2007/08/08

豊かな物語の宝庫、フィリピンDシネマの現在

 フィリピンのデジタルシネマ(Dシネ)が異様に盛り上がっている。わざわざ“異様に”と書くほど、それは本当に驚異的な事態だと思う。今年で3回目を迎える「シネマラヤ/フィリピン・インデペンデント・フィルム・フェスティバル」(7月20~29日、フィリピン文化センター)が開催され、120本のDシネが一挙上映された。それもほとんどこの2~3年の間に製作されたもので、とにかく内容が濃い。あふれるほどの世界中の映画を毎日多くの上映館で観ることができる日本の私たちが、しかもフィリピン映画なんてほとんどその視野に入っていない私たちがこの状況に遭遇したら、きっと誰でも驚かずにはいられないと思う。

 そして基金マニラ事務所では、3年目にして初めてこのフェスティバルに参加した。同時開催されたシンポジウムに協賛するとともに、日本で最大級のDシネの祭典であるSKIPシティ国際Dシネマ・フェスティバル(http://www.skipcity-dcf.jp/index.html)よりプログラム・ディレクターの木村美砂さんを招待した。同フェスティバルも創設4年目とまだ若いが、いまや堂々たる国際フェスティバル。興味深いのは、木村さんの話によると今年のコンペ応募作品は全世界から長編、短編合わせて761本。その内フィリピンからの応募作品が数十本もあったという。12本選ばれる最終選考作品の中にも「ブラックアウト」(マーク・バウチスタ監督)というフィリピン映画が残った。この国でいまDシネの地殻変動でも起こっているのだろうか。

 第1回シネマラヤは私がフィリピンに赴任した直後の2005年7月に開催され、その時いくつかの秀作に巡り会ってこのブログの初回で報告をした。あまりに面白いので何かに記録しておきたいと思ったのが、そもそもこのブログを始めるきっかけだった。その時の予感が当たっていた、というよりフィリピンのDシネは私の予想をはるかに超えて盛り上がった。ここ2、3年のDシネ界の集大成といえる今回のシネマラヤは、これまでにない規模と熱気にあふれ、開催期間中劇場は常に若者でごった返し、多くの映画関係者の笑顔が見られた。コンペティション部門以外にも、このイベントに照準を合わせて“ワールドプレミア“と称して発表される作品も多く、舞台挨拶に訪れた製作者や役者、マスコミ関係者などで賑わっていた。どうしてこれほどまでに盛り上がっているのか。とても単純なことだけど、私たち日本人にとってはおそらく忘れかけた感覚ゆえだと思う。それは、映画に対する”渇き“のようなものだ。

     
 “メジャー”映画会社による劇場用35ミリフィルムの衰退状況については2年前に報告した通り。むしろこちらは状況が悪化している。有名歌手の知名度に頼ったラブロマンスや、中途半端なホラー映画がほとんどで、製作本数も昨年は49本とさらに減少した。まあそれでもそんな映画に観客は集まるのだから、商業映画としてはそれで細々と生きながらえていると言えるかもしれない。その他はほぼアメリカ映画の独占状態。シネマコンプレックスで「スパイダーマン」や「ハリーポッター」が上映されると、例えば10館あればその内の9館が同じ作品を上映するという有様だ。基本的には暗澹とした映画界の中で、一筋の光が差すというのはまさにこういうことを言うのだろう。製作者、役者、そして観客が、Dシネの可能性に賭けている。この国の映画を取り巻く環境が大きく変わろうとしている。そうした転換期に立ち会うことができるのは幸運だ。

 もちろん120本全部観ることは不可能だが、これまでに観た作品を含め、印象に残った作品を簡単に紹介しておく。フィリピン最北端の美しい離島を舞台にした珠玉の作品や、先住民族の生活を淡々と描いたドキュメンタリー風作品、そしてマニラのスラムに住む人々の喜怒哀楽をドラマチックに描いたものから、ゲイが主人公の危うい作品まで、実に様々なバリエーションのある物語に彩られている。

○今年度長編コンペ作品
「ENDO」(ジェイド・フランシス・カストロ監督) 期間雇用(通称“ENDO”)で家族を支える青年と、長期航路客船での就職を夢見る女の子のラブストーリー。

「KADIN(山羊)」(アドルフォ・アリックス・ジュニア監督) フィリピン最北端の島バタネスを舞台にした兄妹の物語。突然家から姿を消した山羊を探して島を巡るお話。

「GULONG(自転車)」(ソッキー・フェルナンデス監督) 1台の古い自転車を巡る物語。少年が欲しいと夢見る自転車は、かつておじいさんが恋人に贈ったプレゼントだった。

「LIGAW LIHAM(愛の手紙)」(ジェイ・アベロ監督) 街の郵便局が廃業。ある女性がベトナムにいる夫に宛てた恋文を、彼女を慕う男性が奪って“文通”し続けるお話。

「PISAY」(アウラエウス・ソリート監督) 超エリートが集まるフィリピン・サイエンス高校を舞台にしたフィリピン版中学生日記。1986年の黄色い革命前夜を描く。

「Still Life」(カトリーナ・フローレス監督) 筋ジストロフィーに侵された画家と子供を捨てた過去を持つ若い女性とのラブストーリー。

「TRIBU(部族)」(ジム・リビラン監督) 現在のトンドを舞台に、本物の少年ギャングの抗争を描く。

    「ENDO」のポスターの前でポーズする学生カップル

○2005年度コンペ作品
「BATAD:SA PAANG PALAY(藁しべの足元)」(ベンジー・ガルシア監督) 世界遺産であるライステラスで有名なバナウエを舞台にしたイフガオ青年の夢と恋、そして現実を描いた作品。

「DONSOL」(アドルフォ・アリックス・ジュニア監督) ルソン島南部の実在の町ドンソルが舞台。ホエールウォッチングのガイドと癌に侵されたツーリストの女性との悲恋物語。

「TULAD NG DATI(昨日のように)」(マイケル・サンデハス監督) 実在する伝説的ロックバンドDawnをめぐる友情の物語。Dawnの演奏満載。2005年度作品賞受賞。

○その他
「HAW-ANG」(ボン・ラモス監督) ライステラスのあるイフガオ族の山村に赴任したシスターと子供たちの愛情ストーリー。

「ATAUL FOR RENT(レンタル用棺桶)」(ブボイ・タン監督) 棺桶屋の夫婦を軸に、彼らが暮らす路地裏のスクウォッター(不法占拠者)たちの逞しさと悲哀を描く。

「KUBRADOR(借金集金人)」(ジェフリー・ジェッタリン監督) マニラのスラムを舞台に、違法賭博(フエテン)を取り仕切るおばさんをめぐる物語。

「MANORO(先生)」(ブリリャンテ・メンドーサ監督) フィリピンの先住民(通称アエタ族)の少女が小学校を卒業して大人たちにアルファベットを教える話。

「MASAHISTA(マッサージ師)」(ブリリャンテ・メンドーサ監督) ゲイ映画の真髄。ゲイを相手にするマッサージ青年の日常を描く。

 今年のコンペの長編部門では、「TRIBU(部族)」が作品賞を受賞した。全編トンドでロケを行ったドキュメンタリータッチの作品だが、役者の多くはそこに住む素人の中からオーディションで選ばれた。トンドはかつてアジア最大のスラムと言われ、ごみの山“スモーキーマウンテン”で有名になった場所だ。スカベンジャー(ごみ拾い)の子供たちによって結成された同名のポップスグループが日本で売れ、NHKの紅白にも出場したので覚えている方もいるかもしれない。そんな現代のトンドを舞台に、実際の少年ギャングを起用してその抗争を描いた。映画の中では壮絶なけんかで双方血だらけの犠牲者が出て、悲惨な最期となるのだが、実際はこの映画の製作を通じてギャング間の抗争が無くなったという。CCPで行われた表彰式で、彼らギャングの代表が主演男優賞に選ばれ、会場の盛り上がりは最高潮に達した。フィリピンならではの社会派映画がまた新たに誕生し、多くの人たちに受け入れられた瞬間だった。

         「TRIBU」主演男優賞受賞の瞬間     

 このシネマラヤは、サブタイトルに“フィリピン・インデペンデント・フィルム・フェスティバル”とあるように、“オルタナティブ・シネマ”の祭典でもある。そして、フィリピン映画の歴史の中では知る人ぞ知る、“オルタナティブ・シネマ”の占める位置は特別だ。この国のインデペンデント映画や社会派映画の系譜については改めて書きたいと思う。いずれにしても巷の映画館をハリウッド映画に占拠され、語るに値しないフィリピン映画にほぼ絶望しかかっている映画人や観客にとって、まさにこのフェスティバルは、日ごろの“渇き”を癒し、未来への希望を語る熱い10日間であったに違いない。

 惜しむらくは、こうして世界に向けてメッセージを発信しようとしている映画人がここにも大勢いることを、日本人の我々や他の国の人たちがほとんど知らないことだろう。SKIPシティの木村さんは、ここで多くの若いフィルムメーカーと出会い、「目が覚める思い」とその気持ちを正直に吐露していたが、私も同感だ。これほどまでに作品が内容的に充実しているのは、この国には語るべきストーリーが無尽蔵にあるということ。そしてストーリーがかくも豊富なのは、ある意味それだけ社会が豊か、描くに足る生命力に満ちた生活がそこにある、ということだろう。物質的な豊かさゆえに描くべきテーマを失いつつあるか、ややもすれば窮屈で生命力に乏しいテーマに凝り固まってしまう私たち日本人からすれば、いまのフィリピンのDシネは伸び伸びとした豊かな物語にあふれていて、なんとも羨ましく思えるのだ。
(了)