2008/05/19

マニラのアートスペース・ガイド

 今回本文は後述です。マニラの主要なアートスペースを紹介します。マニラ首都圏、北から順番に。

○ケソン市

●mag:net Cafe


 まずは何と言っても、今マニラで最も重要なアートスペースと言っても過言ではない「マグ:ネット・カフェ」。アテネオ・デ・マニラ大学の門前にあるカティプナン店(2006年オープン)を中心に、新興のグローバル・シティやマカティにも支店を構える。もともとアート系雑誌のネットワークを企画し、マガジン・ネット=マグ:ネットとして始まった。ギャラリーにカフェを併設したのが成功し、現在では毎日のようにライブ(ロック、エスニック、レゲエ、ジャズ)があり、毎週火曜日はシネ・カティプナンと称して、芸術的・実験的な映画の上映がある。現代美術の分野では今やある意味で若手作家の登竜門とも言え、毎月1人のペースで個展を中心に展覧会が行われている。フィリピンでは珍しく1年先まで予定が決まっている超人気のスペースだ。書店も併設していてアート関係の本・雑誌、地元ミュージシャンの音楽CDや名作映画のDVDが購入できる。WEBサイトも充実していて、最近数年の展覧会についてはデータベースが公開されていて、現代美術作家の情報が得られる。申し込めば定期的にEmailニュースも送ってくれる。オーナーの一人であり1970年代から活躍する画家のロック・ドリロン氏は、次はやはりアート・マガジンの発行をと意気込んでいる。

Address: AGCOR Building. 335 Katipunan Avenue, Quezon City
Tel/Fax: +63-2-929-3191/+63-921-6681279
Email: magnetcafegroup@gmail.com
WEB: http://www.magnet.com.ph

●Green Papaya Art Projects

 2000年にオープンしたがいまや老舗とも言えるアートスペース。『アジアのアートスペースガイド2005』でも紹介されている。パナイ島出身のインスタレーション作家ピーウィー・ロルダンと、このブログでも紹介した新進気鋭のダンサー、ドナ・ミランダが運営している。美術、映像、ダンスなど境界を超えたコラボレーションが真骨頂。滞在設備も備えており訪れる外国人アーティストも多い。


Address: 12 A Maginhawa St. UP Village, Diliman, Quezon City
Tel: +63-926-6635606
Email: info@greenpapaya.org
WEB: http://papayapost.blogspot.com

●アテネオ・アート・ギャラリー

 イエズス会系私立名門のアテネオ・デ・マニラ大学の構内にあるギャラリー。近代絵画のコレクションが有名だが、現代美術の企画展も多く、海外の研究者・キュレーターとの対話事業も盛ん。2006年から始まった「アテネオ・アート・アワード」は、既に現代美術では国内で最も“権威”あるコンペティションに成長した。優勝者はシドニーで滞在制作ができる。


Address: Ground Floor, Rizal Library, Ateneo de Manila University, Katipunan Avenue, Loyola Heights, Quezon City
Tel: +63-2-426-6001 local 4160
WEB: http://gallery.ateneo.edu/

●Lingoren Gallery

 1960年代以降の社会派リアリズムの作家(アンティパス・デロターボやレナト・ハブランなど)を扱う異色のギャラリー。展覧会も社会的硬派なテーマが多い。ギャラリーのオーナーはアルフレド・リンゴレン(抽象画)、子息はエリック・リンゴレン(写真)でともに著名なアーティスト。

Address: 111 New York / Stanford Str., Cubao, Quezon City
Tel: +63-2-439-3962
Fax: +63-2-912-4319

○マンダルーヨン市/パシッグ市

●SM Megamall Art Walk

 マニラ首都圏のショッピングモールの中で最もギャラリーが集中する。合計19のギャラリーと企画展を実施するアートセンターがある。ギャラリーの中では「FINALE」が2000年のスタート時から続くパイオニアで、現代美術作家の展覧会が多い。また「West Gallery」や「THE CRUCIBLE」も現代美術が中心。「OLD MANILA」は美術関連の古書が豊富。いつ行っても何かしらの展覧会が行われている。

Address: 4th level, SM Megamall, Mandaluyong City


●ロペス美術館

 国内有数の華人系財閥が経営するロペス財団の美術館。近代美術のコレクションで有名。現代美術の企画展も積極的に展開している。

Address: G/F Benpres Building, Exchange Road corner Meralco Avenue, Ortigas Center, Pasig City
Tel: +63-2-631-2417
Email: pezseum@skyinet.net
WEB: http://www.lopezmuseum.org.ph/

○グローバル・シティ(タギグ市)

●MO_SPACE

 マニラ首都圏で今最もホットなスポットに2007年にできたばかりのアートスペース。小さいスペースだが、通常は現在注目されている現代美術作家のコレクションをコンパクトに展示しており、フィリピン現代美術作家の概観ができる。定期的に企画展も開催。

Address: 3rd level, Mos Design, Bonifacio High Street, Bonifacio Global City, Taguig City
Tel: +632 8562745
Fax: +632 8562745
Email: mo.space@yahoo.com.ph

●High Street(野外)

 国内随一のスペイン系財閥であるアヤラ・グループが開発した新都市の中心部にできたショッピングモール。元米軍基地の跡地に高級ショッピングモールの他、マンション、病院、インターナショナルスクールなどが忽然と現れ、この周辺だけで商業ギャラリーが10ヶ所近く新たにオープンした。現代のフィリピンの富の象徴。アートに触れる街つくりを目指していて、美しい街路と芝生の各所に若手作家によるパブリック・アートやインスタレーションが設置されている。


Address: Bonifacio High Street, Bonifacio Global City, Taguig City

○マカティ市

●THE DRAWING ROOM GALLERY

 国内の旬の作家を含む良質のドローウィングを扱うギャラリー。2ヶ月に1回のペースで個展を中心に展覧会も実施している。


Address: 1007 Metropolitan Avenue, Metrostar Building, Makati City
Tel: +63-2-897-7877
Fax: +63-2 -890-7455
Email: drawings@pldtdsl.net
WEB: http://www.drawingroomgallery.com/public.concv/8

●Silverlens Gallery

 現代写真を中心に現在活躍目覚しいギャラリー。シルバーレンズ財団では新進作家の作品を購入してグラントを提供している。またアジア・カルチュラル・カウンシルがスポンサーとなって、米国やアジア諸国での研究スカラシップも提供している。


Address: 2320 Pasong Tamo Extention, Warehouse 2, Yupangco Building, Makati City
Tel: +63-2-816-0044
Email: manage@silverlensphoto.com
WEB: http://www.silverlensphoto.com/#

●アヤラ博物館

 フィリピン最大のアヤラ財閥系の財団が経営する民間博物館。首都圏マカティ市の中心を占めるきらびやかなショッピングモール街の一角にあって、国際的スタンダードを備えた展示スペースを擁し、フィリピンの美術界をリードしている。2008年の5月には新たに常設展示室を改修オープンして、16世紀植民地時代以前にさかのぼる、1000点を超える金の装飾品のコレクションを一挙に公開した。かつて金の産地として名を馳せたフィリピンだが、ミンダナオやパラワン島など、今は発展に取り残された地域で発見された金の装飾品からは、インド文化や近隣諸国の影響が見て取れるが、その精巧な技術には全く圧倒される。近代美術や現代美術の企画展、海外作品の展示なども活発。

Address: Makati Avenue cor. De La Rosa Street, Makati City
Tel: +63-2-757-7117 to 21 local 10 and 35
Email: museum_inquiry@ayalamuseum.org
WEB: http://www.ayalamuseum.org/

○パサイ市

●Galleria DUEMILA


 マニラで最も老舗のギャラリーの一つ。1975年にイタリア人オーナーのシルバナ氏によってオープン。コレクションも充実しており、絵画の修復なども手がける。WEBサイト内の作家の公開資料も豊富。

Address: 210 Loring Street,1300 Pasay City
Tel: + 63-2-831-9990 or 833-9815
Fax: +63-2-833-9815
Email: duemila@mydestiny.net
WEB: http://www.galleriaduemila.com/

●Cultural Center of the Philippines(CCP)
 
 フィリピン文化センターの美術部門として、1960年代~80年代名作のコレクションが有名。大(440平米)・中・小のギャラリーなど6ヶ所の展示スペースがあり、個展・グループ展が頻繁に開催されている。


Address: Roxas Boulevard, Pasay City
Tel: + 63-2-832-1125 loc. 1505 to 1506
WEB: http://www.culturalcenter.gov.ph/

○マニラ市

●HIRAYA GALLERY

 ここも1980年オープンの老舗画廊。ガブリエル・バラド、ホセ・レガスピなど数多くの作家がこの画廊から巣立っている。1980年代の作家から現代作家までコレクションも豊富で画廊2階の倉庫を観るのも楽しい。オーナーのディディ・ディーのネットワークは豊富である。ここもWEBサイトの作家情報が充実している。

Address: 530 United Nations Avenue, Ermita, Manila City
Tel・Fax: + 63-2-523-3331
Email: hiraya@info.com.ph
WEB: http://www.hiraya.com/home.asp

●Museum of Contemporary Art and Design, SDA

 アテネオと並び称される名門私立大学のデザイン芸術学部の付属施設として2008年2月にオープンしたばかりのギャラリー。マニラ市内に斬新なデザインの建築が威容を誇る。同学部、劇場、映画館など全体で14階建ての55000平米。ギャラリーは美術、デザイン、建築、映像、パフォーマンスなどジャンルを超えた企画展を随時公募している。


Address: The De La Salle-College of Saint Benilde (DLS-CSB) School of Design and Arts Building (SDA Building), 950 P. Ocampo Street, Malate, Manila City
Tel・Fax: + 63-2-536-6752 local 135 to 138
Email: sda@dls-csb.edu.ph
WEB: http://www.dls-csb.edu.ph

●国立博物館(ナショナルギャラリー)

 2007年に念願のナショナルギャラリーがオープンして、19世紀後半アジア美術の最大の傑作の一つとも言える『スポリアリウム(虐殺)』をはじめ、近代の名作を一般公開するようになった。別館では企画展も多く実施されており、この6月には国際交流基金との共催で日比現代写真展が開催される予定。

Address: P. Burgos Street, Manila City
Tel: + 63-2-527-1215
Fax: + 63-2-527-0306
Email: nmuseum@i-next.net
WEB: http://members.tripod.com/philmuseum/index



(本文)
 セブで開かれた第二回東アジア諸国首脳会議に出席する途上、マニラを訪れた時の安倍首相と懇談する機会があったのが2007年1月のこと。安全保障や憲法問題など果敢な政策を積極的に掲げ、首相官邸機能の強化をなかば強引に進めた結果、各方面にフリクションを起こしてバッシングを受ける状況に陥り、その政権を放棄してしまったのが9月。様々な政策が中途半端な状態に投げ出されたままだが、私たちの仕事の関係で唯一、安部政権の政策の果実からの恩恵を受けているものがある。東アジア青少年交流拡大計画。通称JENESYS(ジェネシス)と言われ、アセアンや中国、韓国、それにインドや大洋州の国々を含め、今後5年間、毎年6000人の青少年の交流を行おうという壮大な計画で、予算は総額350億円。フィリピンからも毎年200人の高校生と大学生が10日間の日本研修旅行を与えられることになった。

 国際交流基金でも、このジェネシスの枠組みで日本語教師を日本から派遣したり、逆にアジア諸国から日本語教師や学生を日本へ研修に招待したり、前回のブログで紹介したようなスタディーツアーを実施するなど、その企画・運営にあたっていて、マニラ事務所だけでも年間26人程度の交流事業を新たに実施することとなった。芸術交流の分野でも、年間2名の「クリエーター」を日本へ招待することとなり、今年の第一期生として、ビジュアル・アーティストのゲーリー・ロス・パストラナと、UPの学生で能楽の大鼓を学ぶダニエル・ナオミ・ウイが選ばれた。

 ゲーリーは1977年生まれの期待のインスタレーション作家。近代美術の黎明期に活躍した作家たちに与えられたグループ名“サーティーン・モダーンズ”にちなみ、3年おきに優れた現代美術の作家に与えられる「CCPサーティーン・アーティスト」賞に、2006年に選ばれている。1枚1枚破った辞書をくしゃくしゃに丸めて落ち葉のように見せかけた作品や、ハイソの集まる高級ショッピングモールの一画に穀物の種などを使って曼荼羅を描くなど、日常的にありふれたものを使って新たな文脈を生む作品を作り続けている。今回日本で新たに取り組む作品は、漁村に放置された古い小船を分解して韓国に運び、そこで新たな文脈のもとに組み立て直すというプラン。日本と韓国との間に横たわる海峡を、東南アジアのアーティストが取り持つというとっても素敵なアイディアだ。

       既に鳥の餌場となっている芝生の上の曼荼羅

 日本での滞在制作は、京都アートセンターと京都アエロポートが受け入れる。京都アートセンターは、京都市内にある廃校となった小学校を改造した滞在型アートスペースで、京都アエロポートは、稲次義明氏という映像作家が作った新しい滞在制作拠点である。今回はその稲次氏がまずフィリピンを訪れたことからこのプロジェクトは始まったのだが、フィリピン人アーティストとのコラボレーションへの意気込みに共感し、私たちも協力することにした。ゲーリーは作家以外にも、キュレーターやプロデューサーとしての経験もあり、現在は閉鎖となってしまった「Future Prospect」というアートスペースも運営していた経験の持ち主で、フィリピンと日本の現代アート交流の展開にとっても期待の人材である。

 ところで、稲次氏とフィリピンとを結びつけた1冊の本がある。アジア16カ国のオルタナティヴなスペースを中心に紹介した『オルタナティヴス アジアのアートスペースガイド2005』というガイドブックで、2004年に国際交流基金が出版した。実は稲次氏に会う以前にも、ある日本人からこの本を頼りにマニラのアートスペースを訪れたという話を聞いたことがある。もちろん何人もいるわけではないけれど、地元の人だって知る人の少ないマニラの町の一画にあるちっぽけなオルタナティブ・スペースに、わざわざ日本からその本を携えてやって来る人たちがいる。こうして情報を公開することが、貴重な点と点とを結びつける見えない糸を紡いでいるのだということがわかると、こういう仕事をしていて嬉しく思えてくる。

 さてそのマニラのアートスペースについて。商業的なギャラリーでなければその存在基盤はとても脆く、変化の激しい世界である。『アジアのアートスペースガイド2005』についても既に情報が古くなりつつある。また昨今のアートマーケットの加熱で、市内各所に新たなスペースも続々とできているので、この機会に重要なスペースを紹介しておく。

2008/05/05

ライステラスと日本をつなぐ線

 今から30年以上前に出版された『アジアからの直言』(講談社現代新書、1974年)という本の中で、編者の鶴見良行氏は、「文化交流の仕事は補助線を引くことだ」と書いている。政府間の交流や資本の交流関係を“実線外交”と呼び、“民衆と民衆”との間の交流を“補助線”と見立てている。

 この本の書かれた1970年代の前半は、72年タイで起こった日華排斥運動や74年インドネシアの反日暴動などに象徴されるように、東南アジアの国々で日本批判が吹き荒れて、日本と東南アジアとの関係が見直された時代だ。国際交流基金の設立は1972年だが、無論、そうしたアジア諸国での日本批判が大きく影響している。同じ本の中で、タイを代表する思想家であるスラク・シバラクサ氏は、この国際交流基金の設立についても言及していて、「真によい文化関係を築きあげるうえでの意義のある成果をあげられるかどうかについて疑念を持たざるをえない。」と“みせかけの文化交流”を批判した。そして日本人の心の中にある「東南アジアの人たちを劣ったものとみる考え方を根本的に変える必要がある」と主張する。

 その国際交流基金も設立から35年が経過した。私自身もそこで20年以上文化交流という仕事に携わり、そのなかでも多くの時間を東南アジアと関わってきた。シバラクサ氏の箴言は、今なお生きている重い課題だ。決して驕らず、そして次の時代につながるようなしっかりとした補助線をなるべく多く引き続けること、それが自分に与えられた役目だと思っている。

 そして今回、また新たな補助線を引く機会が与えられた。環境問題に取り組むNGOの若手リーダーたちを6月に日本に招待して2週間のスタディーツアーを行うというものだ。7月に開催が予定されている北海道・洞爺湖サミットの主要議題の一つが環境であることから、アジア太平洋諸国から50人もの若者を一同に集め、サミットとは異なる視点から草の根レベルで環境問題についてそれぞれの経験をシェアーしようという意欲的な企画である。環境問題のショーケースのようなフィリピンだけに様々な問題にあふれていて、NGO活動もいたって活発で多くの人々が関係しているが、今回フィリピンに与えられた4人という参加枠の中で、自分なりに優先順位を付けて人選することにした。その結果、ルソン島北部山地地方で世界遺産であるライステラスの保全活動を行っているタイサーメイ・ディナムリンさん、ルソン島南部ビコール地方で記録的な被害を与えた台風災害の生存者であり、その経験をもとに高校で環境教育に携わるラクェル・ロサスさん、南部ミンダナオ島からは弁護士として先住民族の土地の環境破壊問題に取り組むジェニファー・ラモスさん、そしてマニラからはアテネオ・デ・マニラ大学で環境マネジメントを教え始めた若き学者のジェームズ・アラネタさん、というバラエティーに富んだチームとなった。

 中でも世界遺産であるライステラス(棚田)の保全の問題は、この国の環境問題を考えるにあたって象徴的な問題であり、とても重要な視点を含んでいる。私は人選にあわせてそのライステラスのあるイフガオ州を訪ねた。

             バナウェのライステラス
 
 ルソン島北部の山地地方コルディレラは、通称イゴロットと呼ばれる山地民族の故郷だ。彼らは低地タガログ人とは出自の異なる先住民で、もとをたどれば台湾の先住民や沖縄のおじいやおばあと同じルーツであると考えられている。顔立ちは我々日本人と似通っていてどこか懐かしい感じすら覚える。かつてはヨーロッパからやって来た宣教師などから“首狩族”と言われ、その勇猛さから恐れられた人々だが、別の視点から見れば、スペイン植民地軍に対して頑強に抵抗して19世紀後半まで独立を貫いた誇り高き民族である。コルディレラ地方は古くから豊かな金の産地として知られ、16世紀以来その金の魅力に惹きつけられた西洋の探検家や宣教師、そして植民地政府軍とイゴロットとの接触、その抵抗と帰順の歴史は、『The Discovery of the Igorots』(William Henry Scott著、New Day Publishers出版、1974年)という本に詳細に描かれている。

       イフガオ族の古老(バンガアン村にて)

 民族的には大きく6つのサブグループに分かれているが、なかでも独自の文化で有名なのがイフガオ族で、彼らの故郷がイフガオ州、そしてそのいくつかの村にライステラスは散在する。マニラから夜行バスに乗って10時間でバナウエという町に着き、そこからまたトライシクル(三輪オート・サイドカー)で未舗装の荒れた道路をがたがたと1時間。標高平均1300メートルの急峻な山中に忽然と現れる棚田は、まさに世界七不思議の一つとも言われるほどの驚きである。山中の急斜面に作られたダイナミックな成り立ちと同時に、棚田を守るために丁寧に築かれた砂岩の石垣や、丘の上から下の棚田に向かってよどみなく流れるように張り巡らされた水路など、意外なほど繊細な魅力にあふれていて、それらがえもいわれぬ美しい景観を作り出している。1995年にはユネスコの世界遺産に登録されたが、その保全が危ぶまれ、2001年には消滅の危機にある世界遺産(危機遺産)として再登録された。ちなみにフィリピンではこの棚田を含めて文化遺産が3件、そして自然遺産が2件登録されている。

   砂岩の石垣で守られるバンガアン村のライステラス

 今回日本へ招待することとなったタイサーメイの勤めるNGOは、The Save the Ifugao Terraces Movement(SITMo)といって、2000年に結成されたまだ若いNGOである。いまイフガオの村では出稼ぎによる耕作地の放棄や、米よりお金になる他の作物への転作で、多くの棚田が失われつつある。さらに伝統的知識や技術を担っていたお年寄りが少なくなってきており、その継承が危ぶまれている。そのため人々の生活水準を改善し、伝統文化の価値を再認識してそれを守り、世界に誇る棚田文化を次世代に継承してゆくための活動がようやく最近になって本格的に始まった。SITMoでは、こうした危機にある棚田の保全のみならず、持続的な土地利用や森林の保全、作物や工芸品のマーケティング、伝統的知識の記録と継承などに関する指導を行っている。またエコ・カルチャー・ツーリズムのプログラムを開発して、マニラなどからやって来る観光客を対象に、実際に棚田のある村に入ってフィエスタに参加し、イフガオの伝統儀式や農作業を体験する機会を提供している。タイサー・メイが担当するのは“リニューワル・エネルギー・プログラム”といって、イフガオに伝わる伝統的な水車を復興して電気を作り、最低料金(月々100ペソ=250円)で村の家々に提供してゆこうというもので、現在州内2つの村で実施中である。マニラの工科大学を卒業したてのまだ23歳のイフガオ族の彼女は、「マニラの喧騒は嫌い。自分の土地が好き。ここでイフガオの伝統を守る仕事を続けたい。」と明るく語った。

 さてこのイフガオのライステラスに育まれた文化の中に、もう一つの世界遺産がある。フドゥフドゥといわる民衆詠唱で、2001年に無形文化遺産に登録された。フドゥフドゥはイフガオ族に代々伝わる恋の物語や戦いの叙事詩で、田植えや稲刈りなど農作業の節目に、また葬式や洗骨(通常は死後1年)などの儀式の際に謡い継がれてきたものだ。マニラ事務所では2001年にフィリピン大学で行われた「フドゥフドゥと能、文化のダイアローグ」というセミナーを支援したことがあり、その際にゲストとして参加していたイフガオ人の元高校教師で伝統文化研究家であるマニュエル・ドゥラワン氏を訪ねて、そのフドゥフドゥ揺籃の地と言われているキアガンの町を訪問した。

 キアガンはイフガオ地方のかつての中心地。小さな盆地を流れる川のほとりに、その昔フドゥフドゥを担うイフガオ族の一派が定着したと伝えられている。この町にある国立博物館イフガオ分館には、驚いたことに、このキアガンに代々伝わる33代、600年にわたる細密な家系図のコピーが展示されていた。ドゥラワン氏ももとをたどればどこかの家系に遡ることができるという。600年といえば偶然にも能の歴史とほぼ同じだ。おそるべしキアガンのイフガオ族である。

            国立博物館イフガオ分館 

 現在72歳のドゥラワン氏は、高校を定年退職後にフドゥフドゥの保存に奔走し、今では国家文化芸術委員会の無形文化遺産委員会委員を努めるほどの重鎮で、その復興になくてはならない立役者であるが、彼の話によれば、伝統文化の変容や若者の儀式離れで、一時はかなりその存続が危ぶまれたという。特にフドゥフドゥの成り立ちに欠かせない伝統的儀式の中でも、洗骨の儀式などは西欧からやって来た宣教師たちから後進的で野蛮な文化と忌み嫌われて、フドゥフドゥそのものも誤解を受けてきたという。でも考えてみればこの洗骨という儀式、かつては沖縄でも見られたようだが、時に生身の老いた人間すら汚いものとして退ける風潮のある現代の日本からみれば、亡くなった先人の骨までも慈しむ、なんとも心やさしく尊厳に満ちた伝統ではなかろうか。

 そんな存続の危機を救ったのがユネスコの世界遺産への登録という出来事だった。登録されたことでフドゥフドゥに対する人々のとらえ方が大きく変化したという。2004年からはSchool of Living Tradition(SLT)というプロジェクトもスタートし、今ではキアガン村の19の小学校の授業で、フドゥフドゥが儀式としてではなく、伝統的なフォークソングとして教えられるようになった。毎年1回子供たちも交えたフドゥフドゥのフィエスタもあるそうで、2004年にはとうとう日本と韓国で海外公演も行ったそうだ。

 そしてこのSLTプロジェクトに、実は私たち日本人の税金が使われているのだ。でも、そんなことを知っている日本人は何人いるだろうか。私も恥ずかしながら今回の訪問で初めて知った。ユネスコ(国連科学教育文化機関)は第二次世界大戦後まもなく設立された国際機関だが、広く知られているように日本が最大のスポンサーで、加盟国分担金として全体予算の2割強を拠出している。ちなみに超大国のアメリカは参加していない。またその通常予算以外にも様々な分野で「信託基金」という任意の拠出金制度があり、そこでも日本は多額の資金を提供していて、例えば無形遺産の分野では「無形文化財保存振興日本信託基金」というかたちで2001年までに559.5万ドルを拠出している。その信託基金からフィリピンの国家文化芸術委員会を通じて、このイフガオの村のフドゥフドゥを守るプロジェクトへ日本のお金が流れてきているのだ。日本人は総じて税金の使い道にあまり関心がないと言われるが、こうした事実をもっと私たちは知る必要があるのだと思う。

 ところでこのキアガンという村には、このフドゥフドゥ以外にも私たち日本人との宿命的とも言える接点がある。ここはフィリピンでの戦闘を最後まで指揮した山下将軍が、1945年9月2日に米軍に降伏をした戦争終結の場所なのだ。当時降伏のための協議が行われた建物はいまもそのまま残されており、正面にはフィリピン人ゲリラを賞賛する石碑が埋め込まれている。バナウエの町にある博物館の入り口には、その降伏の瞬間を捉えた白黒写真が飾られていた。日米比あわせて150万人以上の犠牲者を出した戦争の終結にあたって握手を求めた山下将軍に対し、米軍将校がそれを拒んだ瞬間・・と思われる写真。このキアガンは、3つの国、そして多くの市井の人々を巻き込んだ殺し合いが終わった場所だったのだ。

     かつての終戦の地、キアガン中央小学校

 戦後60年が経過して、今キアガン村と日本との接点は、戦争ではなくフドゥフドゥである。今では日本人の生活にほぼ全くと言っていいほど関係のない異国の山の中で、そこに住む人々の誇りを守るためにわたしたちのお金が使われている。そんな事実を知って初めて感じる、ちょっとこそばゆい誇り。先日、日本の政府開発援助(ODA)額が昨年度実績で世界5位に転落(1990年代は世界一だった)する見込みという報道があったが、国際協力全体が萎縮傾向にある中で、ぼくらはそのこそばゆい思いというものをかみしめて、改めて誇りの意味を考える必要があるのだと思う。尊大でもなく、矮小でもなく。
(了)