ブロッカ監督は今もこの国の若い映画人に多大な影響を与え続けている。母親の内縁の夫にレイプされるスラムの娘の復讐を描いた『インシャン』は、一九七六年カンヌの監督週間で上映された。今から三十三年前のことである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　国際交流基金でも二十年ほど前からフィリピン映画祭（一九九一年）やリノ・ブロッカ監督特集（一九九七年）などを通じて、優れたフィリピン映画を日本で紹介してきた。しかし九十年代末以降は全体として低調な時代が続いたため、日本で得られる情報は非常に限定的になった。多くの日本人はフィリピン映画のことを全く知らないであろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　フィリピン映画アカデミーの発表によれば、三十五ミリ映画の年間製作本数は、九六年～九九年の平均が百六十四本で、二○○六年が四十九本と、この十年で急激に落ち込んだ。公開される作品は、有名歌手の知名度に頼ったラブロマンスや、中途半端なホラー映画が多い。基本的に悲惨な状況の中で、なぜメンドーサのような監督が出現したのだろうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　これもここでたびたび紹介しているとおり、ここ数年フィリピンの映画界は、”インデペンデント”といわれる大手製作会社に属さない個人によるデジタル映画が盛んだ。コンパクトなデジタル・ビデオ・カメラの技術的進歩で、多額の予算がなくても撮りたい映画が撮れるようになった。二○○五年には、関係者の熱い期待を担って政府系のイベントである「シネマラヤ・フィリピン・インデペンデント・フィルム・フェスティバル」が産声を上げた。毎年参加作品が増え、昨年は一挙に百六十五本の国産デジタル映画が上映され、今年も七月十七日～二十六日に開催される予定（会場はフィリピン文化センター）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　インデペンデント映画のテーマとなる物語は、犯罪、暴力、貧困、売春、ゲイとシリアスなものが多い。いずれもフィリピン社会の底辺ではありふれた素材でしかないが、そこには描くに足る生命力に満ちた生活が確かにある。多くのことを語ってくれる物語の宝庫だ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　昨年、メンドーサが福岡アジア映画祭に招待されて日本を訪れた際、日本人の観客は彼の作品にとても好意的だったようだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「ぼくの映画は貧困や犯罪など、物語自体がネガティブだったり、全く救いのないように見える。でもそんな救いのない物語の中でも、そこで暮らす登場人物には生きようという意思が感じられる。自殺の多い社会に暮らす日本人から見ると、とても新鮮なんじゃないかな。」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　メンドーサのカンヌ受賞に至る道のりは、フィリピンのインデペンデント映画の興隆と重なる。彼が撮影を始めた四年前は、まさに「シネマラヤ」が産声を上げた年。以来、フィリピン映画界の新たな大きな波の先頭ランナーとして突っ走り、おそらく幸運にも恵まれて時代の寵児に躍り出たのだろう。彼の背後には、デジタルシネマで息を吹き返した多くの若きフィルムメーカーが夢や野望を抱いて、虎視眈々と控えている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　既に昨年からフランス人のプロデューサーと契約し、今回のカンヌ受賞で海外での配給は飛躍的に拡大しそうだ。今後の課題は、海外よりもむしろ国内の観客を育てることだと彼は言う。「シネマラヤ」の十日間はCCPを埋め尽くす根狂的な観衆も、熱が冷めてしまえばインデペンデント映画には冷淡だ。現在もロビンソン・ギャレリアというショッピングモールにあるシネ・コンプレックス内の一館では、常にインデペンデント映画を上映しているが、ほとんど毎回観客はいない。私の経験では平均十人程度。いくら芸術的な作品を作って海外の映画祭に招待されても、その映画は自分たちの国で一体どれだけの人の目に触れるのだろうか。海外でレッドカーペットの上を歩くことが映画制作の目的、ではもちろんないだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　『キナタイ』はかなり激しい残酷なシーンを含むため、検閲の厳しいこの国では多くの大事なシーンがカットされてしまうのは必定。そのため、彼は最初から劇場公開をあきらめている。公開は検閲の入らないUPや学校のみ。なるべく多くの若者に見せ、フィリピン映画の将来を担う観客を育てたいと抱負を語っていた。（おそらくフィリピン初公開は７月末、ＵＰかＣＣＰであろう。）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今再び大きな波が訪れているフィリピン映画は、確かに世界に向かって発信を始めている。しかし、今度はここフィリピンで、ハリウッド制のアクション映画やホラー映画に映画館を占拠されないためにも、メンドーサたちの今後の健闘に期待したい。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/27072425-5313020053359574761?l=bensuki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://bensuki.blogspot.com/feeds/5313020053359574761/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=27072425&amp;postID=5313020053359574761' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/5313020053359574761'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/5313020053359574761'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://bensuki.blogspot.com/2009/06/blog-post_17.html' title='再び、世界に発信し始めた新しいフィリピン映画'/><author><name>bensuki</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01735024261670566866</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjhxxITH65I/AAAAAAAAAj8/A1LjTRc7UHI/s72-c/%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BC%E3%82%B5.JPG' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-27072425.post-663462399510130778</id><published>2009-06-10T14:15:00.014+08:00</published><updated>2009-06-11T16:10:30.900+08:00</updated><title type='text'>マカティー最新アート情報</title><content type='html'>　久しぶりのブログです。これまでわりとまとまった記事を１ヶ月に１本ぐらいのペースで書いていましたが、ちょっと方針を変えて、短いやつをなるべく多く、仕事関連もそうじゃなくてもレアな情報を紹介してゆきます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjCr5utGwsI/AAAAAAAAAjM/7GVWNWkTjXA/s1600-h/IMG_1503.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjCr5utGwsI/AAAAAAAAAjM/7GVWNWkTjXA/s320/IMG_1503.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5345961765966889666" /&gt;&lt;/a&gt;　それでまずは身近なネタで、バージョンアップした最新のマカティー・アート・シーン。随分前に「アートスペース情報」としてギャラリーのことなど書いたが、その中で紹介したシルバーレンズ・ギャラリーhttp://www.silverlensphoto.com/main.htmlは、本業の写真ギャラリー以外に、最近もう一つの新しいギャラリー、SLab（シルバーレンズ・ラボラトリー）をオープンした。現代美術の中堅から若手まで積極的に紹介し始めている。ちなみにこのシルバーレンズの創設者にして若手写真家のイサ・ロレンツォhttp://www.isalorenzo.com/は、この７月から２ヶ月間ほど日本に招待する予定。前半は東京ワンダーサイトで滞在し公開制作などもあるので、ご関心のある方はどうぞ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ちなみにそのシルバーレンズで、たった今何をやっているかというと、写真ギャラリーではブリッシオ・サントスという写真家によるモノクロの写真展。マカティーをテーマに無機的な対象を撮影し、ざらっとした手触り感覚のあるマチエールで印刷した作品。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　それからSLabでは、バコロド出身の画家チャーリー・コーの個展。チャーリーは私も20年近く前から知っている社会派シュール・リアリスト。今回は木炭で描いた15枚の絵。いつもながらユーモラスで不気味だ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjCtEZo_ODI/AAAAAAAAAjU/nrEhIvPpLuw/s1600-h/IMG_1495.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 214px; height: 320px;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjCtEZo_ODI/AAAAAAAAAjU/nrEhIvPpLuw/s320/IMG_1495.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5345963048802662450" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;　そして一番小さくて四畳半くらいの20スクエアというスペースでは、ベア・カマチョという女性作家の"Disconnect The Dots"という作品展。このベア・カマチョはちょっと面白い人なので紹介しておく。中華系フィリピン人で26才。コンセプチャル・アートの新星だ。18才でアメリカのハーバード大学に留学し、アート・環境学科をトップで卒業したという才媛。最近フィリピンのアートシーンでちょくちょく名前を聞くようになった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　それで今回の作品は下のようなもの。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjCtx9Rlp9I/AAAAAAAAAjc/aHA6z7wHjnE/s1600-h/IMG_1499.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 214px; height: 320px;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjCtx9Rlp9I/AAAAAAAAAjc/aHA6z7wHjnE/s320/IMG_1499.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5345963831462307794" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjCuS1ALQ3I/AAAAAAAAAjk/wbDjWX-lELQ/s1600-h/IMG_1498.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 214px; height: 320px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjCuS1ALQ3I/AAAAAAAAAjk/wbDjWX-lELQ/s320/IMG_1498.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5345964396177474418" /&gt;&lt;/a&gt;　12枚のフレームは12ヶ月を表す。1枚ごとに縦横に小さなドットが並んでいる。で、このドット、縦軸は自分も含めた彼女の家族メンバー、右からお父さん、お母さん、お姉さん、私・・・。横が1日ごとを表す。そしてそれぞれその時にどの国にいたかを調べ、国のカントリーコードを出し、その数字に対応する色をカラーコードから引き出してドットに色付けをしたもの。一目見て、いろんな色がパターン化していてきれいだけれど、つまりそれは、それだけ家族がばらばらだっていうことを表している。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　フィリピンの社会問題として、海外移住、頭脳流出、ディアスポラなど様々な機会で議論され、いろんなかたちで表象されるけど、彼女の作品は無味乾燥としたあくまでもフラットなもので、これが抽象というのだろうが、良く考え抜かれていて面白いと思った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　その彼女の作品展だが、ほぼ同じ内容ものをシルバーレンズの近くに昨年オープンしたフィナーレ・アート・ギャラリーhttp://www.finaleartfile.com/でも開催している。同じ内容の展覧会を二つの異なるギャラリーで同時にやるところが面白い。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　このフィナーレは、かつてのギャラリーのメッカであるＳＭメガモールにショールームを持っていた老舗画廊だが、昨年このパソンタモ・エクステンション通りに移転。倉庫街の一角で大きなスペースのギャラリーをはじめた。いま話題のスペースだ。元倉庫だからとにかくでかい。現在はワイヤー・トゥワゾンという画家のスーパーリアルっぽい油絵が展示されている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjCu-Jr3NyI/AAAAAAAAAjs/N1BVBpmPIl0/s1600-h/IMG_1485.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjCu-Jr3NyI/AAAAAAAAAjs/N1BVBpmPIl0/s320/IMG_1485.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5345965140463793954" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;　あの懐かしいスタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」がモチーフの大判油（96インチ×144インチ）だけど、１枚100万円の値がついていた。不思議となんでもよく売れるフィリピンの現代美術市場だが、彼の作品も７枚中３枚も売れていた。ちなみにこのワイヤー氏は、アンゴノに住んでいて、あのネオ・アンゴノのリーダーだ。ネオ・アンゴノとは今年11月のフェスティバルでアジアのアーティストや研究者を集めて一緒に大きな国際セミナーをやる予定で、今から楽しみだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjCvyB7vn-I/AAAAAAAAAj0/KdfWL19l4as/s1600-h/IMG_1488.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjCvyB7vn-I/AAAAAAAAAj0/KdfWL19l4as/s320/IMG_1488.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5345966031736119266" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;　このパソンタモ・エクステンション界隈にはまた別のギャラリーが近く新規オープンするようで、これからも目を離せない。さらには最近話題のケソン市のノース・エドサにもいくつかギャラリーがオープンしたようだ。ちょっと前まではグローバルシティーが最先端だったが、今はノースエドサとトライノーマ。にわかに活気付いている新しいアートスポットについては随時調査して報告する。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/27072425-663462399510130778?l=bensuki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://bensuki.blogspot.com/feeds/663462399510130778/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=27072425&amp;postID=663462399510130778' title='1 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/663462399510130778'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/663462399510130778'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://bensuki.blogspot.com/2009/06/blog-post.html' title='マカティー最新アート情報'/><author><name>bensuki</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01735024261670566866</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SjCr5utGwsI/AAAAAAAAAjM/7GVWNWkTjXA/s72-c/IMG_1503.JPG' height='72' width='72'/><thr:total>1</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-27072425.post-2198842973581031787</id><published>2009-02-19T11:28:00.006+08:00</published><updated>2009-02-19T12:01:18.815+08:00</updated><title type='text'>癒しとしてのアートを求めて</title><content type='html'>&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZzTnDY-z0I/AAAAAAAAAh8/A2rtGBQV1UQ/s1600-h/IMG_9441.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZzTnDY-z0I/AAAAAAAAAh8/A2rtGBQV1UQ/s320/IMG_9441.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5304347129014046530" /&gt;&lt;/a&gt;　今回のコタバトでの調査にはもう一つの目的があった。いまミンダナオ紛争に巻き込まれてしまった子供たちを対象にした”癒しのためのアート・キャンプ”を計画しているのだが、そのためにまずは多少なりとも現場の状況を知り、現地で一緒に手伝ってくれそうなパートナーを探すことであった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ピキットでイパットのドキュメンテーションを視察した翌日、今度はコタバトのコミュニティー・アンド・ファミリー・サービス・インターナショナル（ＣＦＳＩ）というＮＧＯのスタッフに案内され、隣町のダトゥ・オディン・シヌスアットにある国内非難民キャンプを訪問した。ＣＦＳＩのスタッフであるサンドラは、昨年の１２月にＪＥＮＥＳＹＳ（21世紀東アジア青少年交流大計画）事業のスタディー・ツアーで日本に招待していて顔見知りだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ここの難民キャンプには近郊のタラヤン、ギンドゥルガン、ダトゥー・アンガルなど３町から逃れてきた約３００人の人々が暮らしている。多くは子供や老人たち。ココヤシの木で作った掘っ立て小屋に、ＮＧＯから配られたビニールシートを張って雨をしのぎ、なんとか暮らしている。食料はＷＦＰ（世界食料計画）や国際赤十字からの配給。例えばＷＦＰからは、１家族あたり月に２５キロの米といわしの缶詰、塩、砂糖、オイルにコーヒーが配給される。水は井戸を掘って調達しているが、衛生的に厳しい状況だ。もう６ヶ月間こんな生活が続いているそうだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZzVZz4APgI/AAAAAAAAAiE/KjLnKTYGkpk/s1600-h/IMG_9444.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZzVZz4APgI/AAAAAAAAAiE/KjLnKTYGkpk/s320/IMG_9444.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5304349100534152706" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そのキャンプの敷地内に、ユニセフが資金を出してＣＦＳＩが運営している臨時の小学校と幼稚園があった。どちらも粗末な作りだが、５人のボランティアの先生たちが授業をしていて、笑顔の子供たちであふれていた。同行したサンドラも子供たちの笑顔が救いだと言う。笑顔は、多くのフィリピン人が備えている彼らのライフスタイルを支える根幹だ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZzWVB7vHWI/AAAAAAAAAiM/LkfMzIGkkgU/s1600-h/IMG_9487.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZzWVB7vHWI/AAAAAAAAAiM/LkfMzIGkkgU/s320/IMG_9487.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5304350117920185698" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;　そんな子供たちの笑顔を眺めていたら、ある絵が思い出された。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この時期ちょうどマニラで、ミンダナオ紛争をテーマにした「デザイニング・ピース」という展覧会が開かれている（２月５日～３月３０日、デ・ラ・サール大学セント・ベニルデ校デザイン・アート学部）。私の事務所もローカルグラントを出して少しだけ協力しているが、その展覧会にテン・マンガンサカンが作品を出品している。これまでミンダナオ各地の難民キャンプを訪問して集めた子供たちのドローイングを展示したものだ。どの絵のテーマも「今」と「未来」に分かれていて、それぞれのイメージが描かれている。「今」と題した絵には、銃を発砲する戦闘員や空爆の絵、燃え上がる家屋、そして犠牲者たちが描かれていた。それはごく自然に、あたかも”あたりまえの日常の光景のように”描かれていたのだ。おそらく私の娘と変わらない年頃の子供たちの描く何気ない残酷な絵に、背筋の寒くなるような恐ろしさと哀しさを覚えた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZzYOZgdPSI/AAAAAAAAAic/vE65TSTg4OM/s1600-h/IMG_9501.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZzYOZgdPSI/AAAAAAAAAic/vE65TSTg4OM/s320/IMG_9501.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5304352203012390178" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　　　　　左側が「今」の様子&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ミンダナオのような戦乱の続く土地で、危機に直面した場所で、アートや文化は一体どんな役割を果たすことができるのだろうか？戦争による殺し合いを目の当たりにし、親や兄弟や親戚を失って心に深い傷を負った子供たちにとって、アートは何か意味のあるものを提供できるのだろうか？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　難民キャンプの学校に集まる子供たちの笑顔の裏に、どんな記憶や恐れが隠されているのか、一瞬に過ぎない出会いからは想像できるわけのない、重すぎる現実がそこにはあるのだと思う。実際に”アート・キャンプ”が実現できたとして、おそらくそこに参加できる子供の数は少ない。５０万人と言われる国内避難民の少なくとも約３分の一が高校生（16歳）以下の子供とすれば、それだけで１５万人の子供たちが犠牲になって、学校もろくに行けない生活をしているのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　でも自分が文化を扱う仕事に携わって、そしてこのフィリピンという国に関わろうとすればするほど、そんな現実に対して何ができるのかと考えざるをえない。“大海の一滴“であるのを承知のうえで、それでもあえてその一滴をもたらす価値とは何か、意味とは何か、ここしばらくは考えてゆきたい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZzXa7E574I/AAAAAAAAAiU/FdyFUwRgn7Q/s1600-h/IMG_9462.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZzXa7E574I/AAAAAAAAAiU/FdyFUwRgn7Q/s320/IMG_9462.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5304351318670438274" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/27072425-2198842973581031787?l=bensuki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://bensuki.blogspot.com/feeds/2198842973581031787/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=27072425&amp;postID=2198842973581031787' title='1 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/2198842973581031787'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/2198842973581031787'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://bensuki.blogspot.com/2009/02/blog-post_19.html' title='癒しとしてのアートを求めて'/><author><name>bensuki</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01735024261670566866</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZzTnDY-z0I/AAAAAAAAAh8/A2rtGBQV1UQ/s72-c/IMG_9441.JPG' height='72' width='72'/><thr:total>1</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-27072425.post-7748462825040915113</id><published>2009-02-17T12:15:00.044+08:00</published><updated>2009-02-17T15:27:27.356+08:00</updated><title type='text'>海から来た民族の記憶</title><content type='html'>&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZpEzL8NK-I/AAAAAAAAAfU/iHNLSnAhED4/s1600-h/IMG_9271.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZpEzL8NK-I/AAAAAAAAAfU/iHNLSnAhED4/s320/IMG_9271.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5303627157351508962" /&gt;&lt;/a&gt;　祖先の記憶を今の時代に残し、いかに次の世代に伝えてゆくか。”紛争地域”と言われているミンダナオで、そんな課題に挑戦している若者がいる。以前このブログでも紹介した“テン”ことマンガンサカン２世（2007年12月号参照）。モスレム独立運動の中心にして、イスラム原理主義の保守本流にもつながるマギンダナオ王家の血をひく彼が、その原理主義の偏狭に抗い、失われつつある伝統文化を守ろうとしている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ミンダナオは文化的に豊かで奥の深い島だ。フィリピンにキリスト教が入って来る前からイスラム教徒によるスルタンが統治する王国が形成されており、さらにその前はアニミズムの世界が覆っていた。しかしイスラム分離独立派と政府軍による紛争、さらにはアブサヤフなどのテロリストグループによる誘拐事件などが頻発し、治安の安定しない危険な地域とレッテルを貼られてしまった。治安の不安定化や開発の遅れは社会の荒廃を招き、フィリピンの支配的階層である低地キリスト教徒からは文化的にも後進地域と差別されるようになった。本来は豊かであるはずなのだが、特にイスラム教が支配的な村々ではイスラム原理主義の徹底した影響などで、伝統的な価値観がゆらいで文化体系が失われつつある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　テンが今取り組んでいるのは、イスラム以前からマギンダナオ族に伝わる伝統的儀式である“イパット”の記録ドキュメンタリー映画だ。“イパット”は５年に１度行われる家族の祖先との交霊の儀式。王家の儀式では１週間から２週間続くこともある。シャーマンによって執り行われ、音楽やダンス、詠唱を伴う。音楽はクリンタンと呼ばれる銅製の打楽器を使用し、憑依に至る激しい踊りが特徴。基本的にはマギンダナオの同族以外には公開しない秘儀であるため、これまで外部の人間による記録や研究が行わることはなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　それに加えて1960年代よりイスラム原理主義が浸透するに伴って、イスラムの教義とあいいれない伝統的信仰や儀式はタブーとして封印された。敢えて儀式を行う者に対しては、イスラム分離主義者やその武装勢力、特にIMLFの司令官などが攻撃を加えるまでエスカレートするようになった。攻撃を恐れる一般住民は儀式を行うことを避け、どうしても行う場合には外に音が漏れないように隠密裏に行うなど危険が伴うようになり、やがて儀式そのものから人心が離れていったという。今その儀式を行える数人のシャーマンは皆高齢で、後継者はほんの数名のみ。ここで記録をしておかなければ、マギナンダナオ族の文化的アイデンティティを支える“イパット”という儀式は永遠に失われてしまうかもしれない。すなわちそれは先祖より代々伝えられてきた大切な記憶を失うということだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　テンからこの記録事業について支援の要請がきたのが昨年の６月。幸いにして国際交流基金がその要請を受け入れることになった。そしていよいよドキュメンテーションが、２月１３日から１５日の３日間、ミンダナオ中西部の中心都市コタバトから東に車で約１時間のピキット町の郊外で行われた。ピキットは彼の叔父であるハシム・サラマットが、モロ・イスラム解放戦線（ＭＩＬＦ）を旗揚げした縁の地でもある。どうしてもその現場を見なくてはならないと思い、私は思い切ってピキットを訪れた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　実はこの撮影、予定ではもっと早く実施されるはずだった。しかし昨年の８月、長年続いたフィリピン政府とイスラム分離派勢力による和解交渉が成立寸前に決裂し、ミンダナオの状況は一気に混迷を深めて内戦状態に逆戻りとなり、一時は５０万人もの国内避難民が発生。国軍とＭＩＬＦとの交戦が激しくなって、とても記録どころではなくなってしまった。その当時はこのピキットでも戦闘が行われていたそうだ。ピキットはそれ以前にも断続的に戦闘が発生している土地だ。現在ではなんとか収まっていて、ようやく撮影を敢行できる状況になった。とはいへ、幹線道路からはずれればいつ何が起こってもおかしくない状況には変わらりはない。今でもミンダナオ中西部を中心に１７０ヶ所の難民キャンプがあり、３１万人以上の人々が非常時の生活を強いられているが、彼らも恐怖心から自分たちの村に帰れない状態なのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZpFHO3nHiI/AAAAAAAAAfc/DZvaioURkNc/s1600-h/IMG_9304.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZpFHO3nHiI/AAAAAAAAAfc/DZvaioURkNc/s320/IMG_9304.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5303627501734927906" /&gt;&lt;/a&gt;　イパットが行われた場所は、ピキットの幹線道路から広大なリガワサン湿地帯を３０分ほど奥に入ったパイドゥー・プランギ村。現地は事前の予想とは違って、随分とのどかでのんびりしたものだった。人々の表情も明るい。この村はテンの祖先の出身地で、ここなら安全と考えて決定したという。彼の親戚もたくさんいて、一族としては２６年ぶりのイパットだそうだ。７０歳代のチーフ・シャーマンに、数少ない若い継承者であるアブラヒム（３１歳）とファイサル（３３歳）が儀式の中心。その日は３日間続いた儀式の最後のクライマックスになる場面が行われた。貴重な記録なので、この機会に主な場面を順を追って写真で紹介する。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZpbO1L-e3I/AAAAAAAAAfs/mSnzjP8Te3w/s1600-h/IMG_9214.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 214px; height: 320px;" src="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZpbO1L-e3I/AAAAAAAAAfs/mSnzjP8Te3w/s320/IMG_9214.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5303651821535787890" /&gt;&lt;/a&gt;　７つの天をあしらった７層のお供え段&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt; &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZpbzYUqOAI/AAAAAAAAAf0/Lh-w25beqqM/s1600-h/IMG_9235.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZpbzYUqOAI/AAAAAAAAAf0/Lh-w25beqqM/s320/IMG_9235.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5303652449442740226" /&gt;&lt;/a&gt;　精霊へのお供え物の白米、赤米と卵&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZpcT4jGpUI/AAAAAAAAAf8/-05huvthhDY/s1600-h/IMG_9212.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 214px; height: 320px;" src="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZpcT4jGpUI/AAAAAAAAAf8/-05huvthhDY/s320/IMG_9212.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5303653007849071938" /&gt;&lt;/a&gt;　芭蕉の幹で作られた人形の根元に付けられた男根。後で悪霊が宿る&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZpczR9ULzI/AAAAAAAAAgE/eV-BT8EqL7o/s1600-h/IMG_9219.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 214px; height: 320px;" src="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZpczR9ULzI/AAAAAAAAAgE/eV-BT8EqL7o/s320/IMG_9219.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5303653547245842226" /&gt;&lt;/a&gt;　海からやって来た祖先の記憶を呼び覚まさすために塩と水で塩水を作る&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZpdMCnk7wI/AAAAAAAAAgM/w7O6c9yDaqQ/s1600-h/IMG_9238.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZpdMCnk7wI/AAAAAAAAAgM/w7O6c9yDaqQ/s320/IMG_9238.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5303653972624862978" /&gt;&lt;/a&gt;　クリンタンの演奏が始まり、徐々に儀式の雰囲気が高まる&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZpd_wlMCQI/AAAAAAAAAgU/oRz_Z50FvZs/s1600-h/IMG_9241.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZpd_wlMCQI/AAAAAAAAAgU/oRz_Z50FvZs/s320/IMG_9241.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5303654861136201986" /&gt;&lt;/a&gt;　キンマが用意され、シャーマンが噛む&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZpej7OxtII/AAAAAAAAAgc/zCOc3UPj9jQ/s1600-h/IMG_9254.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 214px; height: 320px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZpej7OxtII/AAAAAAAAAgc/zCOc3UPj9jQ/s320/IMG_9254.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5303655482470282370" /&gt;&lt;/a&gt;　シャーマンが米を撒いて場とテンを清める&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZpfFA6f5NI/AAAAAAAAAgk/-wUHGw-LXHU/s1600-h/IMG_9256.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZpfFA6f5NI/AAAAAAAAAgk/-wUHGw-LXHU/s320/IMG_9256.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5303656050931524818" /&gt;&lt;/a&gt;　若いシャーマンが刀を清め、口付けして呪文を唱える&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZpfkr8qpbI/AAAAAAAAAgs/CvCa2uGkZTY/s1600-h/IMG_9260.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZpfkr8qpbI/AAAAAAAAAgs/CvCa2uGkZTY/s320/IMG_9260.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5303656595059287474" /&gt;&lt;/a&gt;　シャーマンの祈りが始まる&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZpf7Kyqt4I/AAAAAAAAAg0/vpkIvQOIlXc/s1600-h/IMG_9265.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZpf7Kyqt4I/AAAAAAAAAg0/vpkIvQOIlXc/s320/IMG_9265.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5303656981295970178" /&gt;&lt;/a&gt;　老女の歌に続いてシャーマンが謳い、踊りだす&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZpge1s02-I/AAAAAAAAAg8/t2G23piO7Jk/s1600-h/IMG_9279.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZpge1s02-I/AAAAAAAAAg8/t2G23piO7Jk/s320/IMG_9279.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5303657594109615074" /&gt;&lt;/a&gt;　黄色と赤の布で示された橋をまたいで悪霊と闘う&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZpkSbw-yXI/AAAAAAAAAhU/5aHmdqRYNh4/s1600-h/IMG_9276.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZpkSbw-yXI/AAAAAAAAAhU/5aHmdqRYNh4/s320/IMG_9276.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5303661779035801970" /&gt;&lt;/a&gt;　一般の参加者が塩水をかけあう&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZpko0bI-VI/AAAAAAAAAhc/42ANT5zEycY/s1600-h/IMG_9282.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 214px; height: 320px;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZpko0bI-VI/AAAAAAAAAhc/42ANT5zEycY/s320/IMG_9282.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5303662163612203346" /&gt;&lt;/a&gt;　悪霊の宿った芭蕉人形に槍を刺して退治する&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZplBj90aGI/AAAAAAAAAhk/2obuj7EEWKo/s1600-h/IMG_9290.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZplBj90aGI/AAAAAAAAAhk/2obuj7EEWKo/s320/IMG_9290.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5303662588690983010" /&gt;&lt;/a&gt;　船の形をしたご神体に先祖の精霊が降りて来た。参加者全員で揺りかごのように揺らして精霊を送り出す。そうすれば病も一緒に消える&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZplYhOF-TI/AAAAAAAAAhs/XyaII846f0M/s1600-h/IMG_9292.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 214px; height: 320px;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZplYhOF-TI/AAAAAAAAAhs/XyaII846f0M/s320/IMG_9292.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5303662983090927922" /&gt;&lt;/a&gt;　シャーマンがテンに呪文を語りかける&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZplw6AwTiI/AAAAAAAAAh0/vrE8TA4g_ig/s1600-h/IMG_9301.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 214px; height: 320px;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZplw6AwTiI/AAAAAAAAAh0/vrE8TA4g_ig/s320/IMG_9301.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5303663402062728738" /&gt;&lt;/a&gt;　若いシャーマンが倒れて（実際に記憶を失う場合も多いという）、儀式は終わる&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　現在イパットを完全なかたちで執り行えるシャーマンは１０人にも満たないという。コタバトから同行したマギンダナオ人の友人は３０歳を過ぎているが、イパットを体験するのは今回が初めてだった。儀式の中で謡われる歌は、マギンダナオの古語のため意味がわからないそうだ。３１歳の若さでイパットに参加しているアブラヒムは、小学校２年の時に霊的体験をして以来シャーマンを志すようになった。病気治癒などのために時々呼ばれはするが、ほとんどの若者はイパットに関心を示さないと嘆く。もう一人の若きシャーマンのファイサルが、儀式の中で塩水を作る場面で話してくれた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「我々の祖先は海からやって来た。今はその海から遠く離れてしまったけれど、こうして海の水を作って、はるかな昔を思い出すんだ。」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今はリガワサン湿地の奥深くに暮らすマギンダナオの人々の祖先は、かつて海の向こうからやって来た。こうして呼び覚まされた彼らの祖先のスピリットも、船に乗って旅をする。記憶というものは、単に過去にさかのぼるということではなく、現在の私たち自身の姿、そして将来への期待も映し出すものだろう。今に生きる我々自身が思い出そうとする限り、記憶はその中身を変容させながらもいつまでも生き続ける。マギンダナオの人々が必要とする限り、集団の記憶はこうして次の世代に引き継がれて旅をし続けるのだろうと思った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　このイパットを収録したドキュメンタリー映像は、３月２６日にマニラで行われる国際会議（国際フォークロア学会（ＩＯＦＡ）主催、国際交流基金助成）にて発表が予定されている。ご関心のある方はご連絡ください。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZpFrceJbtI/AAAAAAAAAfk/P7HOCoFGQQg/s1600-h/IMG_9314.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 214px;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZpFrceJbtI/AAAAAAAAAfk/P7HOCoFGQQg/s320/IMG_9314.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5303628123861511890" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/27072425-7748462825040915113?l=bensuki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://bensuki.blogspot.com/feeds/7748462825040915113/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=27072425&amp;postID=7748462825040915113' title='3 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/7748462825040915113'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/7748462825040915113'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://bensuki.blogspot.com/2009/02/blog-post_17.html' title='海から来た民族の記憶'/><author><name>bensuki</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01735024261670566866</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZpEzL8NK-I/AAAAAAAAAfU/iHNLSnAhED4/s72-c/IMG_9271.JPG' height='72' width='72'/><thr:total>3</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-27072425.post-1770185555102139382</id><published>2009-02-13T15:57:00.005+08:00</published><updated>2009-02-13T16:23:59.041+08:00</updated><title type='text'>フィリピン人振付家が日本のダンス・コンペティションでグランプリ受賞！</title><content type='html'>&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZUoxhMFIKI/AAAAAAAAAdU/5Sllxh3Gh4I/s1600-h/new+choreographers+competition_01.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 221px; height: 320px;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZUoxhMFIKI/AAAAAAAAAdU/5Sllxh3Gh4I/s320/new+choreographers+competition_01.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5302188967486365858" /&gt;&lt;/a&gt;　マニラに赴任して以来、数え切れないほどフィリピンのダンスを観て、時に感動し、時に欲求不満で腹を立て、多くの人たちと語らい、内輪のもめごとに頭をいため、その中の何人かはある程度信頼もできる友人となった。このブログでもたびたびコンテンポラリーダンスを取り上げ、どうしてこの分野で交流するのかも自分なりの考えを伝えてきた。そして３年以上が経過した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今回、ついにというか、自分の期待をはるかに超えて、横浜ダンスコレクションというイベントの『横浜Solo×Duo&lt;Compétition&gt;+』で、フィリピンから参加したロサム・プルデンシャド・ジュニアという若手振付家が、なんとグランプリにあたる「若手振付家のための在日フランス大使館賞」を受賞した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　このコンペは日本でも新人振付家の登竜門として最も権威のある賞。もともとは世界中から振付家が集まるフランスのバニョレ振付家フェスティバル（現在）のアジア予選（プラットフォーム）として始まったもので、現在でもグランプリ受賞者はフランスでの6ヶ月間の研修と、留学中にパリ日本文化会館で公演を行うことが保証されている。正直、第一報を受けた時の感想は、まさか・・と思った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　すぐに関係者に連絡をしたが、２年前に当地を訪れてフィリピンのダンサーたちと交流した舞踊評論家の石井達朗氏から以下の内容のメールをいただいた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「横浜ダンスコレクション、わたしが行けたのは４日間のうち、２日目と最終日の４日目でした。わたしが見た２日間でローサムの作品が圧倒的によく、フィリピンからこのような作品で出てきているのがすごく嬉しく、本作が是非賞をとれればいいと祈っていました。本当によかったです。ローサムの作品、映像の使い方もすごくよくて、また、彼の動きが抽象的でありながら映像のイメージとリンクしているので、深い余韻を残しました。深いレベルで批評性のある作品で、日本人にはこういうものが欠如しているので、見習って欲しいくらいです。鈴木さん、これからもフィリピンのコンテンポラリー、後押ししつづけてください。」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この受賞を、マイラ・ベルトランをはじめフィリピンでコンテンポラリーダンスの発展に身をささげる多くの人たち、地方のすみずみまで頑張っている多くのダンサー、フィリピンのダンスにつながる日本の方々、そして友人たちと分かち合いたいと思います。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/27072425-1770185555102139382?l=bensuki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://bensuki.blogspot.com/feeds/1770185555102139382/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=27072425&amp;postID=1770185555102139382' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/1770185555102139382'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/1770185555102139382'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://bensuki.blogspot.com/2009/02/blog-post.html' title='フィリピン人振付家が日本のダンス・コンペティションでグランプリ受賞！'/><author><name>bensuki</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01735024261670566866</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SZUoxhMFIKI/AAAAAAAAAdU/5Sllxh3Gh4I/s72-c/new+choreographers+competition_01.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-27072425.post-4571221607147456823</id><published>2008-12-09T16:29:00.007+08:00</published><updated>2008-12-09T16:46:43.642+08:00</updated><title type='text'>声を挙げ始めたミンダナオのモスレム女性たち</title><content type='html'>　ほぼ同じ内容が今週の「まにら新聞」にも掲載されましたが、写真をつけてブログにもアップしておきます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/ST4sx7ucfXI/AAAAAAAAAVc/FyRkoDP1RSg/s1600-h/mosuq.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 240px; height: 320px;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/ST4sx7ucfXI/AAAAAAAAAVc/FyRkoDP1RSg/s320/mosuq.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5277705049682509170" /&gt;&lt;/a&gt;　去る8月に激化したミンダナオの紛争による国内避難民は、既に50万人に達しったと言われている。長年続いたフィリピン政府とイスラム分離派勢力による和解交渉が成立寸前に決裂し、状況は一気に混迷を深めて内戦状態に逆戻りとなった。いつの世も戦争による最大の犠牲者は、女性や子供などの非戦闘員だ。そんなミンダナオの各地からモスレムの女性リーダーが集まり、このたび日本を訪問して市民と交流し、平和を訴えた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　モスレム女性はフィリピンでは様々な意味で差別を受けている。第一にイスラム教徒であるがゆえの差別。この国の大多数を占めるキリスト教徒にとってモスレムは、スペイン植民地時代以来繰り返された戦争の結果、忌々しい敵として歴史に刻まれた。イスラム教に対する理解も不十分で、多くの誤解に満ちあふれている。特にテロが世の中を覆う時代となり、モスレムといえばアブサヤフなどイスラム過激派と関係する危険な人々と、偏見は強まった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　第二に女性であるがゆえの差別。イスラム教は社会規範でもあるが、コーランが伝える教えは女性保護を特色とする。しかし現代社会では時にそれは女性から自由を奪い、差別の温床ともなる。伝統的イスラム色の強い地域では、女性の教育、結婚、職業選択の自由がいまだに制限されている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　さらに問題を複雑にしているのが、民族的出自によるイスラム内部の階層化からくる差別だ。イスラムの雄を名乗るマギンダナオやマラナオは地位が高く、海洋民族であり”シー・ジプシー”とも呼ばれるサマやバジャウは低いと考えられている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　これまで色々な人から話を聞いてわかったことだが、ミンダナオのモスレムといってもアラビア語ができてコーランの教えなどを正しく理解しているのはほんの一握りのエリートたちのみであるようだ。インドネシアのように全国津々浦々にマドラサ（イスラム学校）やプサントレン（寄宿制イスラム学校）があるわけではなく、イスラム教のオルターナティブ教育のシステムが脆弱なフィリピンでは、そもそもイスラム・コミュニティー自身の中にイスラムに関する偏見や誤解が偏在している。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　こうしたモスレム女性の問題との出会いは、かつての基金アジアセンターの同僚で、現在は九州大学アジア総合政策センターで准教授を務める小川玲子さんの紹介による。彼女の薦めもあって、まずは現地の状況を視察するため、2006年の4月にミンダナオ西部のモスレム文化の中心地であるマラウィ市を訪れた。ミンダナオ北部のカガヤン・デ・オロという町から車で向かったのだが、途中マラウィ市内へつながる山中に入った途端、国軍の検問所が立て続けに増えて緊張感が漂った。しばらく走ると風景は教会からモスクへと一変。目的地のミンダナオ国立大学はラナオ湖を見下ろす高台に広がっていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/ST4tH0xpr-I/AAAAAAAAAVk/7noTk_lnHZk/s1600-h/ranao.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/ST4tH0xpr-I/AAAAAAAAAVk/7noTk_lnHZk/s320/ranao.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5277705425774030818" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　ラナオ湖&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　受入役は当時副学長だったエリン・グロさん。ミンダナオ国立大学はミンダナオ島一帯に何箇所ものキャンパスを有する総合大学。モスレム分離派の真っ只中にあるともいえる同大学は、対モスレム掃討の戦略上の要衝でもあったため、当時の学長は元フィリピン国軍将校。学問の世界ではかなりリベラルなフィリピンにおいては、例外的に政治的な学長ポストである。そんな大学で、彼女はモスレム女性としては初の副学長に就任していた。その後米国でジャーナリズムを研究し、現在は同大学報道広報局の所長。ラナオ湖を守るＮＧＯも運営しており、声を挙げ始めたモスレム女性の先頭に立つ。環境破壊の影響で水位が後退して汚染の進む湖の現状や、19世紀前半に建てられたスルタンの屋敷で、現在はうち捨てられているマラナオ族の伝統家屋（トロガン）を案内してくれた。インドネシアでは似たような木造の伝統家屋をいくつも見たが、代表的なものは国の文化財局でよく修復・管理されていた。それに比べてここフィリピンでは崩壊寸前だ。紛争や環境破壊さえなければ、風光明媚で資源に恵まれ、クリンタン（銅製打楽器）の音が響いてカラフルな民族衣装の舞う、豊かな土地なのだろうと想像した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/ST4tXGIs2gI/AAAAAAAAAVs/t78eIUgYyzI/s1600-h/torogann.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/ST4tXGIs2gI/AAAAAAAAAVs/t78eIUgYyzI/s320/torogann.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5277705688132147714" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　　　　　　　　トロガン&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/ST4thImmYoI/AAAAAAAAAV0/LcqviTMwOxI/s1600-h/dance.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/ST4thImmYoI/AAAAAAAAAV0/LcqviTMwOxI/s320/dance.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5277705860593115778" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　　　　　マラナオの伝統舞踊&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この訪問を契機に、在マニラのＮＧＯであるピース・ウーマン・パートナーズが取りまとめ役となり、まずはその年に同大学から５名を日本へ招待。8月の原爆慰霊祭にあわせて訪日し、広島と長崎を訪問して被爆者と交流した。その後、それが縁で石川県原爆被害者の会の西本多美子さんが来比してマニラでフォーラムを実施した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/ST4tuiCY0BI/AAAAAAAAAV8/SKGYhZN-q7s/s1600-h/%E8%A5%BF%E6%9C%AC.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 300px; height: 186px;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/ST4tuiCY0BI/AAAAAAAAAV8/SKGYhZN-q7s/s320/%E8%A5%BF%E6%9C%AC.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5277706090758852626" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　　　　　　　　西本さんを囲んで&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そして今年は再度来日するエリンがリーダーを努め、スールー、バシラン、ジェネラルサントスなどミンダナオ各地からメンバーを集めて二度目の訪日事業となった。九日間に福岡、大阪、名古屋、東京を訪問して九州大学、大阪大学、名古屋学院大学、一橋大学でそれぞれセミナーを実施。帰国後もマニラで記者会見や報告会を行い、紛争でゆれるミンダナオの現在と日本での交流について発表した。参加者の中で最年少のシティ・サリップさんは、「日本は原爆被爆国として世界に例の無い素晴らしい平和憲法を持っている。私たちも非暴力による平和を訴えてゆきたい」と語った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ミンダナオのモスレム女性が抱える問題は、我々日本人とも無縁ではない。ミンダナオがさらに混乱すれば、東南アジア一帯が不安定化することもあり得る。困難をおしてようやく声を挙げ始めたモスレム女性のメッセージに、私たちは耳を傾ける必要があるのだと思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/ST4t9RE1OqI/AAAAAAAAAWE/z3BT6PZkOLc/s1600-h/%E5%A4%A7%E9%98%AA.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/ST4t9RE1OqI/AAAAAAAAAWE/z3BT6PZkOLc/s320/%E5%A4%A7%E9%98%AA.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5277706343903738530" /&gt;&lt;/a&gt;　大阪大学で日本のクリンタングループと交流（写真：コーラ・ファブロズ）&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/27072425-4571221607147456823?l=bensuki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://bensuki.blogspot.com/feeds/4571221607147456823/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=27072425&amp;postID=4571221607147456823' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/4571221607147456823'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/4571221607147456823'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://bensuki.blogspot.com/2008/12/blog-post_09.html' title='声を挙げ始めたミンダナオのモスレム女性たち'/><author><name>bensuki</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01735024261670566866</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/ST4sx7ucfXI/AAAAAAAAAVc/FyRkoDP1RSg/s72-c/mosuq.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-27072425.post-4669414002236704425</id><published>2008-12-02T15:06:00.012+08:00</published><updated>2008-12-02T17:14:45.046+08:00</updated><title type='text'>アートの力で町興し　～抵抗の精神を受け継ぐ現代のヒガンテス～</title><content type='html'>&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/STT7jk-01NI/AAAAAAAAAVM/-NCJyGVtjOY/s1600-h/%E3%83%AF%E3%83%AF.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/STT7jk-01NI/AAAAAAAAAVM/-NCJyGVtjOY/s320/%E3%83%AF%E3%83%AF.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5275117652198872274" /&gt;&lt;/a&gt;　リサール州アンゴノはマニラから車で一時間半。西方を広大なラグナ湖に接した半農半漁の町で、今ではマニラ首都圏のベッドタウンとして多くの人口を抱えるが、知る人ぞ知るアートの町だ。太古の人間の”芸術”の証があり、民衆の反骨精神を象徴するお祭りがあり、近代美術史上の傑人を生み出した。最近ではこの町に生まれマニラで学び、卒業後は都会の喧騒を避けて再びアンゴノに戻ってここを拠点に活動するアーティストが増えている。さらにアンゴノ以外の地域からも仲間が集まり、アートの力で町興しをしていこうというグループが生まれた。その名も”ネオ・アンゴノ・アーティスツ・コレクティブ”。2004年に結成され、いまやメンバーは100人にのぼる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　彼らとの直接の関わりは今年の5月にさかのぼる。基金で「クリエイティブ・シティー」をテーマに、アジア各国から若手リーダーを集めて10日間の訪日研修を企画したが、以前から気になっていたネオ・アンゴノから招待しようと考え、初めて彼らの事務所を訪れた。「クリエイティブ・シティ」とは「文化芸術創造都市」という概念で、都市とアートを結びつけ、アートによって町とコミュニティを活性化させようという試みのことで、90年代中頃からヨーロッパで盛んになってきたコンセプトである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　それまでにも何度か彼らの”作品”と出会ったことがあるが、最も強烈だったのが新聞の一面でも報道され、美術作品というより社会的事件ともなった作品。ネオ・アンゴノがナショナル・プレス・クラブの発注で「報道の自由」をテーマに巨大な壁画を制作した。そこには現政権を批判する著名な活動家やシンボル、そしてジャーナリストの暗殺について書かれた新聞記事などが克明に描かれていたのだが、彼らの許可無く公開直前に何者かによって改ざんが加えられた。「報道の自由」がテーマだったのが、皮肉にもこの国のジャーナリズムの限界と著作権の問題を白日の下に晒すこととなり、公開討論が行われるなど物議をかもした。いまもその壁画は未公開となっているが、今度は彼らはその事件そのものを作品として展示し、アートと表現の自由をテーマに積極的に社会と関わろうと試みた。アートを通したアドボカシーであり、一般市民を巻き込む「パブリック・アート」の原点。まさに彼らはフィリピン社会派アートの伝統を受け継ぐ確信犯である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/STTe-cxdGoI/AAAAAAAAAT8/lOhCOL4DQcA/s1600-h/mural-neo-angono.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 80px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/STTe-cxdGoI/AAAAAAAAAT8/lOhCOL4DQcA/s320/mural-neo-angono.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5275086228014570114" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　訪日研修への参加を打診するため初めてアンゴノを訪問した際に、町に点在するアートの拠点をいくつか訪れた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/STTfkUttlcI/AAAAAAAAAUE/ci7tr19OEz8/s1600-h/rock.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 240px; height: 320px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/STTfkUttlcI/AAAAAAAAAUE/ci7tr19OEz8/s320/rock.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5275086878686418370" /&gt;&lt;/a&gt;　まずは紀元前3000年前にさかのぼると推定されている岩窟絵画。わりと最近発見されたので詳しいことはまだわかっていないが、もちろんフィリピンで最古の絵。今ではこの町の誇るべき文化遺産であり、マニラ近郊からひきりなしに学生や観光客が訪れる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そして「近代美術史上の傑人」、画家のカルロス・ボトン・フランシスコ（1912～1969）の生家。彼はドラマティックな歴史画や重要な壁画など多くの名作を残したことで、この国の美術史において重要な作家の一人。また美術家としてだけではなく、上記の岩窟絵画を発見したり、後述の”ヒガンテス祭り”を復興したり、この町のアートコミュニティーを牽引した功労者であった。ナショナル・アーティスト（人間国宝）として今でもこの町の誰もが故人をしのぶ。彼の生家に通じる街路は、彼の作品を複製した壁画で埋め尽くされ、ごく普通の庶民が暮らす通りながら、アートをリスペクトする雰囲気があって生き生きとしている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/STTqqwwvOkI/AAAAAAAAAUM/OPixQvE09w0/s1600-h/boton.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/STTqqwwvOkI/AAAAAAAAAUM/OPixQvE09w0/s320/boton.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5275099083922422338" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;　また70年代から80年代にかけて、アンゴノを精力的に描き続けたホセ・ブランコもこの町のアート史を築いた一人。田園風景とそこに生活する人々を叙情的に描いていて、懐かしい田舎の暮らしぶりが伝わってくる。古き良きフィリピン・スピリットが満載された作品群だ。彼には七人の子供がいるが、大きなアトリエを使って家族作業で油絵を仕上げていくうちに、その七人全員が画家となってしまった。ブランコ本人は残念ながら去る８月に亡くなったが、いまはその子供たちがファミリー美術館を運営して、亡き父と子供、そして孫の絵まで含めて数え切れないほどの作品を公開している。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/STT38AnMffI/AAAAAAAAAUc/bXavzCD038g/s1600-h/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B3.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/STT38AnMffI/AAAAAAAAAUc/bXavzCD038g/s320/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B3.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5275113673886301682" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;　その後7月の訪日研修にはキョ・ザパタという女性詩人を招待したが、それから半年、今度は逆に日本から西尾ジュンさんという舞踊家をアンゴノに招待して2週間の滞在プログラムを実施。ネオ・アンゴノにとって年に一度の大きなイベントであるネオ・アンゴノ・アート・フェスティバル（11月20日～22日）に参加した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今年で５回目となるフェスティバルは、全国的にも有名な”ヒガンテス（巨人）祭り”にあわせて開催されている。このヒガンテス祭りは、アンゴノの人々の誇り、そしてフィリピン人の抵抗の精神を象徴していて非常に興味深い。もともとは聖イシドロという農民の守護神を祝うスペイン起源のお祭りで、紙でできた張りぼての巨大な人形が町を練り歩くというものだ。しかしこのアンゴノでは、19世紀のスペイン植民地時代に、ハシエンダ（大規模農園）地主に反抗する農民の運動として始まった。地主への抗議で職を失った農民は、ヒガンテスを作ってパレードし、地主たちにトマトを投げつけて抵抗したという。フィリピン版非暴力不服従の運動だ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/STT4QxUrOhI/AAAAAAAAAUk/y1-fZ81ly4g/s1600-h/%E3%83%92%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%B92.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/STT4QxUrOhI/AAAAAAAAAUk/y1-fZ81ly4g/s320/%E3%83%92%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%B92.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5275114030559345170" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;　一度はすたれたお祭りだったが、80年代にカルロス・ボトンらの手によって信仰の対象を猟師の守護神である聖クレメンテに変えて復活。彼の死後は今度はフィリピン政府が観光振興のために奨励し宣伝した。しかしネオ・アンゴノは、このヒガンテスが持っていた農民の抵抗運動の肖像としての本来の意味を現代社会に蘇らせようと、その精神を受け継ぐ活動を展開するようになった。今では若者を中心に誰もが参加できる民衆参加型の熱狂的な祭典となっているが、パレードする側の人間が、観衆に向かって放水したり泥を塗りつけたりする行為は、かつてトマトを投げつけて抵抗の意思表示をしたこの祭りの痕跡をとどめているのだろう。　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/STT4iCz2hhI/AAAAAAAAAUs/5vNahcRoiKw/s1600-h/%E3%83%92%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%B93.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/STT4iCz2hhI/AAAAAAAAAUs/5vNahcRoiKw/s320/%E3%83%92%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%B93.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5275114327311287826" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;　ヒガンテスに先立って行われたネオ・アンゴノ・アート・フェスティバルでは、子供たちのための絵画コンクールや子供劇団による公演、詩の朗読会や実験映画の上映、そして前衛バンドによるコンサートなど、数日間にわたって一般住民を巻き込んだ数々のイベントが開催された。日本から参加したジュンも、大阪の梅田でアマントというアートスペースを運営して地域に根ざしたアートを実践する舞踊家。大きな体育館に集まった数百人の民衆を前に、日本人の古（いにしえ）の体の記憶を呼び覚ますようなミステリアスな踊りを披露した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/STT4yv-VkZI/AAAAAAAAAU0/1dlphn5mMgw/s1600-h/%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%B3.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/STT4yv-VkZI/AAAAAAAAAU0/1dlphn5mMgw/s320/%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%B3.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5275114614312767890" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　高校生と詩を朗読するイアン&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　町中いたる所、神出鬼没でアートを実践して一般大衆を巻き込むパブリックアートは世界でも多くの例がある。東南アジアで言えば、私が90年代初頭に駐在したタイでは、チェンマイ・ソーシャル・インスタレーションが実験的な試みを行っていたし、90年代末のインドネシアでは、バンドンやジョグジャカルタなどでスハルト政権末期の混沌とした社会状況の中、緊張と発散のイベントを繰り返していた。この種のアートというより運動は、いずれも中央集権を象徴する首都以外の地方都市で盛んである。中央の権威のいわば裂け目に生まれるところに面白さがあるのだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ただしここフィリピンは社会の階層分化の激しい国。社会の格差は教育の格差でもあり、アートへの関心・理解は所属する階層でかなり異なる。一般的にこの国の大多数の庶民にとって、アートは鑑賞や理解の対象からは遠く、貧困層にとっては飯のタネにならない別の世界の出来事として映るだろう。そうした環境でアートを志すこと、そしてさらにアートとコミュニティーをつなげようとすることは大きなチャレンジである。生活がかかっていればなおさらだろう。そんな困難に挑戦するネオ・アンゴノは、アートが刻まれた時の痕跡と19世紀農民の抵抗のスピリットを引き継ぐ、ある意味、現代のヒガンテスなのだと思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/STT70OnvweI/AAAAAAAAAVU/15uG3-OAkdU/s1600-h/PB230143.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 240px; height: 320px;" src="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/STT70OnvweI/AAAAAAAAAVU/15uG3-OAkdU/s320/PB230143.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5275117938254266850" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/27072425-4669414002236704425?l=bensuki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://bensuki.blogspot.com/feeds/4669414002236704425/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=27072425&amp;postID=4669414002236704425' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/4669414002236704425'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/4669414002236704425'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://bensuki.blogspot.com/2008/12/blog-post.html' title='アートの力で町興し　～抵抗の精神を受け継ぐ現代のヒガンテス～'/><author><name>bensuki</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01735024261670566866</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/STT7jk-01NI/AAAAAAAAAVM/-NCJyGVtjOY/s72-c/%E3%83%AF%E3%83%AF.JPG' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-27072425.post-8723359728267497877</id><published>2008-11-14T16:06:00.013+08:00</published><updated>2008-11-17T11:33:34.257+08:00</updated><title type='text'>”飢餓の島”からアート発信</title><content type='html'>&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SR0zEYq_O8I/AAAAAAAAATE/W7kJt0wUTb0/s1600-h/%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%A9.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 240px; height: 320px;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SR0zEYq_O8I/AAAAAAAAATE/W7kJt0wUTb0/s320/%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%A9.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5268423289528597442" /&gt;&lt;/a&gt; 　 スペイン語で顔（カラ）がいっぱい（マス）、という意味の「マスカラ」。個性的なマスクにカラフルな衣装をまとったいくつもの集団が、軽快な音楽にあわせて激しく踊りながらストリートをパレードする。それを熱狂的な地元市民はもとより、フィリピン全国、そして海外から集まった多くの観衆が取り巻く。毎年十月に行われるバコロドのマスカラ・フェスティバルだ。燦々と照りつける太陽の暑気と人々の熱気にあふれたストリートダンスの祭典に、コンペティション部門の審査員として招待された。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　バコロドは中部ビサヤ諸島の中央に位置するネグロス島の西の中心都市。ネグロスといえば”砂糖の島”と呼ばれるほどで、町をちょっと離れればそこには広大な砂糖きびのフィールドが広がる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　かつて1980年代の中頃、ネグロス島という地名を初めて知ったのは、”飢餓の島”を救おうという日本のNGOのキャンペーンを通してだった。当時、島の多くの農民は一握りの大土地所有者の砂糖プランテーションで生計を立てていたが、砂糖の国際価格暴落によって末端の契約農民の収入は途絶え、多くは飢餓にあえいでいた。極限状態の農民は地主に対して待遇の改善を訴えてストライキを繰り返し、反発する地主側との発砲によって死者も出た。混乱に乗じて反政府ゲリラや共産党の武装組織である新人民軍も多く島内に浸透し、ネグロスは一触即発の危険な状況に置かれていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　このマスカラ・フェスティバルは1979年に始まったとされるが、そうした危機の最中でも途絶えることなく、疲弊した人々の心を鼓舞する意味も加わって回を重ねてきた。“飢餓の島”で苦悩してきた民衆が、年にたった一度だけ熱狂できるお祭りとして大切に育ててきたのだろう。そんな人々の心意気の感じられる祭典だった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SSDh0NRtfRI/AAAAAAAAAT0/kORlOqZ77CM/s1600-h/%E7%94%BB%E5%83%8F+111.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SSDh0NRtfRI/AAAAAAAAAT0/kORlOqZ77CM/s320/%E7%94%BB%E5%83%8F+111.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5269459851056872722" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt; 3日間にわたるストリートダンスのコンペティション。初日は小学校と高校の部で17チーム。2日目がバランガイ（町内会）の部で22チームと、夜行われたエレクトリック・パレードならぬ”エレクトリック・マスカラ”の部で8チーム。そして最終の3日目はオープンの部で15チームが参加した。35人から65人でチームを組み、市内パレードでのストリートダンスとメイン会場での6分間の振付作品を披露し、ダンス、衣装、マスクの良し悪しなどで競う。絶望的な暑さの中、私は2日目と3日目の審査を担当し、のべ13時間、45チームの踊りを見たことになる。&lt;br /&gt; &lt;br /&gt;　日本の祭りのように、基本的には町内会（バランガイ）ごとに参加するフェスティバルだが、これがバランガイ同士の競争心をかきたててコンペの結果発表の際には異様な盛り上がりを見せる。どのチームも趣向を凝らしたマスクと衣装で見ていて飽きないが、特に印象に残ったのがオープン部門で優勝したバランガイ・マンダラガンのチーム。派手なマスクに息のぴったりと合ったダンス。何より踊ることの喜びを全身全霊で表現していることが伝わって来て、審査していた自分もぐっと熱くなった。彼らのダンスを見ていると、人は何故に踊らずにはいられないのか、なんとなくわかるような気がする。ある種の祈りや陶酔、そして蕩尽といったものが祭りを発生させる源だとすれば、“飢饉の島”で苦悩する民衆をして年に１回熱狂に駆り立て、エネルギーを蕩尽させるこのイベントは、まさに祭りの本質を垣間見させてくれた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SR0zXG19YsI/AAAAAAAAATM/3WiK4tdI9CQ/s1600-h/%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%A9%E5%84%AA%E5%8B%9D.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SR0zXG19YsI/AAAAAAAAATM/3WiK4tdI9CQ/s320/%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%A9%E5%84%AA%E5%8B9D.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5268423611160289986" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　優勝したバランガイ・マンダラガンのチーム&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今回このマスカラ・フェスティバルで、バコロドの人々の創造性と熱狂を目の当たりにして、”飢餓の島”としてインプットされていた私のネグロスに対するイメージが大きく変わったが、さらに驚いたのが、そのバコロドから北に20キロにあるシライという町の存在だ。以前このブログにビガンのことを書いたが、この町もビガンと同様にスペイン時代の富を象徴し、今もその遺産の風情を色濃く残している。アンセストラル・ハウスと呼ばれる19世紀後半以降の歴史的建築物が30以上も残されていて、その内の2軒が博物館となって公開されている。いずれもシュガー・バロン（砂糖貴族）として財を成したファミリーの邸宅で、現代に連綿と続く名家をいくつも生み出している。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SR0zrQWnv4I/AAAAAAAAATU/u-QAOSCaIvw/s1600-h/%E3%82%B7%E3%83%A9%E3%82%A4.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SR0zrQWnv4I/AAAAAAAAATU/u-QAOSCaIvw/s320/%E3%82%B7%E3%83%A9%E3%82%A4.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5268423957310586754" /&gt;&lt;/a&gt;　また蓄えた財力は子供の教育に投資したため、その名家からは優秀な法律家、政治家、そしてアーティストが輩出された。フィリピンで初めて欧米の歌劇場で『カルメン』のタイトルロールで成功したメゾ・ソプラノのコンチータ・ガストンや、この国で最も著名な建築家でナショナル・アーティスト、CCPやマンダリン・オリエンタルなど数々のホテルを設計したレアンドロ・ロクシンもこの町の出身だ。今もロクシン家は町の中心部にあるいくつかのビンテージハウスを所有している。偏在する富によって生み出された知や芸術が、この国の根幹を支えていることはまぎれもない事実だ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　以前にもこのブログに書いたが、私が初めてこのバコロドを訪れたのは20年も前のことだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　神田の本屋で見つけた一冊のミニコミに書かれた「The Black Artists in Asia (BAA)」というグループの不思議な響きに惹かれてここまでやって来て、3人のアーティストに出会った。その中で今でも印象に残っているのは、骨太の黒い輪郭線で克明にしっかりと描かれた、大きな目をした素朴な農民の像。鋤や鍬とともにライフル銃をかついでいて、どことなくユーモラスだが、実は殺気に満ちているという不思議な油絵だった。ヌネルシオ・アルバラードという画家の作品だ。彼は危険を承知で島の奥地へ入り込み、おそらく新人民軍の兵士らと寝食をともにして、あの油絵を描いていたのだろう。今でも同じスタイルを頑固に貫きマニラで活躍している。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SR00FyZlBkI/AAAAAAAAATc/YM4Z1kYhNLs/s1600-h/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%89.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 286px;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SR00FyZlBkI/AAAAAAAAATc/YM4Z1kYhNLs/s320/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%89.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5268424413126395458" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　ヌネルシオ・アルバラード『給料を待つ』（1994年）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　それから伝統的な素材や日常的なオブジェで作品を創るノルベルト・ロルダン。彼もその後マニラに出て今はグリーン・パパイヤというオルターナティブスペースを運営しており、若い芸術家たちに貴重な場を提供している。そして3人目は幻想的な作風で不気味な人物像を描くチャーリー・コー。みな20年前は20代後半から30代前半の油の乗りきった時代で、ネグロスという”飢餓の島”から世界に向かってアートで告発を始めていたのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　アジアの現代美術は、70年代末より福岡市美術館によって本格的な日本紹介が始まった。国際交流基金も90年代初頭から様々な展覧会を企画し、アジア美術が国際的に注目される道を切り拓いてきた。いまや多くの作家の作品が香港やシンガポールのオークションで高値で取引されている。特にフィリピンでは社会的なテーマを扱う”ソーシャル・リアリズム”の作家の活躍が目覚しく、アルバラード、ロルダン、コーの３人もメッセージ性のある力強い作品が評価され、これまでに何度か日本でも紹介された。なおご参考まで、11月22日と23日に国際交流基金の東京本部で過去20年間にわたるアジア美術をめぐる諸問題を振り返る国際シンポジウム「Count 10 Before You Say Asia」が実施されますので、ご関心のある方は下記WEBサイトをご参照ください。http://www.jpf.go.jp/j/culture/new/0810/10-01.html&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SR00XzdOBII/AAAAAAAAATk/Ml1e4YMnxM4/s1600-h/%E3%82%AA%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B8G.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SR00XzdOBII/AAAAAAAAATk/Ml1e4YMnxM4/s320/%E3%82%AA%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B8G.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5268424722647745666" /&gt;&lt;/a&gt;　マニラに出たアルバラードやロルダンとは異なり、コーはいまだバコロドに残ってこの地域のアートを牽引している。彼が2005年にオープンしたオレンジ・ギャラリーを訪ねた。2階と3階のフロアーは一帯にショッピングモールを経営する実業家から無料貸与されたという。月に１度は若手アーティストの企画展を実施しているが、ほとんどの作品がインスタレーション中心で、このバコロドという地方都市でどうやってこのスペースを運営しサバイバルしているのかとっても不思議だ。私が訪れた最中も”マジカ・マスカラ5”というバコロドの光と影をテーマにした展覧会を実施中だった。お祭り騒ぎのこの時期、こうやって影の部分も見逃さないことに彼の真摯な思いを感じた。かつて”飢餓の島”と呼ばれた場所で、アートを通してメッセージを発信し続けるコーたちを支援し、日本のアーティストとの交流などできないものかと、今は次の可能性を考えている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SR00k7Rm7_I/AAAAAAAAATs/iEevx7eGiU4/s1600-h/%E7%A0%82%E7%B3%96%E3%81%8D%E3%81%B3.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SR00k7Rm7_I/AAAAAAAAATs/iEevx7eGiU4/s320/%E7%A0%82%E7%B3%96%E3%81%8D%E3%81%B3.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5268424948084830194" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/27072425-8723359728267497877?l=bensuki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://bensuki.blogspot.com/feeds/8723359728267497877/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=27072425&amp;postID=8723359728267497877' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/8723359728267497877'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/8723359728267497877'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://bensuki.blogspot.com/2008/11/blog-post.html' title='”飢餓の島”からアート発信'/><author><name>bensuki</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01735024261670566866</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SR0zEYq_O8I/AAAAAAAAATE/W7kJt0wUTb0/s72-c/%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%A9.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-27072425.post-308084837781231643</id><published>2008-10-13T18:24:00.008+08:00</published><updated>2008-10-13T18:45:56.183+08:00</updated><title type='text'>辺境のダンサーたちと”創造性の流出”</title><content type='html'>&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SPMiOpR-FUI/AAAAAAAAASk/jmMHQ-Ihatg/s1600-h/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%8D%E3%82%B5%E3%83%B3.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SPMiOpR-FUI/AAAAAAAAASk/jmMHQ-Ihatg/s320/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%8D%E3%82%B5%E3%83%B3.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5256582825066239298" /&gt;&lt;/a&gt;　フィリピン諸島の最南端に位置するジェネラル・サントス市（通称「ジェネサン」）といえば、南洋マグロの水揚げ基地として日本との関わりも深く、フィリピン人にとってはいまや国民的ヒーローであるボクシング世界チャンピオンのマニー・パッキャオの出身地として有名だが、マニラからは船で三昼夜もかかる遠隔の地。周辺地域一帯を飛行機の上から眺めると、まさに入植の地といった成り立ちの様子がよくわかる。ジェネサンの市街地から北西方向に向かって数十キロにわたってほぼ一直線に幹線道路が平地を走り、その途中に碁盤の目のように整然と区画整理された町が配置され、そこから山に向かってびっしりと隙間なく田んぼや畑が広がっている。ルソン島やビサヤ諸島から初めて移民がやって来たのが1939年。60年代よりその数が急増し、ほぼ何もなかった原野に忽然と新興都市群と開墾地が生まれていった。フィリピン各地から多くの移民の受け皿となったミンダナオを象徴するような風景だ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そんな南の”最果て”と思われる土地にも、ダンスを通して夢を抱く若者たちがいる。どんな思いで踊っているのだろうか、確かめたくてジェネサンを訪れた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　テアトロ・アンバハノンは総勢15人の小さな劇団だ。代表のビン・カリーノはマニラのフィリピン大学で民族舞踊を学び、８年前に地元に戻ってラモン・マグサイサイ・メモリアル・カレッジという私立大学を拠点にこの劇団を旗揚げした。今は大学から提供されている40平米ほどの狭い板敷きの元教室をスタジオにして、学生と一緒に汗を流す。彼の祖父は中部ビサヤのボホール島からの移民だが、第二次大戦後にこのジェネサンの都市計画を進めた立志伝中の人物だ。何もない辺境の土地に新たな町を立ち上げた祖父の血が流れているのだろう。ビンはこのミンダナオの一地方都市から新しいアートムーブメントを起こそうと考えた。それも誰もが思いつきそうな伝統を売り物にしたそれではなく、自分たちの今を表現するためのコンテンポラリーなものを志した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　しかし誰もやらないことをやるということは、無論相当な困難を伴うもの。大学からはスタジオと講師ポストを用意されたが、活動費は自ら稼がなくてはならない。裕福な名士の一族である彼のこと、おそらくかなりの私財を投入しているに違いない。しかも15人の学生はいずれも貧しい家庭の出身だという。そこで彼は大学側とかけあって彼らに対する奨学金制度を作った。厳しい選考に合格してこの劇団に入って活動を続けている限りは学費が免除になるという。練習を見せてもらったが、好きなダンスをしながらただで大学で勉強もできるとあって、学生たちは真剣そのものだった。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SPMi3GoaJ6I/AAAAAAAAAS0/exX9mwhMp7E/s1600-h/manoy.jpg"&gt;&lt;img style="float:right; margin:0 0 10px 10px;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SPMi3GoaJ6I/AAAAAAAAAS0/exX9mwhMp7E/s320/manoy.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5256583520139749282" /&gt;&lt;/a&gt;　そんな地方の小さな劇団の若手振付家であり、ビンの最初の弟子であるジュリウス・ラガレが、去る6月にマニラで行われた第３回Wifiインデペンデント・コンテンポラリーダンス・フェスティバルの新進振付家のためのコンペティションに初参加し、見事グランプリに輝いた。この国ではどこでも見かけるバスケットボール青年の男同士の恋物語、つまりゲイのラブストーリーを、バレエとストリートダンスのテクニックをダイナミックに駆使して描いた力強い作品。初めてその作品を見た私は、若者の日常をこれほどリアルに切り取った鮮烈なダンスが、つまり極めて現代性を帯びたアートが、紛争に揺れるミンダナオの、それもかなりの僻地といってよい歴史の浅い遠隔の地方都市から生まれること自体にとても驚いた。このコンペに日本から審査員として招待していた”なにわのコレオグラファー・しげやん”こと北村茂美さんも、”こんなんが見たかった～！”と大層感激していた。洗練されてはいるが様式にとらわれすぎで、どれもが同じに見えてしまうマニラの振付家の作品とは明らかに異質な何か。何もかもが集中して恵まれた環境にあるマニラの人たちに負けまいと作品を創る、彼らの心意気が感じられた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　このブログでも度々紹介してきた草創期のフィリピンのコンテンポラリーダンス。昨年は日本のダンス界をリードするジャパン・コンテンポラリー・ダンス・ネットワーク（JCDN）が企画するマニラ公演も実現し、本格的な日比ダンス交流が始まった。このJCDNは京都を拠点にして1998年にできたNPOだが、日本で活動するコンテンポラリーダンスの作り手やオーガナイザーなどを画期的な方法でネットワーキングしている団体で、国際交流基金が地域に根ざした国際交流活動に実績のある団体に贈る「地球市民賞」を2006年に受賞している。「踊りに行くぜ！」という勢いあるタイトルで、普段はコンテンポラリーダンスに接する機会の少ない地方でも公演を行い、確実にオーディエンスを増やしつつある。そしていよいよ昨年からこの「踊りに行くぜ！」のアジアツアーが始まった。第２回Wifi・・のコンペで優勝し、「踊りに行くぜ！」マニラ公演でも競演したアバ・ビラヌエバが彼らに招待されたのが今年の2月。そして第３回Wifi・・では、逆にJCDNの推薦を受けた”しげやん”を私たちが招待し、彼女の強力な推薦もあって、ジュリウスのグランプリ受賞作品が10月末の福岡公演に招待されることとなった。こうやって次から次へと繋がってゆくことは本当に素晴らしいことだと思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SPMjLzcMouI/AAAAAAAAAS8/1LH8l2X-tfk/s1600-h/%E3%81%97%E3%81%92%E3%82%84%E3%82%93%EF%BC%91.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SPMjLzcMouI/AAAAAAAAAS8/1LH8l2X-tfk/s320/%E3%81%97%E3%81%92%E3%82%84%E3%82%93%EF%BC%91.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5256583875765510882" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　　　　　　しげやん（写真／平野愛）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　海外公演が初となる今回の招待は、本人のみならず劇団にとっても青天の霹靂。「後続のダンサーたちの大きな励みにもなる」とビンも大歓迎。しかし渡航準備の過程で肝心のジュリウスに問題が発生した。もともと来年に計画していたアメリカのバレエ団での就職が急遽決まり、10月始めに渡米することとなっため、福岡へは行けなくなった。代役を立てることで日本側は納得したが、この騒動を通して”頭脳流出”ならぬ”創造性の流出”の問題が見えてきた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　フィリピンは東南アジア諸国の中でも欧米文化を早くから積極的に受け入れてきたため、クラシックバレエがなかなか盛んな国だ。そして英語が話せるダンサーは、才能を開花させるほどに必然的に海外への誘惑が大きくなる。普段はぎりぎりの生活を強いられながら練習に励む彼らにとって、海外で得ることのできる高収入は甘いアメであり、と同時に場合によっては、自分の創造性を犠牲にしなくてはならないという落とし穴ともなる。2005年に香港ディズニーランドがオープンした際、フィリピン文化センターを拠点とする国立バレエ団の中心的ダンサーの十数人が高給で引き抜かれたケースもある。また将来を嘱望され、大阪でも踊ったことのあるエレナ・ラニオグというダンサーは現在、長期航路客船のディナーショーでアルバイトをしていて海の上だ。またダンス以外にも演劇、ミュージカル、オペラなど米欧諸国に移り住んだアーティストは数知れない。海外流出に伴う国内の人材難は、看護士や教師、エンジニアだけの問題ではない。今回のジュリウスのケースについてもマニラのダンス界では、国内のコンペで優勝して折角日本にまで招待されたのに、それを辞退してアメリカに渡ることは無責任だとして批判する人たちもいる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ただジェネサンというミンダナオの一地方都市から見れば、一極集中で出稼ぎ者のあふれかえるマニラに出て働くのも、遥か太平洋を隔てたアメリカへ行くのも、故郷をあとにするという意味ではあまり違いはない。生活保障からほど遠い前者よりも、少なくとも家族の生活を守ることができる後者を選択することに不自然さはない。「アメリカで優れたテクニックをマスターして、彼はまた必ずここに戻って来る。貧しい家庭の出身ながら、この劇団に入ってダンスをマスターし、マニラのコンペで優勝してアメリカに渡ることになった。ジュリウスは我々のヒーローでもある」とビンは語る。”創造性の流出”は、マニラから見れば一国の損出として嘆かわしい事態だろうが、この辺境の地で、淡い夢を抱く人々の目から見れば、そこにはまた別の意味が立ち現れるのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SPMinA3RsNI/AAAAAAAAASs/eFdaz47zRQo/s1600-h/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SPMinA3RsNI/AAAAAAAAASs/eFdaz47zRQo/s320/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5256583243713589458" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　　　　　ジュリウスと学生たち&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/27072425-308084837781231643?l=bensuki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://bensuki.blogspot.com/feeds/308084837781231643/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=27072425&amp;postID=308084837781231643' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/308084837781231643'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/308084837781231643'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://bensuki.blogspot.com/2008/10/blog-post.html' title='辺境のダンサーたちと”創造性の流出”'/><author><name>bensuki</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01735024261670566866</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SPMiOpR-FUI/AAAAAAAAASk/jmMHQ-Ihatg/s72-c/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%8D%E3%82%B5%E3%83%B3.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-27072425.post-2165031325315817363</id><published>2008-09-18T14:33:00.004+08:00</published><updated>2008-09-18T14:39:47.387+08:00</updated><title type='text'>デモクラシーの祭典とリセッションの時代</title><content type='html'>&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SNH2rM4WvsI/AAAAAAAAASM/HIoUAtN2I7k/s1600-h/%E6%8E%88%E8%B3%9E%E5%BC%8F.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SNH2rM4WvsI/AAAAAAAAASM/HIoUAtN2I7k/s320/%E6%8E%88%E8%B3%9E%E5%BC%8F.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5247246262915743426" /&gt;&lt;/a&gt;  　“アジアのノーベル賞”とまでいわれるマグサイサイ賞。1958年に創設されて今年でちょうど50周年。これまでにアジア各国の社会発展に寄与してきた250組を超える人たちに贈られてきた。確かにこれだけ長い間続いているアジア人に対する懸賞事業は、日本を含めて他に類例はないだろう。それだけに独特の響きがある賞だが、今年、日本人としては23人目の受賞者として、明石書店社長の石井昭男氏が選ばれた。賞は６分野に分かれているが、石井氏は報道・文学・創造的コミュニケーションの分野での受賞だ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　それにしてもこのマグサイサイ賞は、独自の評価基準と進取の精神に富んでいて爽快だ。正直な話、華々しいジャーナリズムや芸術の分野で数多い大衆受けしそうな候補者を退け、出版という地味な分野、それも人権問題というこれまた硬派な分野で着実な実績を上げてきた明石書店の石井氏が評価されるというのは驚きであった。これまでの日本人受賞者の中でも、黒澤明や緒方貞子氏など華麗な経歴の持ち主もいるが、むしろ真骨頂は、無農薬の自然農法をアジアで広めた福岡正信氏や、先ごろの不幸な事件でマスコミに登場していたが、アフガニスタンで医療支援を続けるペシャワール会の中村哲氏など、地味ながらアジアで着実な活動をしている人々を発掘して懸賞することだと思う。その意味でこの石井氏への授賞は、マグサイサイ賞の原点ともいうべきか。晴れの授賞式が８月31日にフィリピン文化センターの大ホールで開催されたが、授賞理由として、特に日本の被差別部落の人権運動（同和問題）に奔走したことが披露されたが、会場の拍手はひときわ大きかったように思え、同じ日本人として私もちょっと誇らしい気持ちだった。と同時に、これまで明石書店のそうした活動に無知であった自分の不勉強を恥じもした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　このマグサイサイ賞、元大統領のマグサイサイ氏の急死を受けて、50年前にロックフェラー兄弟財団からの資金援助を受けて始まった。最大のスポンサーが米国の財団であるため、アメリカ流デモクラシーの普及という考えがその底流にはあるのは当然。もともと19世紀末から米国の植民地としてデモクラシーが移植され、実際1960年代まではアジアにおけるその先頭ランナーでもあったので、この賞をフィリピンという国に設けることにはそれなりのリアリティーがあったのだろう。しかしこの50年、特に民主化運動が最高潮に達した1986年の「黄色い革命」後の20年間で、この国のデモクラシーを取り巻く状況は一変したのだと思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SNH2-YR_dXI/AAAAAAAAASU/dOqJI6Fh8Pg/s1600-h/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%9D.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SNH2-YR_dXI/AAAAAAAAASU/dOqJI6Fh8Pg/s320/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%9D.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5247246592393573746" /&gt;&lt;/a&gt;　表彰式に先立って行われた50周年を記念する国際シンポジウムは、その意味で色々と考えさせられる祭典だった。まずはキーノート・スピーカーのアキノ元大統領。いまだにこの国の民主主義勢力の象徴としてしばしばかつがれるイコンだが、体調でも悪いのか、そのスピーチにはインパクトが無く、これといった存在感は感じられなかった。そして同じ壇上にはラモン・マグサイサイ賞財団理事会の議長であり、フィリピン随一のアヤラ財閥を率いるジェイム・ゾーベル・デ・アヤラ2世らが並んだ。データの上ではまだ好調を維持しているこの国の経済を牽引し、従って結果的に体制を支えている大財閥の総帥と、かたや反政府勢力の急先鋒という奇妙な組み合わせに、マグサイサイ賞50周年とはいえ、なんとも晴れ晴れとしないちょっと醒めた思いでそのセレモニーを眺めていた。このシンポジウムの主要テーマは貧困の克服だったりしたのだが、体制派にしろ、反体制派にしろ、この国のエスタブリッシュメントがますますひどくなる一方の絶対貧困に対して何ら有効な手を打てていないのは、厳しい現実が示すところだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そして肝心のデモクラシーにしても、今のフィリピンはリセッション（後退）の時代と言われている。理由はやまほどある。2004年に行われてアロヨ政権を信認した大統領選挙にまつわる選挙違反への疑いが、そもそもこの国の政権の正当性に対して圧倒的な不信感を植え付けた。さらには中国企業との超大型契約にまつわる汚職問題。そして最も深刻なのが”Extrajudicial Killing（超法規的殺人）”という恐ろしい言葉で言われている一連の事件。多くのジャーナリストや反政府活動家が暗殺されたり、拉致・誘拐されているが、新聞紙上などでもたびたび公然と国軍の関与が指摘されている。立場の異なるグループによって犠牲者の数に違いがあるが、例えば人権委員会の報告では、2001年に現政権が成立して以来、2007年5月までに403人が犠牲となった。またカトリック評議会のカウントでは、778人が犠牲となり186人が行方不明となっている。こんな状況なのにもかかわらず、現在の政権が維持されていることは、日本人の私からすれば率直に言って驚きではあるが、フィリピンならさもありなんとも思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そういった具合で状況としては暗いことが多いのだけれど、全く絶望的でもない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　国際交流基金では「アジア・リーダーシップ・フェロー・プログラム（ALFP）」といって、毎年アジア地域から選りすぐった知識人を数ヶ月間日本に招待して、グループでいわば合宿をして議論を重ねるという試みを行っているが、今年フィリピンから選ばれたのが、この国の民主化運動のトップランナーとも言えるホセ・ルイス・マーティン・ガスコン氏、通称チトだ。訪日の数日前、一緒に食事をして話を聞く機会があった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SNH3JDy4SuI/AAAAAAAAASc/yrEi4yZ302Y/s1600-h/chito+gascon103.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SNH3JDy4SuI/AAAAAAAAASc/yrEi4yZ302Y/s320/chito+gascon103.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5247246775872932578" /&gt;&lt;/a&gt;　1964年生まれで、まさに私と同世代の44歳。国立フィリピン大学の学生自治会のリーダーとして名を馳せて、1986年マルコス大統領を追いやったあの「黄色い革命」の闘士。それが縁で当時のアキノ大統領に抜擢されて「86年共和国憲法」の最年少起草委員となった。その後政権に入って若くして教育省次官となり、現アロヨ政権になってからは反政府運動のいわばブレイン的存在である。2006年、アキノ政権から一遍に10人の閣僚が辞任して「ハイアット10」というグループを作ったが、そのスポークスマンとして宣言文などを起草した。今は最大野党（自由党）の法律顧問である。とにかくバリバリの“活動家”をイメージしていたが、とってもソフトで学者肌。確かに“活動家“ではあるが、政権に入っていたこともあり、その意味で非常にバランス感覚の優れた人だ。こういう人がいずれ社会福祉や法律、人権担当の大臣になったりするのが東南アジア。将来がとても楽しみだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　チトとの話は広範囲に及んだ。特にいまどきの若者の政治への無関心ぶりについてはかなり絶望していたが、「黄色い革命」を担った“エドサ１世代”はまだまだ健在。「今マニラの街角でラリーを引っ張る人たちの平均年齢は相当高いね」と言って笑う。次の照準はいよいよ2010年の大統領選挙だそうである。60年安保が過ぎ去り、高度経済成長真っ只中の63年に生まれた私としては、なんとも眩しく見える一瞬だ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ところで、そんな大物“活動家”がなんでこのデモクラシー・リセッションの時代に日本に滞在する必要があるのか？率直な疑問として、ある意味”亡命”のようなものかと彼に問うたところ、「そうとも言える。ちょっと頭を冷やして次の大統領選挙に備えて力を蓄えるさ」とさらっと言う。おそらく「ハイアット10」の事件の際に反アロヨ運動の熱気が最高潮に達し、色々と圧力などがあったことは想像に難くない。それで本人の言のように冷却期間が必要だったのだろうとも思う。いずれにしても今彼はアジアにおける人権とデモクラシーの明日のために鋭気を養うとともに、仲間と知恵をしぼっている最中だ。なお彼を含むALFPのメンバーによる公開セミナーが、10月31日に東京の国際文化会館で予定されているので、関心のある人はご参加ください。http://www.jpf.go.jp/j/intel/exchange/organize/alfp/index.html&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そもそも大学時代に民主化運動の道に進んだのは何故？との問いに対して、「あの頃はマルコス政権の最悪の時期。他に一体どんな選択があったの？」と答える。そのいかにも柔らかな笑顔と口ぶりからは、彼の歩んできたおそらく困難に満ちた人生は容易に想像できない。使命感と覚悟を背負った同世代人。こういう人がいるからこそなんともやりきれないことの多いこの国でも、暗闇に多少の光明が見える時があるのだ。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/27072425-2165031325315817363?l=bensuki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://bensuki.blogspot.com/feeds/2165031325315817363/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=27072425&amp;postID=2165031325315817363' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/2165031325315817363'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/2165031325315817363'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://bensuki.blogspot.com/2008/09/blog-post.html' title='デモクラシーの祭典とリセッションの時代'/><author><name>bensuki</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01735024261670566866</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SNH2rM4WvsI/AAAAAAAAASM/HIoUAtN2I7k/s72-c/%E6%8E%88%E8%B3%9E%E5%BC%8F.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-27072425.post-5568140825960460433</id><published>2008-08-20T11:21:00.012+08:00</published><updated>2008-08-20T16:01:00.567+08:00</updated><title type='text'>これぞフィリピンのハート、反骨精神の故郷</title><content type='html'>&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SKuN3GF5_6I/AAAAAAAAARM/743DcgFAExE/s1600-h/Vigan.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SKuN3GF5_6I/AAAAAAAAARM/743DcgFAExE/s320/Vigan.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5236434969416040354" /&gt;&lt;/a&gt;　このブログではあまり旅行記のようなことは書かないのだけれど、先日訪れたビガンはとても面白い土地なので、あえてここで報告します。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　富が集まるところに貧が生まれて格差が顕在化する。富が集まるところではまた知が生まれ、やがて社会を変えてゆこうという志を育む。世界遺産にも登録されているスペイン時代の古きノスタルジックな街並みの残るビガンは、そんなことを考えさせる場所だった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この町にはある絵が見たくてやって来た。『バシーの反乱』とタイトルの付けられた14枚連作の油絵。エステバン・ビリャヌエバというビガンの商人でかつ画家の作品で、現在はブルゴス・ミュージアムに所蔵されている、というか何気なく飾られている。1821年の制作で、おそらく現存する作者のはっきりとわかる西洋風歴史画の中で、アジアで最も古い作品であろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SKuOLL89b7I/AAAAAAAAARU/M8giq8D0sxE/s1600-h/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%B4%E3%82%B9.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SKuOLL89b7I/AAAAAAAAARU/M8giq8D0sxE/s320/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%B4%E3%82%B9.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5236435314586513330" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　　　　　　　ブルゴス・ミュージアム&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　フィリピンの美術は意外にも早熟である。スペイン植民地時代にもたらされた近代絵画は、この国では美術史的にはコロニアル・アートと総称されるが、19世紀初頭には既に肖像画家として成功を納めるスペイン人とフィリピン人による混血（メスティーソ）の画家を何人か生み出している。さらに驚くべきことに、同時期にマニラから遠く離れたこのビガンという北部の地方都市にさえ、独特で素朴な画風で知られる画家がいたことだ。ちなみにインドネシアには近代絵画の黎明期にラデン・サーレという作家がいたが、その代表的な油絵である『嵐』が描かれたのが1851年。その頃の日本といえば、葛飾北斎が没したのが1849年。後に西洋的なリアリズムによる油絵の技法を学び、『鮭』や『花魁』などの作品で“明治初期の洋画家”として知られる高橋由一が生れたのが1828年である。フィリピンにおける西洋画の歴史がいかに古いものか、だいたい想像がつくと思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ビガンを中心とした北ルソン西部の海岸地帯は、スペイン植民地の礎を築いたレガスピの孫であるサルセド（私が住んでいるマカティのビレッジ名でもある）による平定の後は、サトウキビやタバコのプランテーションと専売が進んだ。“バシー”とは地元のサトウキビ産のワインのことで、この連作絵画は、このバシーをめぐり1807年に実際に起こった農民一揆を描いたものだ。スペイン植民地政府は18世紀末からバシーの流通を抑え地元民の取引を禁止した。その専売反対に端を発した農民たちの一揆を、発端から平定そして処刑までの物語の形式で描いている。もともとこの作者は、おそらくはスペイン政府からの依頼で反乱農民への見せしめの意味で描いたようだが、約200年を経た今、皮肉にもフィリピン人によるスペイン植民地政府に対する抵抗運動の初期の歴史的事実を証明する貴重な資料として記録にとどめることとなった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SKuOif5ZayI/AAAAAAAAARc/HCvA_zIoSko/s1600-h/%E7%94%BB%E5%83%8F+147.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SKuOif5ZayI/AAAAAAAAARc/HCvA_zIoSko/s320/%E7%94%BB%E5%83%8F+147.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5236435715077270306" /&gt;&lt;/a&gt;反乱軍が決起。ハーレー彗星が不吉な予感を告げる。&lt;br /&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SKuOqYfPcFI/AAAAAAAAARk/ZrNcvd9PeAA/s1600-h/%E7%94%BB%E5%83%8F+266.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SKuOqYfPcFI/AAAAAAAAARk/ZrNcvd9PeAA/s320/%E7%94%BB%E5%83%8F+266.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5236435850527469650" /&gt;&lt;/a&gt;バンタイ川の戦い&lt;br /&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SKuOzUNFieI/AAAAAAAAARs/8biKFat0cYE/s1600-h/%E7%94%BB%E5%83%8F+167.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SKuOzUNFieI/AAAAAAAAARs/8biKFat0cYE/s320/%E7%94%BB%E5%83%8F+167.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5236436003996404194" /&gt;&lt;/a&gt;首謀者の処刑&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SKuO6OqrFcI/AAAAAAAAAR0/VpzCJVx8R_c/s1600-h/%E7%B4%B0%E9%83%A8.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SKuO6OqrFcI/AAAAAAAAAR0/VpzCJVx8R_c/s320/%E7%B4%B0%E9%83%A8.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5236436122768971202" /&gt;&lt;/a&gt;細部&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　このビガンを中心としたイロコス地方は、この「バシーの反乱」以前も以降も、激しい抵抗の歴史に彩られている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　学歴社会のフィリピンで、博士号を持っていてあたりまえの学術界の中で、それも最高学府の国立フィリピン大学で、博士号を持たない学者として舌鋒鋭くあらゆる植民地言説に常に反骨精神を燃やすアーノルド・アズリンという学者もまた、このビガンの出身だ。ちなみに基金ではアジア域内の第一級の知識人を日本に集めて一定期間生活を共にするアジア・リーダーシップ・フェローという事業を1996年に開始したが、彼は初代のフィリピン代表である。手前勝手ながら“無冠の反骨学者”を招待するとはなかなかいいセンスだなあと思う。その彼は「After Cristobal Colon: The Dialectic of Colonization /Decolonization in Ilocos（コロンブス以降：イロコスの植民地化/脱植民地化の弁証法）」（『Reinventing the Filipino Sense of Being and Becoming』所収、フィリピン大学出版局、1995年）という論文の中で、ビガンの街並みを“古き良き”スペイン時代の“麗しい”継承ととらえることは、サルセド将軍以来の征服とその暴力による血塗られた住民の受難の歴史を振り返る時、決して許される言説ではないと主張する。それはフィリピンの歴史をゆがめるものだ。スペインを美化するどころか、ビガンの街は反骨精神を胚胎していたという。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「外見的にスペイン風の誘惑や鎧や様式で飾られていたにもかかわらず、ビガンの街は結果として社会・政治的な変動とヨーロッパを覆うイデオロギーの流れに沿って動くさざ波を吸収していた。」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　農民の反乱は早くも1589年に起こる。その後記録で明らかな大規模な反乱だけでも1669年、1762年、そして「バシーの反乱」の1807年。「バシーの反乱」以降も反骨の、あるいは革命的な、またあるいは社会改革を希求する多くの傑出した人物を生み出してきた。改革派神父として1872年に処刑され、この国の独立運動を早めたと言われているブルゴス神父。独立運動カティプナンのリーダーとして活躍し、その後教会の民主化を求めて独立派教会を創設するアグリパイ。芸術の世界では、『スポリアリウム（虐殺）』の成功で西洋画壇で評価される一方、独立運動にも大きな影響を与えたホアン・ルナ。第二次大戦後、初のフィリピン議会選挙で下院議員となったフロロ・クリソロゴは労働運動を支援し続け、現在この国の労働者を支えるソーシャル・セイフティー・ネットであるSSSの創設に尽力した。それから忘れてはいけないのが80歳を過ぎてなお意気軒昂で植民地根性を激しく糾弾し続けている社会派作家、シオニール・ホセ氏の故郷もこのイロコスだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そしておそらく極めてつけは何と言ってもフィリピン史上最強の弁護士と言われ、32歳の若さで憲政史上最年少の下院議員となり、48歳で大統領になったマルコスだろう。彼もおそらく若き頃は理想に燃え志高く、大胆な社会改革を夢見ていたのかもしれない。彼の遺体はこのイロコスのバタックという生れ故郷の町の生家に防腐処理をされて今も横たわっている。その遺体が安置された部屋の前には「全ての人類の父」と題して次の言葉が掲げられている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SKuP1Au5QUI/AAAAAAAAAR8/IReMcc9qu6w/s1600-h/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%82%B9.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SKuP1Au5QUI/AAAAAAAAAR8/IReMcc9qu6w/s320/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%82%B9.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5236437132640862530" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　　マルコスの生家と遺体の眠る博物館&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「かくも多くの我々人間は腐敗や貪欲、そして暴力の中に生きている。しかし忘れてはいけないのは、この国は、いやいかなる国でも、自己主義的な目的ではなく、人々共通の善を求めて兄弟として生きることを学ぶことなしに永続と繁栄はありえない。&lt;br /&gt;我々の自己欲と腐敗、そして無責任な態度を永遠に退け、我々の生命を創る強靭さを我々に与えたまえ。」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　貪欲と物質主義の限りを蕩尽した大統領とその取り巻き。北イロコスの片田舎の湖のほとりには、その見果てぬ夢と宴の後の残骸が呆然と残されている。反骨精神を胚胎する故郷として多くの気骨ある革命家、社会運動家、思想家、芸術家を生み出した土地は、また人間という存在の弱さを教えてくれる場所でもあるのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SKuQKNLV5PI/AAAAAAAAASE/eDEDT40K0pg/s1600-h/%E5%8C%97%E3%81%AE%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%82%AB%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%83%B3.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SKuQKNLV5PI/AAAAAAAAASE/eDEDT40K0pg/s320/%E5%8C%97%E3%81%AE%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%82%AB%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%83%B3.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5236437496758658290" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　　　　物欲の象徴、”北のマラカニアン”&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/27072425-5568140825960460433?l=bensuki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://bensuki.blogspot.com/feeds/5568140825960460433/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=27072425&amp;postID=5568140825960460433' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/5568140825960460433'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/5568140825960460433'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://bensuki.blogspot.com/2008/08/blog-post_20.html' title='これぞフィリピンのハート、反骨精神の故郷'/><author><name>bensuki</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01735024261670566866</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SKuN3GF5_6I/AAAAAAAAARM/743DcgFAExE/s72-c/Vigan.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-27072425.post-4438375114877426565</id><published>2008-08-12T12:04:00.010+08:00</published><updated>2008-08-12T15:56:59.238+08:00</updated><title type='text'>平和を愛する山の民を描いた秀作映画　～第４回シネマラヤ～</title><content type='html'>&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SKEMNw3tHBI/AAAAAAAAAQc/uMVVFSWSZ_M/s1600-h/%E3%82%B7%E3%83%8D%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%A4.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SKEMNw3tHBI/AAAAAAAAAQc/uMVVFSWSZ_M/s320/%E3%82%B7%E3%83%8D%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%A4.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5233477672577604626" /&gt;&lt;/a&gt; 　このブログでもたびたび紹介してきたインデペンデント系のアート界の動き。今年もまたＣＣＰを会場に６月から７月にかけて、ダンス、演劇、映画と熱いイベントが続いた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今回で４回目を迎えたデジタルシネマ国内最大の祭典シネマラヤ。年々回を重ねるごとに増殖するこの映画の祭典は、今年もその期待にたがわず大いに盛りあがった（7月11日～20日）。新作はコンペ部門（長短10本ずつ）とエキシビション部門。それにこれまでのシネマラヤ出品作や国内の他のＤシネのコンペ出品作などをあわせ、なんと一挙に165本のＤシネがたった９日間に怒涛のように上映された。コンペ出品作の内、長編9本と短編10本を見たが、最も印象に残った作品について報告する。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　長編コンペに出品された『BRUTS』（タラ・アイレンベルガー監督）という作品。ルソン島の南に位置するミンドロ島を舞台にしたマンギャン族という少数民族の子供のカップルの物語だ。マンギャン族はいまでもミンドロ島の山中で伝統的な暮らしをしており、独自の文字や“アンバハン”と呼ばれる美しい韻をふむ詩、それにユニークな幾何学的文様をあしらった織物や工芸品があり、独特の伝統文化を持った民族である。マンギャン族の生活の様子は、オランダ人の神父で1960年代始めよりこの島の南部山中に住み着いたアントゥーン・ポストマ氏のいくつかの本で知ることができる。例えば『Mindoro Mangyan Mission』（Arnoldus Press、1983年）という写真集からは1980年代の彼らの生活が生き生きと伝わってくる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SKEMlH6jUUI/AAAAAAAAAQk/OHcH5a4VnGY/s1600-h/%E7%94%BB%E5%83%8F+007.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SKEMlH6jUUI/AAAAAAAAAQk/OHcH5a4VnGY/s320/%E7%94%BB%E5%83%8F+007.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5233478073900552514" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;　物語はそのマンギャン族の女の子の家族をおそった悲劇から始まる。伝統的焼畑で生計を維持していたところに都会から来た移住者に土地を奪われて家を焼かれ、父親は失意のうちにマラリヤで命を落とす。この物語の主人公である女の子の兄は、違法伐採による木材を筏で川下の町まで運ぶ運び人（BRUTS（ブルートゥス）と呼ばれる）となったが行方不明。その兄を求めて、同じくBRUTSとなり幼なじみの男の子との二人連れの川旅が始まる。二人は旅の途中でお尋ね者の共産ゲリラのリーダーや、彼を追って密林を捜索する政府軍兵士などと出会うことになる。やがて両者の戦いに巻き込まれるが、最終的には共産ゲリラが捕まって二人は政府軍兵士に保護される。女の子がそのゲリラに心を惹かれたことで男の子の間に微妙な隙間が生じたが、様々な冒険の果てに故郷の家にたどりついた二人は、再び仲直りする・・というストーリー。この作品で審査員賞、助演男優賞、音楽賞、撮影賞を受賞した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SKENBbNdv3I/AAAAAAAAAQs/-FTFkO7JlEU/s1600-h/02.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SKENBbNdv3I/AAAAAAAAAQs/-FTFkO7JlEU/s320/02.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5233478560116490098" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;　マンギャン族の伝統文化の問題と環境破壊が縦軸のテーマだが、そこにこの国がいまだ苦しみ続けている共産ゲリラと政府軍との争いが横軸で挿入されている。なかなか重厚な社会的テーマをいくつも織り込んで物語の破綻もなく、それでいてみずみずしく描かれているのは、幼いカップルが筏で川を下るに従って物語が展開するという冒険譚のような虚構の世界だからか。でも私が特に感心したのは、共産ゲリラとそれに対峙する政府軍の描き方だ。マルコス独裁時代の1969年に結成されて以来、いまだに農村を拠点に政府軍と戦いを続けている新人民軍のゲリラ指導者が、この映画ではなんと心優しく描かれていることか。さらに奇異なことに、政府軍の兵士もまた、その司令官に人情味ある風貌と演技で人気の俳優ロニー・ラザロを起用するなど人間味あふれる描き方をしている。40年近く続く共産ゲリラと政府軍とのある種“倦んだ”戦いを、理想的すぎるきらいはあるとしても、こうやってあえて柔らかな視点で描く20代の若者がいることに、私はまず新鮮な驚きを覚えた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この映画全体を包み込むなんともいえない優しさというものの不思議さが心の中に残っていた私は、それから数日後にある本を発見し、何かその秘密の一つがわかったような気がした。7月23日から26日の4日間にわたってフィリピン研究国際会議が行われ、250名を超える研究者が合計71のパネルでペーパー発表が行われた。日本人研究者も名前が登録されているだけで29人もの研究者が参加している。この会議の内容を書き始めるとまたそれだけで長くなってしまうが、こうした会議での楽しみの一つが会場で行われるフィリピン関係本の即売会だ。今回はマンギャン族のことが気になっていたので探してみたが、『Mangyan Survival Strategies』（Jurg Helbling／Volker Schult 著、New Day Publishers、2004年）という本に巡り会った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この本の作者によれば、ミンドロ島のマンギャン族は北部コルディレラの山地民族やミンダナオのモスレムなどと異なり、フィリピンで最も平和を愛する、言い方をかえれば臆病な民族であるという。フィリピンで７番目に大きな島には2500メートル級の山が迫っていて急峻な渓谷で分断されており、今でも島内をくまなくつなぐ道路は無く人の往来が困難な場所だ。そんな土地でも先住民たちはスペイン植民地時代からキリスト教化を迫られ、20世紀になってからはアメリカからの独立戦争や日本軍占領時代を通して攻撃は繰り返され、さらにそれと平行してルソン島やビサヤ地方からの移民がやって来て、1960年代以降になるとそれが大量になり、法律に無知なマンギャン族は土地を奪われていった。しかし彼らはそのたびに紛争を避け、ある者はより生活環境の厳しい山に逃れた。そして結果的に山に入った人々の間に伝統的価値観や文化を保った生活が残されたという。争いを避け、臆病と言われても、それが結果として種族と文化を存続させる究極の知恵であったということにはおそらく大きな意味があるのだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　『BRUTS』の女性監督は2004年にマンギャン族のドキュメンタリーフィルムを手がけた後、移民から土地を奪われ森林伐採で森が失われる現状に対して、何とかしなくてはいけないと今回の映画制作を思い立ったという。平和を愛するマンギャンの人々の世界を描く現代の御伽噺の中に、たとえ空想的と言われても心優しき共産ゲリラや人情味あふれる政府軍兵士を登場させたこともまた、争いは無意味だという彼女なりのメッセージなのだと思う。内戦状態が続いて40年。それはちょうど彼女の世代の人生とも重なる厭戦には十分な時間だ。全ての希望が打ち砕かれてもなお、新たな空想や理想を抱くのは若者の特権だろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SKENTPeDK6I/AAAAAAAAAQ0/zw2lKDI6Dhk/s1600-h/08.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SKENTPeDK6I/AAAAAAAAAQ0/zw2lKDI6Dhk/s320/08.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5233478866202471330" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;　ところでマニラの映画人によって地方の少数民族やその独自の文化・風土が描かれるというケースは、これまでのシネマラヤでいえばライステラスで有名なイフガオ族の村バタッドを舞台とした『BATAD:SA PAANG PALAY（バタッド：稲穂の足）』（2006年）や、ルソン島からさらに北の離島バタネスを描いた『KADIN（山羊）』（2007年）などがあるが、この『BRUTS』もそうした系譜上の作品であるといえる。また別の長編コンペ作品の中で心に残った『NAMETS（美味い）』（ジェイ・アベーリョ監督）という作品は、中部ネグロス島のバコロドという町を舞台に地元の食材と味を生かしたレストラン作りに挑戦するというフィリピン版『美味しんぼう』物語だが、地方ネタを軽く娯楽作品風に仕上げるというのはこれまでにない新しい傾向だと思った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　こうした地方色という意味で、今回のコンペで長編作品以上に話題になったのが、短編部門出品の『ANGAN-ANGAN（希望）』という作品。スールー諸島のバシラン島を舞台にしたヤカン族の９歳の女の子の嫁入り物語で、ドキュメンタリー風のみずみずしい映像が印象的だ。昨年のシネマラヤでマニラの若手監督がミンダナオをテーマにした作品を出品して（『ガボン（雲）』）、それについてこのブログでも、いつかミンダナオの若者が自分たちのストーリーを映画にする日がやってくることを願っていると書いたが、早くもそれが実現したかたちだ。プロデューサーはこのブログでも紹介したことのあるテン・マンガンサカンで、監督はザンボアンガ出身のシェロン・ダヨック。二人ともミンダナオ島が本拠地の若きフィルムメーカーである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　さて映画祭の受賞レース、作品賞はオカマのテレビ・プロデューサーを描いた『JAY』（フランシス・パション監督）が受賞した（この作品のみ見逃してしまった！）。監督賞は、死を宣告された女性が死ぬ前に100のやりたい事を次々とかなえてゆく『100』のクリス・マルティネスで、暗いテーマをユーモアとペーソスあふれる映像美で描いた。その『100』はオーディエンス賞、主演女優賞、助演女優賞、脚本賞も受賞した。そのほか父親から虐待を受けて言葉を失った男の子と恋人を亡くして失意の底にあるバイオリニストが、バイオリンを通して触れ合い自分を取り戻してゆくという『BOSES』（エレン・オンケコ・マルフィル監督）も賞を逸したが印象に残った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　また第二次大戦中、ダバオで実際にあった家族の物語をもとに作られた『コンチェルト』（ポール・モラレス監督）という作品は、これまでさんざん映画でステレオタイプ化されてきた日本軍と全く異なる姿を提示した点で特筆に値する。監督の祖父母の実話にもとづいているのだが、日本軍のダバオ侵攻に伴って森の中に疎開したフィリピン人家族が音楽を愛する日本人将校たちと交友を暖め、日本側の戦況の悪化に伴って同部隊が明日駐屯地を移動するという最後の晩に、その家族が彼らのために森の中でピアノの演奏会を開き、コンチェルト（協奏曲）を奏でるという美しいストーリーだ。戦争被害の甚大なフィリピンでこのように日本軍人を賛美するともとらえられかねない映画を作ることなど、おそらくちょっと前までは想像もつかないことであっただろう。物語の構成が多少物足りないことや演技面での不足を補って余りあるほど、この監督の勇気には敬意を表したいと思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SKENrZaGLII/AAAAAAAAAQ8/QUuONeAw41Y/s1600-h/%E7%94%BB%E5%83%8F+005.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SKENrZaGLII/AAAAAAAAAQ8/QUuONeAw41Y/s320/%E7%94%BB%E5%83%8F+005.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5233479281187105922" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　　　　　びっしりのラインナップ！&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　誕生から4年目にして数多くの若者の参加をえて、いまやミンダナオからも作品が生まれ、シネマラヤはますます増殖しているようだ。それは既に“シネマラヤ現象”といってもいいかもしれない。そこで提示される世界やフィーリングは、いまのフィリピンの若者の等身大の姿を明確に映し出していて観ていてとてもすがすがしい。昨年は120本、そして今年は165本だったので、このペースでゆけば来年は200本を超えてしまうか、とも思えてくる。尽きせぬ物語と若き才能との新しい出会い。今から来年のシネマラヤが楽しみだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SKEOCfLUUnI/AAAAAAAAARE/sLp_iIe3Y3k/s1600-h/09.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SKEOCfLUUnI/AAAAAAAAARE/sLp_iIe3Y3k/s320/09.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5233479677872722546" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/27072425-4438375114877426565?l=bensuki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://bensuki.blogspot.com/feeds/4438375114877426565/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=27072425&amp;postID=4438375114877426565' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/4438375114877426565'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/4438375114877426565'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://bensuki.blogspot.com/2008/08/blog-post.html' title='平和を愛する山の民を描いた秀作映画　～第４回シネマラヤ～'/><author><name>bensuki</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01735024261670566866</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SKEMNw3tHBI/AAAAAAAAAQc/uMVVFSWSZ_M/s72-c/%E3%82%B7%E3%83%8D%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%A4.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-27072425.post-7408029887755297535</id><published>2008-07-21T10:12:00.005+08:00</published><updated>2008-07-21T10:23:42.120+08:00</updated><title type='text'>沖縄舞踊と黒潮文化</title><content type='html'>&lt;a href="http://bp1.blogger.com/_-gBUAw6EK_U/SIPw5SOz28I/AAAAAAAAAPs/L7kwHWCr2ZM/s1600-h/%E7%94%BB%E5%83%8F+001.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://bp1.blogger.com/_-gBUAw6EK_U/SIPw5SOz28I/AAAAAAAAAPs/L7kwHWCr2ZM/s320/%E7%94%BB%E5%83%8F+001.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5225284859617074114" /&gt;&lt;/a&gt;　沖縄とフィリピンは近い。気候・風土も似ている。沖縄名物のゴーヤー（苦瓜）はフィリピンでもよく食べられているし、パパイヤやマンゴーなどフルーツの植生も似通っている。フィリピンの先住民族は、沖縄のオジイやオバアとは遠い親類同士だから顔つきもそっくりだ。歴史的にも日本からの移民の多くは沖縄からで、戦後は米軍キャンプのある沖縄で多くのフィリピン人が働いてきた。“パタイ”という言葉はフィリピンでも沖縄でも同じ “死”を意味する。日本広しといえども、タガログ語の単語が方言に採用されているのは沖縄ぐらいだろう。だからこの7月にマニラで行われた沖縄舞踊の公演は、いつものいわゆる“日本文化紹介”とは、意味というかニュアンスが若干異なる仕事だった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　沖縄から15人の公演団を率いてきたのは「沖縄文化民間交流協会」というＮＰＯの代表で84歳になっても意気軒昂な玉城正保氏。沖縄舞踊はいくつかの流派に分かれていてそれぞれしのぎを削っており、今回初めてわかったことだが、その舞踊界をサポートする地元の二大新聞（沖縄タイムズと琉球新報）の系列で真っ二つに舞踊界を分かつ派閥があるようで、双方のグループ同士でなかなか交流する機会はないという。しかしこのＮＰＯの企画に限っては派閥を超え、流派を超えて、踊りの演目ごとに持ち味を十分に発揮できる舞踊家が集まり、演奏を担当する地方も、組踊りで重要無形文化財の集団指定を受けている喜瀬慎仁氏をはじめ一流の演奏家がそろった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://bp2.blogger.com/_-gBUAw6EK_U/SIPxZLOlmZI/AAAAAAAAAP0/M2TFFwXi_ok/s1600-h/front+cover+image.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://bp2.blogger.com/_-gBUAw6EK_U/SIPxZLOlmZI/AAAAAAAAAP0/M2TFFwXi_ok/s320/front+cover+image.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5225285407492905362" /&gt;&lt;/a&gt;　公演のほうは800人収容の劇場にほぼ満員の観客を集め、冒頭の「かぎやでぃ風」から観衆を引き付け、華やかな紅型をまとった「本貫花（むとぅぬちばな）」、芭蕉布の衣装による農民の踊り「むんずるー」、濃い藍染めの琉球絣で優雅な「花風」と見所多い踊りが続き、クライマックスには舞台の上で観客を巻き込んでお決まりのカチャーシーで、最後まで多くの観衆を魅了して成功裏に終了した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　沖縄舞踊は、宮廷舞踊と民衆踊りという対極的な二つの要素を同時に持っためずらしい舞踊だ。宮廷舞踊は能を彷彿とさせる摺り足と優雅な所作を基本に、華やかな衣装が彩りを添える。一方民衆踊りである“雑踊り”は、民衆生活や沖縄の自然をモチーフとした生き生きとして軽快な所作が特徴。衣装も芭蕉など伝統的に庶民に親しまれてきたものが中心である。変化に富んでいるので見ていて飽きない。こうした多様性が受け入れられているのか、海外における“日本”文化紹介事業の中でも、和太鼓や津軽三味線などと並ぶ“御三家“として人気の分野である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　タイやインドネシアに駐在した際にも公演やワークショップなどで沖縄舞踊の紹介をしてきたが、そのたびに沖縄のアーティストの心意気といったものに感銘を受けたものだ。いまや沖縄舞踊の大家の一人で、玉城流の家元である秀子先生率いるグループをバンコクで受け入れた際には、楽屋やバスの中でも気がつくと三線を伴奏に歌いだす陽気な人々に、確かに“ヤマト”の人々とは異なる気性をかいま見た。またアユタヤという古都に行った際には、自分たちの祖先がかつて住んでいたという日本人街に思いを馳せて目をうるますその姿に、世代を越えた想像力の豊かさに驚きを覚えた。インドネシアの古都ジョグジャカルタで比嘉いずみさんという中堅の舞踊家を招いて行ったワークショップでは、ジャワ文化の粋ともいえるジャワ古典舞踊の舞踊家たちと交流し、腰を据えたゆったりとした動作や優雅な手の所作など様式の共通点に嬉々とした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今回は公演の翌日に国立フィリピン大学（UP）でワークショップも実施したが、緊張感張り詰めた公演とは打って変わり、多くの学生を相手に賑やかで楽しい交流となった。舞踊、音楽とそれぞれに別れて双方30名はいただろうか、午前はそれぞれのパートに分かれて練習、午後は合流してのミニ発表会となった。それにしても踊りのパートで師匠格の久手堅一子さんが話していた内容に目から鱗が落ちるような思いを抱いた。伝統舞踊というもの、まずは型からと思いきや、「沖縄の人々はとても音楽を愛しています。今日も素晴らしい演奏をする先生がそろっています。さてどこからか音楽が聞こえてきました。私たちはそんな音楽を聴くと、もういてもたってもいられなくなるんです。ほらほら体が自然と動き出します・・」と言って学生たちを踊りに誘っていった。これほど踊りの本質を簡潔にかつ素直に伝えることは意外と難しい。三線の音色や踊りのリズムが生活に密着した沖縄のウチナンチューだからこそできることなのかもしれない。ちなみにこのフィリピンにおける東大ともいえるUPにも音楽学部の中に舞踊学科があるが、主流は西欧のバレエで伝統舞踊は教えていない。伝統のほうはまた別に体育学部にコースがあるようだが目立った活動はない。姿勢をまっすぐにしてひたすら上へ上へと体を伸ばしてバレエの訓練を積み重ねてきた学生の体は、それと見てはっきりとわかる体型の子たちが多い。重心を低くしてスローにゆったりと踊る沖縄舞踊に触れることで、体が記憶しているに違いない自分たちの祖先の踊り、その身のこなしの感覚を少しでも蘇らすことはできただろうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://bp3.blogger.com/_-gBUAw6EK_U/SIPxtCy6bNI/AAAAAAAAAP8/M0XnVBsGlBc/s1600-h/%E7%94%BB%E5%83%8F+023.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://bp3.blogger.com/_-gBUAw6EK_U/SIPxtCy6bNI/AAAAAAAAAP8/M0XnVBsGlBc/s320/%E7%94%BB%E5%83%8F+023.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5225285748826729682" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;　フィリピンと沖縄をつなぐ絆は想像以上に太い。1940年当時フィリピンにいた日本人は領事館の登録ベースで19,288人。そのうち沖縄県人が9,899人と半数を超えている。例えば漁業の世界での糸満漁師の活躍は特質に値する。フィリピンの複雑な海岸線と遠浅の海は追込漁を得意とした糸満の漁師にとっては願ってもない漁場だったらしく、マニラにおける漁業の実権はほとんど沖縄の人々が握っていたようだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　３年前にフィリピンに来て取り組みたいことが色々とあった中で、フィリピンから海流に乗って北上し、台湾を経由して沖縄を貫く“琉球弧”に至る黒潮の道をたどる交流事業は、ぜひともやってみたいことの一つであった。かつて東京のアジアセンターという部署でアジアの文化財保存事業を担当していた頃、アジアの織物文化をテーマに各地から織物作家を招待し、芭蕉布を求めて西表島まででかけたことがある。芭蕉布は、今回の舞踊公演でも影の主役を努めた沖縄の民衆に愛用されたバナナ科の植物繊維から作られる織物だが、第二次大戦の戦火で一度は途絶えたものが沖縄本島の北部の喜如嘉で復興したものだ。西表にも紅露工房というところがあり、芭蕉の採集から糸作り、染料の採集と染め、そして織りに至るまでの一連の作業を体験することができた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　芭蕉布が一体どこからやって来たかという疑問についてはいまだに解答はないが、ここフィリピンにもやはり芭蕉の一種であるアバカを用いた織物がミンダナオに残っている。かつてはフィリピン全土にあったといわれる織物だが、現在ではミンダナオ島南西部のチボリ族に伝わるティナラクという織物が最も原型をとどめていて有名だ。私が山原の喜如嘉にある芭蕉布会館を訪れた際も、そのチボリ族のティナラク織りが展示されていた。アジアの染織作家を集めた研修旅行の後、その芭蕉布のことが気になってある人に依頼して台湾にも同じような織物があるかどうか調べてもらったことがある。しかし残念ながら現段階では台湾の芭蕉布はみつかっていない。そんなこともあり、沖縄の芭蕉布とミンダナオのティナラクとの間のミッシングリンクを埋めるような“黒潮文化”に関する国際会議などできないものかと、今でも夢に思い描いている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://bp1.blogger.com/_-gBUAw6EK_U/SIPyJsIi6mI/AAAAAAAAAQE/PZYHbsUCgck/s1600-h/%E7%94%BB%E5%83%8F+079.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://bp1.blogger.com/_-gBUAw6EK_U/SIPyJsIi6mI/AAAAAAAAAQE/PZYHbsUCgck/s320/%E7%94%BB%E5%83%8F+079.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5225286240959654498" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　　　　　　　　ティナラク織り&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　文化交流は人と人とをつなぐ仕事だ。新しい人と人との出会いはそれだけでかけがいのない価値を持つものだが、それが人と人とのつながりの記憶を、ひょっとしたら古き時代から交流してきた民族と民族の記憶を呼び覚ます可能性があるものであれば、そこにはまた次元の異なる意味が生れる。グローバライゼーションの時代といわれる中でますます希薄化していると言われている人間関係。国境を越えた人間関係もまたある種の希薄化をまぬがれない。しかしだからこそかつては確かにあったリンクに思いを馳せ、そのつながりを実感することが大切なのだと思う。華やかで爽快な沖縄舞踊の中にも、踊りの所作や衣装の中にそうした交流の痕跡が残されているはずだ。ミッシングリンクを埋めることはそう簡単なことではないけれど、ほんの一握りのウチナンチューとフィリピーノとの出会いを生み出すこともまた、その空隙を埋めるための一歩なのだと思っている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://bp2.blogger.com/_-gBUAw6EK_U/SIPy_R7QMoI/AAAAAAAAAQM/CpiqmaN-XDA/s1600-h/img3.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://bp2.blogger.com/_-gBUAw6EK_U/SIPy_R7QMoI/AAAAAAAAAQM/CpiqmaN-XDA/s320/img3.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5225287161637515906" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/27072425-7408029887755297535?l=bensuki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://bensuki.blogspot.com/feeds/7408029887755297535/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=27072425&amp;postID=7408029887755297535' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/7408029887755297535'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/7408029887755297535'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://bensuki.blogspot.com/2008/07/blog-post.html' title='沖縄舞踊と黒潮文化'/><author><name>bensuki</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01735024261670566866</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://bp1.blogger.com/_-gBUAw6EK_U/SIPw5SOz28I/AAAAAAAAAPs/L7kwHWCr2ZM/s72-c/%E7%94%BB%E5%83%8F+001.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-27072425.post-7351879192528692629</id><published>2008-05-19T17:17:00.029+08:00</published><updated>2008-07-21T12:41:01.759+08:00</updated><title type='text'>マニラのアートスペース・ガイド</title><content type='html'>　今回本文は後述です。マニラの主要なアートスペースを紹介します。マニラ首都圏、北から順番に。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;○ケソン市&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;●mag:net Cafe&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SEpKUbf3gTI/AAAAAAAAAPc/1AR4jfzb3gQ/s1600-h/%E7%94%BB%E5%83%8F+005.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SEpKUbf3gTI/AAAAAAAAAPc/1AR4jfzb3gQ/s320/%E7%94%BB%E5%83%8F+005.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5209057633846657330" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;　まずは何と言っても、今マニラで最も重要なアートスペースと言っても過言ではない「マグ：ネット・カフェ」。アテネオ・デ・マニラ大学の門前にあるカティプナン店（2006年オープン）を中心に、新興のグローバル・シティやマカティにも支店を構える。もともとアート系雑誌のネットワークを企画し、マガジン・ネット＝マグ：ネットとして始まった。ギャラリーにカフェを併設したのが成功し、現在では毎日のようにライブ（ロック、エスニック、レゲエ、ジャズ）があり、毎週火曜日はシネ・カティプナンと称して、芸術的・実験的な映画の上映がある。現代美術の分野では今やある意味で若手作家の登竜門とも言え、毎月１人のペースで個展を中心に展覧会が行われている。フィリピンでは珍しく1年先まで予定が決まっている超人気のスペースだ。書店も併設していてアート関係の本・雑誌、地元ミュージシャンの音楽CDや名作映画のDVDが購入できる。WEBサイトも充実していて、最近数年の展覧会についてはデータベースが公開されていて、現代美術作家の情報が得られる。申し込めば定期的にEmailニュースも送ってくれる。オーナーの一人であり1970年代から活躍する画家のロック・ドリロン氏は、次はやはりアート・マガジンの発行をと意気込んでいる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;Address: AGCOR Building. 335 Katipunan Avenue, Quezon City&lt;br /&gt;Tel/Fax: +63-2-929-3191/+63-921-6681279 &lt;br /&gt;Email: magnetcafegroup@gmail.com&lt;br /&gt;WEB: http://&lt;a href="http://www.magnet.com.ph"&gt;www.magnet.com.ph&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;●Green Papaya Art Projects&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　2000年にオープンしたがいまや老舗とも言えるアートスペース。『アジアのアートスペースガイド2005』でも紹介されている。パナイ島出身のインスタレーション作家ピーウィー・ロルダンと、このブログでも紹介した新進気鋭のダンサー、ドナ・ミランダが運営している。美術、映像、ダンスなど境界を超えたコラボレーションが真骨頂。滞在設備も備えており訪れる外国人アーティストも多い。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SDFI7gaGOQI/AAAAAAAAANc/beJM-yKy6hI/s1600-h/%E7%94%BB%E5%83%8F+054.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SDFI7gaGOQI/AAAAAAAAANc/beJM-yKy6hI/s320/%E7%94%BB%E5%83%8F+054.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5202019231738509570" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;Address: 12 A Maginhawa St. UP Village, Diliman, Quezon City&lt;br /&gt;Tel: +63-926-6635606&lt;br /&gt;Email: info@greenpapaya.org&lt;br /&gt;WEB: http://&lt;a href="http://papayapost.blogspot.com"&gt;papayapost.blogspot.com&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;●アテネオ・アート・ギャラリー&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　イエズス会系私立名門のアテネオ・デ・マニラ大学の構内にあるギャラリー。近代絵画のコレクションが有名だが、現代美術の企画展も多く、海外の研究者・キュレーターとの対話事業も盛ん。2006年から始まった「アテネオ・アート・アワード」は、既に現代美術では国内で最も“権威”あるコンペティションに成長した。優勝者はシドニーで滞在制作ができる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SIQTN8nOHnI/AAAAAAAAAQU/AL7l8m18h1E/s1600-h/P7090059.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SIQTN8nOHnI/AAAAAAAAAQU/AL7l8m18h1E/s320/P7090059.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5225322597986475634" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;Address: Ground Floor, Rizal Library, Ateneo de Manila University, Katipunan Avenue, Loyola Heights, Quezon City&lt;br /&gt;Tel: +63-2-426-6001 local 4160&lt;br /&gt;WEB: http://&lt;a href="http://gallery.ateneo.edu/"&gt;gallery.ateneo.edu/&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;●Lingoren Gallery&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　1960年代以降の社会派リアリズムの作家（アンティパス・デロターボやレナト・ハブランなど）を扱う異色のギャラリー。展覧会も社会的硬派なテーマが多い。ギャラリーのオーナーはアルフレド・リンゴレン（抽象画）、子息はエリック・リンゴレン（写真）でともに著名なアーティスト。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;Address: 111 New York / Stanford Str., Cubao, Quezon City&lt;br /&gt;Tel: +63-2-439-3962&lt;br /&gt;Fax: +63-2-912-4319&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;○マンダルーヨン市／パシッグ市&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;●SM Megamall Art Walk&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SDFKIwaGOSI/AAAAAAAAANs/VQqitPM-_GY/s1600-h/%E7%94%BB%E5%83%8F+027.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SDFKIwaGOSI/AAAAAAAAANs/VQqitPM-_GY/s320/%E7%94%BB%E5%83%8F+027.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5202020558883404066" /&gt;&lt;/a&gt;　マニラ首都圏のショッピングモールの中で最もギャラリーが集中する。合計19のギャラリーと企画展を実施するアートセンターがある。ギャラリーの中では「FINALE」が2000年のスタート時から続くパイオニアで、現代美術作家の展覧会が多い。また「West Gallery」や「THE CRUCIBLE」も現代美術が中心。「OLD MANILA」は美術関連の古書が豊富。いつ行っても何かしらの展覧会が行われている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;Address: 4th level, SM Megamall, Mandaluyong City&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;●ロペス美術館&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　国内有数の華人系財閥が経営するロペス財団の美術館。近代美術のコレクションで有名。現代美術の企画展も積極的に展開している。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;Address: G/F Benpres Building, Exchange Road corner Meralco Avenue, Ortigas Center, Pasig City&lt;br /&gt;Tel: +63-2-631-2417&lt;br /&gt;Email: pezseum@skyinet.net&lt;br /&gt;WEB: http://&lt;a href="http://www.lopezmuseum.org.ph/"&gt;www.lopezmuseum.org.ph/&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;○グローバル・シティ（タギグ市）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;●MO_SPACE&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SDKsPAaGOcI/AAAAAAAAAO8/6Jt7sShvcnM/s1600-h/%E7%94%BB%E5%83%8F+050.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SDKsPAaGOcI/AAAAAAAAAO8/6Jt7sShvcnM/s320/%E7%94%BB%E5%83%8F+050.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5202409893373819330" /&gt;&lt;/a&gt;　マニラ首都圏で今最もホットなスポットに2007年にできたばかりのアートスペース。小さいスペースだが、通常は現在注目されている現代美術作家のコレクションをコンパクトに展示しており、フィリピン現代美術作家の概観ができる。定期的に企画展も開催。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;Address: 3rd level, Mos Design, Bonifacio High Street, Bonifacio Global City, Taguig City&lt;br /&gt;Tel: +632 8562745&lt;br /&gt;Fax: +632 8562745&lt;br /&gt;Email: mo.space@yahoo.com.ph&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;●High Street（野外）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　国内随一のスペイン系財閥であるアヤラ・グループが開発した新都市の中心部にできたショッピングモール。元米軍基地の跡地に高級ショッピングモールの他、マンション、病院、インターナショナルスクールなどが忽然と現れ、この周辺だけで商業ギャラリーが10ヶ所近く新たにオープンした。現代のフィリピンの富の象徴。アートに触れる街つくりを目指していて、美しい街路と芝生の各所に若手作家によるパブリック・アートやインスタレーションが設置されている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SDKsjgaGOdI/AAAAAAAAAPE/bzPLjp91WBc/s1600-h/%E7%94%BB%E5%83%8F+047.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SDKsjgaGOdI/AAAAAAAAAPE/bzPLjp91WBc/s320/%E7%94%BB%E5%83%8F+047.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5202410245561137618" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;Address: Bonifacio High Street, Bonifacio Global City, Taguig City&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;○マカティ市&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;●THE DRAWING ROOM GALLERY&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　国内の旬の作家を含む良質のドローウィングを扱うギャラリー。2ヶ月に1回のペースで個展を中心に展覧会も実施している。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SDFLVQaGOUI/AAAAAAAAAN8/7x-ZeyXhrK0/s1600-h/%E7%94%BB%E5%83%8F+022.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SDFLVQaGOUI/AAAAAAAAAN8/7x-ZeyXhrK0/s320/%E7%94%BB%E5%83%8F+022.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5202021873143396674" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;Address: 1007 Metropolitan Avenue, Metrostar Building, Makati City&lt;br /&gt;Tel: +63-2-897-7877&lt;br /&gt;Fax: +63-2 -890-7455&lt;br /&gt;Email: drawings@pldtdsl.net&lt;br /&gt;WEB: http://&lt;a href="http://www.drawingroomgallery.com/public.concv/8"&gt;www.drawingroomgallery.com/public.concv/8&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;●Silverlens Gallery&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　現代写真を中心に現在活躍目覚しいギャラリー。シルバーレンズ財団では新進作家の作品を購入してグラントを提供している。またアジア・カルチュラル・カウンシルがスポンサーとなって、米国やアジア諸国での研究スカラシップも提供している。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SDFLqgaGOVI/AAAAAAAAAOE/RHM0ko7M9VQ/s1600-h/%E7%94%BB%E5%83%8F+008.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SDFLqgaGOVI/AAAAAAAAAOE/RHM0ko7M9VQ/s320/%E7%94%BB%E5%83%8F+008.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5202022238215616850" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;Address: 2320 Pasong Tamo Extention, Warehouse 2, Yupangco Building, Makati City&lt;br /&gt;Tel: +63-2-816-0044&lt;br /&gt;Email: manage@silverlensphoto.com &lt;br /&gt;WEB: http://&lt;a href="http://www.silverlensphoto.com/#"&gt;www.silverlensphoto.com/#&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;●アヤラ博物館&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　フィリピン最大のアヤラ財閥系の財団が経営する民間博物館。首都圏マカティ市の中心を占めるきらびやかなショッピングモール街の一角にあって、国際的スタンダードを備えた展示スペースを擁し、フィリピンの美術界をリードしている。2008年の5月には新たに常設展示室を改修オープンして、16世紀植民地時代以前にさかのぼる、1000点を超える金の装飾品のコレクションを一挙に公開した。かつて金の産地として名を馳せたフィリピンだが、ミンダナオやパラワン島など、今は発展に取り残された地域で発見された金の装飾品からは、インド文化や近隣諸国の影響が見て取れるが、その精巧な技術には全く圧倒される。近代美術や現代美術の企画展、海外作品の展示なども活発。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;Address: Makati Avenue cor. De La Rosa Street, Makati City&lt;br /&gt;Tel: +63-2-757-7117 to 21 local 10 and 35&lt;br /&gt;Email: museum_inquiry@ayalamuseum.org&lt;br /&gt;WEB: http://&lt;a href="http://www.ayalamuseum.org/"&gt;www.ayalamuseum.org/&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;○パサイ市&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;●Galleria DUEMILA&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SEpKucTP4LI/AAAAAAAAAPk/wc4qZqK52-0/s1600-h/%E7%94%BB%E5%83%8F+057.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SEpKucTP4LI/AAAAAAAAAPk/wc4qZqK52-0/s320/%E7%94%BB%E5%83%8F+057.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5209058080738762930" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;　マニラで最も老舗のギャラリーの一つ。1975年にイタリア人オーナーのシルバナ氏によってオープン。コレクションも充実しており、絵画の修復なども手がける。WEBサイト内の作家の公開資料も豊富。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;Address: 210 Loring Street,1300 Pasay City&lt;br /&gt;Tel: + 63-2-831-9990 or 833-9815&lt;br /&gt;Fax: +63-2-833-9815&lt;br /&gt;Email: duemila@mydestiny.net&lt;br /&gt;WEB: http://&lt;a href="http://www.galleriaduemila.com/"&gt;www.galleriaduemila.com/&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;●Cultural Center of the Philippines(CCP)&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　フィリピン文化センターの美術部門として、1960年代～80年代名作のコレクションが有名。大(440平米）・中・小のギャラリーなど6ヶ所の展示スペースがあり、個展・グループ展が頻繁に開催されている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SDFMQwaGOWI/AAAAAAAAAOM/3x6IC531Lpk/s1600-h/%E7%94%BB%E5%83%8F+046.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SDFMQwaGOWI/AAAAAAAAAOM/3x6IC531Lpk/s320/%E7%94%BB%E5%83%8F+046.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5202022895345613154" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;Address: Roxas Boulevard, Pasay City&lt;br /&gt;Tel: + 63-2-832-1125 loc. 1505 to 1506&lt;br /&gt;WEB: http://&lt;a href="http://www.culturalcenter.gov.ph/"&gt;www.culturalcenter.gov.ph/&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;○マニラ市&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;●HIRAYA GALLERY&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SDFNAgaGOYI/AAAAAAAAAOc/g2GDP5c1jm4/s1600-h/%E7%94%BB%E5%83%8F+031.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SDFNAgaGOYI/AAAAAAAAAOc/g2GDP5c1jm4/s320/%E7%94%BB%E5%83%8F+031.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5202023715684366722" /&gt;&lt;/a&gt;　ここも1980年オープンの老舗画廊。ガブリエル・バラド、ホセ・レガスピなど数多くの作家がこの画廊から巣立っている。1980年代の作家から現代作家までコレクションも豊富で画廊２階の倉庫を観るのも楽しい。オーナーのディディ・ディーのネットワークは豊富である。ここもWEBサイトの作家情報が充実している。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;Address: 530 United Nations Avenue, Ermita, Manila City&lt;br /&gt;Tel･Fax: + 63-2-523-3331&lt;br /&gt;Email: hiraya@info.com.ph&lt;br /&gt;WEB: http://&lt;a href="http://www.hiraya.com/home.asp"&gt;www.hiraya.com/home.asp&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;●Museum of Contemporary Art and Design, SDA&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　アテネオと並び称される名門私立大学のデザイン芸術学部の付属施設として2008年2月にオープンしたばかりのギャラリー。マニラ市内に斬新なデザインの建築が威容を誇る。同学部、劇場、映画館など全体で14階建ての55000平米。ギャラリーは美術、デザイン、建築、映像、パフォーマンスなどジャンルを超えた企画展を随時公募している。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SDFNZAaGOZI/AAAAAAAAAOk/XBShaatvtLM/s1600-h/%E7%94%BB%E5%83%8F+004.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SDFNZAaGOZI/AAAAAAAAAOk/XBShaatvtLM/s320/%E7%94%BB%E5%83%8F+004.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5202024136591161746" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;Address: The De La Salle-College of Saint Benilde (DLS-CSB) School of Design and Arts Building (SDA Building), 950 P. Ocampo Street, Malate, Manila City&lt;br /&gt;Tel･Fax: + 63-2-536-6752 local 135 to 138&lt;br /&gt;Email: sda@dls-csb.edu.ph&lt;br /&gt;WEB: http://&lt;a href="http://www.dls-csb.edu.ph"&gt;www.dls-csb.edu.ph&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;●国立博物館（ナショナルギャラリー）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　2007年に念願のナショナルギャラリーがオープンして、19世紀後半アジア美術の最大の傑作の一つとも言える『スポリアリウム（虐殺）』をはじめ、近代の名作を一般公開するようになった。別館では企画展も多く実施されており、この6月には国際交流基金との共催で日比現代写真展が開催される予定。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;Address: P. Burgos Street, Manila City&lt;br /&gt;Tel: + 63-2-527-1215&lt;br /&gt;Fax: + 63-2-527-0306&lt;br /&gt;Email： nmuseum@i-next.net&lt;br /&gt;WEB: http://&lt;a href="http://members.tripod.com/philmuseum/index"&gt;members.tripod.com/philmuseum/index&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SDFN-waGOaI/AAAAAAAAAOs/ZdoJkDNb6t8/s1600-h/%E7%94%BB%E5%83%8F+034.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SDFN-waGOaI/AAAAAAAAAOs/ZdoJkDNb6t8/s320/%E7%94%BB%E5%83%8F+034.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5202024785131223458" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;（本文）&lt;br /&gt;　セブで開かれた第二回東アジア諸国首脳会議に出席する途上、マニラを訪れた時の安倍首相と懇談する機会があったのが2007年1月のこと。安全保障や憲法問題など果敢な政策を積極的に掲げ、首相官邸機能の強化をなかば強引に進めた結果、各方面にフリクションを起こしてバッシングを受ける状況に陥り、その政権を放棄してしまったのが9月。様々な政策が中途半端な状態に投げ出されたままだが、私たちの仕事の関係で唯一、安部政権の政策の果実からの恩恵を受けているものがある。東アジア青少年交流拡大計画。通称JENESYS（ジェネシス）と言われ、アセアンや中国、韓国、それにインドや大洋州の国々を含め、今後5年間、毎年6000人の青少年の交流を行おうという壮大な計画で、予算は総額350億円。フィリピンからも毎年200人の高校生と大学生が10日間の日本研修旅行を与えられることになった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　国際交流基金でも、このジェネシスの枠組みで日本語教師を日本から派遣したり、逆にアジア諸国から日本語教師や学生を日本へ研修に招待したり、前回のブログで紹介したようなスタディーツアーを実施するなど、その企画・運営にあたっていて、マニラ事務所だけでも年間26人程度の交流事業を新たに実施することとなった。芸術交流の分野でも、年間2名の「クリエーター」を日本へ招待することとなり、今年の第一期生として、ビジュアル・アーティストのゲーリー・ロス・パストラナと、ＵＰの学生で能楽の大鼓を学ぶダニエル・ナオミ・ウイが選ばれた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ゲーリーは1977年生まれの期待のインスタレーション作家。近代美術の黎明期に活躍した作家たちに与えられたグループ名“サーティーン・モダーンズ”にちなみ、3年おきに優れた現代美術の作家に与えられる「CCPサーティーン・アーティスト」賞に、2006年に選ばれている。1枚1枚破った辞書をくしゃくしゃに丸めて落ち葉のように見せかけた作品や、ハイソの集まる高級ショッピングモールの一画に穀物の種などを使って曼荼羅を描くなど、日常的にありふれたものを使って新たな文脈を生む作品を作り続けている。今回日本で新たに取り組む作品は、漁村に放置された古い小船を分解して韓国に運び、そこで新たな文脈のもとに組み立て直すというプラン。日本と韓国との間に横たわる海峡を、東南アジアのアーティストが取り持つというとっても素敵なアイディアだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SDKs7AaGOeI/AAAAAAAAAPM/uh6oJWvMDL0/s1600-h/%E7%94%BB%E5%83%8F+051.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SDKs7AaGOeI/AAAAAAAAAPM/uh6oJWvMDL0/s320/%E7%94%BB%E5%83%8F+051.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5202410649288063458" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　既に鳥の餌場となっている芝生の上の曼荼羅&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　日本での滞在制作は、京都アートセンターと京都アエロポートが受け入れる。京都アートセンターは、京都市内にある廃校となった小学校を改造した滞在型アートスペースで、京都アエロポートは、稲次義明氏という映像作家が作った新しい滞在制作拠点である。今回はその稲次氏がまずフィリピンを訪れたことからこのプロジェクトは始まったのだが、フィリピン人アーティストとのコラボレーションへの意気込みに共感し、私たちも協力することにした。ゲーリーは作家以外にも、キュレーターやプロデューサーとしての経験もあり、現在は閉鎖となってしまった「Future Prospect」というアートスペースも運営していた経験の持ち主で、フィリピンと日本の現代アート交流の展開にとっても期待の人材である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SDFPRgaGObI/AAAAAAAAAO0/0L6woTukNks/s1600-h/aas.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SDFPRgaGObI/AAAAAAAAAO0/0L6woTukNks/s320/aas.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5202026206765398450" /&gt;&lt;/a&gt;　ところで、稲次氏とフィリピンとを結びつけた1冊の本がある。アジア16カ国のオルタナティヴなスペースを中心に紹介した『オルタナティヴス　アジアのアートスペースガイド2005』というガイドブックで、2004年に国際交流基金が出版した。実は稲次氏に会う以前にも、ある日本人からこの本を頼りにマニラのアートスペースを訪れたという話を聞いたことがある。もちろん何人もいるわけではないけれど、地元の人だって知る人の少ないマニラの町の一画にあるちっぽけなオルタナティブ・スペースに、わざわざ日本からその本を携えてやって来る人たちがいる。こうして情報を公開することが、貴重な点と点とを結びつける見えない糸を紡いでいるのだということがわかると、こういう仕事をしていて嬉しく思えてくる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　さてそのマニラのアートスペースについて。商業的なギャラリーでなければその存在基盤はとても脆く、変化の激しい世界である。『アジアのアートスペースガイド2005』についても既に情報が古くなりつつある。また昨今のアートマーケットの加熱で、市内各所に新たなスペースも続々とできているので、この機会に重要なスペースを紹介しておく。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/27072425-7351879192528692629?l=bensuki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://bensuki.blogspot.com/feeds/7351879192528692629/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=27072425&amp;postID=7351879192528692629' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/7351879192528692629'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/7351879192528692629'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://bensuki.blogspot.com/2008/05/blog-post_19.html' title='マニラのアートスペース・ガイド'/><author><name>bensuki</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01735024261670566866</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SEpKUbf3gTI/AAAAAAAAAPc/1AR4jfzb3gQ/s72-c/%E7%94%BB%E5%83%8F+005.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-27072425.post-8285934896300120911</id><published>2008-05-05T13:26:00.009+08:00</published><updated>2008-05-05T13:47:45.490+08:00</updated><title type='text'>ライステラスと日本をつなぐ線</title><content type='html'>&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SB6bcl8h0BI/AAAAAAAAAMU/kLnapKnyW1Q/s1600-h/%E7%94%BB%E5%83%8F+068.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SB6bcl8h0BI/AAAAAAAAAMU/kLnapKnyW1Q/s320/%E7%94%BB%E5%83%8F+068.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5196761935556759570" /&gt;&lt;/a&gt;　今から30年以上前に出版された『アジアからの直言』（講談社現代新書、1974年）という本の中で、編者の鶴見良行氏は、「文化交流の仕事は補助線を引くことだ」と書いている。政府間の交流や資本の交流関係を“実線外交”と呼び、“民衆と民衆”との間の交流を“補助線”と見立てている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この本の書かれた1970年代の前半は、72年タイで起こった日華排斥運動や74年インドネシアの反日暴動などに象徴されるように、東南アジアの国々で日本批判が吹き荒れて、日本と東南アジアとの関係が見直された時代だ。国際交流基金の設立は1972年だが、無論、そうしたアジア諸国での日本批判が大きく影響している。同じ本の中で、タイを代表する思想家であるスラク・シバラクサ氏は、この国際交流基金の設立についても言及していて、「真によい文化関係を築きあげるうえでの意義のある成果をあげられるかどうかについて疑念を持たざるをえない。」と“みせかけの文化交流”を批判した。そして日本人の心の中にある「東南アジアの人たちを劣ったものとみる考え方を根本的に変える必要がある」と主張する。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　その国際交流基金も設立から35年が経過した。私自身もそこで20年以上文化交流という仕事に携わり、そのなかでも多くの時間を東南アジアと関わってきた。シバラクサ氏の箴言は、今なお生きている重い課題だ。決して驕らず、そして次の時代につながるようなしっかりとした補助線をなるべく多く引き続けること、それが自分に与えられた役目だと思っている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そして今回、また新たな補助線を引く機会が与えられた。環境問題に取り組むNGOの若手リーダーたちを6月に日本に招待して2週間のスタディーツアーを行うというものだ。７月に開催が予定されている北海道・洞爺湖サミットの主要議題の一つが環境であることから、アジア太平洋諸国から50人もの若者を一同に集め、サミットとは異なる視点から草の根レベルで環境問題についてそれぞれの経験をシェアーしようという意欲的な企画である。環境問題のショーケースのようなフィリピンだけに様々な問題にあふれていて、NGO活動もいたって活発で多くの人々が関係しているが、今回フィリピンに与えられた4人という参加枠の中で、自分なりに優先順位を付けて人選することにした。その結果、ルソン島北部山地地方で世界遺産であるライステラスの保全活動を行っているタイサーメイ・ディナムリンさん、ルソン島南部ビコール地方で記録的な被害を与えた台風災害の生存者であり、その経験をもとに高校で環境教育に携わるラクェル・ロサスさん、南部ミンダナオ島からは弁護士として先住民族の土地の環境破壊問題に取り組むジェニファー・ラモスさん、そしてマニラからはアテネオ・デ・マニラ大学で環境マネジメントを教え始めた若き学者のジェームズ・アラネタさん、というバラエティーに富んだチームとなった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　中でも世界遺産であるライステラス（棚田）の保全の問題は、この国の環境問題を考えるにあたって象徴的な問題であり、とても重要な視点を含んでいる。私は人選にあわせてそのライステラスのあるイフガオ州を訪ねた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SB6b5F8h0CI/AAAAAAAAAMc/2qCq6seOdk8/s1600-h/%E7%94%BB%E5%83%8F+013.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SB6b5F8h0CI/AAAAAAAAAMc/2qCq6seOdk8/s320/%E7%94%BB%E5%83%8F+013.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5196762425183031330" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　　　　　　バナウェのライステラス&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　ルソン島北部の山地地方コルディレラは、通称イゴロットと呼ばれる山地民族の故郷だ。彼らは低地タガログ人とは出自の異なる先住民で、もとをたどれば台湾の先住民や沖縄のおじいやおばあと同じルーツであると考えられている。顔立ちは我々日本人と似通っていてどこか懐かしい感じすら覚える。かつてはヨーロッパからやって来た宣教師などから“首狩族”と言われ、その勇猛さから恐れられた人々だが、別の視点から見れば、スペイン植民地軍に対して頑強に抵抗して19世紀後半まで独立を貫いた誇り高き民族である。コルディレラ地方は古くから豊かな金の産地として知られ、16世紀以来その金の魅力に惹きつけられた西洋の探検家や宣教師、そして植民地政府軍とイゴロットとの接触、その抵抗と帰順の歴史は、『The Discovery of the Igorots』（William Henry Scott著、New Day Publishers出版、1974年）という本に詳細に描かれている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SB6cM18h0DI/AAAAAAAAAMk/k8AjR6rvvvo/s1600-h/%E7%94%BB%E5%83%8F+084.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SB6cM18h0DI/AAAAAAAAAMk/k8AjR6rvvvo/s320/%E7%94%BB%E5%83%8F+084.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5196762764485447730" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　イフガオ族の古老（バンガアン村にて）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　民族的には大きく6つのサブグループに分かれているが、なかでも独自の文化で有名なのがイフガオ族で、彼らの故郷がイフガオ州、そしてそのいくつかの村にライステラスは散在する。マニラから夜行バスに乗って10時間でバナウエという町に着き、そこからまたトライシクル（三輪オート・サイドカー）で未舗装の荒れた道路をがたがたと1時間。標高平均1300メートルの急峻な山中に忽然と現れる棚田は、まさに世界七不思議の一つとも言われるほどの驚きである。山中の急斜面に作られたダイナミックな成り立ちと同時に、棚田を守るために丁寧に築かれた砂岩の石垣や、丘の上から下の棚田に向かってよどみなく流れるように張り巡らされた水路など、意外なほど繊細な魅力にあふれていて、それらがえもいわれぬ美しい景観を作り出している。1995年にはユネスコの世界遺産に登録されたが、その保全が危ぶまれ、2001年には消滅の危機にある世界遺産（危機遺産）として再登録された。ちなみにフィリピンではこの棚田を含めて文化遺産が3件、そして自然遺産が2件登録されている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SB6c018h0FI/AAAAAAAAAM0/igefEp7Hzgo/s1600-h/%E7%94%BB%E5%83%8F+076.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SB6c018h0FI/AAAAAAAAAM0/igefEp7Hzgo/s320/%E7%94%BB%E5%83%8F+076.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5196763451680215122" /&gt;&lt;/a&gt;　　　砂岩の石垣で守られるバンガアン村のライステラス&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今回日本へ招待することとなったタイサーメイの勤めるNGOは、The Save the Ifugao Terraces Movement(SITMo)といって、2000年に結成されたまだ若いNGOである。いまイフガオの村では出稼ぎによる耕作地の放棄や、米よりお金になる他の作物への転作で、多くの棚田が失われつつある。さらに伝統的知識や技術を担っていたお年寄りが少なくなってきており、その継承が危ぶまれている。そのため人々の生活水準を改善し、伝統文化の価値を再認識してそれを守り、世界に誇る棚田文化を次世代に継承してゆくための活動がようやく最近になって本格的に始まった。SITMoでは、こうした危機にある棚田の保全のみならず、持続的な土地利用や森林の保全、作物や工芸品のマーケティング、伝統的知識の記録と継承などに関する指導を行っている。またエコ・カルチャー・ツーリズムのプログラムを開発して、マニラなどからやって来る観光客を対象に、実際に棚田のある村に入ってフィエスタに参加し、イフガオの伝統儀式や農作業を体験する機会を提供している。タイサー・メイが担当するのは“リニューワル・エネルギー・プログラム”といって、イフガオに伝わる伝統的な水車を復興して電気を作り、最低料金（月々100ペソ＝250円）で村の家々に提供してゆこうというもので、現在州内2つの村で実施中である。マニラの工科大学を卒業したてのまだ23歳のイフガオ族の彼女は、「マニラの喧騒は嫌い。自分の土地が好き。ここでイフガオの伝統を守る仕事を続けたい。」と明るく語った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　さてこのイフガオのライステラスに育まれた文化の中に、もう一つの世界遺産がある。フドゥフドゥといわる民衆詠唱で、2001年に無形文化遺産に登録された。フドゥフドゥはイフガオ族に代々伝わる恋の物語や戦いの叙事詩で、田植えや稲刈りなど農作業の節目に、また葬式や洗骨（通常は死後1年）などの儀式の際に謡い継がれてきたものだ。マニラ事務所では2001年にフィリピン大学で行われた「フドゥフドゥと能、文化のダイアローグ」というセミナーを支援したことがあり、その際にゲストとして参加していたイフガオ人の元高校教師で伝統文化研究家であるマニュエル・ドゥラワン氏を訪ねて、そのフドゥフドゥ揺籃の地と言われているキアガンの町を訪問した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　キアガンはイフガオ地方のかつての中心地。小さな盆地を流れる川のほとりに、その昔フドゥフドゥを担うイフガオ族の一派が定着したと伝えられている。この町にある国立博物館イフガオ分館には、驚いたことに、このキアガンに代々伝わる33代、600年にわたる細密な家系図のコピーが展示されていた。ドゥラワン氏ももとをたどればどこかの家系に遡ることができるという。600年といえば偶然にも能の歴史とほぼ同じだ。おそるべしキアガンのイフガオ族である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SB6dFl8h0GI/AAAAAAAAAM8/R3IoU2_Ygwg/s1600-h/%E7%94%BB%E5%83%8F+050.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SB6dFl8h0GI/AAAAAAAAAM8/R3IoU2_Ygwg/s320/%E7%94%BB%E5%83%8F+050.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5196763739443023970" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　　　　　国立博物館イフガオ分館　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　現在72歳のドゥラワン氏は、高校を定年退職後にフドゥフドゥの保存に奔走し、今では国家文化芸術委員会の無形文化遺産委員会委員を努めるほどの重鎮で、その復興になくてはならない立役者であるが、彼の話によれば、伝統文化の変容や若者の儀式離れで、一時はかなりその存続が危ぶまれたという。特にフドゥフドゥの成り立ちに欠かせない伝統的儀式の中でも、洗骨の儀式などは西欧からやって来た宣教師たちから後進的で野蛮な文化と忌み嫌われて、フドゥフドゥそのものも誤解を受けてきたという。でも考えてみればこの洗骨という儀式、かつては沖縄でも見られたようだが、時に生身の老いた人間すら汚いものとして退ける風潮のある現代の日本からみれば、亡くなった先人の骨までも慈しむ、なんとも心やさしく尊厳に満ちた伝統ではなかろうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そんな存続の危機を救ったのがユネスコの世界遺産への登録という出来事だった。登録されたことでフドゥフドゥに対する人々のとらえ方が大きく変化したという。2004年からはSchool of Living Tradition（SLT）というプロジェクトもスタートし、今ではキアガン村の19の小学校の授業で、フドゥフドゥが儀式としてではなく、伝統的なフォークソングとして教えられるようになった。毎年1回子供たちも交えたフドゥフドゥのフィエスタもあるそうで、2004年にはとうとう日本と韓国で海外公演も行ったそうだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そしてこのSLTプロジェクトに、実は私たち日本人の税金が使われているのだ。でも、そんなことを知っている日本人は何人いるだろうか。私も恥ずかしながら今回の訪問で初めて知った。ユネスコ（国連科学教育文化機関）は第二次世界大戦後まもなく設立された国際機関だが、広く知られているように日本が最大のスポンサーで、加盟国分担金として全体予算の2割強を拠出している。ちなみに超大国のアメリカは参加していない。またその通常予算以外にも様々な分野で「信託基金」という任意の拠出金制度があり、そこでも日本は多額の資金を提供していて、例えば無形遺産の分野では「無形文化財保存振興日本信託基金」というかたちで2001年までに559.5万ドルを拠出している。その信託基金からフィリピンの国家文化芸術委員会を通じて、このイフガオの村のフドゥフドゥを守るプロジェクトへ日本のお金が流れてきているのだ。日本人は総じて税金の使い道にあまり関心がないと言われるが、こうした事実をもっと私たちは知る必要があるのだと思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ところでこのキアガンという村には、このフドゥフドゥ以外にも私たち日本人との宿命的とも言える接点がある。ここはフィリピンでの戦闘を最後まで指揮した山下将軍が、1945年9月2日に米軍に降伏をした戦争終結の場所なのだ。当時降伏のための協議が行われた建物はいまもそのまま残されており、正面にはフィリピン人ゲリラを賞賛する石碑が埋め込まれている。バナウエの町にある博物館の入り口には、その降伏の瞬間を捉えた白黒写真が飾られていた。日米比あわせて150万人以上の犠牲者を出した戦争の終結にあたって握手を求めた山下将軍に対し、米軍将校がそれを拒んだ瞬間・・と思われる写真。このキアガンは、３つの国、そして多くの市井の人々を巻き込んだ殺し合いが終わった場所だったのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SB6dcV8h0HI/AAAAAAAAANE/NgOUC0NdYRg/s1600-h/%E7%94%BB%E5%83%8F+042.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SB6dcV8h0HI/AAAAAAAAANE/NgOUC0NdYRg/s320/%E7%94%BB%E5%83%8F+042.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5196764130285047922" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　かつての終戦の地、キアガン中央小学校&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　戦後60年が経過して、今キアガン村と日本との接点は、戦争ではなくフドゥフドゥである。今では日本人の生活にほぼ全くと言っていいほど関係のない異国の山の中で、そこに住む人々の誇りを守るためにわたしたちのお金が使われている。そんな事実を知って初めて感じる、ちょっとこそばゆい誇り。先日、日本の政府開発援助（ODA）額が昨年度実績で世界5位に転落（1990年代は世界一だった）する見込みという報道があったが、国際協力全体が萎縮傾向にある中で、ぼくらはそのこそばゆい思いというものをかみしめて、改めて誇りの意味を考える必要があるのだと思う。尊大でもなく、矮小でもなく。&lt;br /&gt;（了）&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/27072425-8285934896300120911?l=bensuki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://bensuki.blogspot.com/feeds/8285934896300120911/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=27072425&amp;postID=8285934896300120911' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/8285934896300120911'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/8285934896300120911'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://bensuki.blogspot.com/2008/05/blog-post.html' title='ライステラスと日本をつなぐ線'/><author><name>bensuki</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01735024261670566866</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/SB6bcl8h0BI/AAAAAAAAAMU/kLnapKnyW1Q/s72-c/%E7%94%BB%E5%83%8F+068.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-27072425.post-5250288485008660677</id><published>2008-03-24T11:45:00.005+08:00</published><updated>2008-03-24T11:55:25.567+08:00</updated><title type='text'>ジャパゆきを超えて</title><content type='html'>&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R-ckHvQi9HI/AAAAAAAAAL0/0D6ge3g2XUA/s1600-h/%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%83%8B%E3%83%AA%E3%83%A4%E3%83%BC.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R-ckHvQi9HI/AAAAAAAAAL0/0D6ge3g2XUA/s320/%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%83%8B%E3%83%AA%E3%83%A4%E3%83%BC.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5181149611676595314" /&gt;&lt;/a&gt;　2006年に国際交流基金が全世界で行った「日本語機関調査」の中で、日本語を学ぶ学生たちにアンケートをした結果、その動機の上位を占めたのが、一位が日本文化に関する知識を得る、二位が日本語でコミュニケーションができるようになる、三位は日本語という言語そのものに興味があるというものだった。アンケートで設定された選択肢にもよるし、全世界的な傾向というものもあるのだろうが、私自身の頭の中では、何かあまりに動機があっさりしていて本当（本音）なのだろうかと疑問が残った。日本語を学ぶ動機は、もっと実利的だったり、生活に根ざしていたり、つまりもっと生々しいものなのではないのだろうか、と。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今年の2月に実施された第35回日本語スピーチコンテスト。その社会人部門で28歳の主婦マリセル・ボルニリヤーさんが大賞に輝いた。スピーチのタイトルは「ジャパゆきを超えて」。彼女にとって、日本でエンターテイナーとして働き自分たち家族を支えてくれたお姉さんはヒーローのような存在であり、自分も日本語を一生懸命に勉強して、そんな姉への恩返しを誓うという内容のスピーチだった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「私の2番目の姉は、元ジャパゆきです。私がまだ10歳ぐらいのときに、姉は歌手として日本へ行きました。当時のビコールの田舎の人たちは考え方が保守的で、姉について悪口を言っていたそうです。でも、私はまだ子供だったのでよく分からず、お土産のことしか考えていませんでした。（中略）大きくなるにつれて、周りの人たちの悪口の意味が分かるようになり、つらい思いをしました。（中略）私は今でもこの姉にとても感謝しています。父が亡くなってから、母と私たち兄弟の面倒を見てくれ、おかげで私たちは学校を卒業することができました。（中略）私はこれから日本語教師になり、日本で仕事をするフィリピン人、特にＩＴエンジニアやケアギバーを助けたいと思っています。そうすることが、ジャパゆきとして私を助けてくれた姉への恩返しにもなると思います。」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　以前このブログでも書いたことがあるが、フィリピン人といえばエンターテイナーというのは、現代の日本人が作り出したステレオタイプの一つだ。80年代から急増したフィリピン人エンターテイナーは、言ってみればアングラ版日比交流の象徴となった。その多くは6ヶ月間の「興行ビザ」で、ピーク時には年間8万人（2003年）のペースで日本へ渡った。両国の経済格差やフィリピンの出稼ぎ労働文化、そして日本の海外労働者受入制度の未整備という現実が作り出した“人流”の一つだろう。確かに「興行ビザ」（演劇、演奏、スポ―ツ等の興行や芸能活動のためのビザ）を取って、実際にはカラオケクラブで接客業をしているケースがほとんどで、人身売買まがいのことや売春を強要されるケースもあり、“汚れた”イメージがつきまとう。そしてフィリピン人の間でも「ジャパゆき」に対しては負の印象が強い。しかしボルニリヤーさんがスピーチで述べたように、その多くが接客業をして真面目に働き、フィリピンにお金を送金して家族の生活を支える大黒柱、こちらの言い方で“ブレッド・ウィナー”（パンを獲得する勝利者）なのだ。「ジャパゆき」というだけで非難されるいわれはないし、かといって当の本人たちにとっては“性の商品化による犠牲者”と言われることもまた、現実の感覚からはほど遠い。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ステレオタイプや偏見は、その時代の社会状況が作り出すものだ。今では忘れられかけてはいるが、「ジャパゆき」の元となった「からゆき」という言葉。フィリピン研究者の寺見元恵氏の調査によれば、在留邦人をデータで確認できる最も早い時期において、1903年当時マニラに在住していた1000人の日本人の実に3分の1が「酌婦」や「娼婦」などの水商売に従事する女性だったようだ。（フィリピンに学ぶ会編『Filipica』2007年54号、「マニラの初期日本人社会とからゆきさん」）フィリピン≒ジャパゆきというイメージも無論、未来永劫続くというものではない。いつかは過去の話となるだろう。実際、フィリピン人の「興行ビザ」による入国者の数は2006年の外国人入国管理法改正で激減しており、2007年以降は月に約500人のペースで、ピーク時の１割以下になっている。ボルニリヤーさんが元ジャパゆきの姉への恩返しのために日本語を学ぶことを選び、「ジャパゆきを超えて」ゆこうとしているように、ジャパゆきさん自身の中からも、そんな偏見に立ち向かってゆこうとしている人もいる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　国際交流基金では毎年世界中から多くの日本語教師を日本に招待し、日本語研修や日本語教授法の研修を行っている。ここフィリピンからも多くの若手教師が参加しているが、2008年5月からの研修に、元エンターテイナーのロドリゲス・ラブリーンさんが参加することとなった。大学卒業後24歳で日本に渡った彼女は、その後6ヶ月間ごと合計7回にわたってエンターテイナーとして日本で働いた。そして2006年に帰国してからは、日本語をさらに勉強するためマニラの日本語学校に入学。国際交流基金のセミナーなどにも参加するようになり、日本語能力試験の3級にも合格して、いよいよ自ら教壇に立つようになった。そしてこれまでの努力が実り、来る5月から国際交流基金の研修生として採用されたのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R-cjS_Qi9GI/AAAAAAAAALs/urNZM1zP9Mo/s1600-h/2-04-03%5B1%5D.gif"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R-cjS_Qi9GI/AAAAAAAAALs/urNZM1zP9Mo/s320/2-04-03%5B1%5D.gif" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5181148705438495842" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　　国際交流基金日本語国際センター&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　彼女は自分が元エンターテイナーであった経歴を周囲に隠さない。「お店でお客さんと話していた言葉と、日本人が普通に話す時の言葉が違うので、基金のセミナーでは最初何を話してよいかわからなかった。これからはもっと正しい日本語を勉強したい。」と、さらりと豊富を語る。将来の夢は、自分で子供たちのための日本語学校を開きたいと言う。生活のために選んだジャパゆき。彼女はその経歴からくる困難や悩みを積極的に語り、自らその壁を破ろうとしている。彼女のような元ジャパゆきさんが増えていけば、「ジャパゆき」のイメージはきっと変わってゆくに違いない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R-ckb_Qi9II/AAAAAAAAAL8/XPxt1mSGFN8/s1600-h/%E5%B0%8F%E6%B3%89%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AD%E3%83%A8.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R-ckb_Qi9II/AAAAAAAAAL8/XPxt1mSGFN8/s320/%E5%B0%8F%E6%B3%89%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AD%E3%83%A8.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5181149959568946306" /&gt;&lt;/a&gt;　日本とフィリピン政府の間で2006年の9月に締結された経済連携協定（ＥＰＡ）は、未だにフィリピンの上院で批准されておらず、発効の目処が立っていない。この協定の締結についてはフィリピンで様々な反対意見が出されているが、最も激しかったのが、環境保護団体を中心に、同協定が“不平等条約”であると指摘されたことだ。特に輸出入品目リストの中に有害廃棄物が含まれており、フィリピンが日本のゴミ捨て場になるのではないかと強く反発した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　同協定にはもう一つの焦点がある。日本政府が初めてフィリピン人看護師・介護士の受入を認めたことである。高齢化が進む日本では現在90万人の介護士が必要といわれているが、実際の従事者は40万人で、日本人がいやがる介護の現場では今後外国人の介護士が増えると予想されている。これまでにも欧米や中東に看護師・介護士を派遣して海外送金で国家経済を支えてきたフィリピンは、締結交渉の過程で日本側により多くのフィリピン人看護師・介護士の受入と、日本人と同等の待遇確保を要求してきた。一方日本側は、外国人労働者の流入による雇用条件の悪化や社会秩序の乱れを懸念して、当初は受入に消極的だったが、双方で歩み寄り、最終的に２年間で千人の受入で決着した経緯がある。しかし先に述べたように、フィリピン側の環境保護団体によって有害廃棄物が同国に持ち込まれるとの懸念が表明されたことが発端となり、“日本とフィリピンの政府は、健康（看護師・介護士）と公害（有害廃棄物）を取引した”と主張する者も現れるようになった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　こうした論争を通して見えてきたことは、この問題の根底にはフィリピンと日本の人々の間にいまだに大きな不信感が横たわっているということであった。フィリピンから見れば、100万人が犠牲になった太平洋戦争の記憶や、日本の経済進出に伴う富の流出など、心のどこかに常に被害者意識があるのは確かだろう。「ジャパゆき」はまさに二国間の格差を象徴している日常的現実だ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　しかし今度のＥＰＡによってもたらされるであろう両国交流のさらなる展開は、フィリピンと日本の間に、その人流に大きな変化をもたらす可能性がある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　先に述べた通りＥＰＡには様々な問題点が指摘されてはいるが、現実は一足早く進んでいる。フィリピンでは2006年あたりから協定発効後の労働市場“解禁”を期待して、介護士向けの日本語教室が雨後の筍のように出現した。そこでは主に高校を卒業してフィリピンの介護士資格を取得した人たちが日本行きを目指して学んでいる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　日本語教育という点では、ＩＴ業界でも新たな取り組みが活発である。タガログ語とならんで英語が公用語であるフィリピンでは、優秀な人材に対する外国企業からの需要は大きい。コールセンターなど米国系のビジネス・プロセス・アウトソーシング業界には、年間23万人の大卒者が就職するというデータもある。一方で、日本におけるＩＴ技術者は、少子高齢化や日本人学生の理系離れが影響して慢性的な人手不足の傾向にあり、2010年までに15万人が不足するという予測もある。そのため日系ＩＴ企業の間では、日本語のできるフィリピン人技術者を巡って激しい人材の争奪戦が繰り広げられている。先を見越した企業では、社内の日本語教育に力を入れたり、大学や民間の日本語学校とタイアップして人材育成を進めている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　フィリピンは長い間スペインとアメリカの植民地であったためダイレクトに欧米文化が伝えられてきたこともあり、日本への関心は低いと言われてきた。しかし1990年代に入ってアジア諸国を席捲した日本のポップカルチャー人気の影響を受けて、日本文化や日本語への関心が高まった。国際交流基金の調査によれば、2003年の日本語学習者は11,259人で、10年前に比べて1.8倍に増加したが、ここ数年の増加率はそれをさらに上回り、2006年の調査では18,199人と、3年間で1.6倍に飛躍した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　しかし近隣のアジア諸国に比べて日本語の教育基盤が脆弱で、かつて業界では“日本語教育不毛の地”とまでささやかれていた。質の高い日本語教師が圧倒的に不足していて、教師を養成する教育機関などのインフラも未整備なのだ。多くのフィリピン人は、自分たちの地元で話されている母語以外に、公用語であるタガログ語、それに学校教育の中や、社会でいい仕事に就くためには英語が必須になっていて、日本語などの外国語の習得には多大な負担が伴う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　しかしそんな状況の中で、フィリピン政府もようやく最近になって日本語教育に対して真剣に目を向けるようになってきている。国際交流基金でもそうしたニーズに応えるために、2007年の2月から新たに日本語教師養成のための研修講座を開講したり、高校生の日本語学習ニーズを開拓するため「日本語キャラバン」という模擬授業や日本語を使った文化紹介をパッケージにしたプログラムを開発し、マニラ近郊の高校を中心に巡回デモンストレーションを開始した。今後日本語のニーズは、産業界はもちろん、大学や高校でもますます高まっていくことだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R-clKfQi9JI/AAAAAAAAAME/GiS0RIhZ5U8/s1600-h/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%A9%E3%83%90%E3%83%B3.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R-clKfQi9JI/AAAAAAAAAME/GiS0RIhZ5U8/s320/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%A9%E3%83%90%E3%83%B3.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5181150758432863378" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　　　　高校での日本語キャラバン&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　いま日本語は、少子高齢化で人材不足にあえぎ将来に不安を抱える日本の人々と、人口過剰や貧富の格差拡大という問題を抱えながらもより良き将来を求めるフィリピンの人々をつなぐ、希望の鍵を握っていると言える。これまでジャパゆきさんがそうであったように、そう遠くない将来、フィリピン人看護師や介護士、それにＩＴ技術者が日本の津々浦々で活躍する日がやってくるかもしれない。経済的な繁栄を成し遂げて、成熟した高齢化社会に向かうはずの私たちが、本当にアジアの隣人に信頼される存在になれるのか。お互いの相互不信を乗り越えて、心を開きより豊かな共生関係を築くことができるのか。そんな新たな時代を目前にして、私たちこそが試されているのかもしれない。不信感や偏見の克服というテーマは、まさに文化の領域だろう。「ジャパゆきを超えて」、それは今私たち全てに向けられたメッセージなのだと思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R-cl8PQi9KI/AAAAAAAAAMM/X11cbouQ_jY/s1600-h/%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%8108.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R-cl8PQi9KI/AAAAAAAAAMM/X11cbouQ_jY/s320/%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%8108.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5181151613131355298" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;（了）&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/27072425-5250288485008660677?l=bensuki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://bensuki.blogspot.com/feeds/5250288485008660677/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=27072425&amp;postID=5250288485008660677' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/5250288485008660677'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/5250288485008660677'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://bensuki.blogspot.com/2008/03/blog-post_24.html' title='ジャパゆきを超えて'/><author><name>bensuki</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01735024261670566866</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R-ckHvQi9HI/AAAAAAAAAL0/0D6ge3g2XUA/s72-c/%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%83%8B%E3%83%AA%E3%83%A4%E3%83%BC.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-27072425.post-4244554074227315761</id><published>2008-03-17T13:41:00.009+08:00</published><updated>2008-03-19T16:40:45.065+08:00</updated><title type='text'>日本食紹介の新たな試み、「フィリピン全国弁当コンテスト」</title><content type='html'>&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R94F_1uLFVI/AAAAAAAAAKs/xA46poNf1Os/s1600-h/IMG_0336.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R94F_1uLFVI/AAAAAAAAAKs/xA46poNf1Os/s320/IMG_0336.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5178583215833290066" /&gt;&lt;/a&gt;　いまや世界的に身近なものとなった日本料理。各地それぞれの嗜好に合った味付けや文化状況を反映したアレンジで、様々なバリエーションの日本食が試されている。ここフィリピンでも、“テンプラ”、“スシ”、“テリヤキ”は誰もが知っている日本語。巷には「TOKYO TOKYO」といった分かり易いものや、はては「太つた少年」などという怪しいネーミングの日本食ファースト・フード・チェーンから創作懐石料理を出す高級店まで、数え切れないほどの日本料理店があふれている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　最早“ブーム”と言うだけでは片付けられないジャパニーズフード。国際交流基金の機関誌『遠近』で、様々な角度から世界で愛される日本食を紹介・分析したのは2006年4月のことだった。日本政府もあらためてジャパン・ブランドとしての日本食の振興に取り組み始めている。そうしておそらく世界における今後の日本食は、洗練された味やオリジナルな味を追求することで発展する一方で、日本食を味わうユニークなスタイルやコンセプトといったものがますます多様化してゆくことだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今回マニラ事務所では、日本食を紹介する新たなかたちのイベントとして「フィリピン全国弁当コンテスト」を実施した。当地でも日本のポピュラーカルチャーは絶大な人気があり、日本食もいわばそんなポピュラーカルチャーの代表選手。日本食を巡る様々な文化的要素の中でも大衆性に着目し、伝統的だけれど極めて日常的な文化である「弁当」に焦点を当て、多くの若い人たちを中心とした一般の方々にアピールするようなイベントを企画した。そして日本の誇る「駅弁」文化や、日本の今の現代感覚を生き生きと反映した「キャラ弁」を紹介するとともに、フィリピン人による独創的な弁当、各地のローカルな食材を使った弁当作りのコンテストを実施した。会場はマニラ首都圏のほぼ中央に位置して、日々大勢の買い物客を集めるシャングリラ・プラザ・モール。ハイエンドなお客さんが対象のちょっとお洒落なショッピングセンターで、2月23日と24日の2日間、関連のイベントとも合わせ推定でのべ1万人以上のお客様が来場した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　一説によれば弁当は、その起源を平安時代までさかのぼることができる立派な日本の伝統文化だ。冷たくてもおいしいご飯やおかずを用いて、携帯性に優れ、農作業や旅のお供として発達した。今回もまずはその携帯文化の粋とも言える日本の「駅弁」に焦点を当て、全国各地の3000を超えると推定される駅弁の中から、独創性とデザイン性に優れた50の駅弁を選び、パッケージや写真を展示して紹介をした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R94HT1uLFWI/AAAAAAAAAK0/bSNjlFyG80E/s1600-h/IMG_9584.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R94HT1uLFWI/AAAAAAAAAK0/bSNjlFyG80E/s320/IMG_9584.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5178584658942301538" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　　　　　　　　駅弁展示風景&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　さらに日本から、“キャラ弁”やとてもキュートな“ファンシーお弁当”の作者で、毎日新作弁当を制作してＷＥＢサイト(http://www.e-obento.com/)上に公開している宮澤真理さんを招待して、デモンストレーションを実施した。楽しく心のこもったお弁当作りに活用できるテクニックや、フィリピンで人気のある世界最小の猿“ターシャ”をモチーフとした新作キャラ弁を紹介。当地のクオリティー・ペーパーであるPhilippines Daily Inquirerでも大きく取り上げられて大反響だった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R94HoluLFXI/AAAAAAAAAK8/ch-aRHEFJqQ/s1600-h/%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R94HoluLFXI/AAAAAAAAAK8/ch-aRHEFJqQ/s320/%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5178585015424587122" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　ターシャ弁当（写真提供：宮澤真理氏）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　メインイベントとなった「フィリピン全国弁当コンテスト」では、全国各地から寄せられた応募の中から予選審査を通過した8組の若きシェフたちが出場して腕を競った。ルソン島北部のビガン市、中部ビコール地方からはナーガ市やパナイ島のイロイロ市、南部ミンダナオ島からはカガヤン・デ・オロ市、そしてマニラ首都圏からは４組と、それぞれ各地を代表する大学や料理学校の学生が中心で、文字通りの全国大会となった。決戦大会となった当日はショッピングセンターの中央吹き抜けのスペースに特設舞台を設け、そこに『料理の鉄人』にならって公開キッチンを設営。1組各4人、１時間ずつ２回に分けて観衆の前で調理が行われた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R94I4VuLFYI/AAAAAAAAALE/Q5ztYa-kRLY/s1600-h/IMG_9701.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R94I4VuLFYI/AAAAAAAAALE/Q5ztYa-kRLY/s320/IMG_9701.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5178586385519154562" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　　　　　　調理中のコンテスタント&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R94J2FuLFZI/AAAAAAAAALM/TwV_uOdki3s/s1600-h/IMG_0126.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R94J2FuLFZI/AAAAAAAAALM/TwV_uOdki3s/s320/IMG_0126.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5178587446376076690" /&gt;&lt;/a&gt;　優勝したのはマニラにある大学の家政科に通うラレイン・リムさん。マンゴーなどフィリピンの新鮮な食材を使った寿司を中心に、日本の弁当のコンセプトをよく理解した携帯性に優れた作品だった。他にも各地の素材のバラエティが生かされたローカル色豊かなお弁当が並んだ。そして弁当箱もフィリピンらしくバナナや椰子の葉を使ったオリジナリティにあふれた作品だった。まさに“比魂和才”。日本の弁当という器にフィリピン各地の味と知恵を盛り付け、日比フュージョンの新しい弁当作品が誕生した。元来フィリピンはハロハロ文化、様々な文化の交じり合った“メスティーソ”文化の国。外国のものを吸収して消化する能力はなかなか優れたものを持っている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R94KsVuLFaI/AAAAAAAAALU/bXNR1tlhcCI/s1600-h/IMG_9832.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R94KsVuLFaI/AAAAAAAAALU/bXNR1tlhcCI/s320/IMG_9832.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5178588378383979938" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　　　バナナの葉で編んだ箱の弁当&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今回の企画を通して、日本食はこれまでも、そしてこれからも、世界中で新たな解釈と試みに触発されて発展し、それぞれの土地のそれぞれの人々に愛され続けてゆくのだろうと確信した。&lt;br /&gt;（了）&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/27072425-4244554074227315761?l=bensuki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://bensuki.blogspot.com/feeds/4244554074227315761/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=27072425&amp;postID=4244554074227315761' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/4244554074227315761'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/4244554074227315761'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://bensuki.blogspot.com/2008/03/blog-post_17.html' title='日本食紹介の新たな試み、「フィリピン全国弁当コンテスト」'/><author><name>bensuki</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01735024261670566866</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R94F_1uLFVI/AAAAAAAAAKs/xA46poNf1Os/s72-c/IMG_0336.JPG' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-27072425.post-951611426983101413</id><published>2008-03-04T12:10:00.008+08:00</published><updated>2008-03-04T15:20:20.419+08:00</updated><title type='text'>ビバ・バクラ！ゲイ・カルチャーなくしてフィリピンは語れない</title><content type='html'>&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R8zMC2zxqLI/AAAAAAAAAKE/J75mYfywsIc/s1600-h/%E6%AD%8C%E8%88%9E%E4%BC%8E.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R8zMC2zxqLI/AAAAAAAAAKE/J75mYfywsIc/s320/%E6%AD%8C%E8%88%9E%E4%BC%8E.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5173734421386340530" /&gt;&lt;/a&gt;  　 2008年2月7日、マニラでは約10年ぶりとなる歌舞伎のレクチャーとデモンストレーションが実施された。出演は中村京蔵氏と中村又之助氏で松竹の制作、主催は国際交流基金である。演目は、女形の艶やかな踊りである「鷺娘（さぎむすめ）」と、立役による勇壮な獅子の踊りである「石橋（しゃっきょう）」で、途中にレクチャーが入った構成。レクデモ終了後、ご覧になった多くの方々から「初めて本物の歌舞伎を観た」というコメントが寄せられた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　中には激烈に「歌舞伎を見ることが自分の夢だった。今回その夢が適い、生涯の思い出に残る経験（ライフタイム・エクスペリエンス）となった。」とのコメントもあった。そうしたコメントから、歌舞伎を観るということは、ある人々にとっては「夢」の実現に属する一大事件なのだということに気が付いた。おそらく多くの外国人にとって、歌舞伎を観るということは、日本を代表するイメージであり、書物や美術作品、映像、さらには日常生活の表象（食品の標章や日本食レストラン）等、様々なメディアを通じて引用され続け、長年自らの想像の中で抱き続けてきたイメージである歌舞伎を、実際に目のあたりにするという、かなり特殊な”体験“であるということに思い至った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「鷺娘」という演目は、世界的にも稀有な伝統的女形の魅力を存分に堪能するのにうってつけの演目だったと思う。鳥が人間に化身するという世界中で親しまれているモチーフゆえに、外国人にとっても大変理解し易く、物語の理解へ費やすエネルギーがほとんど必要ない分、純粋にその技（ワザ）や美的世界に集中することができたのではないかと思われる。そして歌舞伎の公演で通常強調される「伝統」よりも、後見の助けを受けて一瞬の内に衣装が早替わる「引き抜き」という技の革新性が際立って、それによって引き立てられる美的世界観がうっとりするほど見事に伝わったのだと思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ところでこの歌舞伎の女形。レクチャーでは、「男性の目を通して見た女性像を抽象的に表現したもの」と解説があった。もちろん女形の説明としてはそれで正しいのかもしれないが、その特殊な形に込められた様々な意味や背景を推し量るには、それだけでは不十分なのかもしれない。実際歌舞伎の世界で女形の役者さんたちは、虚構の世界における形を求めるあまり、実生活でも「女」のようなふるまいをすることが多いと仄聞する。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　女形と言って思い出されるのは、2001年に国際交流基金の主催で行われた「アジアの女形」という公演だ。中国の越劇や、インドの「セライケラのチョウ」という伝統的な仮面舞踊、そして当時私が駐在していたインドネシアからは、ジャワ舞踊のディディ・ニニトウォ氏が招待されて比較上演された。形はそれぞれ違っても、男性が女性を演じるという大前提は同じだ。歌舞伎の女形のように極めて抽象度も高く、昇華された様式となって今に残っているものは世界でも稀だが、男が女を演じること自体、もちろん古今東西それほど珍しいことではない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　やはりこれもインドネシアに駐在していた時のことだが、フィリピンのほぼ真南に位置するスラウェシ島のある村を訪れ、今も残る「チャラバイ」という女装した男性シャーマンに会ったことがある。彼は常に女装をしていて、つまり外見的にはオカマであるが、儀式になるとシャーマンとなり、憑依状態になって真剣を胸に押し付けたりして、まさに“男まさり”の祈りを司っていた。もともと女性が神聖な儀式を執り行う社会では、男性は女性の神聖性や、時に魔性というものを求めて、自らすすんで女装をしたという。そして、こうして性を越えた人々は、神と人間との仲介者となったり、社会的弱者である女性の相談役や男女の仲介者となったりして、コミュニティーの中で重要な社会的機能を持つようになったと考えられている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　日本の伝統芸能であり、世界遺産でもある歌舞伎と一緒に述べるのは“不謹慎”であるとも言えるが、折角の機会なので、この機に乗じてフィリピンの“誇るべき”ゲイ・カルチャーについて書いておく。もう少し品良く言えば、フィリピンは知る人ぞ知る、第三ジェンダー（第三の性）やトランスジェンダー（越境した性）の宝庫なのだ。特にオカマはここでは「バクラ」と呼ばれ、貧富を問わず地域を問わず、社会に密着してまさに遍く存在し、コミュニティーの中では欠かせない愛すべきキャラクターである。そう、バクラなくしてフィリピン文化は語れない。まだまだ偏見や差別はあるものの、日本に比べればオープンでおおらか。映画、演劇、テレビなどのメディアでもたびたび登場して、人々を爆笑とペーソスに誘う。いくつか興味深い例を紹介しておく。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　まずは映画で、このブログでも何度か紹介したことのあるヤマモト・ミチコ脚本の『マキシモ・オベリロスの初恋』。貧しいスラムに生活するマキシモ君というバクラ少年のほろ苦い初恋の物語だ。ここでは10歳に満たない子供で、既に立派にカミングアウトしている男の子が主人公であることに注目。家族の中でもコミュニティーの中でも、世話好きな愛くるしいキャラとして、確固たる居場所を持っている。私も以前あるスラムを訪れた際、同じようなバクラ少年を見かけることがあった。フィリピンの社会ではそうした早熟なバクラは珍しくはない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R8zMfGzxqMI/AAAAAAAAAKM/KuKy-jy1uMQ/s1600-h/%E3%83%9E%E3%82%AD%E3%82%B7%E3%83%A2.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R8zMfGzxqMI/AAAAAAAAAKM/KuKy-jy1uMQ/s320/%E3%83%9E%E3%82%AD%E3%82%B7%E3%83%A2.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5173734906717644994" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　　　　　　　　マキシモ君&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　それから日本の川口市にあるスキップシティーの国際Ｄシネマ映画祭で、昨年コンペ部門に出品されて話題になり、最近マニラでも公開されたイスラエル映画『ペーパー・ドール』（トメル・ヘイマン監督）。イスラエルに出稼ぎに行き、ユダヤ人の老人介護をしながら生活するフィリピン人のバクラ４人組が、“ペーパー・ドール”というダンスグループを結成して助け合って生活していた、という実話に基づいた異色のドキュメンタリー映画だ。世界の出稼ぎ大国フィリピンならではの実話だが、国際問題で非難の集中するイスラエルにも国内には深刻な高齢化問題があり、これからの日本を髣髴とさせるようにフィリピン人ケアー・ギバーがそれを支えていて、しかもそれがとても心優しいバクラたちなのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　もう一つ映画の話題で、バクラもので日本と関係がある作品といえば、2004年にメジャー系のリーガル・エンターテイメントで製作された『愛シテ、イマス。1941』（ジョエル・ラマンガン監督）。日本占領時代を舞台に、当代の人気俳優であるデニス・トリーリョ演じるフィリピン人のバクラ青年が、当初は日本軍の動向を探るスパイだったはずが、逆に日本人将校に恋をしてしまうという物語。日本人将校と地元民との恋愛話は、有名なタイの小説でたびたび映画にもなった『メナムの残照』をぱくったストーリーだろうが、実はその現地人の恋人がオカマだったという、あきれたナンセンスぶりが非常にフィリピンらしい。東南アジアで最大規模の犠牲者を出したフィリピンだけに、日本の戦争の描き方は無論、日本人＝悪一辺倒であり、ステレオタイプ化された描き方がほとんどであっただけに、バクラというキャラクターを介して、これまでとは全く異なる戦争を描いた点では新しいといえる。ちなみにこの作品は2005年の東京国際映画祭で公開されている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ところで、どうしてこの国では、バクラがこれほどまでに社会の至るところに顕在しているのだろうか。はっきりとした理由はわからないが、先に書いたインドネシアの「チャラバイ」のように、性別を超越して、あるいは男と女の中間的な要素を身につけて、ある特殊な社会的役割を果たしてきた人々は世界各地に広く存在しているようだが、東南アジアでは、特にその名残が強く残っているからなのかもしれない。そうした第三の性に対して、性に関するタブーの多い西欧キリスト教社会や、イスラム社会ほどには異端視してこなかったからとも考えられる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　とはいえ、バクラやゲイ・カルチャーといったものが、これほどおおぴっらに語られるようになったのは、それほど過去のことではないようだ。ANVIL出版というフィリピンで最も信頼されている出版社から『Ladlad: An Anthology of Philippines Gay Writing』（“Ladlad”は曝け出すという意味のゲイ仲間によるタガログ語の隠語）という本が出版されたのが1994年のこと。その序文の中で、編集者のダントン・レモト氏は以下のように書いている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「暗闇の後から、光が訪れて、窒息するほどの小部屋から出てきた後は、その暗闇が単なる影であったことを悟るのだ。“カミング・アウト”することは、それぞれの性の嗜好を受け入れること。・・“そう、何度神に祈ろうとも、何人の女性と交わろうとも、本当の私を変えることはできない。”」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この序文によって編者のレモト氏は、当時おそらく自らゲイであることを“カミング・アウト”したように、ゲイ文学とゲイ・カルチャーを世間に向かって高らかに“カミング・アウト”したのだろう。その後この本は予想外の反響を得て、1996年に同じ出版社から『Ladlad2』が出版された。そして、いまやゲイ文学は国立フィリピン大学などでも教えられるような“メジャー”な存在になり、さらに昨年には『Ladlad3』が出版されている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R8zM4WzxqNI/AAAAAAAAAKU/Cy3dXCuvtAc/s1600-h/Ladlad.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R8zM4WzxqNI/AAAAAAAAAKU/Cy3dXCuvtAc/s320/Ladlad.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5173735340509341906" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　　　　　『Ladlad』と『Ladlad2』&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そんなゲイ・カルチャーに対する世間の視線の変化を決定的に象徴づけたのが、2006年2月、国立タンハーラン・ピリピーノ劇団によって制作されたスーパー・オカマ・ヒローを主人公にしたＳＦミュージカル・コメディー、『シャシャ・ザトゥルナー』だ。原作はアメリカン・テイストのコミック・ブック（カルロ・ベルガラ作）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R8zNy2zxqOI/AAAAAAAAAKc/VF-9thF4vFc/s1600-h/ZAZA%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R8zNy2zxqOI/AAAAAAAAAKc/VF-9thF4vFc/s320/ZAZA%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5173736345531689186" /&gt;&lt;/a&gt;   　　　　　　　　　『シャシャ・ザトゥルナー』原作コミック&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　主人公のゲイの美容師が、ある日突然空から降ってきた「ザトゥールナ」という石を飲み込んだところ、強大な力をもつ絶世の美貌のスーパー・ヒロイン「シャシャ・ザトゥールナ」に変身。「自由と真実と正義と沢山の素晴らしいヘアカラー剤を求め、彼女は新天地を守るべく、巨大ガエルや殺気立ったゾンビたち、しいては男性を憎悪する女王フェミーナに率いられたX星のアマゾニスタたちとひるむことなく果敢に戦う」（映画の宣伝より）というハチャメチャなストーリーである。社会に必要とされる微笑ましい存在ではあるが、常に弱々しいアウトローであって、決してメインストリームになりえないバクラが、ある日突然ヒーロー（ヒロイン？）になってしまうというパラダイム転換の物語だ。若者を中心にヒットして連日満員御礼。チケットを入手するのが困難な作品となり、その後何度か再演を重ねた。映画にもなって、2007年には東京国際シネフェスティバルでも公開されたようだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R8zNzGzxqPI/AAAAAAAAAKk/cIQoOq5gyOM/s1600-h/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%82%B7%E3%83%A3.JPG"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R8zNzGzxqPI/AAAAAAAAAKk/cIQoOq5gyOM/s320/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%82%B7%E3%83%A3.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5173736349826656498" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　『シャシャ・ザトゥルナー』ミュージカル・バージョン　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ジェンダーの問題は、最も個人の内奥に属する極めて人間的なテーマだ。であると同時に、極めて社会的なテーマでもある。隣国のマレーシアでは、かつて首相候補といわれた政治家がホモ・セクシュアルの疑いで逮捕され、有罪となって失脚してしまった。スーパー・オカマ・ヒーローの活躍に沸くフィリピンは、ある意味、そうした隠微さに潔くさからい、個人の尊厳を求めてやまない、ジェンダーを巡る表現のフロンティアなのかもしれない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;（了）&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/27072425-951611426983101413?l=bensuki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://bensuki.blogspot.com/feeds/951611426983101413/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=27072425&amp;postID=951611426983101413' title='1 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/951611426983101413'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/951611426983101413'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://bensuki.blogspot.com/2008/03/blog-post.html' title='ビバ・バクラ！ゲイ・カルチャーなくしてフィリピンは語れない'/><author><name>bensuki</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01735024261670566866</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R8zMC2zxqLI/AAAAAAAAAKE/J75mYfywsIc/s72-c/%E6%AD%8C%E8%88%9E%E4%BC%8E.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>1</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-27072425.post-576598144195354847</id><published>2008-01-30T09:42:00.000+08:00</published><updated>2008-01-30T10:05:14.317+08:00</updated><title type='text'>フィリピンでオペラ？たかがオペラ、されどオペラ</title><content type='html'>&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R5_Wbfsg_fI/AAAAAAAAAJc/LJslH88sKaY/s1600-h/%E7%94%BB%E5%83%8F+014.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R5_Wbfsg_fI/AAAAAAAAAJc/LJslH88sKaY/s320/%E7%94%BB%E5%83%8F+014.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5161079465842900466" /&gt;&lt;/a&gt;　世界第二位の経済力を誇り、日々世界中から輸入される舞台芸術に触れることのできる日本ですら、いまだに上流階級の道楽とも揶揄されることのあるオペラ。そんな先進国のステイタスシンボルともいえるオペラだが、なんと貧困と社会不安にあえぐこのフィリピンにもちゃんと存在する。1月の2度の週末を使って、この国のオペラ関係者やオペラファンの夢を担う公演がフィリピン文化センター（ＣＣＰ）で行われた。演目はヨハン・シュトラウスの代表的なオペレッタである『こうもり』。たまたま客員で訪れていた韓国人指揮者以外は、ソリストなど出演者、演奏家、スタッフ全員がフィリピン人である。ＣＣＰ主催で行われるオペラ公演、つまりちゃんと舞台装置があって歌手が衣装を着けて演じるもの、としてはほぼ１年ぶりになる。ＣＣＰ以外にまずオペラ公演を行えるところはないので、ここでの公演がこの国のオペラ公演の全てである。私が知っている限りでは、“公演”とまではいかなくても、コンサート形式や、衣装を着て多少の演出付きで上演するオムニバス形式の演奏会は年に数回ある。1年に1作品とはいっても、この国を取り巻く様々な厳しい環境の中で、こうやってフルのオペラ公演を打つということは相当な覚悟が必要なはず。このフィリピンで、オペラにこだわる理由は一体何なのだろうか。ちょっと調べてみると、この国のオペラには、“存在する”以上の物語があるのがわかってきた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　グランドオペラは、演劇、音楽、そして美術が一体となった文字通りの総合芸術だ。私もかつて日本のオペラ『夕鶴』（団伊玖磨作曲）の海外公演を制作したことがあるが、おそらくオペラの醍醐味は、一つの作品を構成するたくさんの要素が、長い準備の過程を経て最終的に重なり合い、共鳴する瞬間にあるのだと思う。本番公演に向けて芝居と歌、オーケストラ演奏、合唱、舞台装置や照明、衣装の製作などがそれぞれ別個に進められるが、それら全てが一つに集まり、いよいよ全貌がわかるのが公演本番の直前だ。つまりそれまでは誰も実際にどんな作品になるか確証がなく、各々のイマジネーションの中での作業が続く。だからこそ、最後に完成したものを目の前にした時は、何とも表現できないくらい感動することがあるのだろう。そんな創造過程のダイナミズムが観客にも伝わって、世界中の多くの人を魅了しているのだと思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　だけど実際問題、それだけ様々なジャンルで多くの人間が働くため、多額の資金を必要とするのは事実だ。『夕鶴』の時には中央アジアのウズベキスタンとカザフスタンで公演を行ったが、日本から演出家、指揮者、ソリスト6名はじめ総勢約30数名の公演団が12日間ほどツアーし、現地の交響楽団や合唱団と共演した。合計4回の公演で観客数は全部で約3500名。それでかかった経費は7000万円だった。ウズベキスタンなどは当時の閣僚全員や大統領一家が観たし、おそらく歴史に残る名演だったと自負はあるが、経費のことを考えるとそう何度もできることではないだろう。先進国なのにオペラハウスの一つもないと時にばかにされていた日本だが、1997年になってようやく国立のオペラハウス（新国立劇場）が完成した。年間予算は劇場の運営費・人件費など込みで80億円、うち純粋な公演にかかる経費が30億円。この予算でオペラ、バレエ、現代演劇の公演が行われていて、平成19年度のオペラの場合は10作品で44回の公演が行われている。欧米先進国に比較して貧弱な予算とはいうが、無論、フィリピンから見れば天文学的予算が使われている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　パフォーミングアーツの素養に恵まれ、19世紀末より米国の植民地であったフィリピンは、アジアでも最も欧米に近いモダンな文化を謳歌していただけに、近隣の国に比べてもオペラの歴史は長く、これまでに多くの歌手が世界の舞台で活躍してきたのには驚かされる。1900年代から1930年代にかけてオペラはマニラでも人気の娯楽で、1931年にオープンしたメトロポリタン劇場などが本拠地となった。ちなみに今もこの劇場は当時のまま残されており、マニラ市の肝いりで修復計画が着手されたが、未だ廃墟のようだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R5_Wvfsg_gI/AAAAAAAAAJk/4tf1FS-Zz00/s1600-h/%E3%83%A1%E3%83%88.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R5_Wvfsg_gI/AAAAAAAAAJk/4tf1FS-Zz00/s320/%E3%83%A1%E3%83%88.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5161079809440284162" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　　　　　　メトロポリタン劇場&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　1920年代にはフィリピン人のソリストが海外のメジャーなオペラで活躍するようになる。特にパイオニアとして歴史に名を残しているのはジョビータ・フエンテスというソプラノ歌手だが（1976年に人間国宝に認定）、1925年にイタリアのピアチェンツァ歌劇場で『マダムバタフライ』の蝶々さん役でデビューし成功を収めた。なんでも小柄な美女だったようで、西欧人からはエキゾチックな蝶々さん役として適役に思われたようだ。同時代、後に日本のオペラの黎明期を築いた藤原歌劇団の創設者である藤原義江は、日本を代表するテノールとして1920年にミラノに渡り武者修行を開始し、1931年にはパリのオペラ・コミック座で『ラ・ボエーム』の詩人の役で舞台に立っている。同じ“極東“の小国から海を渡り、オペラの本場で果敢に挑戦する二人。もしかしたらどこかの劇場で出会っていたかもしれないなどと、ちょっと楽しい想像も可能だ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R5_XNfsg_hI/AAAAAAAAAJs/uVnCRwGB8Jo/s1600-h/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%93%E3%83%BC%E3%82%BF.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R5_XNfsg_hI/AAAAAAAAAJs/uVnCRwGB8Jo/s320/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%93%E3%83%BC%E3%82%BF.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5161080324836359698" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　　　　　　　ジョビータの伝記&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　その後フィリピンのオペラは戦争中を除いて1970年代までは盛んだったようで、1980年代から斜陽が始まったと言われている。しかし現在でも海外で活躍している歌手は多く、と言うより、優秀な歌手ほど海外でしか活路を見出せないという悲しい現実はあるが、例えばオトニエル・ゴンザガというテノールは、1980年代にフランクフルト・オペラのソリストとして活躍し、その後は三大テノールのプラシド・ドミンゴのサブを務めるほどの実力者で、『オセロ』のタイトルロールがあたり役である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R5_Xj_sg_iI/AAAAAAAAAJ0/y-1UoKLc5Vo/s1600-h/%E3%82%B4%E3%83%B3%E3%82%B6%E3%82%AC.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R5_Xj_sg_iI/AAAAAAAAAJ0/y-1UoKLc5Vo/s320/%E3%82%B4%E3%83%B3%E3%82%B6%E3%82%AC.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5161080711383416354" /&gt;&lt;/a&gt;フィリピン唯一のクラシック音楽専門誌の表紙を飾るゴンザガ&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　周りの東南アジア諸国を見回すと、オペラカンパニーが存在する国などは、かつてはこのフィリピン以外にはなかった。だが昨今はそんな東南アジアのオペラシーンもかなり様変わりしつつあり、1990年にシンガポール・リリック・オペラ、2001年にはバンコック・オペラ、そして2003年にはリリック・オペラ・マレーシアが相次いで旗揚げしている。こうした国では経済成長に支えられて中産階級の層が厚くなり、立派な劇場やコンサートホールが新しくできた。特にシンガポールでは、2002年にエスプラナードという複合文化施設が総工費約450億円をかけて完成し、2000人収容の劇場と1500人収容のコンサートホールがオープン。国際スタンダードを備えた劇場として、海外の一流のアーティストを招聘できる体制が整った。最近ではフィリピンのオペラ歌手もよくシンガポールに“出稼ぎ”に行くことが目立つようになっている。自分たちの国の舞台環境から見れば羨ましい限りのぴかぴかのコンサートホールに立って、かつては東南アジア唯一のオペラ先進国であった過去の栄華に思いを馳せながら、一体彼女たちはどんな思いで歌っているのだろうか。オペラがあるということは、取りも直さず経済的な成功を収めたゆとりの証。社交界の花形としてのレゾンデートル。経済的にだいぶ遅れを取ってしまったフィリピンに帰れば厳しい状況が待っている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　とはいえ、まだまだあきらめてしまったわけではない。サント・トーマス大学というアジア最古の大学内に設けられたコンセルバトワールは、昔も今もオペラ歌手を目指す若きアーティストの登竜門だ。現在は11名の声楽の教授陣のほか、ピアノから楽理、ジャズまで総勢120名を超える講師スタッフを擁する、間違いなく東南アジア最大の音楽教育機関である。また今回の『こうもり』でも演奏を務めたサント・トーマス大学交響楽団は、1927年に設立された由緒あるオーケストラで、国立フィリピン交響楽団に楽団員を提供する育成部門を担っていて、いわば半国立の大学交響楽団だ。なおこの国でオペラを学ぶには、サント・トーマス大学の他に国立フィリピン大学の音楽学部、そして民間で頑張っているのがフィリピン・オペラ・カンパニーで、随時ボイストレーニングのコースがある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R5_YB_sg_jI/AAAAAAAAAJ8/ZjsM7EMrJjQ/s1600-h/%EF%BC%B3%EF%BC%B4%EF%BC%B5.jpg"&gt;&lt;img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R5_YB_sg_jI/AAAAAAAAAJ8/ZjsM7EMrJjQ/s320/%EF%BC%B3%EF%BC%B4%EF%BC%B5.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5161081226779491890" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　　　　　　サント・トーマス大学&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　さて肝心の『こうもり』のできだが、正直に言えば素人の私でさえちょっと聞いていてつらくなるような部分もあった。『こうもり』はウィーン国立歌劇場が毎年必ず大晦日に豪華キャストで上演するという演目。19世紀後半のオーストリアの社交界を舞台にした上流階級夫婦の浮気話を核に、騙しあいの可笑しさに満ちたドタバタ、ハチャメチャな喜劇で、お祭り好きでちょっと浮気性のフィリピン人にはぴったりの演目だ。まあ喜劇だからウェトなところはないけれど、ソプラノ、テノールともにもう一つぐっとくるところが無かったし、このオペラの粋ともいえる優雅なウィンナワルツを演奏するにはオーケストラが完全に力不足ではあった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　それにしてもオペラに対する情熱を失わず、希望を持ち続ける人々がいるのには感心する。国からの資金援助がほとんどない中で、公演のために駆け回ってスポンサーを集め、なんとかオペラを絶やさない努力を続ける姿には頭が下がる。1960年代まではアジアの優等生で1970年代以降は凋落の一途、とは経済の世界でよく言われることだが、この国のオペラがたどった歴史も経済的停滞と平仄をあわせるかのようであった。けれども現在、国民の3割が貧困であると自己認識している格差社会を抱えるフィリピンだけれど、その一方でこうした夢を持ち続ける人たちもいる。文化を扱う仕事をしていると時に確信に近く思うことがある。文化や芸術も、澄んだ空気や清潔な水など衣食住と同じように、我々が生きていく上で最低限必要なベーシック・ヒューマン・ニーズなのだと。ましてやそれが人々の誇りに触れるものであればなおさら、それを捨て去ることはできない。逆説的なようであるけれど、その意味で時に蕩尽を象徴するオペラこそが、自分たちの誇りを支えるベーシック・ヒューマン・ニーズだと考えている人々もいるのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　多くの人々が待ち望むように、我々の魂を揺すぶるような真にダイナミックなオペラの復活を願っている。いつの日かＣＣＰの大ホールで、フルスケールの『トゥーランドッド』が上演される時がやって来るのだろうか。『マダムバアフライ』のタイトルロールを、満場の喝采を浴びて歌い、演じる素晴らしいソプラノ歌手が再び誕生することがあるのだろうか。私がマニラを去った後にもしそんな時がやって来たら、またこのマニラを訪れて、その祝福の舞台をぜひ見届けたいと思っている。&lt;br /&gt;（了）&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/27072425-576598144195354847?l=bensuki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://bensuki.blogspot.com/feeds/576598144195354847/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=27072425&amp;postID=576598144195354847' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/576598144195354847'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/576598144195354847'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://bensuki.blogspot.com/2008/01/blog-post.html' title='フィリピンでオペラ？たかがオペラ、されどオペラ'/><author><name>bensuki</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01735024261670566866</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R5_Wbfsg_fI/AAAAAAAAAJc/LJslH88sKaY/s72-c/%E7%94%BB%E5%83%8F+014.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-27072425.post-8035050382879704015</id><published>2007-12-25T19:34:00.000+08:00</published><updated>2007-12-25T19:45:24.583+08:00</updated><title type='text'>世代を超えた憂国の思い、若い作家たちへのメッセージ</title><content type='html'>&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R3DrRpZpPUI/AAAAAAAAAJE/PWsG-9FT8FY/s1600-h/%E7%94%BB%E5%83%8F+003.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R3DrRpZpPUI/AAAAAAAAAJE/PWsG-9FT8FY/s320/%E7%94%BB%E5%83%8F+003.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5147873062488194370" /&gt;&lt;/a&gt;　演劇、映画や美術などと違って言葉の壁もあり、なかなかリサーチする機会の少ない文学。そんな文学の歴史から現在までを学び、多くの主だった作家と知り合うまたとない機会が訪れた。フィリピン・ペンクラブ50周年記念のシンポジウムが開催され、フィリピンの代表的作家が全国から世代を超えて集まり、歴史的なイベントとなった（12月8～9日、国立博物館）。うちの事務所でも日本から若手女性作家の中上紀氏を招待して、2日間のディスカッションに参加した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　このペンクラブを創設以来50年間にわたって牽引し続け、今回もオーガナイザーとして貢献したのがフィリピンの国民的小説家シオニール・T・ホセ氏である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ナショナル・アーティスト（人間国宝）でもあるホセ氏は、83歳にしてなお現役ばりばりで、つい先頃も新作の長編小説を出版したばかりだ。1880年代のスペイン植民地時代末期から、1972年のマルコスによる戒厳令布告前夜まで、約100年にわたるフィリピン史を背景にした大河小説5部作が有名である。特にその5部作の中で、時代的には4番目にあたる『仮面の群れ』（原題『The Pretenders』、1962年出版、1984年めこん社より翻訳出版）は、第二次大戦後、ルソン島の片田舎からマニラに上京し苦学して上流階級の仲間に加わった主人公が、社会に対する理想と、腐敗にまみれた偽善との間で葛藤し、最後には自らの命を絶つというストーリーで、彼の代表作として28カ国もの外国語に翻訳されている。私も20年前、まだ国際交流基金に入りたての頃に日本語版を手に入れ、ピュアーな“フィリピンの良心”に触れて一気に読んだのを覚えている。思いあまって青山にある翻訳者の山本まつよさんの事務所を訪ね、部屋中に置かれたフィリピンの民芸品や山積みとなったフィリピン関係の本に心躍らせたのを鮮明に記憶している。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　『仮面の群れ』の続編にあたる『民衆』（原題『MASS』、1983年出版、1991年めこん社より翻訳出版）は、『仮面・・』の中で自殺した主人公の私生児を中心にした物語だが、やはり父親と同様に苦学して頭角を現して上流階級からの誘惑を受けるが、父親とは別の道を歩む決心をして、1960年代末に盛り上がった民衆運動にその身を投じてゆくというストーリー。当時の民衆運動とマルコス政権の弾圧事件を題材に生々しく描いた勇気ある小説として有名だ。「訳者あとがき」にある通り、1976年にこの本を書き終えた後、しばらくはマニラで出版することは不可能で、英語で書かれた原作をわざわざオランダ語に訳して出版したのが1982年。19世紀末の体制批判の小説である『ノリ・メ・タンヘレ（我に触れるな）』の初版が、ドイツでスペイン語版として出版されたことを思い出させるエピソードだ。結局ホセ氏が当局に逮捕されるという事態には至らなかったが、終始、監視や盗聴、そしていやがらせを受け続けていたという。インドネシアには、スハルト政権に立ち向って権力を告発する作品を発表し、インドネシアのソルジェニーツィンと言われたプラムディアという作家がいるが、植民地体験を経た東南アジアの国々には、ずしりとした反骨精神に裏打ちされた誇り高い作家たちがいる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R3Dr8JZpPWI/AAAAAAAAAJU/_MjlbvTITZ0/s1600-h/%E7%94%BB%E5%83%8F+002.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://4.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R3Dr8JZpPWI/AAAAAAAAAJU/_MjlbvTITZ0/s320/%E7%94%BB%E5%83%8F+002.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5147873792632634722" /&gt;&lt;/a&gt;　ホセ氏は小説家であると同時に、フィリピンの文学界にとって無くてはならないプロデューサー的な存在でもある。マニラ中心部のエルミタ地区に、いまもなおラ・ソリダリダッドという有名な本屋を経営している。店の名前は19世紀末にスペインで発行されてフィリピン独立運動のオピニオンペーパーとなった『ラ・ソリダリダッド』という新聞の名前に由来する。この国で最も充実した硬派の本屋だ。さらにその本屋はペンクラブの事務局も兼ねていて、毎月最終土曜日には文学者の集まりや詩のリーディングがあって重要なサロンとなっている。今は休刊中だが『Solidarity』という月刊の文学・評論誌を35年にわたって出版し続け、アジアの代表的作家、インドネシアのモフタル・ルビスやタイのスラック・シバラクサなども紹介してきた。今の中堅作家に彼ほどの奉仕精神と行動力を備えた者はおらず、残念ながらアジアの作家のネットワークは20年前と比べて進歩しているとは言い難い。いわゆる植民地根性に対して辛らつに批判する正統派ナショナリストで、欧米や日本といった海外の資本と結託してフィリピンの富を独占する上流階級についても、“大泥棒”と言ってはばからない。毎年のように日本を訪れる彼は、伝統文化からポピュラーカルチャーまで広く日本通としても有名で、その辛口な批判は常に的を得ている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　さて今回のシンポジウムのテーマは、「文学、国家、そしてグローバライゼーション」。スペイン、アメリカ、日本と、約400年にわたって外国からの支配を受け入れてきたフィリピンの人々にとって、ナショナリズムや愛国心は心の琴線に触れる重要なテーマである。そもそもフィリピンで最も人気のある国民的ヒーローであるホセ・リサールも作家であり、スペイン植民地体制の時代を批判的に描いた彼の代表作である『ノリ・メ・タンヘレ』と『エル・フィリブリテリスモ（反逆者たち）』は、いわばナショナリズムのバイブルである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今回のシンポジウムに集った作家たちの中で最高齢はホセ氏の83歳だが、彼以外にも50年前のペンクラブ創設時からのメンバーの何人かが参加した。その世代にとっての外国支配といえば、1942年から1945年の間にこの国を統治し、はかりしれない犠牲をもたらした大日本帝国である。その意味で、創設メンバーの一人であり著名な劇作家でもあるアメリア・ラペーニャ・ボニファシオさんが、「ペンクラブの思い出」と題したスピーチを山下将軍の処刑の話から切り出し、「私は戦争の生き残りとして（作家としての）人生をスタートした」と語ったのは象徴的だった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　しかし彼ら創設メンバーに続く世代、現在60代から50代の作家たちにとってのナショナリズム、愛国心とは、かたちとしては独立を果たしたものの、実際には旧態依然の植民地的な負の遺産をひきずって苦悩する祖国に対する憂いである。特にマルコス政権時代、1972年の戒厳令前後の言論の冬の時代に活動していた中堅作家たちは、今この国の言論界の中枢を担っているが、その迫害の時代にいかに権力に対峙して抵抗をつらぬいたか、または権力に擦り寄ったかで、いまに至って本当の尊敬をかちえているかどうかがわかるのだ。セブアノ語詩人として著名なミンダナオ生まれのドン・パグサラは、マルコス政権に幽閉された時のことを詩に描き、牢獄からわが子を思う哀歌をせつせつと歌った。また同じくミンダナオ生まれの作家であるホセ・ラカバも、やはりマルコス政権時に捕らえられて拷問を受けた経験を詩にして朗読した。いずれの作家も今は多くの人々から尊敬を集めていて、この国の言論界の抵抗の歴史を象徴する影のヒーローであるとも言える。逆に、マルコス時代にそのスポークスマンを務め、当時若干29歳で情報省長官に抜擢されたある作家も長々と演説をぶっていたが、私の友人は冷ややかに見つめて苦笑いをしていた。ちなみにマルコス政権の戒厳令時代には、こうした文学者の集会には必ず情報省のスパイがウェイターなどに変装して潜り込んでいたという。そして、今の政権だってやりかねないことだと言う。ジョークにしては笑えない、ちょっと不気味な話だった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今回のシンポジウムに唯一海外から参加した日本の中上紀さんは、ご存知の方も多いと思うが故中上健次氏の長女で、つい先ごろまで基金の雑誌『をちこち』でエッセイを連載していたこともある新進気鋭の作家だ。アジアをテーマにした小説やエッセイが真骨頂で、北タイを舞台にした叙情的でミステリアスな小説『彼女のプレンカ』（集英社文庫）で、1999年のすばる文学賞を受賞している。今回縁あってマニラに招待することとなり、日本から何冊か取り寄せて読んでみた。作品の舞台となっているタイやインドネシアは私も駐在していたし、紀さんが最も愛しているというミャンマーは、私も仕事で二度ほど訪れたことのある懐かしい場所だ。1999年にはヤンゴンやパウンデーという地方都市で、ペーザーやパラバイと呼ばれる古文書の調査をしたのが昨日のように思い出される。その土地の空気と匂いが伝わってくるような彼女の作品を読んでいると、もう一度自分がその場所にいるような錯覚を覚え、とても楽しい体験だった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　中上さんとマニラで会ってから聞いた話なのだが、彼女は彼女なりにこの国に来る理由があって、今回の招待についても快く引き受けてくれた。25年前の1982年、まだ彼女が12歳のとき父親に連れられてこのフィリピンを訪れた。彼女にとっては初めての日本以外のアジア体験だった。そして当時中上氏がここを訪れた理由の一つは、フィリピンの友人に会うためであったという。しかしその友人、アントニオ・マリア・ニエバは当時のマルコス政権を批判したために投獄されていて、結局会うことができなかったそうだ。あとで調べてわかったことだが、ニエバはこの国のナショナル・プレス・クラブの創設者で反骨のジャーナリストとして著名だが、既に亡くなっている。その後中上氏も1992年に46歳の若さで亡くなっていて、二人で語り合ったというアジアの作家による雑誌の出版は夢のままで終わってしまった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　中上健次氏の生れ故郷は、紀伊半島の神宮市。人間の煩悩や罪深さを濃密に描いた『岬』や『枯木灘』は、いまも私たちに強烈な個性で訴えてくる。その小説の舞台となった熊野の南を流れる黒潮は、あの柳田國男が『海上の道』で描いた、南の島へつながる海流だ。フィリピンは、その黒潮の起点である。もしかしたら中上氏は、遠い記憶としての南の島々とのつながりを、その体のどこかに持っていたのかもしれない。それでアジアの作家との交流を夢に描いたのだろうか。そしてその娘の紀さんは今、彼女の言葉で表現すれば、“海の距離感の視点”を持って、そんな父親のやり残したことに挑戦しようとしているようにも見える。そもそも作家になった動機も、父親の死であったという。失ったからこそ必要に迫られた自分のルーツ探し。自身自身のルーツをたどり、父親を追って、このフィリピンを再訪したともいえる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今回日本から作家を招待するにあたってホセ氏が望んだことはたった二つ。英語ができることと、若いということ。紀さんは30代の“若手”作家だが、83歳のホセ氏にとっては私すら孫の世代だ。そしてシンポジウムには、彼にとって孫や曾孫の世代にあたる若い作家たちも大勢集まった。40半ばで中国系の英語小説家として第一線で活躍するチャールソン・オンや、30半ばで実力派若手タガログ語作家のニコラス・ピチャイなど、みな次の時代を担う人々だ。会議も終盤に近づいた昼食の席で、ホセ氏がスピーチを行った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「・・・熱意にあふれ希望に満ちた若者よ、どうかこの老人が何度も何度も言ってきたことを繰り返させてくれ。半世紀も前、我々はこの国の汚職や下劣な政治に堕落することはなかった。我々は東南アジアの優等生だった。・・・しかしその後一体何が起こったのか？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　我々はみな知っている。植民地主義がいまだ終わっていないことを。それどころかこの国には内なる植民地主義が破滅的にはびこっている。・・植民地主義とは搾取である。見せかけがどうであろうと、キリスト教や民主主義や文明を装っていたとしても、忘れてはならない。植民地主義は悪徳だ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　いま広がっている世代間のギャップを埋めなくてはならない。旧世代の作家たちは、親切ぶった態度や自らの業績をみせびらかすことなく、若い世代の作家たちに接し、若い作家たちは、先輩を知り鬼才から学び、先人の築いた瓦礫の山を再評価しなくてはならない。そして作家たちによる世代を超えた堅固なコミュニティーを作って、未来をつくる目標を分かち合っていってほしい。・・・」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「告別の辞」と題したスピーチは、半世紀以上にわたってフィリピンの歴史を、民族の記憶をつむいできたホセ氏の遺言のようにも聞こえた。そんなホセ氏の最後の思いを聞きながら、フィリピン・ペンクラブ50周年という歴史的イベントの幸運な一人の目撃者として、次の世代への橋渡しのために少しでも何かできないだろうかと思いを巡らせていた。&lt;br /&gt;（了）&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/27072425-8035050382879704015?l=bensuki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://bensuki.blogspot.com/feeds/8035050382879704015/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=27072425&amp;postID=8035050382879704015' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/8035050382879704015'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/8035050382879704015'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://bensuki.blogspot.com/2007/12/blog-post_25.html' title='世代を超えた憂国の思い、若い作家たちへのメッセージ'/><author><name>bensuki</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01735024261670566866</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://2.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R3DrRpZpPUI/AAAAAAAAAJE/PWsG-9FT8FY/s72-c/%E7%94%BB%E5%83%8F+003.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-27072425.post-6666500102439926090</id><published>2007-12-13T10:16:00.000+08:00</published><updated>2007-12-13T10:54:35.220+08:00</updated><title type='text'>ビデオカメラとペンを手にした若きスルタンの末裔</title><content type='html'>&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R2CWkt-afeI/AAAAAAAAAI0/-bAqhFE52lg/s1600-h/%E7%94%BB%E5%83%8F.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R2CWkt-afeI/AAAAAAAAAI0/-bAqhFE52lg/s320/%E7%94%BB%E5%83%8F.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5143276332017941986" /&gt;&lt;/a&gt;　たまたま目を通した新聞の記事がずっと気になり、切り抜いてファイルにした後もそこに書かれている主人公のことが常に頭のどこかにあって、いつかは会ってみたいと思いつつも時が過ぎ、それが言ってみれば“潜伏期”となり、そして最終的にようやく当の本人との出会いがやってくる・・なんてことがたまにはある。グチェレス・マンガンサカン2世、通称テンとの出会いも、１年前の一つの新聞記事が発端だった。その記事の中で31歳の若きフィルムメーカーとして紹介されているテンは、ミンダナオ島でもイスラム教徒が最も多い地域、マギンダナオの出身でスルタンの末裔である。ミンダナオの人々、特に若手のアーティストや研究者との交流を目指す私としては、機会があればぜひとも彼と仕事がしたいと思っていたが、今回ようやくその好機が訪れた。アジア地域の次世代の若者たちによるセミナーが、国際交流基金の主催で日本で実施されることとなり、フィリピンから2名の代表を送ることとなった。私は迷わず1年前の新聞記事を引っ張り出し、テンを派遣することに決めた。（12月17日に早稲田大学小野記念講堂にて公開シンポジウムが実施される予定）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　彼はマギンダナオの著名なスルタンの家系。いわばフィリピンにおけるモスレムの保守本流、メインストリームにいる一人だ。そんな彼が一体映画で何を撮っているのか、どうして映画なのか、最初は単純な疑問だった。しかし調べていく内に、彼が背負ったものの重さや恐ろしさ、それがためのこれまでの数知れない葛藤、そして決意の真摯さに心を打たれないではいられなかった。この世界を覆う“民族紛争”や“宗教紛争“、その一翼を担うミンダナオの内戦。もし自分がその戦争の指導者の血を引いていたとしたら、この世界は一体どのように見えるだろうか。どう見ることが許されるのだろうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　テンの祖父、ダトゥー・ウトック・マタラムは著名なモスレム・リーダーで、1940年代後半と1960年代に、ミンダナオのコタバト州の州知事を務めた。1960年代後半になると、フィリピン全土で共産主義運動や学生運動が盛んになり、その影響を受けてモスレムによる民衆運動も盛り上がった。当然そうした民衆運動の中心にいたダトゥー・マタラムは、1968年に起きたモスレム虐殺事件を契機に、急速にフィリピン政府からのモスレム独立を求めるようになり、その同じ年に「ミンダナオ独立運動（MIM）」を創設した。つまり彼の祖父は、それ以来今日まで40年にわたって続いているミンダナオ・モスレム独立運動の基礎を作った人なのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　新聞で紹介されていた彼のドキュメンタリー映画『House Under the Crescent Moon』（2001年）は、その祖父が建て、テンを含む多くの家族とともに暮らした、故郷の大きな赤い家の物語である。上述したMIMは、まさにこの家で産声をあげた。そしてその8年後の1976年にテンが生れたのもこの家だが、その時代はMIMの運動を受け継いだ「モロ民族解放戦線（MNLF）」と政府軍との戦闘が最も激しかった時代だ。その後ダトゥー・マタラムはテンが6歳のときに亡くなり、テン自身もその家を離れて都会で学校に通うことになった。そしてその赤い家はしばらく彼の記憶から失われた。マニラの大学で映画を学んだ彼は久しぶりに帰郷してその赤い家を訪れたが、そこで彼の見たものは、当時内戦が激化して多くの難民の避難所となり荒廃した家の姿だった。テンは我を忘れたようにその姿を記録し続けた。そうしてできた映画が『House Under the Crescent Moon』だ。このルーツ探しのドキュメンタリー映画は彼の記念すべき処女作となり、フィリピン文化センターからその年の優秀映画賞が与えられた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そんな彼の最新作が、ちょうど先ごろマニラで公開された。「コントラ・アゴス（反潮流）：レジスタンス・フィルム・フェスティバル」という、かなりきわどい検閲すれすれの作品を集めた映画祭で、会場はいまやインディーズ・シネマのメッカとなったショッピングモールのロビンソン・ギャラリア（2007年12月5～11日）。作品のタイトルが『The Jihadist（聖戦主義者）』。『House・・』では彼の祖父がテーマだったが、今回は彼の叔父ハシム・サラマットが主人公だ。サラマットは、モスレム分離独立運動の中でもより“過激”だと言われている「モロ・イスラム解放戦線（MILF）」の創設者として有名だ。1960年代にカイロのアル・アズハル大学で学んだ知的エリートであったが、当時フィリピン大学で講師をしていた俊才のヌル・ミスアリとともに、1970年、モスレムの独立を目指して「モロ民族解放戦線（MNLF）」を結成した。その後、フィリピン政府との妥協を目指すMNFLとは袂を分かち、1977年にMILFを結成して政府との対決色を鮮明にした。MILFは彼の死後、「アブ・サヤフ」など原理主義的なグループとも接近するようになり現在に至っている。映画ではそんな叔父サラマットの足跡をたどり、彼の築いた村、そして今では内戦の傷跡が深く刻まれた村を訪れ、村人のインタビューを通して、イスラムの指導者としての純真な姿を描いてゆく。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　『House Under the Crescent Moon』と『The Jihadist』は、ともに彼の親族の足跡をたどるルーツ探しの物語だ。祖父も叔父も人々の記憶に残る、そして今後もこの国のモスレムの歴史に名を残す、独立運動のリーダーであり闘士であった。しかしテンが映画の中で描いているものはそうした独立の英雄の物語などではなく、内戦で荒廃した家や土地、そして戦争被害で心に傷を抱えた人々の心に写し出されるある種虚しさのようなものではないかと感じた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「コントラ・アゴス」ではテンの作品以外にも、彼がプロデュースして他のフィルムメーカーが撮影した現代のミンダナオをテーマにした短編作品が合計7本も公開された。その中でも『Walai』（アジャニ・アルンパック監督）という作品は、コタバト市の有力なスルタン一家の栄華と抗争、そして没落と苦悩を描いた秀作だ。世間の人々はミンダナオのことを宗教紛争や民族紛争のメッカと言っているが、こうした作品を見ると、実はその抗争の多くが地元の政治的または経済的な利害関係に由来した、極めて具体的な怨恨から生れているということがよくわかる。いずれにしてもテンの存在は、いまや多くのミンダナオの若手アーティストを動かす原動力になっているようだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R2CXrt-affI/AAAAAAAAAI8/sao1zr28H1s/s1600-h/%E7%94%BB%E5%83%8F+012.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R2CXrt-affI/AAAAAAAAAI8/sao1zr28H1s/s320/%E7%94%BB%E5%83%8F+012.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5143277551788654066" /&gt;&lt;/a&gt;　さらに彼はプロデューサーとして、もう一つ重要な仕事を最近やり遂げた。彼が編集者となって『Children of the Ever-Changing Moon: Essays by Young Moro Writers』（Anvil出版）というアンソロジーを出版したのだ。16人のミンダナオの若手ジャーナリスト、アーティストや教師らによるエッセイだが、これが現代のモスレム社会の様々な揺らぎを率直に表現していて大変興味深い。親の反対を押し切ってキリスト教徒と結婚をする話、イスラム風の名前に対する偏見と恥じらい、同じモスレムでも父方と母方が異なる民族的出自を持っているがために起こるアイデンティティ喪失の問題、イスラム教徒のゲイに向けられた偏見、超保守的な土地で育った女性モスレムの教師への険しい道のり、生れて初めて故郷のモスレムの土地タウィタウィを訪れた夢のようなひと時、マニラのイスラムコミュニティーの生活などなど、どの物語も今を生きる若いモスレムたちの本音がとてもよく伝わってくる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　その中のエッセイの一つ、モスレムの女性としてはとても珍しいことだが、マニラを拠点とする大手新聞社でジャーナリズムのメインストリームで活躍するサミラ・アリ・グトックの作品から。マニラの大学で教育を終えて、モスレム独立運動に希望を抱いて帰郷した友人が経験した挫折感を次のように書いている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「私の友人は生れ故郷のラナオの町に、モロ（イスラム教徒）として誇りをもって帰郷した。しかしその後私が彼女に会った時、彼女は大きなフラストレーションに直面していた。モロ民族のために、その闘いのためにと思っていた理想は、そこに住む人々の間に見つけることができなかった。そのかわり、彼らは保守的で、すぐ誰かに頼る弱い人間で、無関心で腐敗していた。」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　テンの祖父たちによって起こされたミンダナオのモスレム独立運動。40年を経た今日、その理想と希望はあまりにも多くの挫折と裏切りと腐敗と怨恨に侵されてしまったのだろう。しかしそんな理想にまとわりつく空虚さを一端受け入れた上で、そこから何かを始めようとしている若い人たちも確かに存在する。このアンソロジーからはそうした人々の息使いが十分に感じられる。そして10年前にはおそらくタブーだったことも、今、ようやくこうして30歳前後の若きモスレムたちによって発言され始めている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　テンの子供のころの夢は医者になることだった。それが大学時代に出会った小津やフェリーニといった外国映画でその後の人生が変わったという。そして医学をあきらめた彼は映画を勉強してドキュメンタリーを撮り、こうしてミンダナオの若手アーティストのコミュニティーの中で重要な位置をしめるようになった。モスレムの伝統の核心を受け継ぐスルタンの末裔、そしてミンダナオ独立運動の戦闘家の家系。そんな彼には普通の者にはない威厳すら漂っているが、気になるのは話している間もほとんど笑わないことだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「人々の心の中にある不条理な怒りや恐れ、そして偏見を癒す苦くて甘い薬、私の映画や書き物がそうなることを願っている。そうなれば、かつて私が子供の頃に医者になりたいと思い描いたように、人々の心を癒すことができるだろう。」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　生まれながらにして数奇な宿命を背負い、暗い民族の記憶からおそらく逃れることのできない彼にとって、カメラとペンは彼なりの最後の抵抗の手段なのかもしれない。&lt;br /&gt;（了）&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/27072425-6666500102439926090?l=bensuki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://bensuki.blogspot.com/feeds/6666500102439926090/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=27072425&amp;postID=6666500102439926090' title='2 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/6666500102439926090'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/27072425/posts/default/6666500102439926090'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://bensuki.blogspot.com/2007/12/blog-post.html' title='ビデオカメラとペンを手にした若きスルタンの末裔'/><author><name>bensuki</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01735024261670566866</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://3.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R2CWkt-afeI/AAAAAAAAAI0/-bAqhFE52lg/s72-c/%E7%94%BB%E5%83%8F.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>2</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-27072425.post-8008062952460613134</id><published>2007-11-26T15:39:00.000+08:00</published><updated>2007-11-27T09:09:40.235+08:00</updated><title type='text'>美しい多島海の島々と文化交流</title><content type='html'>&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R0p41l8qqvI/AAAAAAAAAIE/hk1Gjz3qaV8/s1600-h/visaya.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://1.bp.blogspot.com/_-gBUAw6EK_U/R0p41l8qqvI/AAAAAAAAAIE/hk1Gjz3qaV8/s320/visaya.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5137051187084438258" /&gt;&lt;/a&gt;　私の事務所は日本人とフィリピン人合わせて総勢10人ちょっとの小さな事務所だけれど、自分の部屋にはフィリピンの全国図が貼ってあり、7,000の島々からなるこの国の地図をいつも眺めながら、「ボロは着てても心は錦・・」などと心の中で歌いながら、なるべく多くの地方都市で日本文化を、そして日本語を紹介したいと日々想像力を働かせている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　インドネシアにいた時もそうだったが、多くの島に分かれているということは、それだけ文化的な多様性に富んでいて、島ごとに様々な特徴があってそこを訪れるのが楽しみだ。でもとにかく色んな島に“分断”されているので、タイのようにバスでどこでも行けるわけではなく、正直いって仕事という意味ではなかなか大変なところだ。中でも多くの島々が集中するのが中部ビサヤ地方である。ここは島と海、そしてその島々を大小の船で行き交う人々が暮らす地域だ。そしてその島々にも私たち日本人の紡いできた物語がたくさんある。このブログではこれまでに、北ルソンのバギオやミンダナオについて紹介してきたので、今回はこのビザヤ地方について書いておきたいと思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この地方の人々の言語は公用語のタガログ語とは異なる。フィリピンは10の主要言語の他に、100以上もの少数言語がある多言語国家だが、国語として指定されているのはタガログ語のみ。ビサヤ地方ではビサヤ諸語と総称される言葉が話されていて、タガログ語に次いで言語人口の多いセブアノ語を話す人は、実に1,800万人に及ぶという。英語が公用語の国ということが強調されるけれど、もう一つの公用語であるタガログ語のほかに、多くの国民が自分たちの母語（ローカル言語）を持っていて、半数以上の国民がそれら3つの言葉を話す、いや話さなくてはならないということは驚きである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そんなビサヤ地方の中心といえば、何といってもセブアノ語の本拠地であるセブ島。州都セブ市の近郊にあるマクタン島には5つ星クラスの豪華ホテルとプライベートビーチが連なり多くの観光客を集める。青い海と白い砂浜、美しい珊瑚礁にダイビング。まさに別世界。フィリピン人の誇る観光資源を代表するリゾート地で、フィリピンといえばあまり良いイメージの浮かばない日本人にとっても、セブは別格。そんな土地柄だけあって、ここには多くの日系企業も進出していて、現在合計で約100社。日本人商工会議所や日本人会（会員数220人、2007年1月現在）、そして日本大使館の駐在員事務所もある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　さらには、最近徐々に増えてきている「退職者ビザ」での永住者が多いこともここの特徴で、フィリピン全体で約1,500人の退職者ビザ取得者の内、４割がこのセブに住んでいる。ちなみにこの特別ビザは、フィリピン政府の肝入れもあって他の東南アジア諸国と比べてかなり取得しやすくなっており、いまや１万ドルの現金を銀行にデポジットすればほぼ誰でも取得できる。注意深く協力者を見つけて安全な定住場所を選べば、英語が通じて物価の安いこの国では、年金生活でも結構な第二の人生がおくれるのだ。広々としたアパートに暮らし、フレンドリーな人々に囲まれて、時々ゴルフなどを楽しみ、気が向いたら日本へ一時帰国して温泉にでも行く・・まあ無論そんな夢みたな話ばかりではないけれど、それに近い暮らしをしている日本人が結構いるのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　さてそうした日本人コミュニティーの支援を得て、セブでは日本文化を紹介する機会が比較的多くある。私が着任してからも、市内中心部のショッピングモールで日本映画祭を2度ほど開催したり、2006年１月には世界各地で活躍する日
